8-2

 三人は守衛室の庁舎側の扉から外に出ると、銀色に照らされた芝生を大急ぎで横切った。


「ヒックス、あなたって本当に天才だと思う」


 走りながら、マトリは興奮してヒックスにささやいた。


「ここからが難しいんだ」


 ヒックスがささやき返した。手には守衛室から失敬したランプを持っている。


「町長室は東館の三階だ。今日の昼に、町長に依頼された煙突掃除夫のフリをして庁舎の受付で聞いたんだ——」


 正面玄関の鍵はすぐに見つかった。カチリと小気味良い音を立てて扉は開き、ヒックスが扉を細く開けて中に滑り込んだ。

 

 玄関ホールは昼間の明るい印象とは一変し、ぴんと張り詰めた静寂に包まれていた。細窓から月光が差し込み、長く伸びた階段の影を絨毯に落としている。


 三人は階段を音を立てずに登り、三階の踊り場に出た。


「ラフィキ! そっちは西館よ!」


 マトリがラフィキの袖を小さくつかんで引っ張る。


「ほら、あそこに案内があるわ。こっちが東館よ……」


 三人はついに町長室の前までたどり着いた。


「間違いない」


 ヒックスは黒っぽい木の扉に彫られた、「町長室」の文字をランプで照らして見せた。


 三人は一瞬、お互いの顔を見合わせた。マトリは、不思議とそれほど緊張していなかった。あと少しで町長の不正を暴いてやれると思うと、武者震いすら覚えるほどだ。


 ラフィキは血の気が失せた顔だったが、表情はしっかりしていた。青白い手が小刻みに震えているのが見えたが、まだ大丈夫というように頷いて見せた。


 ヒックスは大きく深呼吸をすると、ランプをマトリに預けて、鍵束から町長室の鍵を探し出した。しかし、大量の鍵の中から町長室の鍵を探し出すのは容易ではなかった。


「この鍵穴の番号じゃない?」


 マトリは町長室の鍵穴にランプを近づけた。


「ほら、鍵穴の横にちっちゃく『E-18』って書いてあるわ」


「お! マトリ、冴えてるじゃん」


 よく見ると、鍵にも小さく番号が彫られているようだった。ヒックスは『E-18』の鍵を見つけ、鍵穴に差し込んだ。三人は町長室に足を踏み入れた。


 町長室は縦長の部屋で、意外と物は少なかった。ガラスのローテーブルを、ふかふかした豪華なソファーが取り囲むように置いてある。町長室件応接室といったような感じだ。


「よし、探そう——なるべく手早く。目的は町長が管理してる経費の伝票だけど、他にも、今回の強盗事件と関係しそうな物がないかよく見るんだ。『経費』という言葉を見たり、数字が書いてあるような書類を見つけたら、とりあえず俺に見せてくれ。いいね?」

 

 二人は頷いた。そして仕事に取りかかった。


 探す場所はそれほどないように思われた。町長用の広いデスクも、マントルピースも、書類を保管しておく書棚も、よく整えられていた。怪しい金庫や、鍵のついた引き出しなどはどこにも見当たらない。


 しかし、月明かりとヒックスのランプだけで行動していたので、捜索は難航した。


 マトリは書棚から本を一冊ずつ抜き取り、パラパラと中身をめくった。ヒックスは床や、壁にかけてある絵画の裏に怪しい扉がないか調べている。


 マトリは書棚の書類を丁寧に調べたが、こんなわかりやすい場所に証拠となるものを隠したりしないだろうなと思った。書棚に入っているのはもっぱら、今年度の予算に関する書類や、防災マニュアル、各部署からの報告書などだ。


 『カイコウラ誘致活動支援事業』と書かれた立派なファイルは、書棚の一番目立つところに置いてあった。中には森林の開発についての書類や、企業誘致用のパンフレットなどが入っている。


「町内への企業立地を促進し、町内における雇用の創出と産業の振興しんこうを図ることを目的として——」


 マトリはパンフレットの冒頭を読んだが、急に胸がムカついてファイルをバタンと閉じた。本当はそのファイルを広場にある池に投げ込んでやりたいところだったが、考え直して元あった場所にそっと戻した。

 

