EP - 06  始動

「ん…」


 枕元まくらもとの時計は午前6時17分を表示している。衝撃しょうげきのお寿司食べすぎ事件から一週間が過ぎた日の朝、うでの中では白髪の女の子がまだ寝息ねいきを立てている。今日は珍しく私の方が早く目が覚めたみたいだ。


 特に急いで起きる予定があるわけでもないので、ぼーっとしながら白髪をでる。まるでシルクみたいなさわ心地ごこち。体温も私より高いみたいで、この時期だと湯たんぽがわりにちょうどいい。あまりにも抱き心地がいいので、起きたときには私の抱き枕になっていることが多い。最初はソファで寝ると言っていた彼女も、いつの間にか夜寝るときは私のとなりが定位置になっていた。


 寝るという行為もノアにとっては新鮮しんせんなものだったらしい。今までのスリープではなく、外部からの強制きょうせいシャットダウンに近い感覚で、本当はこのまま機能停止きのうていししてしまうんじゃないかと不安があったという。今でもたまにパジャマのすそをぎゅっとにぎってくるあたり、まだ少し慣れていないのかもしれない。


 そんなノアもさすがに体の特性とくせいがつかめてきたようで、食べ過ぎて動けなくなることも、いきなり寝てしまうようなこともほぼなくなった。っていっても、私にたよりっきりの生活なのはあまり変わっていないけど。


 そうそう、食事に関してはノアにも好ききらいがあった。からい物やにがい物は今のところあまり好きではないらしい。それからっぱい物もだめ。でも炭酸飲料はなぜか飲めた。そのへんは機械の特性とくせいとかもかかわってくるのかもしれないけど、ほかに食事をする機械人を知らないから分からなかった。

 カレー、唐揚げ、ラーメン、寿司はお気に入りみたいだったし、ハンバーガーみたいなジャンクフードも好んで食べていた。あとは甘いものも全般的ぜんぱんてきによく食べた。ケーキを1ホールほぼ丸ごとたいらげたときはさすがに心配したが、本人曰ほんにんいわく「高カロリーは正義」だそうだ。そのあとソファでおなかを抱えて丸くなってたけど…


 白髪の毛先をくるくるいじって遊んでいたら、ノアがもぞもぞし始めたので抱き枕のにんいた。


「あ、ノア、おはよう。体の調子はどう?」


 ノアは2、3度、まばたきをしたのち、すぐに起き上がった。目覚めに関して言えば、機械人の方が圧倒的あっとうてきにいい。起きてすぐいつも通りの活動レベルに持って行けるらしい。うらやましい限りだ。


「おはようございます…レイナさん。体調はばっちりです。この体にもだいぶ慣れてきたと思います。この分だと、もうそろそろ走りにいけるかもしれないですね」


「走る…って、飛脚⁉」


 ノアと過ごす日常が新しい発見ばかりであまりにも楽しいから忘れかけていた。彼女はもともと、私と一緒にSPEEDSTARに出場するべく家族になったのだ。フッと体のしんが熱くなるのを感じる。


「あ、ちょうどいいじゃん!今夜ちょっと走りに行こうよ‼」


「いいですね、新型のギアの慣らしもしたいですし…あ、その前に一つお願いがあるのですが」


「なに?」


「実は、この体になってからどこを探してもネットワーク接続用せつぞくようのハードウェアが見当みあたらないんです。前の体では、まあノイズがうるさいのでほぼカットしていましたが、一応通信機能自体は搭載とうさいされていたはずなんですが...」


「それに関しては、Ctシリーズから搭載しない形になったんだとよ。あと、おはよう二人とも」


「あ、お父さん。おはようございます」


「おはようパパ」


 パパが私たちを起こしに部屋にやってきた。なんていうナイスタイミング…


「それで、どういうことなのですか?スタンドアロンとはいえ、私たち機械人は一応電子庁の新世代アップデートのほか、緊急災害時用きんきゅうさいがいじようパッチなんかはいつでも受信できるようにしないといけないはずですが…」


