働かざる者、食うべからず



影浦嶺樹かげうられいきさんですね。それでは面接を開始します」


 真ん中の面接官が両手を机の上で組んだ。僕はさんざん見たマナービデオの通りにお辞儀と着席をし、最初の質問を待った。面接官は三人。左からメガネの気弱そうな男、肌がツヤツヤの若い男、絶え間なく熱心にペンを走らせている白髪の男。

「まずお聞きしたいのは、どうしてうちを志望したか、です。食品会社は他にもたくさんありますよね。どうして、その中でもうちを選んだんでしょう?」

 僕は機械的に答えた。

「それはもちろん、御社には、他の会社とは決定的に違う点がありますから」

「それは、具体的にどんな点かな?」

「お聞きになるまでもないのでは? 僕が言っているのは、ソイレントのことです」

 真ん中の面接官はずっと真面目で硬い表情をしていたが、僕がソイレントという言葉を出した途端、少し顔をほころばせた。

「ま、そうですよね。これは愚問だったかな。みんなそう言うし、こっちもそう言われることを知ってる。正直もうこれは、あくまで形式上の質問になってきちゃってるんですよ。すみませんね。だから本題はここからなんですが……影浦さん。あなたは弊社のソイレントという製品について、どれだけのことを知っていますか?」

 男の肌は不思議なくらいにツヤツヤしていた。まるで赤ん坊の肌のようにしっとり滑らかで、ほんのりと薔薇色に色づいている。僕は答えた。

「まず、その名前ですね。御社は大胆にも、人口爆発と飢餓をテーマとしたSFに出てくるアイテムから製品名をつけました。それは全く意図的なものであったと、初代社長は語っていらっしゃったとか」

「ええ。よくご存知ですね。そのことを知っている学生さんは多くありません……そこまでご存知なら、元の作品も知っていますね?」

「ええ。『人間がいっぱい』でしょう」

「素晴らしい。もしかして、お読みになったことがある?」

「はい」

「そうですか! いやあ、今年は優秀な学生さんに会えて光栄だな。初代社長の意図がどんなだったかは、わかりますか?」

「飽食と食物の大量廃棄をやめない民衆への警鐘。そして、自ら嫌われ者になる覚悟を見せるため」

 メモを取っていた白髪の面接官が、ぴたりと動きを一瞬止めた。そして、また書き続ける。メガネの面接官は感心したように息を吐く。真ん中の面接官は「すごいな」と軽く拍手をした。

「ここまで調べてきてくれる学生さんというのは少ないですよ。いや、本当に。会社の設立当初のことというのは、いわば会社の存在理由……アイデンティティに直に繋がってきますからね。こちらとしても、とてもありがたいし、嬉しい限りです。ありがとう」

「とんでもない」

 面接官は軽く会釈して続ける。

「初代社長は、自分や自分の会社が嫌われてでも、世の中に伝えたかったんですよ。このままわがまま放題の暮らしを続けていたら、そのうち合成食品まがいのものを食べることになるぞ、とね。その潔さが逆に英雄視され、大衆からの人気を呼び起こし、弊社をここまでの一大企業にしたんですがね……」

「今では世界各国の政府にも協力しているんですから、すごいことだと思います」

「ええ。ソイレント・シリーズの中でも、政府に要請を受けて作ったソイレント・ブラックは特に製造・研究に力を入れています。影浦さん、あなたは人間をソイレントにすることをどう思います?」

 僕は一度、大きく深呼吸をした。めまいがしそうなのを堪え、血が沸騰しそうなのを抑えて、言葉を発する。

「『日本人は、とかく優しすぎる』。御社の方が、以前説明会でそうおっしゃっていましたね」

「ええ」

「『人が人を食べることは、新たな勇気であり、優越の証であり、文化だ』とも」

「その通りです」

「『ソイレントには人を幸せにするあらゆる物質が含まれている』。これは、全国CMの有名なうたい文句ですね」

「はい」

「いい加減にしろ」

 僕が椅子から立ち上がっても、面接官は特に驚きもせず、騒ぎもしなかった。僕は声高に続きを言う。

「国民全体の記憶の改竄と、情緒の操作。それがあんたのとこの会社の売り捌いてるゲテモノの本当の目的だ。そうだろう? 就活に失敗したダメ人間を食品にするっていうのは、ただの口実に過ぎない。実際は、ソイレントの記憶や情緒に作用する成分が効かない特異な遺伝子を持った人間を、そうやって少しずつ見つけ出しては消してるんだ」

 メモ魔の面接官は相変わらず書き続けている。メガネの面接官は手元の書類を憂鬱そうに眺め、赤ん坊のような肌の面接官は「そうですね」と両手を組み替える。

「95パーセントほどは正解です。ソイレント・ブラックにはそういった遺伝子の方々と、そして重度の知的障害の方々の肉体をわずかに使っているんです。初期の不出来なソイレントの副作用で障害者が増えたもんだから、福祉費がいくらあっても足りないらしくて。ねえ影浦さん。記憶ってものは妙だと思いませんか? もし歴史的な文献や権威のある書類に『Aが正しい』と書かれていたとしても、今生きている自分や周りの人々全員が『Bが正しい』という記憶を持っていたら、真実は確実にBということになってしまう」

 面接官は履歴書に目を落とす。

「あなたの遺伝子が特殊だということは知っていました。家族はほぼ全員、ハロワ行きか、または社会に適応できず精神科病棟で薬漬けになっているそうで。子供時代からさぞ苦労なさったでしょうね。でもね影浦くん、あなたは、真っ当に生きていけるだけの適応力を身につけているじゃないですか。持ち前の賢さと思考の柔軟性。正気でいながらにして、狂気の世界に溶け込める強靭な精神力。それをむざむざ捨てることはありません。うちに来て、あなただけでも幸せに暮らしましょうよ。そうしたって別にご家族への裏切りにはなりません。ご家族だって、自分のせいで子供が苦労しているなんて知ったら、自責の念に駆られるだけですよ」

「嫌だね」

 僕は家族になんの感情も持っていない。それくらいは調べておくべきだ。もともと同じ対等な存在としてさえ見ていない人間を、身勝手にも雇おうなんて思うのなら。

「そうですか」

 例の恐ろしい笑顔が僕を見た。面接官たちのまるで同じ空虚な笑み。お前の異常行動なんてこの健康な心にはなんら影響を及ぼさないのだ。そう示すためだけの、虫酸の走る微笑。僕はスーツの内側から小さな物体を取り出した。ずっとずっと、この日のためだけに用意した特注品。


「僕を食いたいなら、必死こいて内臓掻き集めて、床や壁の隙間に挟まった肉をほじくってでも食うんだな」


 この世界は美しかった。どうしようもなく壊れていても、崩れていても、魂を持った人間の心を通した世界はいつだってどこかに美しさを宿していた。昔の本や映画や芸術作品でそれを知ってしまってから、僕はどうしても捨てられなかった。自分の記憶を。彼らと同じ世界を。会ったこともない誰かが見たのと同じ輝きを宿す、この絶望だらけの最低な世界を。

 面接官たちは菩薩のような笑みを貼り付けたまま、アンサンブルのように揃って滑稽な悲鳴をあげた。僕は実に久しぶりに心からの笑い声を上げながら、手榴弾のピンをシャンパンの栓のごとく景気よく抜いた。

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ソイレント・ブラック 名取 @sweepblack3

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