(17)
上昇志向がある貴族連中にとって、未婚の王子などはいい的だ。娘が王室の末席に名を連ねるとなれば、その権勢は約束されたも同然。社交界でも大きな顔をできるというものだ。
……ということをララタは頭で理解してはいるものの、実感としては薄い。
ララタの世界にも貴族制度は残っていたが、半ば形骸化していた。叙爵されること自体は未だに名誉あることという認識はあったものの、領地を持つ貴族などは一世紀ほど前の話であった。
もちろん貴族ではない上流階級の人間は脈々と存在しているので、閨閥を形成することの意味くらいはララタにも理解できる。
しかしアレコレと工作をし、暗闘し、王子妃の地位を狙うというのがどういうことなのかという実感までは、ララタの中に伴っていない。
自分をよく思わない貴族連中がいることくらいは知っているが、それを表ざたにするようなバカはいない。幸いと言っていのかは、わからないが。
表立ってララタを非難することは、その後ろ盾となっている王室を非難することも同じである――。というのが一般的な見解だろう。
そういうことに助けられて、ララタの表向きは平穏そのものであった。
魔物は領地を荒らすということで、ララタに助けられている貴族もいる。だから表立ってララタを排斥しようとする動きは起きにくいのだろう。
魔物は魔法使いにしか倒せない、ということはないのだが、普通の人間がそれをしようとすれば多大な労力と、もしかしたら犠牲を払うことになるのだ。餅は餅屋とばかりに、魔物には魔法使いをあてがえばいい――という風に考えるのは、ごく自然な流れだった。
だからララタは自分が重宝されているという認識もあったし、まあいいように利用されているという認識もあった。ララタは素直じゃないので、他人の心情を常に訝って考えてしまうのだ。
もちろん中にはララタに対して邪心など抱いていない貴族もいるだろう。いるだろうが、そういう貴族とそうでない貴族の見分け方は、ララタにはわからない。アルフレッドならわかるかもしれないが、少なくともララタにはわからない。
けれどもしかし、面と向かって「貴女のことが気に入らない」などというようなことを言われば、ララタだってわかる。そこまでは鈍くない。
しかし今回は顔を合わせたときから、「彼女は己のことが気に食わないのだな」というのはわかった。
顔が、視線が、雄弁に物語る。こういう目をララタは知っていた。元の世界にもこういう目でララタを見る人間がいたから。親なしの貧乏人の癖に、自分より成績がいいのが気に食わない――。概ね、そんな感じのことを言われた。
彼女は「親なしの貧乏人」なんて剥き出しの悪口を言いはしなかったが、まあ「素性のわからない怪しげな人間」くらいのことは言ってきた。
もしかしたら彼女には悪口の語彙がなかったのかもしれないな、とララタは思った。彼女はお世辞を抜きにしてもお育ちが良さそうな顔をしていたからだ。
ちょっとやそっとの嫌味では揺らがなくなったララタからすると、彼女の言葉はそよ風に撫でられたようなものだった。
「貴女――邪魔なんですのよ!」
ララタの表情があまりにも変わらなかったからなのか、彼女はヒステリックに叫んだ。畳まれた扇を握る手は震えていた。まなじりには興奮からか涙が浮かんでいる。
ララタはそれでも動じなかった。自分が悪いことをしているという認識がなかったし、そもそも彼女がどこのだれかわからなかったので、どういう態度を取ればいいのか迷っていたという面もある。
パシッと明らかに大きな音を立てて、お后様は扇を閉じた。そう、ここはお后様のサロン。サンルームも兼ねたこの場所には隣接するオランジェリーがよく見える。もちろん、それ以外の目を楽しませる花々も。
穏やかな陽光が降り注ぐサロンだったが、空気は最悪と言っていい。ララタが気に入らないらしい彼女はしくしくと泣き始めてしまうし、ことの推移を見守っているだけ――つまり傍観していただけ――だったお后様はそんな彼女に目もくれない。
ララタは別になにかしたわけではない。ただ、いつものように王宮参りにきて、王様の次にお后様のところへ顔を出しただけだ。
