(22)

 王宮に足を踏み入れたララタを捕まえたのは、近衛兵のひとりだった。冷や汗をかいて大慌てといった様子で、ララタにコトの次第を伝える。


 なんでも王宮内に魔物が入り込んだのだと言う。ララタは真っ先に衛兵らはなにをしていたのかと思ったが、まだ若い近衛兵は冷や汗をかきつつ「とにかく厨房へ」とララタを案内した。


 当たり前だが厨房では食材を調理するのに火を使う。そうなると火事が怖い。だから王宮の敷地内でも隅の隅の、さらに半地下にあるのが王宮の大厨房だった。


 ララタが地下への階段を下りて行くと、大厨房の入り口にひとだかりができている。料理人や台所女中が、怖いもの見たさといった様子で厨房の中を覗き込んでいるのだった。


「あっ魔女様……じゃなくて、妃殿下」


 料理人のひとりがそう言うと、いっせいに視線がララタに向く。すこし居心地が悪いが、恐らく朝な夕なを半地下の大厨房ですごす彼ら彼女らのほとんどはララタの顔を知らないのだろう。今度はその物珍しげな視線を厨房からララタへと向き直す。


 ララタは社交的な性質タチではないので、その視線にちょっと気後れする。けれどもそうは言っていられない。魔物がいるというのだから。


「どうしたの?」

「魔物が……」

「それにしちゃ、静かだけど……」

「中で食材をたべてるんです。魔女様……じゃなくて妃殿下、どうにかしてください」


 哀願の色をにじませた年若い台所女中の言葉に、ララタはひとまずうなずいた。


 大厨房の中へと足を踏み入れる。地下にあるせいか、様々なにおいがこもっているような気がする。王宮と言えども厨房の環境はあまりよくないのかもしれない。


 ララタはその場でじっとして耳を傾ける。たしかに、厨房の奥の方でなにかを咀嚼するような音が聞こえてくる。しかし、魔物と言う割にはその音は控え目で、小さい。


 魔物と言ってもそう大きくはなさそうだと思い、ララタは厨房の奥へと大股で歩いて行く。その、蛮勇にも見える所作に視線が集まるが、まずは魔物退治だとララタは気にしないことにした。


 そして――


「え? ちっさ……」


 ララタが目にしたのはドブネズミほどの大きさの魔物だった。ドブネズミはネズミにしてはデカい印象だが、魔物にしてはドブネズミサイズは小さすぎる。平素、相手にするのが自分よりも身の丈が大きい魔物ばかりのララタにすれば、それはあまりに小さすぎた。衛兵が見逃してしまうのもむべなるかな、といったサイズである。


 小さな魔物はララタに気づくと素早い動作で天井まで飛び上がり、壁に張りついた。こういうところは小さいなりに魔物らしい。


 しかし魔法使いであるララタにはそんな行動は通用しない。逃げ出そうとしたところを魔法で拘束して、ララタはそのまま硬直した魔物をわしづかみにした。


 意外と毛深いそれは、触るとごわごわとしている。ますますドブネズミのようであるが、見た目はまず耳が巨大だ。口元は耳の近くまで裂けていて、ネズミ類とは言い難いサメのような歯が並んでいる。尾が長いところくらいは、ネズミに似ているか。


 あまりに小さい魔物を見ているとなんだか自分が悪いことをしているように思えるが、魔物は魔物だ。今は小さいがいずれは大きくなって人間に大いなる害をもたらすかもしれない。そう考えると小さいからと放置することは憚られる。


 しかし大の大人が大騒ぎするほどの魔物だろうかとララタは思った。だが一般人からすると「魔物」と言うだけで恐ろしいのかもしれない。


 ララタはもう一度手の中にある魔物を見た。サメのような歯を剥き出しにして、魔物は硬直したままだ。……まあ不気味と言えば不気味だろうか、とララタは考える。


「終わったわ。この魔物はこちらで処分しておくから」


 料理人や台所女中たちの顔があからさまに安堵の色に染まる。ララタに向けられる目は尊敬と好奇に満ちていて、くすぐったいんだかなんなんだか、よくわからなくなる。


 ゾロゾロとまた厨房に戻って行く料理人や女中を見届けたあと、ララタは階段のそばにいる近衛兵のそばへ行くが、彼の顔色は相変わらず悪い。先ほどよりは落ち着いているようだったが、選りすぐりの近衛兵にしては落ち着きがなくソワソワとしているように見えた。


「どうしたの?」

「いえ……」

「気分が悪いの?」

「いえ、いえ。違います!」


 気がかりがあるような顔は変わらない近衛兵の表情を見ていて、ララタはふっと違和感に気づいた。なぜ、今までその疑問が浮かばなかったのかわからないくらいだ。


「ねえ、アルは――アルフレッドはどうしたの? 彼も魔法使いよ。それくらい近衛兵のあなたが知らないはずないでしょう?」


 アルフレッドがララタと同じ魔法使いであることは、知られているようで知られていない、という奇妙な状況だった。けれども王族の身辺警護を担当する近衛兵が、その事実を知らないわけがない。


