【新たな予兆】

 ECT時に解放される武道場。現在は全ての授業行程が終了した夕暮れ時の放課後だ。

 この場所は授業だけでしか使用される訳ではない。

 授業最優先ではあるが、学校側に申請を行えば放課後に生徒達が自由に利用できるようになっている。

 使用用途をはっきり明記した上で申請用紙を記入し、窓口で通過すれば自由に広い空間を使用できる。ただし占有空間とまではいかない。

 複数の生徒が申請していた場合は共有してECTフィールド内に入り、各々が利用する。

 余りにも多数の生徒が殺到した場合は見送り──許可は下りず、後日再申し込みへ回される。

 規定人数の枠を満たし、スペースを割譲してEAの解放にあたったとしても、それでも広いスペースが確保されているので文句はない。むしろ普段は使えないEAを伸び伸びと開放できる場所を与えてくれるだけ有り難い話しだ。。

 だから自分自身の能力を開放し、制御に明け暮れる者や、ただ自己開放──ストレス発散に利用する者、限界値を伸ばすために全力開放する者など、多種多様な理由で足を運ぶ生徒達が今このフィールド内にはチラホラといた。

 そんな中、運よく申請が通過した俺達──普段は見ない二人組である俺と可憐は一角のスペースに紛れ込んでいる。

「可憐、付き合ってくれてありがとう」

「い、いえ……き、気にしないでください」

 横で連れ立っている可憐が何処か顔を赤らめて目を逸らしながら話す。俺のチャックとか全開だったかな。うん。大丈夫。何に反応して赤らめたのかな?

「とりあえず早速お願いしようかな。可憐の大事な時間を割いてもらってるしね。じゃあ、特訓だけど具体的にどうすれば良い?」

「はい‼ それではまずECTで私を庇ってくれた時に史弥くんが抱いた感情を思い出して下さい。もし上手くいけばその人特有の感覚で発現するはずです」

 ハリキリながら返事をした可憐はやる気満々に説明してくれた。

「オッケー、やってみるよ」

「史弥くんは特殊な能力ですからね。私は目の前に障壁を展開しますね。もし効力があれば消滅しますし」

 可憐はEAを行使する準備に入る。

「よし、分かった。じゃあいくよ」

 俺の号令を聞いて可憐はインビジブル・ブロックを展開する。

 相変わらず障壁を目視で確認することは出来ないが、空中に片手を押し当てることで触れた透明の壁を認識できる。ガラスのようにツルツルとした冷たい感覚が俺の手の皮膚から伝わる。

 あの時、俺は何を思った? 可憐の前に飛び出して、それから強い憤りを感じて、でもそれは一時的で表面的なもの。もっと違う気持ちを単純に願った。確か“守りたい”って強く……。

 瞬間、脳内で何かが弾けるような、日常で普段感じたことのない違和感が波のように押し寄せてくる。

「……史弥くん? どうですか?」

 可憐はその瞳を向けて問い掛ける。

 初めての感覚に見舞われている俺はこの感覚が、EA発動によるものか自信がなかった。

「……たぶん。今この感覚がそうなら……」

 あやふやな表現が口から溢れる。

 しかしその手に触れるインビジブル・ブロックの感触は残っていた。

 発動している状態であればこの手の感覚が消える結果が残るはずだが何も変わらない。

「そうですか……。でも私のインビジブル・ブロックに変化はないですね……。じゃあ次は試しに押したり、叩いてみたりして下さい! ──もしかしたら何か変化が起きるかもしれません!」

