(23)
アルフレッドが熱を出して寝込んでいる。
ララタの元にやってきた魔力でできた伝書鳩が携えていたのは、そんな内容の短い手紙であった。
ララタはアルフレッドになにかあったのかと大急ぎで王宮に参上した。待っていたアルフレッドの教育係であるアンブローズ
見慣れたアルフレッドの私室……の寝室部に入れば、見事な象嵌を掲げた天蓋つきのベッドが目に入る。ララタのベッドより三倍は大きなアルフレッドのベッドには、もちろん彼が身を横たえていた。
熱のために頬を紅潮させ、金色のまつげに縁取られたまぶたを閉じて、アルフレッドは寝入っているようだった。
ララタはここのところ気温の上下が激しかったせいかと思った。しかしアンブローズ翁によるとさにあらず。アルフレッドはある魔法書の解読に熱中していて、しまいには熱を出してぐったりしているところを見つかったのだと言う。
ララタはなんとなく、アルフレッドは体調管理には気を使っているほうだと思っていた。なにせもとが天下無敵の病弱王子。本人も常々もとの病弱な状態には戻りたくないと言っていたから、体調には気を使っていると思っていた。
しかし魔法が絡むとそういったことは頭の先からどこかへと飛んで行ってしまうらしい。魔法マニアというほどではないが、アルフレッドはそれなりに魔法を愛している。
魔法があれば自分が特別でいられるからとか、そんなよこしまな理由ではなく、アルフレッドは純粋に知的好奇心をとみに刺激されているようなのだ。
自分とは大違いだ――とララタはいつも思う。ララタからすれば魔法は自分が特別でいられる道具でしかない。たしかに新しい魔法を学ぶときはワクワクとするものの、やっぱり突き詰めれば自分のための道具でしかないのだ。ララタにとっての魔法は。
そのことでアルフレッドに対して劣等感を覚えることもあるが、まあ邪念があろうとなかろうと、他人のためになるのであればそれでいいという程度の割り切りはしている。それこそ幼いころは本気で悩んだものだが、それも過去の話だ。
しかしそれにしてもアルフレッドが体調を崩すなんて珍しいとララタは思った。
それこそアルフレッドは昔は寝ついてばかりの子供だった。ララタがこの世界にくるずっと前――つまり、生まれたときからずっとそんな感じだったと聞く。
アルフレッドに比べればほとんど風邪知らずの頑強なララタには、病弱であった彼の思いは想像するしかできやしない。
しかしアルフレッドが病弱だったのは過去の話だ。今では鍛錬にも余念がないと聞いているし、実際にアルフレッドの体にはもやしのララタにはない厚みというものがある。
気がつけばアルフレッドはララタより背が高くなったし、手のひらもひと回りは大きくなった。男らしい体の厚みも、過不足なく筋肉がついた結果なのだろう。
そう考えるとララタは少しだけさみしくなった。自分は相変わらず冴えない赤毛の小娘といったところだからだ。
ちょうど女中が紅茶と焼き菓子を持ってきたところで、アンブローズ翁はアルフレッドの私室を出て行った。「ごゆっくり」などと言ってニヤリと笑う老爺に、ララタは途端に居心地の悪い思いでいっぱいになった。
アンブローズ翁はララタが「お試し妃」などという奇習に選ばれたことについて、内心ではどう思っているのだろう? そもそも、あの老爺はアルフレッドの本心を知っているのだろうか?