「そうだよ、機械人はみんな回線につながらないと死んじゃうんじゃないの?」


「レイナ、別にそういうわけではないよ。ただ、Ctの場合は少し特殊とくしゅらしい。なんでも、環境適応かんきょうてきおうなどに関わる部分は全部PECとかいうものが内蔵ないぞうで処理することになってる。PECは説明によると自己進化型ソフトウェアを走らせるためのハードウェアアクセラレーターとかなんとか…と書いてあったが、要するに回線につながらなくても問題ないそうだ」


「はぁ…つまり、今後ドライバのアップデートなんかは必要ないということですか?」


「そういうことらしい。しかも、中央コンピュータ群との直通回線を持たなくてもよくなったから、実行力じっこうりょく抑制よくせいの制限がはらわれて単体の処理スペックはおそろしいほど上がってる。Astexの主張では、この世界で起きることで人間が対処たいしょできる程度のことはCtシリーズでも対処できる、人間と同じくらいフレキシブルな処理能力をもってるって書いてあった」


「それってつまり、頭がいいってこと?」


「まあ、そういうことなんじゃないか?」


 実行力の抑制。機械人は、機械知能きかいちのうが何らかのエラーを起こしたときに、実行力をともなって現実世界に影響えいきょうおよぼしてしまう。これにより大きな被害が出るのをふせぐため、機械人のスペックにはある程度の上限が設けられているというのは中学の社会の授業で習うことだから、みんな知っている。でも、今のノアは、その上限をはるかにしのぐほどスペックが高いということらしい。こんなにかわいいのに頭もいいって、反則じゃ...


「それに、ノア、前の機体と比べて自分の体を隅々すみずみまで把握はあくできなくなっていると感じることがあると思う。食べ過ぎたりするのもそれが原因だと思うが、結局のところ全部専用のハードウェアが受け持ってるからということだ。心配する必要はないよ」


「そうですね、言われてみれば自分が直接ハードウェアにアクセスできなくなっているみたいです。あまりに自然に動けるので考えたこともなかったですが、よく考えたら機械人が食べすぎるのはおかしいですよね。いきなり眠くなってしまうのも…自分の体の状況を自分で把握はあくできない機械人って何なんでしょうね」


「ま、かわいいからいいんじゃない?」


「そうですかね、まあ…じゃなくて、お願いしたいことがあるんでした」


「なに?」


「さっきの話とも一応いちおう関連かんれんあるんですけど、私は今、通信機能を一切持っていないので、レイナさんやお父さんとはなれた状態で連絡れんらくを取る手段がないんです。なので、なにか通信用端末があるとうれしいな…と」


「あ、そっか。ケータイいるよね」


「ケータイか。あまってるやつもあるにはあるが…せっかくだから好きなのを買ってくるといい。回線は家で契約けいやくするから、端末たんまつだけでいいぞ」


「ありがとうございます。あ、あと今晩こんばん少しレイナさんと走りに行こうと思うのですが、ギアの方はどうですか?」


「お前のSAKURAに関してはおのぞみ通り、前後エアサスのリアドライブ、フロントブレーキで組んである。しかしお前、ほんとにあんなのあやつれるのか?」


「体も変わってるしギアも変わっているのでためしてみないことには何とも言えませんが、前のHIMAWARIより軽くなってる以外は同じ感覚で走れるのではないかと思っています」


「ねえねえ、それって何馬力くらいでるの⁉」


定格ていかく60馬力ばりきくらい、システム最大が120馬力行くか行かないかくらいなんじゃないか?でも、お前は絶対乗っちゃだめだぞ。こんなあばうま仕様しようのトップハッピーマシン、絶対後ろにひっくり返って頭打つのが目に見えてる」


「そこまででもないですよ?慣れてしまえばテールスライドはしやすいし、加速だってトラクションをかけやすいのでフロントドライブよりなめらかに走れるんです」


「そりゃお前がすごいからだろ、普通の人間はそうはいかんと思うが」


「さすがノア…リアドライブは一緒に走るの初めてだからどんな走りするのか楽しみ!」


「あ、そうだ。走りに行くなら機体変更きたいへんこうしちゃったから免許もちゃんと更新してこい。SPEEDSTAR Recordsの選手登録更新せんしゅとうろくこうしんも忘れるなよ」