 可憐に言われるまま行動を起こすも壊れるどころか頑丈な立方体を崩すことなく空間に固定していた。鉄壁と言って良い程。逆にそれが俺の気持ちを一気に萎えさせていく。

「はぁー、やっぱりダメか〜……」

 顔を落として落胆する。手応えは確かにあった。だが結果が伴わない。

 諦めの境地に達しかけた時に可憐が俺の正面に何気なく移る。真剣な表情で手を前にブンブン振って俺以上に意気込んでくれている。

「落ち込まないで下さい史弥くん! まだこれからじゃないですか!」

「慰めてくれてありがとうな可憐」

 顔を上げて感謝を口にした時、それは確かに起きた。

 それは視界を通して溢れて相手を包み込む──縛りつけて動きを封じていると形容できるハッキリとした拘束感と高揚感。

 瞬間、立方体が消滅した。

 跡形もなく、前触れもなく、忽然こつぜんと姿を消した。

「オワッ!」

「キャッ!」

 二つの短い悲鳴と共に砂煙が舞い上がる。気付けば俺は可憐に覆いかぶさるよう転倒していた。

 原因は言うまでもなくインビジブル・ブロックに寄り掛かっていたせい。消滅した拍子に態勢を崩したのだ。

「……」

「……」

 お互い倒れ込んだ状態で見つめ合ってしまった。えーっと……。

 かなり近いせいで普段は気にしていなかった──気にしないようにしていた容姿がかなり目前に映る。

 可憐の綺麗なブラウンの瞳が俺の顔を覗き込み、高揚した頬が背徳感さえ感じさせる色っぽさを醸し出している。

 柔らかい唇は何処か誘うような魔力を秘め、誘惑しているようだ。

 俺の残された理性がこのままの態勢では目に毒である事を悟る。

「す、すまない‼」

「は、はいッ‼」

 咄嗟に謝罪を言い合い、お互いに自分達のあられもない姿に気付くと可憐と俺は顔を真っ赤にし、そのまま飛び上がるように急いで立ち上がる。そのままお互いに翻すように反対側へ向く。

 自分の心拍数が累乗並みに鼓動を早くしていく。

 それから妙にお互いを意識したせいか誤魔化すように、何気なく、慌てて両者は身だしなみを整えていた。

「ごめん! 俺の不注意で不快な思いさせて!」

 俺は凄みのある謝罪を向き合わないままする。ほんと急に迫ってすみません可憐さん。

「大丈夫ですから気にしないでください!」

 男性の顔が突然目の前に来た驚きと恥ずかしからか向こうも顔を見れないまま謝罪の不要を訴えてくる。

 俺は色々な意味で動揺した自分を落ち着けようと呼吸を整えた時、間抜けなほど見落としていた事象を理解し、我に返る。

「可憐!」

 俺は可憐へ振り返り声を大きくして、伝えていた。

「へッ⁉」

「あ、ごめん大きな声出して……。というか今、インビジブル・ブロックが消滅した!」

「あッ、そうでした‼」

 遅れて正常な思考が戻ってきた可憐も遅延して反応を示して驚きを表していた。


「何やってるのお二人さん?」

 意識外から突然、声をかけられた俺達は同時に声の発信源へ顔を向ける。

 発信元に立っていたのは一人の男子生徒。

 学年は分からないが爽やかな雰囲気と決して主張の激しい隆起を見せる筋肉では無いが、スポーツマンを思わせるガタイの良さ、程よい肉付きで制服をしっかり着こなしている。

 さらに前髪は目元にかからず、短髪で非常に好青年を思わせる印象。

 横の可憐も似たような印象を感じ取っているのか警戒しているという様子はない。

 警戒心は全くではないが身構える程でもなく、喋りやすい友好的な雰囲気ががあった。しかし、向こうは違う。何処か俺達というか俺を訝しむような感じだ。

 そんな男子生徒の問い掛けから少しの間を置いて、俺は応える。

「彼女に俺の能力制御練習を付き合ってもらってます」

 上級生かも分からないのでひとまず敬語で対応する。

「へぇー、にしては彼女を押し倒しているようにしか見えなかったけど⁇」

 軽く前に腕を組みながら疑念を口にする男子生徒。

 彼が何故、声を掛けてきたのか俺は理由が思い浮かんだ。

 女子生徒へ迫って押し倒した野蛮な男子生に注意、若しくは撃退しようと近づいてきたかも知れないと。それだけに誤解が頭を巡り、早く解かなければならないと俺は焦る。

「ち、違う、誤解だ! 決してそんなつもりでは!」

 恥も外聞もない。急がなくては余計誤解が……。あれ……このセリフって……。

 これまた痴漢犯罪者のようなテンプレセリフが口から飛び出している事に遅れて俺は気付いた。あまりの不甲斐ない言い訳に卒倒しそうになるが事実無根である以上、踏み止まり釈明を続けるしかない。でもそれは逆効果で言い逃れをしているように彼からは見えてしまったのだろう。

