(26)
学校を卒業したばかりくらいの、年若い女中が怪我をするようになった。これがひとりふたりであれば、陰湿なイジメでも受けているのかと思う。けれどもそれが一〇人ばかりを超えたところで、これは異常事態なのだと気づいた。
怪我をしている年若い女中からひとりひとり、どうにか理由を聞きだしたところ、それには王宮の敷地の隅にある古井戸が関わっているのだと言う。
今は使われていない離宮の、これまたたまにしか使われていない古い井戸。ときたま離宮を清掃するときにしか使われない古井戸には色々と噂があった。
離宮にはかつての代の妃が住まっていたという経歴を持つために、実はその井戸で冷遇を苦にした妃が身を投げただとか、幼い王子がそこで何者かに招かれて溺れかけただとか――とかくまあ、そういった噂にコト欠かない。
それじゃあ女中たちの怪我は肝試しでもしたのだろうかと思えば、さにあらず。
その古井戸は――願いを叶えるのだと言う。
「それで代償に怪我をするの?」
「そうらしいよ」
テクテクと件の古井戸に向かって歩くララタとアルフレッドは、道中でそんな会話を交わす。
今回のララタは週に一度の王宮参りではなく、気まぐれにこちらへ顔を出した形だった。そこでアルフレッドに捕まった――と言うか、「ちょっとつき合ってよ」と気軽に連れ出された次第である。
ララタとアルフレッドはよく知った仲だ。だからララタはアルフレッドが
並んで歩きながら打ち明けられたのは上述の通りの経緯であった。
「怪我の程度って――」
「擦り傷、浅い切り傷、軽い捻挫……とかそのくらいだったんだけど」
「ということは?」
「骨折した子が出てきてしまってね……。もしかしたらその『願いの井戸』とやらの力が大きくなっているのかも、と思って。今は離宮の清掃はせずに、古井戸にも近づかないように触れを出しているところ」
「で、それをやっつけに行こうって?」
「いいでしょ? 『魔女様』」
目配せするアルフレッドを見たら、ララタには断る理由がなくなる。アルフレッドひとりで行かせるのも不安だ。魔法使いとして彼が未熟だとは思わないが、厄介な正体不明の相手と対峙するのであれば、数は多いほうがいい。
なによりもアルフレッドの懸念が気になった。怪我がエスカレートしているのだとすれば、その正体不明の何者かは徐々に力をつけているということになる。もしその予想が当たれば、いずれは好んで井戸に近づく女中以外にも危害を加えるかもしれない。
「それにしても『願いの井戸』ね……女中たちはどんな願いをしたのかしら? そんなに切羽詰まっていたの?」
「さあ? お給金は重労働に見合うものだと思っているけれど……。あと怪我の程度が軽微だったから、軽い気持ちでお願いごとをしちゃったのかな? で、骨折する子が出ちゃって怖くなったとか」
「……まあ、おおかたそんなところでしょうね」
年若い、まだ少女と言ってよい女中らが願うことなんてそうそうバリエーション豊富ではないだろう。
一番はきっと恋の願いごとだ。だれそれと恋人になりたい、振り向いて欲しい、素敵な出会いが欲しい……。きっとそんなところだろうが、それを指摘するのは野暮な気がしてララタは黙った。アルフレッドも特に指摘はしなかったところを見ると、わかっていないのか、はてまたララタと同じ気持ちだったのか。
二番はきっとオシャレに関することだ。キレイになりたい、やせたい、素敵なお洋服が欲しい……。もしかしたら、中には家族の病気だとかの平癒を願った女中もいるかもしれないが、軒並み軽い代償を見るとそのように重い願いごとをした者はいないのかもしれない。
あとは人間関係に関することだろうか。だれそれが気に入らない、あいつが辞めて欲しい……。ララタが思いついたパターンはせいぜいそれくらいであった。
「それで結局『願いの井戸』に願掛けをすると、実際に叶うの?」
「まあ叶うと言えば叶うし、叶っていないと言えば叶っていないのかな?」
「つまり、それほどの精度じゃないのね……」
「そう。でも共通しているのは願掛けをすると必ず怪我をする。これは絶対みたい。――あ、着いた」
古井戸はまさしく古井戸だった。井戸を覆う井筒は石組みのものだが、これにはびっしりと苔が生えている。しかし一方で縄や滑車や水桶には古びたところがない。これは離宮の清掃を定期的に行うため、この古井戸が利用されているからだろう。
しかし「願いの井戸」の噂を聞いたあとだと、どうにも不気味である。この古井戸の底に、もしかしたら正体不明の願いを叶える何者かがいる。しかもそれは願いを叶える代償に怪我を置いて行く……。