「気はお済み?」
お后様はまたパチリと扇を開いては閉じる。その顔は石膏像の方が表情があると言えるくらいに、無であった。静かに伏せられた目に、威厳のある口元の皺。この場のだれよりも高い地位を持ち、堂々たる態度を示す姿は、まさに王后。忌憚のない意見を言うとすれば、息子であるアルフレッドとは似ても似つかない鉄の女に見える。
ララタはお后様のことを別に嫌ってはいない。ただ、彼女の前に出ると厳格な教師を相手にしているような気にはなる。つまり、ララタのような吹けば飛ぶような小娘は、気後れしてしまうのだ。
対する王様は鷹揚で、言ってしまえばフレンドリー。ララタからするといつもニコニコとしているイメージがあるので、アルフレッドは恐らくは父親に似たのだろう。それでも国王を相手にするのは緊張する。当たり前と言えば、当たり前か。
話は戻ってしくしくと泣く彼女だ。結局、彼女がいったい何者であるのか聞き逃したララタは、愛想笑いを浮かべる暇もなく、目が泳ぎそうになるのを必死でこらえていた。
こらえていたのは、お后様がいるからだ。醜態を晒せばあとでなんと言われるやら、わかったものではない。
そうやってララタが無言のままドキマギとしているあいだに、しくしく泣く彼女は「伯母様……」と言ったので、この明らかに高貴な身なりの少女がアルフレッドの従妹なのだとわかった。
しかしアルフレッドの従妹などもまた、たくさんいるわけで。ララタは頭の中にある記憶の箱を探ったが、目の前にいる彼女がどの従妹なのかまではわからなかった。少なくとも三人くらいはいたハズである。
メアリ=ローズ、メアリ=ジューン、キャサリン……たしか、それぞれそんな名前だったようなと、ララタは必死で頭を回転させる。
「伯母様は、わかってらっしゃいますの?」
「なんのことかしら?」
「こんな得体の知れない人間を王室に入れるだなんて、先代様たちが知ったらなんと言うでしょう!」
メアリ=ローズだかメアリ=ジューンだかキャサリンだかはヒステリックに叫んでララタを指差した。
お后様はまたパチリと扇を開いては閉じ、「人を指差すだなんて、はしたない」とだけ言った。メアリ=ローズだかメアリ=ジューンだかキャサリンだかはビクリと肩を揺らして、悔しそうな顔でララタを睨んだ。
ララタは置いてけぼりだった。メアリ=ローズだかメアリ=ジューンだかキャサリンだかはララタが気に入らないのだろう。お后様はララタを気に入っているかは、知らない。しかしお后様はメアリ=ローズだかメアリ=ジューンだかキャサリンだかはあんまり可愛がっている風には見えなかった。彼女の言っていることにウソがなければ、伯母と姪の関係だろうに、しかしそこにお后様は情みたいなものを見出してはいないようだった。
「貴女がなんと言おうと関係ないでしょう。ケイト、いい加減におし」
お后様の一喝を受けて、ケイトことキャサリンはわっと泣き出し、淑女らしからぬ足取りでサロンを出て行った。
残されたララタは、気まずい思いでいっぱいだ。そんな気持ちを誤魔化すように、「彼女はキャサリンであったか……」などと、今となってはどうでもいいことを考えるのであった。
「悪かったわね、ララタ」
「いえ……。その、いいんですか?」
「なんのことかしら?」
ララタはキャサリンの敗走があまりにもみじめであったので、思わずお后様にそう問うた。しかしお后様はもうキャサリンの話題なぞ口には出したくないようであったので、ララタはあわてて「いえ、なんでもないです」と言うしかなかった。
繰り返しになるが、ララタはお后様のことを嫌っているわけではない。しかし公明正大かつ鉄仮面を被っているかのようなお后様を前にすると、どうしてもシャンとしなければと思ってしまうのだ。
しかしララタはそんな鉄仮面を被っているかのようなお后様の、涙を知っている。アルフレッドの乱れた魔力をどうにかこうにか直してやったときに、お后様には感謝された。
だから、どうにも苦手に思いながらも、ララタ自身はお后様を避けるようなことはしづらいのであった。