 疑いの目で俺を凝視している。

 客観的に疑われても仕方のない光景なだけに有罪になっても言い訳のしようもない。

 だが話を聞いていた可憐が勘違いの歯車を止めるように、あらぬ容疑をかけられている俺と男子生徒の間に慌てて入り弁明に回ってくれる。可憐さん、本当にありがとうございます。


「違います! あれは事故なんです! 史弥くんはそんなことしません!」

「そうなの? ……君がそう言うなら……。いや、すまない須山くん。俺の早とちりで申し訳ない事を言った。本当にすまない」

 意外な反応。軽く頭を下げて謝罪する男子生徒は意外にも殊勝な態度を見せる。

 非を認め、しっかりした対応をするこの男子生徒に俺は少しの好感を覚えた。

 最近は奇異の目で見られたり、不良に絡まれたりと、まともな対応をする生徒が学内にほとんどいないせいだ。とにかく誤解が解けて嬉しい。

「分かって貰えたなら良かった。……あれ? そういえば俺の名前をなんで知ってるの?」

 初対面であるのに名指しで呼ばれたことに疑問を口にする。

 どうせ俺の耳にタコが出来る理由なのは薄々勘づいていたのだがいちよ訊いておこう。

「そこの可憐さんは学内で有名人だからね。となればよく一緒にいる男子生徒は須山くん以外いないから。それぐらい名は知れ渡ってる」

 俺はやはりか、と苦笑いを浮かべる。男子生徒も愛想笑いでお茶を濁してくれる。

 どういう状況になっているかを察してくれて気遣っているようだ。

「俺は1─Cの吉田(よしだ)日向(ひゅうが)。日向って下の名前で呼んでくれ」

「分かった日向。1─Aの須山史弥。もう知ってると思うけどいちよね。それと俺も下の名前で呼んでくれて構わないから」

 砕けた感じで普通の自己紹介を交わした俺と日向に横から同じクラスの美少女は自己紹介しようとするが、

「私は──」

「知っているから大丈夫だよ」

「知られているから大丈夫だよ可憐」

 自己紹介を溜息交じりに俺達二人はハモり気味に遮ってしまう。

 妙に息の合ったプレーを見せつけられた可憐は目をパチパチさせたかと思うと、すぐに頬を膨らませていじけるように不満を口にする。

「むぅぅ~こういうのは知っていても聞くのがマナーなんですよ~……!」

 可愛さ十倍増しの抗議に心打たれて感動すら覚えてしまう俺。だがもう慣れていたせいもあり朗笑(ろうしょう)をして軽く流してみせる。慣れって怖い。

 だが横の日向は一瞬見惚れてしまっている。が、すぐ我に返って「あはは……ごめん」と一言添えると頬を緩ませて和んでいるようだ。

「改めて、私は春山可憐です。可憐って呼んでください」

「うん分かった。でも女の子を呼び捨てにするのは抵抗があるから可憐さんって呼ぶね?」

「はい、そうして下さい!」

 可憐はにこやかに微笑む。可憐の自己紹介が終わると先ほどから襲っている違和感を解消するべく俺は日向へ訊ねる。

「日向は俺と普通に話してくれるんだね」

「あー、まぁみんな鈴原のこと怖がっていたから歯向かった奴と関わるの恐れてたけど、俺はそんなの全然気にならないからさ。むしろ逆にあの鈴原にガツンと言った史弥に感心してるぜ。中々言えないぜそういうことって」

