(16)
王宮を我が物顔で――というほどではないが、しかし堂々と気負いなく歩きながら、ララタは思索にふけっていた。
ちょうど王様の執務室に顔を出して、ついでにお后様の部屋にも顔を出して、じゃあ最後はアルフレッドの執務室へと向かおうか――といったところであった。
これからアルフレッドの元へ行って、顔を合わせるとなると、自然と彼のことを考えてしまう。具体的には「なんで自分はアルフレッドに惚れているのか」というところだ。
というのも先日なにかしらの魔法現象、あるいは運命のイタズラによって、ララタは未来の自分と相対した。そして「未来のアルフレッドと未来の自分は結婚して子供もいる」という衝撃の事実を知ったのであった。
……とはいえ衝撃的なのはたしかであったが、言うほどの衝撃がなかったのもまた事実。
まあ、このまま流れ流れて行けばそうなるだろうな、とララタの冷静で客観的な部分は納得していた。
納得していないのはララタの素直じゃない乙女心である。散々アルフレッドとは結婚できないと思い込んでいたララタの身勝手なそれは、「アルフレッドと結婚している未来」の登場によって置き場を失った。
本当はアルフレッドとララタが強く望めば結婚することくらい可能なのはわかっている。貴族制度が連綿と続くこの世界において、政略結婚は珍しくないが、また恋愛結婚もありふれたものとなりつつあるのだ。
貴族と王族ではまた勝手が変わってくるだろう。王室に異世界人の元平民が入ることをよく思わない人間もいるだろう。……でも、その障害は大したものではない。頑張ればどうにかできる――という程度の障害だった。
問題は、ララタがその大したことのない障害を心の中で大したことにして、アルフレッドへの想いを告げるという選択から逃げ回っていることである。
ララタはそれほどバカではないので、そのことはよく理解していた。自分の心の内にある問題だからこそ、痛いほどよくわかっている。
しかしララタの素直じゃなくて意気地のない乙女心は「でもでもだって」と、アルフレッドを前にするともじもじしてしまうのである。
アルフレッドに想いを告げるくらいだったら、神代の魔物と対峙する方が幾分かマシだった。
アルフレッドが自分を好いているらしいことはララタにもわかっている。偶然見てしまった日記がそうだし、普段の態度を見ていれば薄っすらと察することができる。……以前のララタには後者はさっぱりわからなかったのだが。
ではあとは両思いになるだけだ。「あなたのことが好きです」と告げるだけで、ふたりは晴れて恋人同士になれるハズなのである。
しかし、それができない。
どうしても、できない。
まず恥ずかしさがあった。アルフレッドの唯一の親友として過ごしてきた期間がララタの恋する乙女心を邪魔する。
それに怖かった。アルフレッドとの関係を恋人同士へと進めてしまって、そのあとに破局が待っていたら……。そんなことは考えても詮ないことなのだが、根が臆病なララタは後ろ向きによくない未来を妄想してしまう。
その点、親友で居続けるというのは、ララタにとって都合がよかった。このままアルフレッドに頼られて暮らす。将来は盤石だ。しかしそれはぬるま湯に浸かっているも同然ということもまた、わかっていた。
これまでのララタは「アルフレッドと結婚するなんて想像できない!」などともじもじしていたが、そんなもじもじは死んだ。未来の自分と会ったことによって粉砕されて死んだ。
未来の己はなぜアルフレッドと結婚することを選んだのだろう――。
と、思うのは簡単であるが、答えを出すのも簡単だ。
アルフレッドのことが好きだからだ。
好きだから恋人同士になって、当然の流れとして結婚して子供を儲けた。それだけの話である。
結婚しない、という選択肢は恐らくなかっただろう。なぜならアルフレッドは一般市民ではなく王族だからだ。となれば恋人がいればいずれ婚約者になって、それから妻になる。それが当然の流れなのだ。