 となれば王宮に魔物が入り込んだのならば、まず出てくるのは魔法使いにして王子であるアルフレッドのハズである。しかしアルフレッドはこの場にはいない。


 ララタはアルフレッドのスケジュールを思い出すが、今日はたしかに王宮にいるハズであった。アルフレッドは公務で国を離れることもあるが、ここ数日はそのような予定はなかったハズだ。


 ララタの中で疑念が大きくなり、不安となって膨らむ。


「アルフレッドはどうしたの? 妃として命令します。答えなさい」


 ララタがそう言うと、若い近衛兵は観念したようにアルフレッドについて話し始めた。


「――行方不明?」

「あんまり大きな声では……」

「わかってる。で、いつからなの?」

「あれは魔物が厨房に入りこむちょっと前のことですから、朝方に……。朝、ご起床されたのは確認できているんです……ですが、そのあとから行方がわからず……」


 ララタは近衛兵から話を聞いたあと、アルフレッドの部屋を見せて欲しいと頼み込んだ。なにかしら魔力の痕跡が残っているかもしれないと思ったからだ。若い近衛兵はララタには逆らえないと思ったのか、アルフレッドの部屋まで先導してくれる。


「ねえ、陛下はなんとおっしゃられているの? 存じていないわけはないでしょう?」

「我々近衛兵に行方を捜させております」

「……どうしてわたしに頼まなかったのかしら?」

「それは……存じ上げません」


 近衛兵がまた冷や汗をかいているようなので、ララタはそれ以上彼をいじめるのはやめた。


 ――しょせんは外様とざまということだろうか?


 ララタの脳裏にそんな思いがよぎるが、今はアルフレッドの行方を追うほうが重要だ。別に異世界人として線を引かれるのをイヤだと思ったことはない。ララタにとって、そういう態度はあまりに当たり前すぎたからだ。


 ララタは閉じられていたアルフレッドの私室の扉を開けた。執務室のほうにはまだ訪れていなかったことは聞いているので、まずは私室から確認することにしたのだ。


 豪奢な扉をひんやりとしたドアノブを回して押しやる。その瞬間、ララタの鼻腔を花の香りがかすめた。


 扉を開けてすぐにあるリビングには、ひとの気配がない。だれもいないのだから当たり前だ。


 けれども――アルフレッドの魔力はそこに丸々あった。


「――アル?」


 ララタは近衛兵を外に待たせて扉を閉じる。不意にまた花の香りがして、同時にアルフレッドの魔力が近づいてくるのがわかった。


『ララタ』


 そこから発せられた魔力がララタの耳に入り、それは音として脳に認識される。たしかにそれはララタの名を呼ぶアルフレッドの声をしていた。


「声マネ」という魔法現象が一瞬だけ頭をよぎるも、ララタの心は「これはアルフレッドだ」とすとんと納得してしまっていた。


「アル? どこにいるの? 姿が見えないわ」

『よく見てララタ。君の目の前に花びらが一枚あるはずだ』

「花びら?」

『うん。――どうも、僕は花びらになってしまったようなんだよ』

「ええ?」

『信じがたいとは思うけどね。うん』


 たしかにララタの目の前にふわふわと浮かぶ白い花びらがあった。それらはアルフレッドの魔力に満ち満ちていて、もしララタの目が見えなければ彼がまさに目の前にいると誤認しただろう。それくらい小さな花びらには似つかわしくない量の魔力が、そこにはあった。


 ララタは花びらをつかもうとしたが、うまくつかめない。今度は両手ではさみこむように捕まえようとしたが、ひらりと花びらはそれをかわす。


「……ねえ、イヤなの?」

『違うんだって。結構動かすの、難しいんだよ、これ』

「……まあいいわ。それで、いったいなんだってこんなことに?」

『気がついたらこうなってたとしか言いようがないかな』

「もうちょっと思い出して。最後に人間だったときにいたのはどこ?」

『ええと……離宮にある木を見に行ったんだ。そしたら魔物の気配がして、追いかけようとしたらそのときにはもうこんな風になっていたというわけ』

「じゃ、まずは離宮のそばにあるっていうその木を見に行きましょうか」

『なにかわかったの?』

「……なんとなく、その木が関わっているんじゃないかって思ったの。その木はどんな花をつけるの?」

『小さな白い――……ああ』


 ララタは白い花びらとなったアルフレッドがついてきているのを見てから、彼の私室の扉を開けた。


「どうでした?」


 外で待たせていた若い近衛兵は、緊張した面持ちでララタに問う。ララタはさすがに「アルフレッドは今花びらになっています」とは言えず、適当に誤魔化して近衛兵をアルフレッド捜索の任に戻した。


