(27)

 目の前にはしくしくと涙を流す年下の女の子。そんな状況にでくわして、まして少女を泣かせたのが自分ともなれば、多少なりとも心が痛むもの。たとえ自分は悪くないという確信があったとしても、ちょっと悪いことをしてしまった気になってしまうことはある。


 まさに今のララタがそうで、目の前でしくしくと泣く、アルフレッドの母方の従妹、キャサリンを前に気まずい思いをしていた。


 そもそも悪いのは仕掛けてきたキャサリンであるのだ――とララタは独白するも、図らずして泣かせてしまったという事実は覆せまい。


 こんな場面をだれかに見られでもしたらと考えると肝が冷えるが、しかし積極的に泣きやませようという気にもなれないのが、ララタであった。


 そもそもの、さらにそもそもの発端は王様である。義弟――つまり、お后様の実弟でキャサリンの父親――に至急渡したいものがあるからちょっと頼まれてはくれないかと言われ、安請け合いしたのが運の尽き。


 運搬自体はつつがなく終わった。ちょっと魔法でひとっ飛びして、顔見知りの伯爵様に厳重に梱包されているらしき包みを渡すだけだ。血の繋がりのない義弟という割には、どこか王様と似た雰囲気のある伯爵様の、「疲れただろうからひと休みして行きなさい」との言葉を受けて客間へ通された。


 まあ喫緊の用事はないからいいかとソファでくつろいで、言葉通りに魔力を回復させていたところにやってきたのが、伯爵様の娘であり、アルフレッドの母方の従妹であるキャサリンだったのだ。


 キャサリンはララタのことが気に入らないらしい。恐らくはアルフレッドに恋をせずとも、憧れくらいの感情を抱いているのだろうことはララタにも察せられた。


 以前キャサリンとお后様のサロンで鉢合わせたときには、「王室にふさわしくない」だとか「邪魔なのよ」だとか言われたものだ。その場はお后様が迫力で姪っ子――キャサリンのことだ――を諌めたというか、追い出したというか……な結果に終わっている。


 とにもかくにもお互い印象はよくないハズである。ララタだってそうだ。積極的に自分を疎んでいるらしい相手と顔を合わせたくはない。仕事でない限り揉めごとには顔を突っ込みたくないのである。


 けれどもキャサリンは違うらしい。わざわざララタのもとへとやってきたということは、よほど彼女をやり込めてやりたいか、ケンカしたいか、そのどちらかのように思えた。


 そしてキャサリンは回りくどい挨拶を口にしたあと、次に「貴女が王室にふさわしいか試してあげる」と言い出したのだ。


 もちろんそんな権利はキャサリンにはない。王室と縁づいていると言ったって、彼女に王族の血が流れているわけではない。単に伯母が后になっただけの話である。


 キャサリンとてそれがわからない歳ではないだろうし、おつむでもないだろう。わかっていて彼女はやっているのだ。ララタをいびるために。


 ララタはキャサリンの居丈高な言葉に、「まあどうしよう?!」なんてうろたえるような、可愛げのある人間ではない。ただひたすら、「そんなにいびりたいのか」と思うと同時に「性格悪いなあ」などと考えるのであった。


「試すとは?」

「我が家には王家から下賜された指輪があるの。王家に認められているならば指を通せるはずよ!」


 そう言って伝家の宝刀でも抜くように取り出された指輪を見て、ララタはキャサリンがなにをしたいのか、おおむね察した。


 しかしキャサリンはそんなララタには気づかない。ララタも小娘と言ったって、結構いい年齢だ。感情をあたら表に出すようなことはしない。


 だからララタは心中で何度もため息をつきながら、「そんな大事なものに指を通すなんて畏れ多い」などと言って、どうにかキャサリンの体面を保とうとした。


 彼女の機嫌が損なわれれば、あとに待つのは面倒なことだけだということを、ララタは悟っていた。


 けれどもキャサリンは「遠慮しなくていいのよ!」と、ララタの気づかいをまったく察せず、なにがなんでもララタに指輪を渡そうとする。


 だからララタは心の中で何度もため息をつきながら指輪を受け取り、胸中で深いため息をついて受け取った指輪を左手の薬指につけた。


 瞬間、指輪に自らの魔力がかすかに流れて行くのを感じ、ララタは「ああやっぱり」と思った。


 同時に、キャサリンは「どうして?!」と悲鳴にも似た声を上げる。「その指輪はだれにも嵌められないはずなのに!」――と。


 ララタには最初からわかっていた。王家から下賜されたと言う指輪には魔力が宿っていたからだ。それを恐らくは持ち主を選ぶための魔法がかけられているのだろうと推理するのは簡単だった。


 しかしララタ自身がその指輪をつけられるかどうかまではわからなかったが、どうやらこの指輪は単に魔力があれば指を通せるという程度の魔法がかけられていたらしい。


 もしかしたら、魔法が衰退する中で、貴重な魔法使い――つまり、わずかでも魔力を持っている人間――を選別するために作られた指輪なのかもしれない。


 しかし物が伝わって行く中で、そういったいわれは失われてしまったか、あるいは単純にキャサリンは知らなかったのだろう。


 魔力を持たないキャサリンにとっては、この指輪はどうやっても嵌められない……そういう不思議な指輪でしかなかったハズだ。


「これでわたしは王室に認められていると証明されたわけですか?」


 ララタはそういった推理を披露することなく、すっとぼけた調子でキャサリンに指輪をはめた左手を見せつけるように掲げた。一瞬のあいだは、間の抜けたキャサリンの顔を見て溜飲が下がる思いだったが、次にはそういう気持ちも失われた。


