(28)

「神様っているのだなあ」とララタは心の中でひとりごちた。


 かつて失脚した貴人を幽閉するのに使われていたという、あんまりよろしくない噂がある石塔の中にララタはいた。ここが今のララタの仮の家――いや、宿、と評したほうがより正確だろうか。どちらにせよララタはこの石塔を安住の地とする気は微塵もない。


 ここはララタが元いた世界。生まれ育った世界。帰る方法がありながら、捨て去った世界。――けれども再びこの地を踏んで去来する思いはひたすら重く、ララタのため息は止まらないのだった。


 そもそも、あの神殿へ行ったのが間違いだったのだとララタは述懐する。


 今から一ヶ月以上前、ララタはアルフレッドと連れ立って秘境にある廃れた神殿を訪れた。もうずっとずっと昔に、最後の魔法使いがいたというその場所へ赴いたのは、残された魔法書を回収するためだった。


 前回、この神殿を訪れたのはアンブローズおうが指揮する兵士やら学者やらの混成部隊であったと言う。もちろん、その目的はアルフレッドを治療できる異世界の魔法使いを召喚するため。だから、もう結構前の話だった。


 結果は知っての通り、ララタという未熟ながら魔法使いを召喚することに成功している。以前、この神殿に住まっていた魔法使いはそれなりに力と知識を持ち合わせた者であったことがうかがえた。


 石造りの神殿は訪れる者を失って久しく、ところどころ石が欠けたり、崩れたりしていた。それでもどうにかある程度の形を保っていたので、ララタたちは神殿の崩落を恐れつつ侵入した次第である。


 ララタはこの神殿を移築したりはしなかったのかとアルフレッドに問うた。彼は、「これは古の魔法使いの墓のようなものなんだ」と答えた。「まあ実際はあまりに秘境の地にあるから、移動させるのは無理だったんだろうね」とも付け加える。


 たしかに魔法が失われた世界では、神殿を一度バラして建て直すにしても、相応の金と時間がかかるだろう。それはできないと昔のだれかが判断したわけだ。


 だから神殿の中央部に設けられた大きな居室には、神をかたどった石像も往時のまま残されていた。だれも訪れないので、薄っすらとホコリをかぶって立ったままの石像を見れば、なんとなくかつての姿に思いを馳せてしまう。


「神様に神殿に入ったことを断っておこう」というようなことを言い出したのは、アルフレッドからだった。ララタも神妙になって同じ気持ちだったので、同意した。


 けれども今思うに、それは間違いだったように思う。


 ララタとアルフレッドは石像の前に立ち並んで、神妙な顔つきでまぶたを閉じた。


 ララタはふとここにいる神様はどんな存在だろうかと考えた。もちろん、この神殿を訪れる前にひと通りは調べている。今でもこの国で信仰されている月の神……。もちろんこの場所にある以外にも、月の神の神殿は各地に点在している。


 アンブローズ翁は月の神の力を借りてララタをこの世界にんだと言った。そんな世界を超えて目的の人間を連れてくるという、超常の力を持つ存在はいったいなにを考えてアンブローズ翁の願いに力を貸したのだろうか? 素直じゃないララタは、裏の意思を疑ってしまう。


 ……だから、もしかしたらララタの今の状況――帰りたくもない世界に帰ってきてしまった――は「バチが当たった」ってやつなのかもしれない。


 たしかにララタは地面がぐにゃりと歪む瞬間に声を聞いた。


 ――汝をもとの世界へ帰してやろう。トカナントカ。それは月の神のお節介なのか、バチ当たりなことを考えたララタへの罰なのか、そこまではわからない。そんな、感情をうかがわせない超然とした声だったことはたしかだ。


 ララタはアルフレッドの姿が急激に遠くなって行くのを見た。アルフレッドがひどくあわてているのはわかったが、なにを言っているのかまでは、歪んだ世界では聞き取れなかった。


 そして次の瞬間には、ララタは元の世界へと帰ってきていたのだった。


 そこからは怒涛の展開が待っていた。


 当たり前だがララタは元の世界では行方不明者として当局のデータベースに登録されていた。誘拐か家出かはわからないが、それなりに聞き取り調査などはされたようである。その結果、家出と判断された――イジメの事実が出てきたからかもしれない――らしく、なおざりな捜査をされただけで、本格的な捜索はされなかったようである。


 そんな行方不明になっていたララタが突如として帰ってきた。見つかったのはララタが消えた学校の寮の中。となれば事情聴取をされるというのが当たり前の展開だ。しかし混乱していたララタは愚かにも馬鹿正直にすべてを話してしまった。


 別の世界にいたと言えば、もしかしたら帰るすべなどを探してもらえるかもしてないと、甘ちゃんもいいところだが考えてしまったのだ。


 その結果が今の状況である。貴人が幽閉されていたと噂される石塔に入れられて、出入り口には警備員の魔法使いが常駐している。とんだVIP扱いだとララタは皮肉たっぷりに笑うしかない。