ララタの答えは、「知っているだろうな」というところである。アルフレッドは一番つらい時に寄り添ってくれたアンブローズ翁を信頼しているし、アンブローズ翁もアルフレッドに対し教育係という役割を越えた、親しみのようなものを抱いているように見える。
であればアルフレッドがアンブローズ翁にララタを好いていると告白していてもおかしくはない。あるいは聡明さで知られるアンブローズ翁であれば、アルフレッドの本心を察するなど容易なことなのかもしれない。
もし後者であれば、あの老爺は恐らくララタの本心をも察せられるだろう。
そこまで考えてララタは猛烈に恥ずかしくなった。
ララタにとって、アルフレッドへの友人の情を超えた好意は隠したいものだった。その感情自体がいけないものだと思っているからではない。ただ、自分の心の一番柔らかい部分を他人に晒すことが怖いから、隠したいのだ。
いじめられっ子だったララタにとって、他人とは基本的に信用ならないものである。だからこそ、自分の大切な、大切にしたい本心は、彼女にとっては容易にさらけ出せないものなのである。
そしてそれを引きずって、好意を伝えるべき相手にも、その気がないフリをしてしまうのは、ララタの悪いところだった。それは本人も自覚している。しかし性格などというものは一朝一夕で変えられるものではない。
結果、ズルズルとアルフレッドの本心らしきものを知ったあとでも、ララタは意気地なく勝負に出ることができないでいたのであった。
「うーん……」
「アル? 起きたの?」
アルフレッドのベッドのそばへイスを出してもらって座っていたララタは、身じろぎしたアルフレッドを見て腰を浮かせる。
傍らには水桶があり、濡らしたタオルがかけられていた。ララタはそれとアルフレッドの顔とを何度か見比べて、どうすればいいのかと半ば混乱する。
ララタは病人の介護なんてものをしたことがない。学校に入る前のもっと小さい頃は今よりずっと不器用で、孤児院の大人たちからも呆れられるほどだった。そして異世界へきてからも病人の世話をする機会はなかった。
アルフレッドはララタによって魔力の流れを正しく戻されてからも、しばらくは病気がちだった。けれども異世界人であるララタが弱った王子のそばをうろちょろすることが許されるハズもなく、彼女はいつも蚊帳の外だった。
そういうわけでララタはアルフレッドという病気がちだった人間のそばに長いこといながらも、彼が寝ついたときに世話をした経験はとんとないのであった。
しかしまあなんとなくは知っているので、アルフレッドの額に載っていたタオルを手に取る。だいぶぬるくなっていたそれを水桶のフチにかけて、もうひとつのタオルを水につけて絞る。それをアルフレッドの額に乗せてやれば、寄っていた眉間のシワが薄くなったように見えた。
「ララタ……」
「起しちゃった?」
「うーん、ずっと寝ているから、けっこうたびたび、起きるよ」
微妙におかしな言葉で、たどたどしく答えるアルフレッドを見ていると、なんとなく昔の彼を思い出す。幼いころのアルフレッドの世話なんてしたことがないのに、不思議な話だった。
「寝てなさい。体調が悪いなら寝るのが一番よ、たぶん」
「ララタ……」
「なあに?」
「ここにいて。僕が眠るまででいいから……」
アルフレッドの濃いブルーの瞳は、熱のためか潤んでいて妙な色気がある。アルフレッドが苦しんでいるのにと思いつつ、ララタは心臓がドキドキと早鐘を打つのを止められない。
アルフレッドはうわごとのように何度か「ここにいて、ララタ」と言った。ララタは思わずアルフレッドの手を取った。
「大丈夫。わたしはここにいるわよ」
「うん……」
「今日は差し迫った仕事もないから、ずっといるわ」
ララタがそう言うと、アルフレッドは言葉を理解しているのかいないのかわからなかったが、ふわりと微笑んだ。それを見たララタの心臓はドキッと跳ねる。熱いアルフレッドの手を握る手のひらが、じんわりと汗をかいているような気がした。
アルフレッドはララタの声を聞いて安心したのか、そのまままたまぶたを閉じた。じきに静かな寝息が聞こえてくる。ララタはそれを見届けても、アルフレッドの手を離そうとしなかった。
「ずっと……いられたらいいんだけどね」
永遠などと言うものは、この世には存在しない。となれば、こうしてアルフレッドと共にいられる時間を、素直じゃない自分のまま過ごすのは、無益なことのように思えた。
「……わたしも、好きだよ」
アルフレッドの日記に書かれた文字を思い起こしながら、ララタはそんな言葉を口にする。
けれどもその声を聞く者は、この場にはだれもいないのであった。
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