第6話
週末は一気に天気が崩れ、昼夜問わずずっと雨が降っていた。
南雲部長はどこかに出かけたのだろうか、と考える。
結局金曜日はそのまま武藤くんと飲みに行ってしまったから、その後のことを知る由はなかった。一応連絡先は知っているけれど、まさかそんなことのためにメッセージ機能を使うわけにもいかない。それに、杞憂だったらわたしが逆に惨めなだけだ。
それでも雨が降っていると、自然と彼のことが頭に浮かんでしまう。
どこかで悲しんでいはしないだろうか、と。
雨の夜を、孤独に怯えながら過ごしていたりはしないだろうか……と。
「間宮さん、おはようございます」
「おはよう、武藤くん」
月曜日の朝、思いのほかいつも通りに振る舞えている自分に内心でホッとする。エレベーターで顔を合わせた石川さんや他の同僚たちにも、もちろん南雲部長にも、笑顔で挨拶ができていた。
仕事もいつも通りに進み、たまにぶち当たるクレーム対応もスムーズに切り返すことができている。わたしにしては、合格だと思う。
まぁ、ただ一ついつも通りじゃないことといえば……。
「ねぇ間宮さん。ご飯行きましょ」
「いいよ」
今日は武藤くんに誘われて、ランチへ出かけることにした。いつもの社食でも売店でもなくて、会社から少し離れたファミレスまで足を伸ばす。
南雲部長はパソコンに向かいながら、片手間に総菜パンをかじっている。
仕事に集中しているときはあまり食に興味がないようだけれど、彼は意外と辛い物が好きだ。しばしば激辛とコンビニで銘打たれているスパイスたっぷりの真っ赤なラーメンや、わさびの効いたおにぎりなどを涼しい顔で食しているのを見かける。
今日は適当に済ませるのか、と横目で眺めながら、武藤くんに着いてオフィスを出た。
ファミレスに着くや否や店員さんに案内された、奥まった二人掛けのテーブルに――意外と、カップルだと間違われてたりするのかもしれない――向かい合わせに座ったところで。
武藤くんは、おもむろに口を開いた。
「――金曜言ったこと、考えていただけましたか?」
そうだ。いつも通りじゃないと言えば、この可愛らしい後輩のこと。
南雲部長のことばかり考えててすっかり忘れていたけれど、わたしは金曜日の飲みの場で、武藤くんに告白されていたのだった。
『好きです。俺と、付き合ってくれませんか』
僅かに潤んだ瞳で、そう告げられたことを思い出す。
酒が入っていたせいかほんのり赤くなった頬と、真剣な表情が、可愛らしいと思った。心が揺れなかったと言えば、嘘になる。
けれど……。
「……ごめんね、武藤くん」
重要なはずのこと、顔を合わせるまですっかり忘れていた。
ずっと南雲部長のことを考えていて、それどころじゃなかった……その時点で、わたしの答えなんて分かっていて。
「わたしは、武藤くんをそういう目で見れない」
ゆうるりと、首を横に振れば。
「ですよね」
武藤くんは案の定とでも言いたげに、小さく笑った。
「……まぁ、俺の告白はほんの冗談だと受け取ってください」
笑いながら冗談だなんて言われて、きっと怒るべきなんだろうけど。
辛そうに眉をしかめて、目を伏せる姿は、なんだかひどく切なくて。金曜日の告白が、言葉通り冗談で口にしたことだとは、とても思えなかった。
そんな風に無理をさせている自分が嫌になるけれど、それでも自分の気持ちを偽れないことは確かで。
どうにもしてあげられないことが、口惜しかった。
「……分かってたんです、本当は」
あなたには、好きな人がいるんだってこと。
付け加えられた言葉に、えっ、と声が出そうになる。
弁解でもしようとしたのか、自分でもわからないけれどとにかく口を開いたところで、店員さんが注文の料理を持ってやってきた。わたしの頼んだ料理が先に来て、「いただきます」といたたまれない気持ちのまま箸を持つ。
やがてそれから五分ほどして、武藤くんの分の料理がやってきた。大盛りを頼んでいたみたいだ。やっぱり男の人は食べる量が多いな、と変なところで感心した。
「好きなんですもんね、南雲部長のこと」
わたしが何も言わずにいたら、大盛りのカツカレーをもりもり食べながら、何でもないことのように武藤くんが言った。んぐっ、と食べていたカルボナーラが喉に詰まりそうになり、慌てて水を飲む。
「大丈夫ですか?」
「んぅ……けほっ、だいじょぶ」
水を飲んだわたしが胸のあたりをトントンと叩いていると、可笑しそうに武藤くんが笑った。そうしていると後輩っぽくも年下っぽくもなくて、なんだか不思議な感じがする。いつもおちゃらけている雰囲気の彼だが、本当はずっと大人びているのかもしれない。
「なんで、わかったの」
動揺をできるだけ抑えて問いかけるけれど、それすらも見透かすように、武藤くんはわたしを見つめた。
「だって本来、間宮さんって人見知りっていうか、男嫌いでしょ? それなのに、南雲部長とはすごく仲いいですし。……それに、よく南雲部長のこと、見てますもんね」
そんなに見られているとは……というか、見抜かれているとは。
武藤くんの言うとおり、わたしは普段明るいふりをしているけど、本来人見知りで。特に、男性は苦手だった。南雲部長や武藤くんなど、部署内の男性は大丈夫だから、バレてないと思っていたんだけど……。
しかも、ちょくちょく南雲部長を見ていることにも気づかれていたらしい。ちょっと恥ずかしい。
「でも南雲部長は、」
あまりに図星を突かれすぎたわたしがそれ以上何も言えずにいると、武藤くんはそう言いながら切なげに、目を伏せた。
その先、何を言われるのかなんて、もうすでに知っている。
「あの人はきっとまだ、さらさんのこと……」
思った通り。続いた言葉に、悲しみがせり上がってくるのが分かった。
分かってるよ。そんなこと。誰よりきっと、わたしが分かってる。
雨の日にわたしを送ってくれるのはたまたまで、孤独を避けるためでしかないってことも。わたしに優しくするのは、ほんの気まぐれだってことも。
あいしてる、という言葉はわたしじゃなくて、さらさんに対するものだってことも。
「知ってる、よ」
そんなこと、全部、分かってるから。
それなのに、わたしに触れた大きな優しい手を。抱きしめられた体温を。あいしてる、と囁いた、低い声を。
思い出すたびに、浮足立ってしまう心はなんと浅ましいことか。
――だめ、くるしい。
南雲部長。あなたの気持ちが、わたしには少しも分からない。どれだけ傍にいたってきっと、一生、理解できない。
……それでも、あぁ。
わたしはそれでも、あなたが好きです。南雲部長。
「ちゃんと、終わらせるから」
残酷な夢だった。けれどおんなじくらい、しあわせな夢だった。
「――だいすき、でした」
だから、もうやめなくちゃ。こんな想いは。
昼時の喧騒の中、南雲部長への想いを途切れ途切れに吐露しながら、ただ涙を流すわたしに。
何も言わないまま、武藤くんはただその場に、落ち着くまで一緒にいてくれた。
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