(24)
月経は、魔法使いでもどうしようもできない生理現象のひとつである。
女の魔法使いにとっては非常に悩ましい問題だ。月経のあいだは魔力の流れがわずかに乱れるため、魔法を使うことには向いていないのである。それどころか個人差によっては魔力の乱れによって、月経が終わるまで寝たきりの状態になる者もいると言う。
幸いにもララタはそうひどい部類ではなかった。しかしララタは痛みが苦手なので、魔法が使えるとか使えないとかいう以前の問題として、月経痛は憂鬱な問題であった。
鎮痛魔法というものは存在するが、まず月経中の人間が自分自身に魔法をかけるのは非常にリスキーである。だからララタのいた世界では推奨されていなかった。……ということをララタは知らない。
ララタは初潮を迎える前にこの異世界へとやってきたので、この世界の人間たちは逆にこの「魔女様」に「月経とはなんぞや」ということを教えねばならなかった。
とにもかくにもこの世界には月経が酷くともどうにかできる薬などは存在しない。ララタは激痛に失神するというほどではなかったが、やはり腹の中で渦巻く鈍痛は憂鬱以外の何者でもない。
しかしこんなことは唯一自分以外の魔法使いであるアルフレッドに打ち明けるには、ちょっと恥ずかしかった。月経という避けがたい現象は、ララタの中ではデリケートな問題だった。
けれどもアルフレッドはララタが月に一日半は必ず寝込んでいることに気づいてしまった。そして――ララタからすると余計なことに――教育係のアンブローズ
女性の体の仕組みについて教えるのは教育係の仕事の範疇なのだろうし、もしかしたら渡りに船と思ったかもしれない。しかしララタはあずかり知らぬところで秘密を暴露されたような気になった。
心優しいアルフレッドはもちろんすぐにララタに問いただすようなことはしなかった。彼にもララタが言わないのだからデリケートな問題であるとの認識はあったのだろう。
しかしアルフレッドはララタの月経痛を和らげる方法を携えて、月に一度の寝込み期間に入った彼女の家を訪れた。
「僕が鎮痛魔法を使えばいいんだよね?」
解決策はシンプルだ。ララタにもそれはわかっていた。わかっていたが、どうにもこうにもアルフレッドに告げるにはちょっと恥ずかしくて、その気になれなかった。それだけだ。
素直じゃないララタが、口が裂けてもそんな提案ができなかったことを考えれば、「月経とはなんぞや」というところから暴露してくれたアンブローズ翁の行いは、彼女にとってはよかったのかもしれない。
「鎮痛魔法は効けば持続効果は長いけど、効くまでがまた長いんだよ。アルにそんな余裕、あるの?」
そのころのアルフレッドは体も元気になってきて、遅れていた勉強に毎日追われていた。そのことを暗に指摘したのだが、アルフレッドは堂々とこう言ってのけた。
「余裕は作るものだよ」
「まあ、そうかもしれないけれど……」
「命の恩人が困っているのを放っておけないと思うのは、おかしいことじゃないだろう?」
となればこれはアルフレッドなりの「恩返し」のつもりなのだろうか? この異世界にきて数年が経過していたが、ララタはアルフレッドの性格を完全には把握できていなかった。だから、なんとなくその「恩返し」が有限のような気がした。
……実際のところアルフレッドにとっての、ララタに対する「恩返し」が無限に続くものだということを、ここからさらに数年後に彼女は悟ることになるのだが。
ララタは腹の奥の鈍痛を抱えながら、必死でアルフレッドを追い払う方策を考えた。しかし彼を傷つけずにうまいこと帰す方法など、コミュニケーション能力の低いララタが思いつくはずもない。
結局ララタは、腹の痛みに負けたこともあって、アルフレッドが鎮痛魔法を使うことを許可した。
「たしかに鎮痛魔法は基本として教えたけど、使えるようになっていたんだね」
「必死に練習したんだよ。鍛錬場の兵士たちにも協力してもらって」
鎮痛魔法を魔力に乗せて体内に流すには、直接的な接触をするのが一番だった。よく使われる方法は手と手を繋ぐものである。ということはララタもアルフレッドに教えていた。
単に学校で教えられたことをさらにアルフレッドに教えたにすぎないため、ララタはプライベートで彼と手を繋ぐような展開になるとは思っていなかった。
鎮痛魔法の授業をしたときには魔力を流す手本として手と手を繋いだ。けれどもそこには魔法を教授する以上の意識はなかった。
しかし今は違う。ララタに与えられたごく私的な空間で、ふたりきり――授業のときはアンブローズ翁がついていた――で手を繋ぐ。……自意識過剰なララタは、どうしてもそれが恥ずかしいことのように感じてしまう。
アルフレッドの手はほのかに温かい。生きているのだから当たり前なのだが、死にかけていた彼を知っている身としては、なかなかに感慨深いものがある。
枯れ木に薄皮を張っただけのようだった手の甲も、それなりに肉がついている。これがまた数年経てば男っぽく筋張ったものになるのかもしれないとララタは思った。
アルフレッドがララタの手を取り、そこから鎮痛魔法を流し始める。プラシーボ効果か、他人の体温を感じて安心したからか、ほんの少しだけ痛みが和らいだような気になる。……実際に効果が現れ始めるまでは、まだ時間があるのだが。
アルフレッドはララタが初潮を迎えたときのことを知っている。ララタは不意の腹痛を覚えてトイレに行こうとイスから立ち上がったら、座っていたところに血がついていたのだ。
ララタはそこで誤魔化せなかった。服にも血がついているのを見て、動揺して無言になった。それに敏く気づいたアルフレッドも、月経など知らなかったのでおどろいていた。
ララタは初潮を迎える前にこの世界にきたので、月経についての適切な教育を受けていなかった。アルフレッドも女性の体の仕組みなんぞまったく知らなかった。だからふたりして混乱したのだ。
ララタにとっては今でも恥ずかしい記憶である。そういうことをアルフレッドは察しているのか、鎮痛魔法をかけているあいだも、昔の話を蒸し返したりはしなかった。
長いこと王族としての教育が遅れていたわりには、こういうところは「王子然」としているなとララタは思う。ここで言う「王子」とはイメージとしての王子だ。つまり女性に優しく扱いが慣れているとか、そういう。
「ねえ、これからもする気なの?」
「? 当たり前だよ?」
「あのね……月のものが何十年続くと思ってるのよ。そりゃある程度成長したら痛みがマシになる可能性もあるけど……」
「それじゃ、ずっとそばにいるよ」
「アルだってこれから結婚したりするでしょ。奥さんとかはどうするの?」
「あ、そっか……」
アルフレッドにとって伴侶を得るという未来は、きっと夢のまた夢だったのだろう。病弱で、一年生きるのにも必死だったのだ。そう考えて健康なアルフレッドを見れば、なかなか感じ入るものがある。
ララタの指摘にアルフレッドは本気で悩んでいるらしかった。彼としては「恩返し」がしたくて仕方がないのだろう。ララタはそれを見て「そんなに自分は大したことはしていないのに」と思ってなんとなく気が引けた。
「じゃあアルが結婚するまでね」
……そのとき、アルフレッドがなんと返したのかララタは思い出せない。
しかし奇妙なことにアルフレッドは未だ婚約者ができる気配もなく、なぜかかりそめではあるがララタを妻にしている。おまけにアルフレッドはララタのことが好きらしい。
いつものように手を握って鎮痛魔法を流してくれるアルフレッドを見ながら、人生は奇妙なことの連続だとララタは思った。
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