 ララタがアルフレッドたちがいた世界で必死になって見につけた魔法のうち、いくつかはこの世界では失われた古代魔法であったのだ。古代魔法のいくつかは紐解かれれば、魔法社会はまた一段と飛躍すると言われている分野である。当然、各所に連絡が行き、ララタは半ば強制されて魔法を披露することになってしまった。


 魔法使いがふたりしかいないアルフレッドたちのいた世界でならばともかくも、魔法使いだらけの世界で魔法を使って逃げる、という選択肢は現実的ではなかった。そしてララタはあっちの世界では「魔女様」などと呼ばれていても、こちらの世界ではやっぱり小娘なのであった。


 そういうわけで、逃げる間もなくあれよあれよという間に、ララタは石塔でほとんど軟禁同然の生活を送るハメになってしまったのだった。


「神様っているのだなあ」とララタは再び思った。そうやって現実逃避をしていなければ、ちょっとどうにかなってしまいそうだったからだ。


 ララタに対するお偉方の魔法使いたちは気持ち悪いくらいに丁寧で、優しい。しかしララタは素直じゃないので額面通りにその態度を受け取ってはいなかった。


 ララタは、知識を絞られたあとの自分の行く末を思うと、暗い気持ちになった。知識を引き出すだけ引き出されれば、ララタは用ナシである。


 お偉方はララタから得た知識を学会に発表して称賛を受けるだろうが、ララタはどうなるのか。その先がまったく見えない。


「悪いようにはしない」とは何度も言われたものの、ララタはやはり素直じゃないので言葉通りには受け取れなかった。


 だって、今、まさしく石塔に閉じ込められている。魔法社会の発展を阻害し、自然へと回帰することを目的とするテロリストの集団から守るためらしいが、やっぱりララタは文字通りには受け取れなかった。


 考えれば考えるほど疑心暗鬼に陥って行くのがわかっているので、ララタはこうしてぼんやりと「神様っているのだなあ」とか、至極どうでもいいことを考えるのである。


 ララタは、あっちの世界にあった魔法がこちらの世界における古代魔法だという知識はなかった。まだ子供も子供のころにあっちの世界へ飛んでしまったのだから致し方ないと言えば致し方ない。しかしそのお陰で今の状況に陥っていることを思うと、なんとなくくやしい。


 周囲はララタをちやほやする。すごい魔法使いだと言う。素晴らしい魔法の知識だと言う。その状況はあちらの世界を彷彿とさせるが、不思議とこちらの世界でなにかをなしてやろうという気持ちにはならなかった。


 未だに昔の扱いを根に持っている自分におどろき、やっぱり自分は素直じゃない、とララタは思う。


 そしてそういう素直じゃない自覚があったのならば、さっさとアルフレッドに気持ちを伝えていればよかったと思った。


 ララタは胸元に下げている小さな布袋のお守りを手で包む。アルフレッドが手縫いしたお守りの中には、彼の魔法が込められた宝石がある。それも調べたいという研究者たちの手から、どうにかこうにか死守したものだ。なんとなく、彼らに彼女らに渡せば、二度と返ってこないような気がしたので、ララタは必死に断った。


 その選択は正解だったように思う。味気ない――というか、味気なさすぎる石塔での生活を支えていたのは、アルフレッドから貰ったお守りただひとつ。見えない未来を思ってくじけそうになる心を、どうにかこうにか支えている。


 そしてお守りをぎゅっと握るたびに、やっぱりアルフレッドのことが好きだという自分を、ララタは思い知らされる。


 心残りはたくさんあるが、一番はアルフレッドに好きだと伝えられなかったことだ。


 たった一度だけでいいから、一瞬だけでもいいから、もしあちらの世界に戻れたならば、ララタはアルフレッドに気持ちを伝えるだろう。


 本当はふたりきりになれる機会だった、あの神殿で言うつもりだった。素直じゃない自分とおさらばして、アルフレッドが好きだと伝えるつもりだった。


 それが、土壇場になってこれだ。今まで素直な気持ちを伝えようとしなかったツケが回ってきたような感じである。


 目頭が熱くなって、視界がぼんやりと歪む。もう何度こうしてひとりで泣いたかわからなかった。泣いてもどうしようもないことは、ララタが一番わかっている。けれどもやっぱり、この世界で未来に希望を見出すのは難しかった。


 なにより、この世界にはアルフレッドがいない。


 大好きなアルフレッドがいない。


 たったそれだけの事実に、ララタの胸は押しつぶされそうだった。


 泣いていても仕方がないと自分を叱咤し、涙をぬぐって立ち上がる。コーヒーでも淹れて落ちつこう。そうして一歩踏み出したところで、ララタはずっと握りっぱなしだったお守りが、持っていられないほどに熱くなったことに気づいた。


 おどろいた拍子にバランスを崩しそうになって、おっとっととたたら踏む。


 そしてもう一度顔を上げると、そこには泣きそうな顔をしたアルフレッドがいたのだった。

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