 容姿と一緒でサラサラとした爽やかさを放ち、無垢に笑って日向はみせる。

「まぁ、怖いもの知らずは無鉄砲なところもあるから手酷くやられるけどね」

「まぁ、そうなるよな」

 まだ痛みが完全に引かない肋骨を軽くさすりながら軽く笑って見せると日向の笑いが失笑へ変わった。

「日向くんはここで何の制御練習をしているんですか?」

 今度は可憐が質問を投げかける。

「あぁオレは浮遊能力(レビテーション)の制御練習をしていたんだ。LEVEL2だから制御できるようにしておかないと将来的に危ないからさ」

 そう言った日向は制服に刺繍されている左胸の紋章を可憐と俺に見せる。

 逆三角形に縦線で二本入っている。

「危ないって?」

 咄嗟に俺は割り込むように聞くと、問い掛けられた日向はキョトンとしてしまう。

「──おいおいビックリしたぜ。当たり前のことを聞いてくるから」

 俺は苦笑気味に、

「ごめんな。実は少し前までニューマンじゃなかったからそのあたりの知識が全然ないんだ」

 柔らかい物腰で伝えた。

「おぉ、そうかって……それってどういうことだよ?」

 俺はこの学校に途中編入した事情を日向に説明した。

 日向はそんなこともあるのかと驚いていたが最終的には納得し、受け入れてくれたみたいだった。

「へぇ~そんな珍しい事もあるんだな~」

「正直、自分にも何が起きているか分からなくて困っている」

「そりゃそうだ。……よし! じゃあ何か困った事があったらいろいろ相談してくれ。俺が助けになる」

「良いのか?」

「同じニューマンだし、それにそれ以前に男同士なんだから良いに決まってるだろ。気にすんなって」

 和気あいあいと話す日向に漢気溢れる魅力が滲み出ている。

 ──爽やかなだけじゃなく親切心もあるんだな。

 同じ男として尊敬してしまいそうになる。それくらいに面倒見が良い。

「日向ありがとう。頼りにさせてもらうよ。それでさっきの危ないってのは?」

「危ないってのは、意識下で事象改変を起こした時に正確に制御できないと周りに甚大な被害を起こしかねないって話だ」

「甚大な被害?」

「例えば同じ車でもマッスルカーと軽自動車ではまるっきり別物だ。馬力の違いからくるアクセルの踏み込み開度一つとっても加速度は段違い。そうなれば力に見合った制動距離も持たなければならない。止まりたいときにブレーキがポンコツだったら意味ないだろ? それと一緒でLEVELが高くなるにつれて力が強くなると制御が難しくなる、だからこうやって制御練習を欠かさず行っているってことさ」