そんな噂を知っていても近づきたいと思ってしまうのは、それほどまでに叶えて欲しい願いがあるからなのか、あるいは浅慮からそんな行動に出てしまうのか。きっと両方だろうなとララタは思った。
「底は暗くて見えないな」
「ちょっと、なにいきなり覗いてるの?!」
古井戸を覗き込むアルフレッドの襟をつかみ、ララタは彼を引き戻した。
それと同時に、まるでアルフレッドに引き寄せられるようにして、井戸水が波打ち、盛り上がり、そして――
「ねがいをかなえてしんぜよ~う」
身の丈五メートルはあろうかという、真っ黒で頭の長い赤子のような魔物が現れた。半開きの口からは黄ばんだ乱杭歯が覗き見える。
「えっ」
「こいつ――」
いやに聞き覚えのあるセリフ。やけに見たことのある容貌。――間違いなく、かつてララタとアルフレッドが海で退治した魔物であった。
が、海の魔物はふたりが退治したのだ。となれば目の前にいる魔物は単なる同種ということになる。
しかしまさかこんなところで再び相まみえるなどとは思っていなかったふたりは、一瞬だけ虚を突かれた。
「とりあえず……井戸から離れたところで話がしたいんだけど」
「アル!」
「ねがいをかなえてしんぜよ~う」
黒い魔物がそう言うや、アルフレッドは「イテッ」と声を出した。見ると、手の甲に引っかき傷のようなものができている。
「これが代償か……まあ可愛いほうだね」
「もう、勝手に決めて……」
「怒らないでよ。ララタに怪我をさせるわけにはいかないだろう?」
「擦り傷程度なら回復魔法ですぐに治せるわ」
「それは僕も同じ。――じゃあ、行こうか」
井戸の魔物と海の魔物が同種であれば、退治の方法もそう変わりはしないだろう。アルフレッドはそう目星をつけたのだ。つまり、毒餌を使って魔物を退治すればよいと考えたのである。
しかし今度は場所が問題だった。地下水を汲み上げる井戸の近くで毒餌を使うのは、あとのことを考えるとよくないだろう。予想通りであれば毒餌を食べた魔物はそのまま消えてしまうようなのだが、吐き出さないとも限らない。
そういうわけでアルフレッドは手の甲の傷と引き換えに、井戸の魔物をその場から引き離したのであった。
退治の場面は以下省略。前回とまったく変わりなく、毒餌を食べた井戸の魔物は海の魔物と同様に、煙のように消えてしまったのだった。
「結局、あの魔物ってなんなんだろう」
「水辺に現れる魔物だっていうのはわかったけれども……」
「前の魔物よりちょっと大きかったから、前の魔物よりも力があったのかな?」
「たぶんね」
「それでさ」
「うん?」
テクテクとまた離宮から取って返して王宮へと戻る道すがら、アルフレッドはララタの顔を急に覗き込んだ。突然の行動に、ララタの心臓はドキリと跳ねる。……顔が近い。ララタは必死にその頬が赤く染まるのを防ごうと、冷静を保つことに努める。
そんなララタの胸中を知ってか知らずか、アルフレッドは無邪気に問う。
「ララタは願いが叶うなら、どんな願いごとをする?」
「……急にどうしたの?」
「海では僕に願いごとを聞いてきたなと思ってね」
「ああ……そうね、わたしは……」
ララタが叶えたい願いなどひとつしかない。
ずっとアルフレッドのそばにいることだ。
けれどもこういうところでララタの素直じゃない部分が顔を出して、邪魔をする。
「アルが王様になることかな」
「僕が?」
「そう。そうすればわたしの未来は安泰でしょう?」
思わず、アルフレッドから視線をそらしてしまう。ララタは自分の目が泳いでいないか心配になった。
アルフレッドからするとララタの答えは少し意外だったらしい。目をぱちくりとさせたあと、ちょっと困ったように彼は笑った。
「ララタならどこへ行ったってうまくやっていけるさ」
「ええ? そんなことないわよ。わたしぜんぜん社交的じゃないし」
「そうかなあ? ちゃんと僕と話せてるじゃない」
「それは……アルが相手だから。他とは違うのよ」
「そう言われると特別感があってうれしいね」
「幼馴染だからね!」
ララタは気恥ずかしさを誤魔化すように「幼馴染だから」という言い訳めいた言葉を口する。
しかし隣を歩くアルフレッドはニコニコと笑顔のままだった。なんとなくララタは「負けた」気になるが、しかしまあそれでもいいか……と思う程度には、アルフレッドが好きなのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。