(6)
――ヤな夢を見た。
アルフレッドに乞われて王宮へと一泊することになったララタは、今は月明かりが照らすばかりの夜闇の中に立っている。
王宮という場所柄、どこよりも素晴らしいバラ園がララタの眼前に広がっていたが、その花々は今ばかりは彼女の心を晴らせない。
枕が変わったせいなのか、王宮という場所にあって緊張していたのか、ララタは寝つくのが遅く、またその眠りは浅かった。
お陰さまで、悪夢を見たのだ。浅い眠りの中、夢とも現実ともつかない意識の中、過去の記憶を引用したかのような忌々しい悪夢を見た。
元の世界のララタは、親なしのいじめられっ子。そういう子供だった。
子供の世界は純粋ゆえに残酷だ。両の親がそろっているのが当たり前。そういう世界に生まれたララタは、みにくいアヒルの子だった。周囲から辛く当たられて、しかしなんの因果か「魔法を使える」というだけで崇められる――恐れられもするが――世界にやってきた。
ララタは白鳥ではなかったが、みにくいアヒルの子のままでいいと言ってくれる世界にきた。
魔法が使えなければどこの世界に行ったって、自分に価値はない――。
素直ではないララタはそうも考えるが、それでもこの異世界のことはそれなりに好きだった。
それはひとえに己を大切にしてくれるから。そう考えるとララタは自分の浅ましさがイヤになってくる。けれども元の世界に戻りたいとも思えなかった。
何度も何度も自問自答した。この世界にいてもいいのかと。自分の価値はどこにあるのかと。
出てくる答えは自分可愛さの浅ましいものばかりだった。それが己の本性なのだとララタは理解した。
愛するアルフレッドの純粋さからはほど遠い――。
「やあ、ララタ」
ララタはあからさまに肩を跳ねさせた。
振り返ればバラ園の入り口に寝間着にコートを羽織ったアルフレッドが立っている。
それを見てララタは自分が寝間着そのままできてしまっていたことに遅まきながら気づき、恥じ入った。
どうにかそれを隠せないかと――無理なのだが――わたわたとしているあいだに、アルフレッドがずんずんとララタよりも大きな歩幅で近づいてきて、次にはコートを肩に羽織らせてくれた。
「寝間着のままなんて無防備だよ」
アルフレッドはチャーミングに目配せして微笑んだ。ララタはそれを見てますます恥ずかしくなった。この世界では隙だらけの寝間着のままうろつくなんて、淑女のするマネではないのだ。
けれどもアルフレッドはそれを責め立てたりはしない。女性としての慎ましさとは――というのがこの異世界にはある――無縁のララタに対して、アルフレッドはいつも鷹揚だった。……ララタが異世界人だからかもしれないが。
式典などに出席するため、ときたまララタは王宮仕えの侍女たちにめかしこまされるわけだが、そのときにはアレコレとお小言が飛んでくるわけだ。
しかし淑女としての教育など生まれてこの方受けたことのないララタには、貴族の子女である侍女らを満足させることなど土台無理な話なのである。
ララタだって努力はしているが、物ごころつくころからそういう教育を受けてきた人間に比べると、付け焼刃感がぬぐえないのもまた事実。
けれどもアルフレッドはそんなララタを嘲笑ったことなど一度としてなかったし、なにか彼女がヘマをしてもスマートにフォローしてくれる。
こういうときばかりはありがたい半面、甘えてはいけないなとララタは恐縮しきりであった。
だが今はそういうときではなかったので、素直ではないララタがまた顔を出してしまう。
「どうしてこんな時間にこんなところにいるの? ストーカー?」
「ストーカー?」
「四六時中しつこくつけ回すひとのこと」
「別につけ回してはいないと思うんだけれど……」
「もちろん! 冗談だって。つけ回す必要なんてないのはわかってる」
「でもララタのことは四六時中知ってはいたいかな」
「ええ……」
ララタは本気で引いたわけではなかったが、しかしアルフレッドの言動にはいつも振り回されてばかりだ。身体的にも振り回されることがあるし、感情は常にジェットコースターに乗っているかのようだった。
「冗談冗談。ちょっと目が覚めて外を眺めていたらララタがいたから……。気になって追いかけてきたってわけさ」