ああ、なぜ自分はこんなにうだうだと悩んでいるんだ……。ララタはうじうじとした己の性根に嫌気が差し始めていた。しかし性格など思い立って急に変えられるものではない。だから結局、ララタは無限に悩み続けるしかないのであった。
そもそも、アルフレッドに恋をしてしまったのが間違いだ。ララタはアルフレッドのせいにしてみる。そうだ、アルフレッドがぐいぐいくるから、恋愛経験値のない自分はあっという間に惚れてしまったのだ――。
ララタはアルフレッドの目を思い出した。自分とは違って、好奇心にあふれたきらめかしい目を。宝石よりも美しい濃いブルーの瞳を。
あの目で慕われたら、きっとどんな男慣れした美女だってほだされてしまうに違いない。ララタは、「だからアルフレッドが悪いのだ」と思う。「自分を惚れさせたアルフレッドが悪いのだ」と。
だって、ララタはあんなに自分に優しくしてくれるひとを知らなかった。慕ってくれるひとを知らなかった。尊敬の念を気負いなく向けてくれるひとを知らなかった。だから――。
……もちろんララタの冷静で客観的な部分は、アルフレッドに責任を押し付ける自分の醜さに気づいている。
ぐるぐると回って、それで結局はすべて自分に返ってくる。
「惚れたら負け」とはこういうことを言うんだと、ララタは痛いほど身にしみてわかった。
……それで、その惚れている相手は今現在、絶賛挙動不審だった。
アルフレッドの警護の任についている近衛兵から最初に「様子がおかしい」とは耳打ちされていたが、その通りに彼は挙動不審だった。
「アル、なにか隠してるでしょ」
アルフレッドは濃いブルーの目を泳がせて、金色の髪を指でいじった。その頭の中では猛烈に脳が回転しているだろうことは、長い付き合いの中でよくわかっていた。
ララタがじっと猜疑に満ちた目を向けると、アルフレッドは小さくため息をついて、渋々といった様子で執務室に設けられたテーブルの陰から箱を取り出し、置いた。
ゴトン、といささか重い物を置いたのだと主張するような音がして、ふたりの視線はその箱に注がれた。
一辺は二〇センチメートルほどであろうか。小さくもないが、大きいというほど大きくもない箱だ。木製で、恐らくペンキかなにかで黒く塗装されている。
そしてその箱からは、魔力の流れが感じられた。恐らく、
「別に、危ないものじゃないよ。たまたま見つけて……」
「え? どこで?」
「……まあ、見つけたというか。献上品の中にあって……たまたま気づいて。で、持ってきてくれたひと――伯爵なんだけど――によると、まあ面白いものでもないけど、珍しいものだから、と」
ララタはなぜアルフレッドの歯切れが悪いのか、よくわからなかった。
アルフレッドはどちらかと言えばハキハキとしゃべるタイプである。……まあ、もごもごと不明瞭にしゃべる王族をララタは知らないのだが。
「魔法道具だから持ち込まれたってこと?」
「そうみたい。僕がそういうものを研究しているのは知られているからね」
「……で、なんなの? それ」
「うーん……」
アルフレッドは気が進まないといった顔のまま、黒い箱を開いた。
中には――
「ミャ~オ」
「……ネコ?」
毛並みのよさそうな、黒いネコがいた。まだ子ネコらしく、毛がぼわぼわとしている。瞳は金色で、首には赤いリボンが巻かれているようだ。
愛らしい子ネコは「ミャオミャオ」と鳴くが、アルフレッドがおもむろに箱を閉じると、鳴き声は聞こえなくなる。
「――と、まあ、これだけのものなんだけれども」
「え? 今のネコ、生きてないの?」
「魔法が見せる幻覚みたいなものなのかな? 触ったらふわふわしてたから、結構精巧な幻覚魔法みたい」
ララタは机に置かれた箱を手に取って見る。持ってみるとわかるのだが、中になにかがいる気配もなければ、重みも感じられなかった。
恐る恐る箱をコンコンと叩いてみるも、反応はない。振ってみようかと思ったが、持った感覚からして、中になにもいないだろうことは明白だった。
