11-4

「あの森は私たちだけの物じゃない。カウリのは私たちの生まれる何百年も前から生きてるし、すごくカラフルな鳥とか、おっきなオウムもたくさんいるし、すごく可愛いトカゲもたくさんいるのよ。

 それに、今そこのお兄さんも言ってたでしょ? 森がなくなれば水が浄化されなくなるって。それでも無くなっても問題ないって、そう言えるわけ?」


「そうだ! 『生物多様性の損失』だ! 森林を破壊すれば、いずれは人間がしっぺ返しを喰らうことになるぞ!」


 「カイコウラ町の森と緑を守る会」の青年がマトリに加勢した。


「そうよ! たようせ……え、何?」


 パーカー町長は薄気味悪い光を目に称えたまま、淡々と続ける。


「とにかくだ、動物は動物だ。君たちは動物をかわいそうと言うが、それは都合の良い感情だ。偽善だ! 君たちは魚やらチキンやらを毎日うまそうに食べているじゃないか。我々に食べられる生き物は生き物ではないのか? 森林に住む動物だけが哀れみをかけられる対象で、他はそうではないと? 笑わせないでくれ。あの森に住む動物は淘汰とうたされる運命だった、それだけのことよ——おっと」


 町民たちはパーカー町長の誰に話しているともわからぬ「語り」を静かに聞いていた。パーカー町長は明らかに言い過ぎたと思ったらしく、若干恥入った様子になった。


「皆さん、今こそ変化する時です! 森林の開発を受け入れて下さい。そうすれば漁協の助成金は減らさないで済むかもしれないですし——」


 町長は急いで失言を取りつくろい出した。


「道路整備はもちろん進むでしょう。教会の立て直しも容易なことでしょう!」


「変化させない勇気も大切だわ!」


 ここ数日、マトリが考えていたことだった。変えずにそのまま残すことも、立派な選択肢の一つのはず。


「森を潰して開発するなんて、ただ人間が楽してるだけよ! 変えないで守っていくことだって、立派な決断の一つだと思う!」


「よく言った! その通りだ!」


「森を生かせる政策を考えるべきだ! 森を切り開いて発展させるなど、人間のエゴだ!」


「カイコウラ町の森と緑を守る会」の面々が口々に賛成した。町人たちの雰囲気が再び開発に否定的になり、パーカー町長は渋面を作った。

 

 その時だった。庁舎から再び数人の警察官がやって来るのが見えた。その中にあのハリス副町長も混じっている。ああ、間に合ったのか。マトリはようやく安堵して、笑みをこぼした。


 ハリス副町長がふうふう言いながら舞台にやって来た。マトリは町長をあおり住民説明会を長引かせると言う役目を終えて舞台を降りようとしたが、下から上がって来た警察官によって再び押し戻されてしまった。


 ハリス副町長は相変わらず幸が薄そうで、メガネは斜めにかかっており、薄茶色の髪は風に吹き散らされてボサボサだった。


「ハリス君、君は説明会に招いていないはずだが」


 町長は射るような目でハリス副町長を見た。ハリス副町長は身震いして怖気付き、手に持っていた資料を取り落とした。


「気を確かに持って下さい」


 マトリは声を落としてハリス副町長に話しかけ、資料を拾うのを手伝った。


「確認は取れましたか?」


「ええ……必要な物は全てそろったはずですが、どうにも自信が持てなくて……。まあ今の今まで自信を持てたことなんか一度もないんですけどね」


「なら今こそ自信を持って発言すべきです! ハリス副町長に私たちとフェツの大森林の運命が握られてるんですよ!」


「そう……その通りです。今こそ……」


 ハリス副町長は立ち上がってパーカー町長に向き合った。手が小刻みに震えている。その手には、あの『感染症の原因と予防法』が握られていた。


 その本を見たパーカー町長は、血の最後の一滴まで失せたような顔色になった。次の瞬間、パーカー町長の目が真っ赤に燃え上がった。


「貴様! 私の部屋に押し入ったのか!?」


「いえ……私は……私は……」


「長年冴えないやつだったお前を私は取り立ててやった! やはり上司をおとしいれる画策をしていたのだな。裏切るんだな!」


「そんな……そういうわけでは……そうではなく……」


 ハリス副町長は真っ青になり、木枯らしに吹かれる木の葉のようにブルブル震えている。


「気を確かに持って下さい!」


 マトリはハリス副町長の頼りない腕にそっと手を置き、励ました。


「さあ、今です。その本の正体を明かす時ですよ」


「懲戒免職にしてくれる」


 怒りで我を忘れ、町民に見られているにも関わらずパーカー町長はそう言い放った。


「……免職……そんな……」


「大丈夫です! ハリス副町長は免職になんかなりません。勇気を出して下さい。さあ!」


 しかしハリス副町長は完全に意気をくじかれたようだった。目から生気が失せ、初めて会った時のようなうつろな表情になった。ハリス副町長は本を抱きしめたままうなだれた。


「お前は全く無能なクズだな。聞けば、子どもが五人もいるんだって? こんな父親を持って子どももかわいそうなものよ。……蛙の子は蛙と言う。お前の子どもも、同じように無能に違いない」