「気になって?」
「うん」
「そう。わたしがなにかするとでも思ったの?」
「そういうわけじゃないけれど……。なんとなく」
ララタの素直じゃない口は、「自殺するとでも思った?」なんて縁起でもない言葉が突いて出そうになった。
けれどもこの心優しい王子に対して、たとえ冗談の気持ちが半分くらい入っていたとしても、そんなことは言うべきではないと思ったのだ。
別にララタは自殺しようなんて思っていたわけではない。元の世界でも死にたいとは思ったことはない。……ただ、透明人間のように消えてしまいたいと本気で思ったことは、残念ながらある。
ララタは自分がナーバスになっているのを感じた。こういうときは人と会ってもロクなことにならない。迷惑をかける前に退散するべきだ。
それでもう一度寝てしまえば、こんな気分はどこかへ行ってしまうだろう。
けれども一方の恋する乙女のララタは、アルフレッドのそばにいて、しばらくのあいだ彼を独占していたいと思った。……あるいは彼に甘えたいと思った。素直じゃないララタにしては珍しく、そんなことを思ったのだ。
それはすべて夜のせいだろう。ララタの理性的な部分はそれをよく理解していた。
「……うん、ララタのそばにいたくて」
「ふーん……」
アルフレッドの言葉にララタの心臓がドキッと跳ねた。
自分の感情を誤魔化すように、ララタはアルフレッドが掛けてくれたコートのあわせをギュッと握る。
気のない返事をしたけれど、内心ではララタはスキップせんばかりだった。いや、脳内では確実にスキップをしている。花畑の周りでぴょんぴょんと。
「……気にしないで。ちょっとヤな夢、見ただけだから」
「夢って他人に話すと正夢にならないんだって」
「うーん……もうこれから実現しなさそうな夢だからなあ」
「過去のイヤなことを思い出しちゃった感じ?」
「ぐいぐいくるね。……まあ、そんな感じ」
夜風が静かにララタの赤毛を撫でて行く。バラの花が揺れて、ふわりとその香りが宙を舞った。月明かりを浴びて冴え冴えと咲き誇るバラたちは美しかった。……そして、妙に感傷的な気分にさせる。
「アルフレッドはさ、わたしがこっちに残るって聞いてどう思った?」
「昔の話?」
「そう」
「うれしかったよ。ララタは僕の命の恩人で、それで大切な人だから。こんな風に気安くしゃべってくれるひとは、他にいなかったからね」
「ふーん……。疑問には思わなかったの?」
「……まあ、思わなくはなかったよ。家族とか友人とか……好きな人とか……そういうひとはいないのかなって考えた。……昔はね」
アルフレッドは言外に想像力のなかった過去の自分を語り、ちょっと困ったような顔をして笑った。
ララタはそれを聞いても不快には思わなかった。だって、「普通」は家族がいないにしても、友人くらいはいるもんだ。「普通」は別れがたいような人間が、その世界にいるもんだ。
ララタはその「普通」からは外れていた。家族もいなければ友人もいない。愛する人もいない。……ただそれだけの話。
だから元の世界のことを思い出しても、ララタは感傷に浸るなんてことはなかった。ただもっと勉強していればよかったとか、アレソレは便利だった、とか思うくらいである。
元の世界は、完全に思い出の中の存在だった。
「ララタはさ」
「うん?」
「どうしてこの世界に残ってくれたの? 帰ることもできたわけだし。……というか、今でも帰ろうと思えば帰れるわけだけれど」
「うーん……」
ララタは少し考えてから、答えた。
「――笑ってくれたからかな。みんなが。わたしのちっぽけな力でも求めてくれて、笑顔になってくれたから……。単純かもしれないけど」
アルフレッドの魔力の流れを直すのは正直に言って骨が折れる仕事だった。まだララタは半人前の魔法使いだった。今でも昔よりは魔法に精通しているけれど、一人前を名乗っていいのか悩むくらいだ。
そんな半人前に任された大仕事。これでララタが失敗すれば、いずれアルフレッドは衰弱死してしまう――。そういう状況だった。
けれどもララタはなんとか仕事を完遂した。もちろんそれを喜ばなかった人間がいるだろうことは知っている。けれどもララタを出迎えてくれたのは、多くのひとの「喜び」だった。