 ついでにしばらくのあいだ魔法で硬直した魔物も預かってもらうことにした。「あとで取り行くから」と告げたものの、近衛兵の顔はかわいそうなことに引きつっていたが……。


『あとで怒られないかな、彼』

「そうしたらアルが取りなせばいいのよ」

『それもそうだね。それじゃあ離宮に行こうか』

「ええ。案内してくれる?」

『ララタも行ったことがある場所だよ。昔僕が療養していたところ』

「あ、そうなの」


 アルフレッドがかつて暮らしていた離宮はもちろん王宮の敷地内にあるので、たどりつくまでにはそう時間はかからない。


 途中でちらほらと近衛兵の制服を着た男たちを見かけたが、彼らはもちろんララタのそばに捜している最中のアルフレッドがいることには気づかない。


「魔力がないとわからないのね、きっと」

『うん。僕も散々話しかけてみたんだけれど、気がついたのはララタだけだったよ』

「わたしがいなかったら永遠に花びらのままだったのかしら?」

『それは……ゾッとするよ』


 青白いタイルが貼られた美しく荘厳な離宮にたどり着く。アルフレッドが全快するまではララタもこの離宮に滞在していたが、彼が元気を取り戻してからはとんとご無沙汰であった。


「懐かしい。こんなだったかしら? アルはよくこの辺りにくるの?」

『よくってわけじゃないけど、たまには様子見にね』

「で、白い花をつける木はどこ?」

『離宮の裏だよ』


 ララタは言われたとおりに離宮の正面玄関から裏へと周る。


「あっ」


 たしかにそこには木があった。樹齢何百年と経たであろう大木が、日陰の中で必死に枝を広げている。


『ずっと昔の代の、体の弱い妃がここに植えたらしいよ』

「なんだってこんな日陰に……」

『自分が日陰者だって言いたかったんじゃないかな。実際に位も低かったそうだし』


 もしアルフレッドに人間の体があれば、きっと彼は肩をすくめてこともなげに言っていただろう。


 ララタも、なんだか健気と言うよりは当てつけに思えたので、アルフレッドと似たような意見だった。


『それで、なにかわかった?』

「たぶん『精霊変化へんげ』ってやつだと思うのよね。この木が半ば精霊と化して魔力を得て、アルを花びらに変えてしまった」

『植物でも長く生きてるとそういうこともあるらしいね。魔法書で読んだよ』

「そう。そういう話。それでたぶんなにかきっかけがあってアルを花びらにしたんだと思う。たとえば本に載っていた例だと人間に惚れてしまっただとか」

『……うーん……たぶん、違うと思う』

「どうして?」


 ララタは大木を見上げた。ララタが腕を回せないほどに太い幹の木には、葉がついているがあまり元気があるようには見えなかった。


 アルフレッドはしばらく奇妙に黙り込んでいたが、ややあって話し出す。


『なんとなく……きっとこの姿だからわかるんだと思うけど……この木は僕のことを心配しているみたい』

「心配?」

『そう。……言うのが恥ずかしいんだけど、僕、結構この木に話しかけていたんだよね。だれにも言えないことを……それこそアンブローズにも言えない……弱音を』


 アルフレッドの言葉を聞いて、ララタは急にこの大木の気持ちをわかった気になった。


「だから花びらに変えたのかしら?」

『え? 人間の姿だと弱音ばっかり言ってたから?』

「それならずっと昔にそうしてたでしょう。きっかけは魔物だと思う」

『あの小さな?』

「……きっとアルが危ない目に遭うと思って、とっさに花びらにしてしまったんだと思う」

『そっか……』


 花びらとなったアルフレッドが、ふわりと上昇してくるりと大木のまわりを一周する。


『僕は大丈夫。魔物に負けないくらい強くなったから。それに――』


 花びらのアルフレッドは、大木を離れてララタの肩の上あたりに留まった。


『ララタもいるから』


 恐らく、人間の体があればアルフレッドは微笑んでララタの顔を見ていただろう。ララタはふとそんな姿を幻視する。


 そして次の瞬間、本当にアルフレッドの体が現れたので、ララタは彼をおどろきに突き飛ばしそうになった。


「うわっ」

「あっ! ……戻った。……ありがとう。心配かけてごめんね」


 アルフレッドの言葉は大木へともララタへとも取れるものだった。


 ララタはと言えば、アルフレッドが人間の姿に戻ったことで、ようやくホッと安堵のため息をつけた。


「それにしてもなんで陛下はわたしに相談してくれなかったのかしら?」

「心配させたくなかったんじゃないかな? 僕がこんな風になっているとは想像できなかっただろうし」

「……だと思っておくわ」


 王様はアルフレッドのプライドを気にしたのか、はてまたもっと別の理由があったのか……。


 ララタはなんとなく知りたいような知りたくないような、そんな気分だった。


「またくるよ」


 大木から離れるとき、一度だけ振り返ってアルフレッドはそう言った。


 なんとなく、もうこの大木はアルフレッドを花びらには変えないような、そんな気がした。


 再びこの大木のそばにきたとき、アルフレッドはどんな話をするのだろう?


 ララタは気にはなかったが、ことさら聞きたいとは思わなかった。

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