(5)
妙に寒いな、とララタは思った。
ララタとアルフレッドはかりそめの夫婦となったが、いっしょに暮らしているわけではない。
その点についてはだいぶアルフレッドにごねられたものの、ララタは別居を貫き通した。
だって、アルフレッドと四六時中いることになってしまっては、心臓がもたないからだ。
アルフレッドと共に王宮内で暮らす――というのは、彼を思うララタからすればかなり魅力的な申し出であっただろう。けれどもララタはそれを蹴った。
心臓がもたない。ただでさえ暇さえあれば会いにくるアルフレッドとの、ひとときのおしゃべりでも、ララタは内心ドッキドキなのだ。もちろんこれはアルフレッドには知れて欲しくないこと。
だから、ララタはそんな理由でアルフレッドとの同棲生活を投げ打ったのであった。
……ちょっともったいないことをしたかなと思わなくもない。思わなくもないが、心臓が破裂してしまいそうになるので、致し方なし。ララタは素直じゃない自分にそう言い聞かせた。
そして今日は週に一度の王宮出であった。厳密には必ずしも週に一回だけ王宮を訪れるわけではない。用事があったり、呼びつけられたりすれば王宮をおとなうことはある。週に一度というのは、最低限の回数にすぎないのだ。
で、妙に王宮内が寒いな、とララタは思った。
こんな気温であれば、どこもかしこも暖炉に火を入れているハズである。であるからそれなりにぽかぽかとしているのが王宮というものだ。
なのに、肌寒い。
ララタは風邪でも引いたかな? と思って額に手を当ててみたが、どうも平熱のようである。
とすれば、王宮ではなんらかのトラブルがあって暖炉に火を入れていないのかもしれない。あるいは、ララタも知らない行事とか儀式とかかもしれない――。
とそこまで考えたところで「ああ妃殿下」という声がした。
はじめ、ララタはそれが己を呼ぶ声だと気づかなかった。ララタは概ね見知った王宮の人間たちからは「魔女様」と呼ばれていたからだ。この呼び名だってそうとうくすぐったいが、仕方ない。「名前で呼べ」というのも馴れ馴れしすぎて相手が可哀想な気がしてしまう。
そういうわけでララタははじめ、「妃殿下」と呼ばれても己を指し示してのことだとは思わなかったのである。いずこかの妃がいるのかしら? と、とぼけたことを考えたくらいである。
しかし目の前にいる女中頭――王宮には何人もいる――に何度か「妃殿下」と呼びかけられて、やっと「妃殿下」が「王子妃殿下」の意であると理解した次第だ。
そう、目の前にいる女中頭はずっとララタを呼んでいたのであった。
呼び名が変わったことで、ララタは「そういえばアルフレッドのお試し妃なのだった」とようやく思い出すくらいだ。「お試し妃」の職を引きうけたものの、普段それをどれだけ意識していないか露呈したも同然である。
それをララタはちょっと恥ずかしく思った。しかしアルフレッドも悪いのだ。彼の態度があんまりにも変わらないから――。
……そこまで考えて、ララタはちょっと引っかかりを覚えたが、まずは女中頭である。しばらく無視するか、ぼんやりとしていた形になっていたことを謝罪する。
「ごめんなさいね。まだ慣れていなくって」
「いえ……それよりも」
「なにか困りごとがあるのね?」
「はい。大変なんです」
ひどくあわてた様子の女中頭を前に、ララタはいったいどんな大変なことが起こったのかと固唾を呑んで次の言葉を待った。
「火が点かないんです」
「火が?」
「ええ。いくら火入れをしても、端から消えて行ってしまうんです。炭を変えてみても同じなんです。妃殿下、これは……」
「……そうね、たぶん魔物の仕業ね」
「やっぱり」
原因を与えられたことで女中頭は心なしかなホッとしたような顔になる。
暖炉の火入れは女中の朝一番の仕事だ。それが、ララタが余裕を持って王宮に出てくる時間になっても果たされないのでは、女中頭の内心やいかに、である。
「それで、どうすれば……」
「わたしがなんとかするわ。そうね、炭とおがくずを裏庭に持ってきてちょうだい。腕いっぱいくらいの量がいいわ」
「わかりました。すぐに手配します」
女中頭と別れてララタはすぐに王宮の裏庭へと向かった。あまり草木がなくて、ひと気のない場所がいいと思ったのだ。
ララタは――王宮の敷地内なので――広大な裏庭の、影がかかっていない比較的土がからっとした場所を選ぶ。
そこでしばらく魔物について思い馳せていれば、女中頭が「すぐに」と言った通り、すぐに炭とおがくずが入った木箱を抱えた人間がやってきた。
「……なにやってんの?」
やってきたのは王子であるアルフレッドだった。
呆れた様子のララタに頓着する様子はなく、「やあ」と笑顔で答える。両腕がふさがっていなければ、多分気安い調子で片手を上げていたに違いなかった。
ララタはその顔の通りに「呆れた」と告げる。アルフレッドはそれでも気にした風ではなかった。
アルフレッドは易々と抱えていた木箱をララタのそばに置く。
「それで?」
