11-5
マトリたちは乱闘騒ぎから足取りも軽く離れた。
「あの人たち、パーカー町長を殺しちゃわないかしら?」
口では一応そう言ったが、有頂天になったマトリの心に、パーカー町長のような俗物が入り込む余地はなかった。
「いっそ死んだほうが楽だと思うかもしれないぜ。お! ラフィキ、どうだった?」
人混みをかき分けてラフィキが帰って来た。浮かない表情だ。
「すまない、取り逃した……」
「気にすんな。元からずらかる予定だったさ、あいつは。パントフィ先生ですらあいつの正体を掴めないんだから」
マトリはラフィキの手を取って小躍りした。ジャドソンを取り逃したことなど、今この場ではとるに足りない問題だった。ラフィキの表情が少し和らいだようだ。
乱闘騒ぎがまだ収まらない中、離れたベンチにスカビオサがポツンと座っているのが、ふと目に入った。マトリは喜びの興奮が収まらないまま、スカビオサに駆け寄った。
「スカビオサさん!」
マトリはスカビオサの手を取り握りしめた。スカビオサは露骨に嫌そうな顔をした。
「お父さんの味方をしてくれてありがとうございました!」
スカビオサはジロリとマトリを見て手を振り払うと、杖を使って立ち上がった。
「……別に味方したわけじゃないぞえ。ああ、こんなところに来るんじゃなかった。どいとくれ、あたしゃ帰るよ。こんなに年寄りに意地悪な場所は初めてだぞえ」
スカビオサは去りかけたが、意外な人物が声をかけた。
「……グルーバー夫人。待って下さい」
ラフィキがスカビオサの前に立ちはだかる。
「お前なんかに用はないぞえ、どいとくれ。あたしゃ、お前みたいに
「おいババア! いい加減に……」
しかしラフィキは表情を変えずにヒックスを制した。そしてポケットに手を入れると、赤銅色の、チェーンのついた古いロケットを取り出した。
「あ! それってもしかして、ジャドソンの部屋にあったやつ?」
マトリは小さなロケットに近づいてよく見た。ロケットは太陽の光を受けて鈍く輝き、所々サビが浮かんでいる。
後ろからカタンという音が聞こえた。振り向くと、真っ青な顔のスカビオサが杖を取り落とし、棒立ちになっていた。目はロケットに釘付けだ。
「お……お前……それをどこで……?」
「ジャドソンの部屋に忍び込んだときに見つけました。あなたの物で間違いないですか?」
スカビオサはゆらゆら揺れるロケットを、まるで催眠術にかかったようにじっと見つめた。そのうち、真っ青だった顔に赤みが差し、ブルブルと震えだした。
「スカビオサさん、大丈夫ですか!?」
しかし、スカビオサはマトリのことなど見向きもしない。震える手で杖を拾い上げると、杖の先端を真っ直ぐラフィキに向けた。
「それはお前が持っていいもんじゃないぞえーー!! 今すぐよこせ、この悪党め!!」
スカビオサはラフィキの返事を待たずにロケットを引ったくると、可能な限り杖を速くついて逃げ出した。
「おい! クソババア! 今日という今日は許さないぞ!」
ヒックスが追いかけようとしたが、ラフィキが止めに入る。
「いいんだ」
「ラフィキ、お前なんでそんなに冷静なんだよ! てか、あれってロケットだったの? なんか懐中時計にも見えたけど……って、あーーーーー!!」
マトリも気がついた。あのとき、ヒックスがマフィンを持って帰って来たあの時に——。
「懐中時計を仕込んだのはスカビオサさんだったんだ!」
この驚きの新事実をマトリが理解した時には、スカビオサは正門からまさにずらかろうとしていた。
「あの時だ、マトリがスカビばばあをぶん殴ろうとした時だ! なんで気がつかなかったんだ、あ〜ホント、バカ! てか、ラフィキ、ジャドソンの部屋であれを見つけた時にもしかして気がついたんじゃないの?」
「すまない、つい最近まで本当に忘れてたんだ。逃げるのに必死で……」
「わ、忘れてたぁ〜!? それ本気で言ってんの?」
「相談しようと思っていた。彼女は——」
「信じられないわ! お父さんと私たちを裏切っておいて、後悔もしてないし反省もないじゃない! へそ曲がりな人だとは思ってたけど、あんなに卑劣な人だとは思わなかったわ!」
先ほどの有頂天は吹っ飛び、マトリもヒックスと一緒にかんかんになった。ラフィキは怒れる二人を困り果てた顔で見ている。
「彼女を
マトリはスカビオサが庁舎にいた時のことを思い出した。確かあの時——。
「スカビオサさんが庁舎でジャドソンと面会したがってるのを数日前見たわ。あのロケットを取り返すためだったのね! じゃあ盗まれたものは——あのロケットだけ?」
「あんなボロいロケットを取り返すために俺たちを売ったってのか?」
「あのロケットには若い男性の写真と、折り畳まれた手紙が入っていた。息子からの手紙だと思う」
ラフィキが言った。
「ああー。スカビばばあのやつ、やたら息子自慢だもんな。しかし写真と一緒に手紙も持ち歩いてるとは……どんだけ息子好きなんだ」
「息子さん三人もいるのに一人暮らしなんでしょう? 息子さんたち、誰もスカビオサさんのこと引き取らないのかしら」
マトリの疑問は誰もが抱くようなごく普通のものだったが、ラフィキの顔に微かに驚きの色が浮かんだ。
「……知らないのか? グルーバー夫人の息子たちは、三人とも他界している」
「……」
「……他界って……亡くなってるってこと?」
信じられなかった。スカビオサはほとんど毎日道場に来ていたのに、全く知らなかった。
「そうだ。詳しくは知らないが、確か長男は数年前に炭鉱であった大きな事故で亡くなっている」
「……なんでそんなこと知ってんだよ?」
「僕は彼女の旦那と知り合いだった。グルーバーさんは元々肉問屋の主人で、僕の仕留めた鹿や
「そんな……」
「ジャドソンは他人の内部事情までよく調べるやつだった。グルーバー夫人が師匠の家に通っていることを知ってたに違いない。利用されたんだ」
三人はしばし黙りこくった。乱闘騒ぎはまだ続いている。
森林の開発も、強盗事件の真犯人も、スカビオサにとってはどうでもよかったに違いない。かつては五人家族だった。今残るのは自分一人。子どもが自分よりも先に
だから毎日道場に来ていたのか、寂しさを紛らわすために。
「……帰るか」
ヒックスが庁舎に背を向ける。
「おやじが帰ってくるぞ。あとは警察に任せとけばいい」
帰る道すがら、マトリはヒックスに話しかける。
「ねえ、ヒックス」
「ん?」
「これで全部元どおりだよね?」
「……ああ、多分な」
暖かい春の昼下がりだった。上昇気流を捕まえたカモメが遠くの空に飛んでいる。
マトリたちは人目を気にせず、普通に歩いて帰った。追いかけてくる者は誰もなかった。
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