「あ!忘れてた‼」


「なにを?」


「SPEEDSTAR参戦申込期限さんせんもうしこみきげん、今月末じゃない⁉ノア、今期の順位は⁉」


「ああ、そうでしたね…私はあの状態でしたので、今期もどの種目にも挑戦できていません。失念しつねんしていました…」


「私もあと2位分トップスピードアタックでかせがなきゃいけないし…」


「まずいな、レイナはリミッターの解除かいじょでどうにかなるとしても、ノア、お前は…」


「体もギアも変わってしまいましたからね。しかもSPEEDSTARには長らく挑戦できていないので、ブランクは相当そうとうあるものと考えていい。短期間で現代の競技きょうぎレベルまで持ってこれるかどうか…」


「冷静になって考えたらまずいんじゃ…」


「レイナさん」


「何?」


「レイナさんはもう学校終わってますよね」


「そうね、一応もう休みには入ってるけど…」


「じゃあ、ロングランいきませんか」


「いきなり!?」


「いや、実際じっさい慣らしはそっちの方が早いんです。そうですね…富士箱根周遊ふじはこねしゅうゆうなんてどうでしょう」


「まじで⁉」


「キャンプ込みの一泊いっぱくで」


「おいおいノア、さすがに初手しょてから飛ばしすぎじゃないか、それ…」


「正直、往復おうふくで500㎞も走ればさすがに昔得意だったヒルクライムとダウンヒルくらいは使い物になるかと…それに、箱根、伊豆は初心者向きのとうげ豊富ほうふですからね。なによりも温泉が…」


「ノア、それ、温泉はいりたいだけじゃないの…?」


「いえ、決してそういうわけではないですが…いや…はい。そうです。温泉というものに入ってみたいです…」


「正直でよろしい。ただし、キャンプは我慢がまんしてくれ。慣れない状態で積載量せきさいりょう増やすと、お前はともかく、ギアがどうなるかわからん。あと単純たんじゅんに、女の子二人だけでのキャンプはまだ少し心配だ」


「ということは、パパ、行ってきてもいいの?」


「せっかくギアも体も新しくして、レイナのやつだってサスペンション変えて、電源変えて、モーターもブレーキも変えてるんだから試してみたいと思うのは当然とうぜんだろ。気を付けていってきなさい」


「まじ⁉やったああああ‼いつ行く⁉今日⁉」


「さすがに今日は無理ですよ。免許の更新もありますから。しっかり準備して、明日の朝出発を目指しましょうか」


「いえ――い伊豆!!何食べる!?どこ行く!?なにあるんだろ…」


「盛り上がるのもいいが、とりあえず二人とも、ご飯を食べてしまいなさい」


「はーい」


「わかりました。レイナさん、後で少し観光かんこうスポットでも調べておきましょうか」


「おいおい二人とも、走るのが目的なんじゃなかったのか…?いや、まあ安全に行って帰ってきてくれればいいか。あ、ついでに一つ言い忘れてたが、一週間後、母さんが帰ってくるみたいだ。一応ノアは心づもりだけしておいてくれ」


「あ、やっと帰ってくるんだ。今回も長かったねえ…」


「どうせまたすぐ飛び出していくと思うけどな」


「あの、お母様はなにをやられているのですか?」


「ああ、言ってなかったな。母さんは、一応海外でいろんなレースの取材に回ってる、いわゆるレースジャーナリストってやつだな」


「6か国語くらいしゃべれるんだよ?私は全然わかんないけど」


「それで、基本的にほぼずっと海外にいるんだ。こうしてオフシーズンにたまに帰ってくるくらいだよ」


「なるほど…」


「あ、あともう一つ忘れてた。今度少し大口おおぐちのスクーター整備の仕事が入ってるから、箱根から帰ってきたら手伝ってもらっていいか?」


「りょうかいー」


「わかりました」


「うし。じゃあ伊豆は存分ぞんぶんに楽しんでくるように!」


「はーい!」


「はい!」


 やっと、やっとだ。忘れてたなんて言っても、体は覚えてた。エンジンの振動、サスペンションの感触かんしょく、なによりあの圧倒的スピードの世界。思い出すだけで心拍数しんぱくすうね上がるのを感じる。しかも、今は一人じゃない。


 高ぶる感情をおさえつつ、ノアを押して朝食の並んだ食卓しょくたくに向かったのだった。

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