 二十分ほど三人で探したが、それらしいものは発見できなかった。


「やましいことをしてるのは確かなんだ」


 ヒックスは焦りを帯びた声で呟いた。


「絶対何かあるはずなんだ……」


 マトリはクローゼットに近づいた。ヒックスが何度も見ていたが、自分でも確認しようと思い扉を開けた。


 中には町長のシャツや替えのスーツがびっしり吊り下げられていた。服の間、クローゼットの上下、床上の隙間を確認したが、特に怪しいものは見当たらない。


 スーツをかき分けて奥をのぞくと、町長の趣味と思われる品々が置いてあった。ゴルフクラブ、歴史小説、使わなくなったパイプなど——。


「あれ? あの本は……」


 歴史小説や趣味の本が雑多に置かれている場所に、『感染症の原因と予防法』があった。家庭用の医学書と一緒に、無造作に置かれている。医学書には、半年ほど前の日付が記されている付箋がたくさん挟まっていた。ちょうどその頃、カイコウラ町ではタチの悪いはやり病が流行していた。


「あの本、お父さんが持ってるやつと同じだ」


 マトリは『感染症の原因と予防法』を手を伸ばした。


「ヒックス、向かい側の部屋は町長補佐官室だ」


 入り口付近を探していたラフィキの声が聞こえた。


「おそらくジャドソンの部屋だ」


「オッケ。ジャドソンの部屋も探そう。俺は町長室をもう少し探したいから、マトリとラフィキでジャドソンの部屋をガサ入れできる?」


「ああ……」


 鉄の鍵がチャラつく音が聞こえた。


「マトリ、聞こえた? ジャドソンの部屋行ける?」


 ヒックスが言った。マトリは『感染症の原因と予防法』をまさに開こうとしていたが、ヒックスの声に慌てふためいて本を落としてしまった。本は背表紙が外れて、中身バラバラと辺りに散らばった。


「うわ!」


 マトリは大急ぎでバラバラになった本の中身をかき集めた。


「今行くわ!」


 マトリは中身を本の表紙へ雑に詰め戻し、ラフィキの元へ向かおうと立ち上がった。しかし、一枚残っていた紙に足を取られ、滑って転び尻餅をついてしまった。


「きゃあ! あ、ごめん、大丈夫だから」


 マトリは腰をさすりながら立ち上がった。紙を拾い上げたが、1ページ抜けていてもわかるまいと、クシャクシャに丸めてポケットに突っ込んだ。




 ジャドソンの部屋に入ったマトリは、唖然あぜんとして思わず立ちすくんだ。


 町長補佐官室はガランとしていて、一見誰も使っていないように見える。書棚には本が一冊も入っていないし、私物のようなものは一切見受けられない。


 木のデスクにインク壺と羽ペンが置いてあるのと、秘書が管理してるであろう観葉植物が窓際に置いてあるのとで、かろうじて使用されている部屋ということが分かった。


「なんか……変な雰囲気ね」


 マトリはデスクに近づいた。


「ああ……しかしジャドソンの部屋で間違いはないだろう」


 マトリはデスクの引き出しを開けた。デスクの引き出しも、ほぼ空だった。キャビネットの一番下の引き出しに、手紙が何通か雑に入れてあるだけだった。その手紙も、単なる事務連絡ようのメモばかりで、なんの変哲もない。


 一番最後に手にした手紙を、マトリは期待せずに開いた。


 その手紙はとても短いものだった。たった二行しか書いてない。



「フェツの大森林にモアがいる。

複数体いるようだ。よろしく頼む。

Y・G」



「モアがいる?」


 マトリはその手紙を食い入るように見つめた。興奮が波のように内側から湧き起こった。


 美しい筆跡だった。その筆跡の人物は、モアを狙う黒幕に違いない。


 マトリは手紙の続きがないか、引き出しの奥を漁った。しかし、他に紙らしきものは一枚も見当たらなかった。


 その時、ラフィキが手に何かを持っているのに気がついた。薄暗くて見えにくいが、赤銅色しゃくどういろのロケットのようなものを手からぶら下げている。


「これは……」


 ラフィキはロケットを開けて、中を見つめていた。


「ラフィキ? 何か見つけ——」


 その時、コツ、コツ、という小さな足音が、扉の外から聞こえてきた。

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