「『それで?』」
「魔物退治なんだろう?」
「そうだけど……なんでアルがここに?」
「いつまで経ってもララタがこないから、こっちからきた、というわけさ」
「はあ……」
聞きたいのはそういうことではなかったが、再び問いかける気にもなれず、ララタは木箱に向き直った。
「燃やすの?」
「そう」
「魔物を?」
「これから捕まえるヤツは燃えないわよ」
「燃えない? そんな魔物がいるんだ」
「たぶん、アルが想像しているような魔物じゃないと思う」
「へえ」
ララタは木箱からざっと炭とおがくずを出して山を作った。アルフレッドもなにも言わずにそれを手伝う。お陰で作業はものの数分で終わった。
「たぶん、今王宮にいるヤツは『火盗』ってヤツ」
「『火を盗む』……文字通りの魔物なんだね」
「そう。生態はよくわかっていないから、火を盗んでいるんだか、火を食べているんだかはよくわかんないんだけど」
「なんにしても、人間からすれば迷惑だ。……それで火でおびきだすの?」
さすがに炭とおがくずの山を用意され、魔物の正体を告げられれば、アルフレッドにはこれからララタがなにをせんとしているのかわかったらしい。ララタはうなずいて答える。
「火盗は大きな火におびきよせられる。だから、この王宮で一番の火をおこせば自動的にやってくるハズ」
「で、そこを捕まえると。……倒さないの?」
「倒せないの。捕まえて、火のないところに監禁しておけばいずれは消える。魔物って言っても、自然現象に近い感じみたい」
「へえー」
ララタは炭とおかくずの山の方を向いて、そのてっぺん近くに手をかざした。
意識を集中させる。指先がちくちくとする。魔法が出る前の、特有の現象だ。
すぐにララタの手のひらのちょっと下に、火が発生する。それをうまく炭とおがくずの山に移す。あとは魔力を注ぎ続ければ、この量の炭であればそのうちに巨大な炎となるだろう。
「手伝おうか?」
「せっかくだからアルは不測の事態に備えておいて」
「わかった。……そういえば魔法の炎ってさ」
「うん?」
「使用者の感情がある程度反映されるんだよね?」
「そうだけど」
ララタは炭の山に点いた火を大きくするのに集中していた。ハタから見れば、暖を取っているような恰好で炎に手をかざして魔力を注いでいる。
火のついた炭の山ばかり見ていたララタは、アルフレッドがいつの間にやら距離を詰めていたことに気づかなかった。
「ほわっ?!」
ララタは思わず声を上げた。アルフレッドがララタを背中からすっぽりと抱きしめてしまったからだ。
ララタの厚いローブ越しにも、アルフレッドの熱が伝わってくる。
ララタが点けた魔法の火は、ララタの心情を反映するかのように大きく不安定に揺らめいたあと、巨大化した。それはもう天を突く勢いで火が強まった。
「な、な、な、なにしてんのよーっ?!」
ララタは目の前の火が多いに強まったことが妙に恥ずかしく、それを誤魔化すようにアルフレッドへと振り返ろうとした。
ひょろひょろのララタよりずっと体格がよく、背の高いアルフレッドと目が合う。アルフレッドの目はいたずらっ子のようにきらめいていた。
「ドキドキしたら火が強くなるかなって」
「そうだけどっ。こ、こ、こんなことする必要ないから!」
「あ、ララタ。火が弱まってきた。例の火盗がきたんじゃないの?」
「え?」
あれほどの勢いを誇っていた炎が、みるみるうちに縮小して行く。
ララタが目を凝らせば、揺らめく炎の中に黒い物体が見え隠れする。恐らく火盗だ。
そう確信を持ったララタは、次に魔法で一瞬にして炭の山に点いた炎を鎮火させた。
そして素早くそばにあった木箱を炭の山にかぶせ、その上にどんと腰を下ろす。
ララタのお尻の下、木箱の中がにわかにさわがしくなった。「キーキー」とサルのような鳴き声がして、あわてたようすで走り回っているのがわかる。
アルフレッドはそれをきらめかしい目で興味深げに見ていた。
「これが火盗?」
「そう。そんなに大きい個体じゃないから、しばらくこうしておけば消えると思う」
「しばらくって、どれくらい?」
「んー……二時間? 三時間? まあ、それくらいね。だから悪いけど陛下に会いに行くのは遅れるわ」
「魔物が相手じゃ、仕方ないね」
そう言ってアルフレッドはララタにならって、どんと木箱に腰を下ろした。そう大きくはない木箱の上で、ふたりはきゅうくつに並ぶことになる。
「ちょ、ちょっと……」
「火盗が消えるまでつき合うよ。……うーん違うな。――つき合わせて?」
「……アルがそう言うなら……」
ララタは「仕方ない」と言って目を伏せた。もちろん、恥ずかしさのためだ。
ララタは素直に喜びを表現できない自分に内心でジタバタとした。しかしもちろん、アルフレッドにはお見通しだった。
ふたりのお尻の下で、火盗はジタバタと暴れる。しかしかの火盗であっても、恋の炎ばかりは盗めないようであった。
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