 キャサリンはくやしそうに歪めた顔をさらにくしゃくしゃにして、うつむいてしくしくと泣き出してしまったのだ。


 そして話は冒頭に戻る。


「泣くほどわたしが嫌いなんですか?」


 ララタは前々から思っていたことを、いい機会だからと尋ねることにした。次代の王と目されるアルフレッドの従妹なのだ。今後も付き合いが途切れるということはないだろう。


 となればこの機会にここまで感情がこじれてしまっている理由を聞き出すのもいいかと思ったのだ。


 どうしても嫌いで、好きになれない人間というものはいる。ならば付き合いが切れないならば、切れないなりにうまいこと付き合って行く方法を模索するのが建設的な選択と言うものだ。


 だからララタは泣き出したキャサリンに、そんなに自分が嫌いなのかと問うた。正直に言って思春期の多感な時期であることを差し引いても、悔しさに泣くほど自分のことが嫌いだという事実にはララタだってちょっと傷つく。なんだかんだと神経は太くなったほうだが、それくらいのデリカシーは持ち合わせている。


 しかしキャサリンは首を横に振った。


「魔女様がアルフレッドに使い捨てにされるのがたまらなかったのよ!」


 ララタは呆気にとられた。キャサリンから「魔女様」だなんて敬称で呼ばれるのも初めてだったし、そもそも「使い捨てにされる」とはいったいなんのことだろうか? ララタの頭上に特大のクエスチョンマークが点灯する。


 ヒックヒックとしゃくり上げて泣くキャサリンから、どうにかこうにか聞き出した事実は以下の通り。


 キャサリンはアルフレッドが「お試し妃」なる奇習の相手にララタを選んだことが許せなかった。それは、アルフレッドに憧憬なり恋情なりを抱いていたからではない。男性機能を確認するためだけのような――キャサリンから言わせると――下劣な儀式にララタを選んだことが許せなかったのだ。


 キャサリンはかつてララタに助けられていた。領地で遊んでいるときに魔物に襲われたのだが、そこを魔物退治にきていたララタに助けられたのだ。以来、キャサリンはララタを密かに思っていたのだ。


 そんなララタが王家の奇習の犠牲になる――。それはキャサリンには耐えがたいことであった。


 しかしララタは騙されているのかお試し妃を嫌がるそぶりを見せない。それどころか周囲にもなじみ始めている。


 焦ったキャサリンはいじわるな従妹を演じてララタが「お試し妃」の仕事に嫌気が差すように仕向けた――つもりだった。


「……なんだってそんな……わざわざ悪役になるようなことを?」

「だって小説ではヒロインがたまりかねて家を出奔するのは、いじわるをされたときなんですのよ。だから……」


 ララタは心の中で深い深いため息をついた。


 呆れる気持ちもあったが、安堵の気持ちもあった。別にララタはキャサリンから嫌われていたのではなかった。むしろ、キャサリンの言い分を聞けば逆のようである。


 短絡的に自分をいじめれば王室に嫌気が差すかもと考えて、実行してしまうところはいただけないが、ララタを思ってのことだと考えると、怒るよりも先に脱力せざるを得ない。


 キャサリンに「そんなことをしてもあなたの評判が落ちるだけよ」と言い聞かせようとしたところで、ララタは思い直した。


 この件についてララタに非があることと言えば――


「キャサリン様、わたしのことを思ってしてくれたことには感謝します。けれども……それは必要ないのよ」

「でも魔女様! 妙な伝統に縛られて、大人しくアルフレッドのかりそめの妻を演じる必要なんて――」

「わたし、アルのことが好きなの」


 ララタはアルフレッドのことが好きだから、「お試し妃」なんて奇妙な風習に付き合っている。――ということを周囲の人間に知らせていなかったのが、キャサリンとの仲がこじれた原因ではなかろうか。


 もちろんだれがだれを好きか、などということは、なんでもかんでも公にすればいいというものでもない。


 けれどもララタがアルフレッドに対して、素直じゃない態度を取り続けてしまったことが、キャサリンに誤解する余地を与えてしまったようにも思えた。


「――へ?」


 キャサリンはまた間抜けな顔して、まじまじとララタの顔を見た。


 ララタは気恥ずかしさでいっぱいだった。こうして、アルフレッドへの好意をだれかに向かって口に出したのは、初めてのように思う。だから、こうして言葉に出してアルフレッドを好きなのだと宣言してしまって、改めて彼への思いを実感した次第である。


「――これは、あなたとわたしの秘密よ。……だから、今しばらくはだれにも言わないでちょうだい?」


 キャサリンは声が出せないくらいにおどろいているらしく、ララタの言葉に無言でコクコクとうなずいた。


 今しばらくは、ララタがアルフレッドのことを好きだということは、キャサリンだけが知る秘密である。


 そう、今しばらくは。


 伯爵邸をお暇するときに、キャサリンは気まずげに「ごめんなさい」と謝ってきた。いつもの素直じゃないララタだったら、「そんなことをしてもいびった事実は消えない」などと思うが、今回ばかりは不思議とそういう気分にはならなかった。


 キャサリンに微笑み返して、魔法で空へと浮き上がる。


 見渡す限りの青空は、いつもより一段と晴々しく映った。

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