「なんてことを! 人を侮辱するにもほどがあるわ!」


 マトリはいきりたったが、次の瞬間、パーカー町長は本を取り返そうとハリス副町長に迫った。取られては大変と、マトリも本に飛びつき、三つ巴みつどもえの大混戦となった。


 町民はわあわあはやし立て、警官が慌てて止めに入り、ヒックスもそれに加わったが耐えきれずにすぐ弾き出された。


 ハリス副町長は本を取られまいとしっかり抱え込んだままその場にうずくまり、動かなくなった。


「ハリス副町長!? 大丈夫ですか?」


 マトリはハリス副町長の背中に手を当てた。その背中がふるふると震え始める。まさか吐く前兆ではないかと心配になったが、次の瞬間、ハリス副町長は頬を紅潮こうちょうさせ、パーカー町長と同じように目を真っ赤に燃え上がらせて立ち上がった。先程とは全くの別人のように、ギラギラとしたエネルギーが全身から放たれているようだ。


「わ……私の……私の子どもたちをバカにするなーーーー!!!」


 ハリス副町長は咆哮ほうこうした。町民たちは復活したハリス副町長を見て、一緒にウォーと声を上げ、拍手喝采した。ハリス副町長は今し方拾い上げた紙をパーカー町長の鼻先に突きつけた。マトリが庁舎に忍び込んだ夜に持ち出した、あの紙だ。


「これが何かわかるか!?」


 ハリス副町長は鼻息も荒くそう言った。


「これは町役場を運営するための経費の伝票だ! この伝票は庁舎の修繕費として記録されていて、領収書もついてる。だが今期、この庁舎に工事の業者が入った事は一度もない!」


「それはお前が知らないだけだ! 歴史ある古い庁舎なんだ。修繕の必要な場所はいくらでもある!」


「それは嘘だぞ!」


 ハチマキを巻いた団体の一人が叫んだ。


「私が庁舎の修繕の必要性を訴えて提出した稟議書りんぎしょはお前が全て棄却したじゃないか! 特に石塀の老朽化は激しい!」


「私はこの修繕費を請求した施工会社に問い合わせた。最初は渋られたが、つい先程回答を得られた。驚きの事実が判明したんだ!」


 パーカー町長はここで初めて怯えた顔になった。ハリス副町長は一歩詰め寄る。


「修繕を行なったのは庁舎じゃなくお前の自宅だ! それを庁舎の修繕に見立て、経費として町税で落とした。そうだろう! それだけじゃない、食事代、洋服代、旅行代に至るまで、ありとあらゆる物をお前は経費で落としていた。表紙がすげ替えられているが、この本の中身は全てお前の横領の伝票だ!」


 怒ったハチの群れが一斉に飛び立ったかのような、ワーンという唸り声が広場中に鳴り響いた。特にハチマキの団体の怒りは凄まじく、ラルコ意外全員がこぶしを振り上げ、怒りを爆発させている。


「だから会計課の人事だけ大幅に入れ替えたのか! なんと小癪こしゃくな、恥を知れ!」


 マトリはそっとヒックスの元へ下った。


「上手くいったわね! ハリス副町長が復活してよかった」


「ああ、途中ダメかもと思ったけど。おっと、危ないぜ。こっちへ行こう」


 怒れる町民たちは、ありとあらゆる物を舞台に投げつけ始めた。馬用のムチ、長靴、木の三脚、プラカード、水筒代わりの革袋などが雨のように降り注いだ。


「お前の言うことなんか信用できるかーー! 開発は中止だーー!」


 若い漁師たちは舞台に乱入しようとして、警官たちに止められている。その様子をラルコは楽しそうに眺め、嬉々ききとして空の酒瓶を投げつけた。


 あっという間にてんやわんやの乱闘騒ぎになった。男たちは舞台に詰め掛け、重みで舞台はすさまじい音を立てて崩壊した。女性たちは悲鳴を上げて非難したが、男たちの怒りは収まらず、パーカー町長は人に埋もれて全く見えなくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る