その後、お后様とはいつものように緊張しつつも雑談をして、今度はアルフレッドの元へ行くことになった。
なったのだが――。
「うぶっ?!」
急にララタは壁にぶつかった。柔らかい壁だ。「いや、柔らかい壁ってなんなんだ」と改めて前方を見るも、白亜の渡り廊下がずっと続いているばかりだ。
しかし手を前にやると柔らかいものに触れる。……つまり、ララタの前方には見えない壁が突如として現れた形になる。
ララタはこれを知っていた。「邪魔」と呼ばれる魔法生物である。その名の通り通行の「邪魔」となるし、出会ったときに思わず「邪魔!」と言ってしまうので、「邪魔」と呼ばれているのだ。
ララタは冷静に火の魔法を放った。指先がちりちりとして、手のひらの辺りからまっすぐに炎が飛んで行く。
その炎は「邪魔」に無事点いた。「邪魔」はにわかに姿を現す。白く細長い布のような見た目の魔法生物が、体をくねらせて渡り廊下から中空へとわたわたと逃げて行く。
ララタは「やれやれ」とひと息ついたのだが――。
「うぶっ?!」
アルフレッドの執務室へと向かう途上、またしても「邪魔」に出会ったのだった。
今日はツイてない。イライラとしながら手慣れた様子で「邪魔」に炎をぶつけて、駆除する。
そしてアルフレッドの執務室へたどり着くまで、それからそれを都合二回は繰り返したのであった。
「ホントにもう、ツイてない」
残ったいら立ちをそのままに、アルフレッドと顔を合わせたララタは、「邪魔」の話をした。さすがに八つ当たりはしなかったものの、愚痴につき合わせる形となる。
しかしアルフレッドは妙にニコニコとしていて、不機嫌なララタとは対照的だった。
「そんなに僕に会いたかったの?」
「バッ……違うわよ! 『邪魔』がほんとーに邪魔だったからイライラしてるだけで、深い意味はないから!」
バカと言いそうになって、さすがにためらうものの、ララタの口から出てくるのは素直じゃない言葉ばかり。ああ、言いたいのはそういうことじゃないのに、とララタの心はちょっとした後悔でいっぱいだ。
「それでその『邪魔』ってのはどういうときに出てくる魔法生物なの? 群れで暮らしてるの?」
「さあ……そこまではわからないけれど。だれかがわたしのことを『邪魔』だと思ったからかもね」
「え? そういう生物なの?」
「俗説よ、俗説。信じてるひとは少なくないけれど、立証されたわけじゃなくって……」
「邪魔」が現れるとき……それはだれかがあなたのことを「邪魔」だと思っているときだ――。
というのは、ララタの世界ではわりと知られた俗説であった。しかし立証はされていないので、一笑に付す魔法使いも少なくはない。
しかし――今の今だ。
「貴女――邪魔なんですのよ!」
アルフレッドの母方の従妹、キャサリンの言葉を思い出す。キャサリンはアルフレッドが好きなのか、あるいは王子妃の座が欲しいのだろう。だからきっとララタのことを「邪魔」だと思った。
もしかしたら、そういう気持ちが「邪魔」を呼び寄せたのだとしたら――。
「どうしたの? 急に黙り込んで」
アルフレッドの言葉にララタは我に返る。あわてて「なんでもない」と言う。
アルフレッドはヤなやつじゃないので、ララタに妙な噂話を吹き込んだりはしない。たとえばララタのことを気に入らないヤツがいるとか、そういう類いのくだらない噂話とか。
だからララタは自分がどれだけの人間にとって、「邪魔」な存在なのかはわからない。
しかしわかったからといって、ララタがそのまま元の世界へ帰るということはありえなかった。
なぜならばララタは素直じゃないから。素直じゃないがゆえにアルフレッドへの気持ちを秘するが、素直じゃないがゆえに素直に身を引くということもできはしない。
素直じゃない、というのはまったくもって厄介な性質であった。
しかし一朝一夕で変えられないのが性格というもの。今しばらく、ララタが悶々とした日々を送ることになるのは、目に見えていた。
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