【来客達】
病室に平手打ちの乾いた音が響く。手酷くやられた息子である俺を思ってのことだろう。
「この行動が後でどのような結果を招くかを分かっていても、私は同じ行動をとったでしょう」
涼の父親であり、世間でも知られる某政治家の顔に母さんがそう告げた。
涼の性格を考慮して、似通った性格ならばここで逆ギレしてきても可笑しくはない。
だがこの男は違った。厳格な男だったのだ。
「私の教育不足がすべての原因です。最早、弁解の余地はありません。息子の行動全ては私の責任です。ご子息には何度謝罪してもしきれないことは理解しております。ですが言わせてください」
一拍区切って涼の父親は両膝を病室の床につき、その頭を地面に擦り付けた。
「申し訳ありませんでした」
誰もが知る土下座。そして謝罪。
その光景に母さんは表情一つ変えず、冷たい視線を足元に送りながら雪のような冷たい声音で話しを続ける。
「頭を下げる政治家は見飽きました。パフォーマンスなら帰って頂いて結構です」
全てを突き放すその一言に先方も、そして、家族である俺ですら凍りついた。さらに皮肉がここまで言える事に驚きを隠せない。母さんこえぇぇ……。
「これは政治家としてではなく、父親として、せめてもの誠意です。これ以上の誠意を私は知りません。もし償いをさせて頂けるというのならば、私は惜しみません」
「物や金銭では解決しません。それとあなたの顔は二度と見たくもありません。もちろん貴方のご子息にも。帰ってください」
母さんは二度目の謝絶を強く表す。これ以上は火に油を注ぐと涼の父親は理解し、立ち上がると病室を後にした。部屋を出る際に「また伺います」と言っていたが、母さんも母さんで「結構です」と短く述べて激しい拒絶を示し、見送った。
病室に静寂が戻る。
居心地悪そうに母さんの後ろ姿を眺めてどう声を掛けるべきか悩んでいると、突然勢いよく振り返る。な、なんて声かけよう。
かと思えばいきなり上半身を起こす俺のベッドに母さんは自らの上半身を飛び込ませ抱きついてきた。
「ごわ゛がっだぁぁぁぁ~~!」
「いや、あんたの方が怖いわ‼」
いつもの温厚な母の姿がそこにはあった。だが先ほどの様変わりした雰囲気。別人かと思うような冷めた口調。以前父さんが話していた学生時代こと、『氷結の令嬢』の意味がよく理解できた。
さらにこの母親の二面性は何処かの誰かの顔を思い出させ、どうしてもほくそ笑んでしまう。
「何笑ってるんですか!」
「いや、別に」
拗ねたように目を腫れさせた母さんがいじける。
現在は夕方四時。あのECTから次の日になる。意識を失ってこの病院のベッドに運び込まれてから母さんは付きっきりだった。
少し前まで母さんが剥いたお見舞い食御用達のりんごを二人で穏やかに食していたところに現れたのは、そのスーツに国会議員バッチを光らせた涼の父親である
政界に名を連ねるその男はその
このタイミングで病室の扉が開かれた。全く接点のないもの同士の二人が入ってくる。可憐と父親だ。父親は仕事を早く切り上げてお見舞いに来たのかスーツで、可憐は学校帰りに寄ってくれたのか制服のままだ。
「し、失礼します?」
可憐の語尾が疑問形になってしまったのは息子に抱きつく母さんを目撃して、入ってもいいかの問い掛けがゴチャ混ぜになったのだろう。そんな困った様子の可憐に気を遣い、父さんが軽く咳払いして離れるようにと、母親に目配せしていた。
「すみません。お見苦しいところを」
父さんがそう言って可憐に詫びる。母さんもすぐに離れると身なりを整え、何事もなかったように近くにあったパイプ椅子に座る。切り替えはえーな。
「い、いえ。ご家族が怪我をされてお姉さまが心配になさるのは当然の事ですので」
動揺から復帰した可憐はさっきまでの光景に対して取り繕う。