それを見た瞬間、ララタは単純だがもっとこのひとたちのために魔法を使いたいと思ったのだ。
正直に言って、それまでのララタは惰性で魔法を学んでいた。高い志を持たず、ただイジメられるのがイヤだからという理由だけで魔法の勉強に打ち込んでいた。
けれどもそれで、だれかを助けられることを知った。笑顔にできることを知った。
ララタは生まれて初めて、もっと魔法を学びたいと純粋に願った。
そう、この世界にこなければ、ララタは今もあの世界で、ただイジメられないためだけに魔法を惰性で学んでいたかもしれない。そう思うとなんだか元の世界の自分が急にみすぼらしく、哀れな存在に思えた。
けれどもララタの今の現実は、この世界だった。魔法が衰退し、古の時代の名残である魔物がときおりひとを苦しめる世界……。その世界は、たしかにララタを必要としている。
それは「逃げ」なのかもしれないと考えたこともある。けれども今は「逃げ」た先でなにをするかが大事なのだと、そう思えている。
それもすべて、この世界の人々のお陰だった。
「……ありがとうララタ」
「急にどうしたの?」
「この世界にきてくれたのがララタでよかったな、と思ったから」
「ふーん……」
アルフレッドの言葉にララタは気恥ずかしさを覚える。
ララタは素直ではないので、それを誤魔化すように「ふーん」などと言ってしまった。しかし思い直して口を開く。
「わたしも……この世界にこれてよかったよ」
「そう思ってくれてるならありがたいね。ほとんど拉致だったわけだし……」
「まあそうだけどさ。切羽詰まってたんだから」
「僕のせいでね」
そんな会話をしたが、深刻な雰囲気はない。
アルフレッドはララタを好きになったし、ララタもそうだったからだ。
それはもしかしたら「運命」と呼んでもいいものなのかもしれないが、ふたりとも恥ずかしかったのでそこまでは言わなかった。
「――っくしゅ!」
「そろそろ王宮に戻ろうか」
「そうね。思ったより肌寒くなってきたし……」
「明日は冷えそうだね」
そうおしゃべりしながらアルフレッドがララタを先導する。そして戻ってきたのは――
「じゃあそろそろ寝ようか」
「――ここアルの部屋じゃん?!」
豪奢な模様が施された扉が目印の、アルフレッドの私室の前だった。
思わず声を出してツッコんだララタの手をアルフレッドが素早く取る。そしてぐいぐいと自分の部屋へとララタを引きこもうとするのであった。
もちろん恥ずかしさマックスのララタはそれを拒み、あわててアルフレッドの手を振りほどく。
そして踵を返し、うしろのアルフレッドを振り返りもせず廊下を駆けて行った。
「廊下は走っちゃダメだよー!」
そんなアルフレッドの間の抜けた声がララタの背にかかる。「学校かよ?!」と思ったがララタは客間まで駆け足で走って行った。
ちなみに本来であればララタにはアルフレッドの隣室に設けられた妃の部屋があてがわれていた。お試しと言えど、かりそめと言えど、「妃」であることには違いないからだ。
しかしその部屋は内部で扉を介して繋がっていることを知ったララタは、全力で固辞した。
だって、そんな部屋に泊まってはいつ心臓が破裂して死んでしまうかわかったものではないからだ。
もちろんアルフレッドとは揉めた。揉めに揉めたが、結局ララタの素直じゃない性格が勝った。
そういうわけでララタはいつも通り客間を使用しているわけなのである。
そんな客間へと全速力で戻ったララタは、扉を閉じるやそれを背にしてずるずると座り込んだ。
そうしたあとで、妙に笑いが込み上げてくる。
「ふふふ」
それをこらえようとしたので、はた目には怪しげな笑い声となってしまい、それが余計ララタの笑いを誘った。
――元の世界ではこんな風に笑うことはなかったな。
それを思うだけで、なんだかララタは幸せいっぱいになれるのだった。
いつの間にやら悪夢を見た不快感や不安感がどこかへ飛んで行っていた。
残ったのは、アルフレッドの言動の妙な面白さと、彼と手を繋いだドキドキとした幸福感。
だからこの世界が、アルフレッドが好きなんだ。
ララタは改めてそう思った。
今夜は、よく眠れそうだった。
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