「なるほど。じゃあ練習は具体的に何をしているんだ?」

「こっちにくれば分かるさ」

 そう言った日向は自分が練習していた場所へ案内する。可憐と俺も興味を惹かれついていく。

「ここでさっきまで練習していたんだ」

 連れてこられた場所には無造作に地面に刺さった何本かのポールと、十個近いゴムボールが乱雑に散らばって地面に置かれていた。

「見せた方が早いな。二人とも見ててくれよ」

 日向は念じるように瞳を閉じ、集中力が高まった瞬間に一気に開眼した。

 ──ゴムボールすべてが空中浮遊すると、高速で飛び回る。しかもポールを上手く交わしながら。

「すごいです! しかもポールに一つもぶつからずにあんなに速く動くなんて……制御も凄いですが同時に行うなんて!」

 可憐は驚愕と感嘆の声を同時に漏らし、賞賛を日向に送る。隣の俺もあまりの光景に見惚れてしまった程だ。

 言われた日向は素直な照れ笑いを浮かべている。

「なっ? こういう練習なのさ」

 視線を俺と可憐へ戻すとボールは空中でピタリと静止する。

「初めてみるけど、すげーな日向」

「ここまで操れるようになるのにちーっと時間がかかったけどな」

「そうですよね! すごかったですよ日向君!」

 一般人だった俺から見て努力がどれほどのものかは分からない。だが可憐からはしっかりと読み取れているようだ。称賛の声の大きさがそれを物語っている。

 一体その練習量は同じEAを持つもの同士どれだけの練習を積んできたのだろう。

「そういや史弥は何の能力なんだ?」

「俺は││能力が無いのが取り柄みたいな能力で……」

「何を勿体ぶってるんだよ。早く教えてくれ」

「わ、分かってる! EAはザ・ノーマル。EAを無力化する力だ」

 日向は一瞬何を言われたのか分からず呆けてしまう。でも言葉の意味が頭に浸透すると、

「なんだそれ⁉ 聞いたことないぜそんなの⁉」

 仰天していた。

「らしいな……。俺的にはもっと違う力が良かったんだけど……。選ぶ権利はないからこの有様さ」

「なんでそんなに元気ないんだよ!」

「そうですよ史弥くん! 日向くんの言う通りですよ!」

「その言葉がさっき見た凄いのの後だと心に刺さるな……」

 可憐と日向は微笑を浮かべて笑い合う。どうやらこの場の三人はどうやら馬が合うらしい。

 日向に妙な親近感さえ俺は感じ始めている。

「あ、そうだ日向」

「どうした?」

「同じクラスに里中健太郎って子がいるんだけど知ってるか? 小中一緒なら知ってると思うが」

「あ~……知ってるよ……。……里中とは小中一緒だったからな」

「それじゃあ健太郎って昔に何かあったか知ってる?」

 なんの脈絡もなく問い掛ける。

 その横で可憐も教室での出来事を思い出して興味を掻き立てられたのか、聞き耳を立てている。

「……見たんだなあれを。……もちろんあったさ」

「詳しく教えてくれないか?」

「あぁ。──確かあれは中学一年の時だったかな。当時、俺達と同学年の女子生徒がイジメを受けていたんだ。それはもう酷いもんだった。嫌がらせに集団で無視したり、暴行沙汰、色々な事をされていたと思う」

 話す日向の表情は切なく辛そうだった。思い出したくないのだろうか。

「それである時その女子生徒が大怪我を負わされた。誰も見ていない日の事だ。その日、里中はたまたま居合わせてな。で、里中は助けるために女子生徒を治療したんだ」

「良い奴だな」

「そうだよな。……それで里中は応急処置をするため、EAを使った」

「特異能力を使った?」

「そう。あいつはクレヤボヤンス(千里眼)の透視能力を使い、骨折部位や怪我の損傷具合を確認して的確な応急処置を行なったんだ。だけどこれがあいつを今の状態に追いやった原因なんだ」

「は? どういうことだよ。全然意味が分からない」

「それを気に食わないと思った奴がいたんだよ」

「……イジメを行なってた奴らか」

 日向は肯定の首肯をすると話しを続けた。

「イジメを指揮していた生徒はターゲットを変えて今度は里中を虐めることにした。ほとんどの人間が里中の無視を決め込んで一人孤立させたんだ。最初はあいつも気にしないようにして過ごしていたけど、ある時変な噂が流れるようになった」

「噂ですか?」

 気になるフレーズだったのか隣の可憐は神妙な面持ちで訊ねる。

「イジメを受けていた女子生徒に力を使ったのは自分の透視能力で裸体を視姦して愉しむためだってね。もちろん最初は可笑しな話だとみんな思ったさ。だって状況的に普通ありえないだろ。──だけど噂は勝手に一人歩きするもの。人伝いに伝わった噂の内容が微妙に伝える人によって変わるように、たとえ嘘でも真実のように扱われる時だってある。結果、里中の誤解は真実のように扱われ、ほとんどあいつを庇うことなく周りから人が消えていって今に至るというところさ」

「──それが健太郎を今の状態に追いやっている原因なのかよ」

 俺は憤りが、怒りが、遣る瀬無さが、言葉の節々に棘となって張り付くのを自分でも感じていく。同時に胸が締め付けられような感覚も。

 今となって思い返すと、あの時健太郎が放った一言の意味が頭の中でエコーのように響く。

『あまり人を信用し過ぎない方が良い』、そう言った健太郎は自分から距離を置いて人と関わるのをやめてしまった。

 絶望してしまったのだ。人を信用することも──頼ることさえも。

「……そんなの酷いです」

 横で可憐は手で口を押さえ、言いようのない悲傷に目を潤ませていた。

「一体誰なんだよ。そのイジメを指揮してた奴ってのは?」

「確証はないけど、噂では西条静香さいじょうしずかだと言われてる。実際見た奴がいないからハッキリしないけど。でも一つ言えるのは──この学校で一つの権力を握り、スクールカーストの上位に君臨する女子生徒なのは間違いないという事だ」

 俺の拳に自然と力が籠るのを感じた。

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