が、取り繕った内容はどうやらさらに勘違いを生み、母さんの顔が照れ顔になると「まぁ……」などと言って右手を頬に置いて感銘を受けている。おい、喜ぶんじゃない。だが、このまま姉にしておくことを俺は許さない。いずれボロは出るのだ。隠す意味がない。
「いや、姉ではなく母親なんだ」
「え、そうなんですか⁉ し、失礼しました!」
盛大に顔を真っ赤にして可憐が頭を下げる。いやいやそこまでしなくても。
「どうしてフミくんは本当のことを言うんですか! お母さん悲しいです!」
「隠す必要ないでしょ!」
「女性は常に若く見られたいんですぅー」
軽く頬を膨らませて反論する母さん。充分若作り出来てるからもう良いだろうと言いたくなったが、そこはぐっと言葉を飲み込んだ。これ以上の親子喧嘩はみっともないし不毛だ。
「あんまり大きな声を出すと傷に響くぞ史弥」
父さんに忠告されて自分が怪我人である事を再認識する。人というのは指摘されると気になっていなかった事を意識してしまい感じてしまう節がある。俺は言われて痛みを思い出し右肋骨に疼痛が走る。
「ッツ、肋骨が……」
「言わんこっちゃない。肋骨が折れているんだから、あまり大きな声を出さないほうがいい。もちろん抱きつくのもな?」
「はい……」
父さんに叱られてシュンとする母さんはまるで叱りつけられた子供のようだ。その様子を少々呆気にとられて可憐は見ている。
「すまない可憐。うちはちょっと騒がしい家族なんだ」
俺に言われた可憐は首を横に振る。その表情は心成しか少し楽しげなものへと変わっていく。
「ううん、そんな事ないよ。家族想いで楽しくて良い家族だよ。史弥くんがそういう性格になったのも少し分かった気がする」
さらに小さな影が父さんの後ろから現れる。少しポップな服装に身を包んだ我が妹の美愛だ。ベッドに横たわる兄に近寄ると、
「おにぃちゃん怪我は大丈夫……?」
純粋で真っ直ぐな瞳が心配そうにこちらを見つめていた。
少し痛む肋骨を堪え、作り笑いを浮かべて俺は答える。もちろん可愛い妹に不安を掛けない為に。
「大丈夫だよ美愛。おにぃちゃんこんなのへっちゃらさ!」
左手に拳を作りガッツポーズを軽く作る。今の動作で右肋骨に痛みが走ったがそこは可も不可もなく乗り切った。
「ほんと? 美愛、お兄ちゃんが家に帰ってくるの待っているからね……?」
「……あぁ、また家に帰ったら勉強見てやるからな」
そうやってベッドから届く距離にある小さな美愛の頭を軽く撫でるとまるで猫のように幸せそうな表情を浮かべて頭から伝わる兄の人肌に美愛は身を任せる。
そしてなぜかその光景を凝視する可憐。しっかりとその視線を美愛の頭に置いた俺の手を捉え、目を離せずにいる。
「どうかした可憐?」
「ううん、何でもないですよ」
何処かその視線には物欲しげで羨ましそうなものが混在となっているような気がしたがきっと気のせいだろう。そんな機微(きび)にまだ付き合いの浅い俺ではさっぱり分かる訳もない。
「そういえば史弥。こんな可愛いお嬢さんと友達になったなんて、父さんビックリしたぞ」
父さんがそう言って可憐に好奇心の目を向けると俺へ目線を戻す。年頃の高校生である俺に不敵な笑みを受かべて、「なかなかお前もやるな」と目線で送ってきたのは可憐には秘密だ。やめて、そんなんじゃないから。
「可憐と一緒に入って来たけど、さっき知り合ったの?」
とりあえずはぐらかして話題転換に努める。
「あぁ、さっき病室の扉の前で立っていてね。どうも病室の前をグルグルしているものだからこんな可愛い女の子がどうしたのだろうと声をかけたら史弥の友達だと言うから案内したのさ」
そう言われた可憐は耳を真っ赤にしているように見える。どうしたのかな? 俺と友達嫌でしたか?