「……本当に、ネコの幻覚が見えるだけの箱なのね。うーん、どういう経緯で作られたんだろう?」
「僕は……ちょっとわかるかな。たぶん、癒されたかったんだと思う」
「なるほど。アニマルセラピーにはちょうどいいかもね。幻覚だからアレルギーとか関係ないだろうし。……それで、なんであんなに歯切れが悪かったの?」
アルフレッドは珍しく、しばらくもじもじとして言葉を発しなかった。
素直じゃないララタならともかく、常に明朗快活なアルフレッドには珍しいことだった。
「可愛いのが好きって、そのー……男らしくないかなって」
「はい?」
「ドラゴンが好き、なら男らしいけど、子ネコが好きっていうのは……ちょっと違うかもしれないなって、思って……」
「え? だれかになにか言われたの?」
「そういうわけじゃないけれど……」
――男らしくないから、言うのが恥ずかしかった。
ララタにとっては右斜め上に飛んで行くような、そういう予想外の回答だった。
「えーっ……?」
「『えー』って。わりと真剣に悩んでるのに……」
「いや、別にバカにしてるんじゃないよ。ただ、わたしにとっては予想外すぎて……」
「予想外?」
そんなことは微塵も考えていなかったらしいアルフレッドの目が、いつもより丸くなってララタに向けられる。
「男が可愛いもの好きでもいいじゃない。だれかを傷つけるものでもないでしょうに。それともアルは男が可愛いものを好きなのはおかしいと思ってるの?」
「……僕ってあんまり男らしいタイプじゃないから、他人がそうでも気にならないけど、自分のことだと気になっちゃうって言うか……」
「……別に、わたしはアルが男らしくなくてもいいと思う」
「そう?」
ララタがそう言うと、アルフレッドは少し元気が出たようだった。
アルフレッドは今は平均的な青年らしい体つきをしているが、昔はそうではなかった。色白でへろへろのモヤシと言ってしまってもよかった。それは先祖返りによって偶発的に得た魔力の流れが乱れていて、病弱だったことと関係があるので、まあ仕方のないことではある。
そういった過去の出来事に対して、アルフレッドは劣等感を抱いているのかもしれない。だから急に「男らしさがどうの」と言い出したのかもしれない――とララタは分析する。
「そう。アルが明日突然女の子になったって、わたしはアルの友達のままだよ」
「それはちょっと話が飛びすぎじゃない?」
「いいの! ――つまり、アルがどんなアルになったって、わたしはアルの友達をやめないから、って言いたいの」
正直に言えば、そんなセリフを言うのは恥ずかしかった。心臓はバクバクと緊張に鼓動を打っていたし、手のひらは汗をかいている。素直じゃないのに、その心をさらけ出すようなセリフを言ったからだ。
けれども後悔はない。素直じゃない自分の心の内を、少しだけ伝えるのは今しかないと、なんとなく思ったからだ。
さすがに「好きだから」とは言えなかった。けれどもララタがなけなしの勇気を振り絞った結果には違いなかった。
アルフレッドは眉を下げて困ったように笑う。どこか安堵しているような様子も見受けられる。
「ありがとう、ララタ」
ララタの頬はほのかに赤くなっていたが、それを指摘するほどアルフレッドは野暮ではなかった。
ララタはそれを誤魔化すように手にしていた箱を開ける。「ミャ~オ」と子ネコの鳴き声が箱から聞こえてくる。
このあと、ふたりは気が済むまで子ネコを構い倒した。幻覚魔法だとわかっていたが、子ネコの作りは精巧で、愛らしかった。
そうしていつもの調子を取り戻したアルフレッドが「いずれ本物のネコを飼ってみたい」と言い出す頃には、ララタの素直キャンペーンも終了していたのであった。
けれども、少しだけ素直になれたことで、ララタはちょっとだけ自分に自信を持ったのであった。
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