【EAの壁】 (4)
幾つかあるトレーニングルームの一つで、トレーニングウェアに身を包んだトレーナーと俺はリングの上で組手を行っていた。お互いの頭部は保護用のヘッドギア、両拳にはプロテクターが装着されている。逆にそれ以外保護具は装着されていない。周りにはジム生が十数名程見物している。組手風景は独特で対するトレーナーは俺に対して繰り返し激しく
「良いぞ史弥! 己を空にしろ! 型をなくせ、型をはっきりさせるな!」
今、組手をしている俺の表情は一体どんな顔をしているのだろう。正直分からないがまさに無なのだろう。自分でも恐ろしいくらいに落ち着いて何も感じない。トレーナーからも何を考えているのか悟れていないようにみえる。でも空気感は殺気立っている。周囲のギャラリーも真剣に覗き込んでいるのが分かる。
「正しいか間違っているかなど考えるな! 敵が繰り出す次の一手に集中しろ! 攻撃から目を逸らすな! 捉え続けろ!」
そう言ったトレーナーが拳を振り抜き完全に見切っていた俺はその掌で払った次の瞬間、左足を対面するトレーナーの右膝窩部へ振り抜き、片膝をつかせた。同時に前のめりの態勢になった瞬間にトレーナーの頭部めがけてアッパーを繰り出す。トレーナーは不意に態勢を崩され、前のめりになった勢いをも利用された一撃に後ろへ反り返るように吹き飛ばされる。
「かはっ……‼」
周りにいたギャラリーが驚きの声を上げた。でも俺は気にも留めない。
倒れたトレーナーはすぐに起き上がるとふらつくことなく復帰する。
俺は気付いていた。トレーナーが拳をその頭部に受ける寸前で身を引いて勢いを殺したことに。当てはしたが、本来の威力が伝わらなかった。
伊達にこの武術、ジークンドウを極めていないなと思い知らされる。ジークンドウとはカンフーの技術にレスリング、ボクシング、サバット、合気道、柔道などの幅広い技術を取り入れられた武術の事を指す格闘技だ。
「ふぅ……、今日はここまでだな」
俺は半身の構えを解くと軽く一礼する。
「杉田先生、本日もありがとうございました」
杉田先生と呼ばれたトレーナーは近づくと、俺の左肩にその右手を置いた。
「さすが史弥。もう俺から教えることなどないな。上達はお父さんより各段に早いし私を超えているのではないかとさえ思ってしまう」
杉田先生は額に汗をかきながらニコやかだった。嫌味な感じはなく、本音でしっかりと話してくれている気がした。このジムに通って俺は五年になる。この武術は常に修練を教訓にしている。何せ “人生は修練”を信条にする武術なのだから。故に到達点はない。だが経験や修練の差は間違いなく存在する。
その点を踏まえれば自分より圧倒的に杉田先生の方がこの武術で積み上げてきたレベルは違う。そんな自分が先生を超えたなど到底思えない。
「そんなことないです。自分はまだまだですよ。先生の足元にも及びません。最後に入った拳、先生受け身取ってましたよね?」
「やはり見抜いていたか。まったく、史弥の見切りには目を見張るなぁ。そこまで出来て足元にも及ばぬとは、謙遜もいかんぞ」
杉田先生と俺はそのままリングから降りるとリング脇に置いてあったお互いのスポーツドリンクを飲む。
「史弥。そういえば君ともう一度手合わせしたいと色んな人達から声が掛かっているぞ。ナイフ術のインストラクターや柔術の使い手にそれから……」
「も、もう大丈夫です先生」
苦い思い出が蘇る。彼らは杉田先生のコネクションで知り合った各界の戦闘インストラクターだ。鍛えてくれるために紹介してくれた練習相手であり、非常に勉強になった。杉田先生の知り合いだから猶更だ。でもこの心労がかかる時期に荷が重すぎるので俺は聞くのを断念してしまう。
「と、とりあえず今は全部保留で」
「そうか、先方も残念がるだろうな。久々に骨のある相手と会えなくて」
「そ、そうですか」
俺は嫌な汗が額から噴き出るのを覚える。万全の状態でなければとてもじゃないが向き合えない猛者ばかり。鍛えてもらってる身で言えたものではないが、今は無理だ。肉体以上に心が折れてしまう。
「最近、お父さんは元気かい?」
「はい、元気にしてます。仕事の関係で中々、杉田先生の所に顔を出せて無いですよね?」
「そうだな。最後にお父さんと手合わせしたのが……、何年前になるだろうか」
顎に手を当てながら思案している杉田先生を見れば、いかに長い年月が経っているかが分かる。
「また杉田先生が顔を見たがっている事を伝えておきます」
「そうしてくれ。たまには顔を出せとね。そういえば新しい学校はどうだね? 上手くいっているかい?」
急な話題転換と答えづらい質問に俺は言葉を詰まらせる。正直上手くはいってない。あ、でも可憐と知り合えたからアレはアレでプラス査定かも。
「……うーん、そうですね。ボチボチというところですか」