だが先ほどまで鈴原剛三郎氏が先に入室していた事を思い出し、先客が退室するタイミングを計っての行動だろうと察する。
「さっきまで別の人が来てたからそれで待っててくれたんだよ」
端的に父さんに予想の説明をしてみる。だが父さんは珍妙な面持ちになり、疑問を口にする。
「病室から人が出て行った後の事だと思うがな……?」
「? そうなの?」
ここで母さんが声を上げてこの場にいる全員に聞こえるように話し始める。主に父さんに対して。
「お父さん。ちょっと大事な話があります。少し病室を出て落ち着いた場所で話したいのですが、良いですか?」
「あぁ、急だな母さん。分かった。じゃあ史弥、父さんは席を外すから。来たばかりで悪いな」
急な退出を促された父さんは自分が行っていた思案から引き離され、退室することになる。
「あと美愛ちゃん。お母さん達と一緒に行きましょう。お兄ちゃんの傷に障るからね?」
「うん、分かった!」
そう言った母さんは父さんと美愛を半ば強引に病室の外へと連れて行く。
「可憐さんはゆっくりしていってね?」
ここで美愛は外へ連れ出し、可憐は残す矛盾を残していく。そして可憐に意味ありげなウインクを送ると出て行った。可憐はその母さんのシグナルに気付いて耳から顔までを赤らめていく。ゆっくりと病室の扉は閉まり、俺達二人だけが病室に残される。
「行っちゃったな」
「行っちゃいましたね」
突然の静けさが二人しかいない病室に満たされる。静かになったことで窓越しから伝わる外の
「…………」
「…………」
微妙な間が流れる。
「あのさ」
「あの……」
同時に切り出した会話が重なりまた更に沈黙してしまう。とりあえずこのままでは良くないと俺は再度口火を切る。
「可憐、その、せっかく来てくれたのに立たせたままじゃいけないからまずはそこに掛けて?」
とにかく立ったままでは客人に失礼なので俺はベッド脇のパイプ椅子に腰かける様に促した。可憐は何処か申し訳なさそうに移動してスカートを降りながらパイプ椅子に腰掛ける。
座った可憐はそのまま伏し目がちに俯く。何か罪悪感に捕らわれた顔色をしている。
そんな彼女は一拍置くと感謝と謝罪を口にしていた。
「……史弥くん、最後私を庇ってくれてありがとうございます。私も憐可も油断してました……。ごめんなさい」
ポツリと自信なさげに何処か申し訳ない様子で言葉を紡いでいた。お見舞いでわざわざ様子を見に来てくれた友人からでた意外な一言に俺は驚いてしまう。なぜなら助けられたのは逆だから。
「なんで可憐が謝ってるの。助けられたのは俺の方だよ? むしろこの怪我だってこの程度で済んだのは可憐のおかげなのに」
「でも最後、史弥くんが盾になって反撃してくれなかったら私……」
「当然だろ。庇うのは」
可憐の言葉を遮るように制して俺は強い口調で伝える。
「と、当然なんですか……⁉」
なぜそんなに驚くのかはよく分からないが。
すると可憐は目を大きく見開きカッと顔を紅潮させたかと思えば、だんだんその目尻が僅かに潤っていく。
「それに実際、俺は当たらなかった。可憐……あの場合は憐可が涼を痛めつけておいてくれたおかげだよ。涼がボロボロになってなかったら目の前で消滅せずに
起こった事実を可憐に伝える。
病室で目を覚ましてからたどり着いた結論。
あの時の
でも正直、どれも納得できる理由になっていない気がしていた。気絶したタイミングは俺がとどめの一撃を入れてからだ。明らかに直撃するまで意識を保っていた。反撃もしようとしていた。それにあの謎の感覚。
……だけど、今は何だって良い。可憐の肩に乗っている罪の意識が少しでも軽くなる口実になるならそれで良い。その為なら理由はいくらでもつけてやる。
この友人で美少女の曇った顔が晴れるならそれで。それに可憐もその優しさに気付いていないわけではなさそうだ。
反論を上げようとした可憐の口がへの時に結ばれ、
「今は掛けて欲しい言葉は違うかな。ごめんなさいやありがとうじゃなくてさ」
俺は可憐に謝罪や謝礼以外を求める。可憐は少し首を傾げて悩むと、付き合いがまだ短い彼女は何を求めたのかが分からずにいる様子だ。そんな可憐にヒントを放り込む。
「ヒント。疲れた人や頑張った人へ贈る言葉」
不敵な微笑を浮かべて俺は言った。彼女はさらに悩んだがハッとした表情で答えにたどり着くとゆっくりと口にした。
「お疲れ様、史弥くん」
「可憐もお疲れ様」
可憐は目尻に溜まりかけた雫をその手で軽く拭うと微笑んでいた。
それからは何の気も遣わずに談笑に勤しんだ。普段学校で話せないことも、時間を気にせず、色々話した。日もだいぶ落ち、他愛もない話に興じた可憐は病室を後にした。
病室を可憐が出る時に、これから長い付き合いになるような気がする、そんな予感が胸に到来していた。
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