でもやっぱり本心では上手くいってないと思うからあまり心配を掛けたくないので曖昧な反応をで返すことにした。どう考えたって上手くいってないもんな。
「そうか、ボチボチか」
微妙な返事から杉田先生も察してくれたのかあまりこの話題を広げようとしない。稲沢高等学校へ進学したことも、そこがニューマン専用国立学校であることも杉田先生は知っている。俺が伝えているから。さらには自身の能力が未だに分からない事も。そんな複雑な立場で通っている自分に対して心配して親気に掛けてくれているのだ。この話題から、頭から忘れさせようとしていた今日のECT概要説明後に人形へ摸擬戦辞退を進言したのを思い出す。能力がない自分は摸擬戦を行う意味がないと説明したが受け入れられるどころか強く参加を推薦されていた。人形が推薦した理由は三つ。
一つ目は第一に安全であるから。チョーカーを使用している時点で規定値まで必ずEAによる攻撃が防げる。その参加自体に危険は付きまとはない。
二つ目は参加に伴い、摸擬戦を行う事で未だ発現していない能力が開花する可能性がある点についてだ。講義でも話していたが摸擬戦というストレスが俺にかかると強い感情変化が生まれ、発現に繋がるのでは、と人形は考えたのだ。要するに怖い思いを味わって来いという意味だ。
三つ目は勝機だ。摸擬戦は基本的にチョーカーで発生したフィールドを削りあう戦いがメインだ。だが必ず削らなくとも勝利する方法はあった。それは対戦者の制圧及び拘束だ。使用するECT専用スーツは徒手格闘においてもその機能を遺憾なく発揮する。主に衝撃を吸収する構造によって殴り合いや転倒による外的要因などの負傷はほぼ発生しない。悪くて軽い脳震盪くらいだろう。その為、相手の懐に飛び込み、徒手格闘による攻撃を加えられる。柔道等の寝技で制圧や徒手格闘で戦闘不能に追い込めれば、モニタリングしている教師陣が判断し、試合終了となる。
しかしそのハンデはあまりにも大きい。正直気後れする原因だ。こうやって武術を嗜み、抗う術を持っているから辞退せずに済んでいる。奇跡を起こせる能力と呼ばれるEAが相手では人の域を出ない自分の技術でどうにも埋められないものがある。ましてや接近戦に持ち込めなければ勝機はない。不運にも今回の対戦相手は入学時に一悶着あった鈴原涼だ。恐らく容赦なく攻撃を加えてくるだろう。有する能力は不明だが、入学時にあいつは炎を右手から立ち上らせていた。つまり火を扱う何かの能力を持っている。それ以外は全く分からない。どういった攻撃に転換できるのか、有効範囲、距離、何もかもが分からない。まさに情報不足もいいところ。
ふとここで俺は信頼できる恩師に明日の事情を話したくなった。先生なら何かアドバイスをくれるような気がしたからだ。
「杉田先生。実は……」
俺は明日行われるECTと入学式の件や対戦相手についてすべて話した。
「……ふむ。そんなことがあったのか」
話しを聞いてくれた杉田先生は少し思案した表情をしていた。真剣に考えてくれている事が伺える。
「史弥。私から言える事は二つある。一つ目はアドバイス。二つ目は君の考えに一つ誤りがある点だ。まず先に誤りから指摘させてもらおう。君の相手をするのは誰だ?」
「それは鈴原……」
「違うそうじゃない。根本的な事を聞いている」
「……相手は人です。あっていますか?」
「合っている。そう、相手は人だ。君は相手が奇跡を起こせる力を有した、人を超越した存在と捉えている節がある。それが間違いだ。良いか史弥。その能力を使用しているのは人間だ。故に人の域は出ていない。その能力を生かすも殺すもその人物次第だ」
杉田先生は過去を思い出すようにゆっくりと深く明瞭に続ける。
「経験則から言わせてもらう。その異能力を優れた武器・飛び道具に例えて話そう。結論から言うに優れた武器・飛び道具を使えば百戦練磨ではない。適切な運用・戦術・応用を行って、初めて遺憾なく力を発揮するものだ。それを取得した者達を人は “達人”と呼ぶ。だが史弥から聞くに、その男は自身の能力に過信した言動、態度が伺えた。違うかな?」
「自分もそう思いました」
「ふむ、ではここからはアドバイスだ。そこを上手く突くのだ。私が伝えれるのはここまで。それ以上の対処は自分で考えるのだ」
そう言った杉田先生はこの場を去ろうとする。去り際、言葉を残す。
「勝てるさ。異能力などなくとも強靭な精神力と経験に裏付けされた武術。それに能力が人の全てではない。史弥の強さは目に見える所以外に沢山ある。それが意外な結果を生んだりする。最後に君は私の自慢の教え子だ」
純粋にそう言ってもらえたことが嬉しかった。気付けば俺は深くお辞儀をしていた。
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