第2話 赤い糸 - 2

「いってきます」

 朝ごはんを済まし、身支度を整えて家を出る。やはり返事はない。

 学校が好きなわけではないが、家にいるよりは気が楽になるので少し早めに登校する。通学路で生徒と遭遇する確率も減り、電車も空いているので快適だ。しかし今日はそういうわけにもいかなかった。テスト期間が近いために朝練のない運動部の生徒の一部がこの時間に登校しているようだった。テスト期間が終わるまでこれが続くと思うと気が重い。

 自分の指に"糸"が見えないので、自分一人でいる時にはその存在を忘れられた。しかしこうも通学路に生徒が多いと、否が応にも目に入ってきてしまう。

 ところで"糸"だが、何もいつも"糸"のすべてが見えているわけではない。仮にそうだとしたら視界が全て真っ赤になってしまうだろう。普段から見えている部分は指から数センチくらいまででそこから先は透明になっている。お互いに繋がってる相手が近くにいる場合には2,3mくらいまでハッキリを見えるようになる。曖昧なのは可視範囲にも個体差があるらしいからだ。

 つまり、ある程度近くに寄れば繋がっている相手がわかるし、逆に言えば近くにいるのに"糸"がハッキリと見えなければその二人は繋がっていないことがわかる。今現在の通学路にも繋がって見える二人が数組見え、憂鬱な気分になる。


 "糸"にまつわる半年前からの変化といえばやはり人間関係が最たるものだ。私個人にも交友関係の変化があった。以前は話すきっかけのなかった相手と、"糸"の見えない同士の会話からたまに一緒にご飯をする間柄になった。

 ある男子生徒は隣のクラスの女子と先輩女子の二人と"糸"が繋がっていた。当時の彼女も交えたあの日の廊下での4人の修羅場は忘れられない事件になった。さらにある男子生徒は偶然"糸"が繋がっていた隣の席の女子(すごい確率。これこそ運命?などと思ってしまう)に嫌がられ、泣かれ、登校拒否になった。"糸"がきっかけで付き合ったカップルもたくさんいるが、そういう人たちは元々何かひと押しあれば付き合っていたようにも見えた。

 すでに付き合っていたカップルにも、他の男女と"糸"が繋がっていても気にしない人たちもいた。しかし大抵の場合「彼は私と結ばれるはず」などと横から邪魔が入っていた。

 "糸"は高校生という多感な時期には刺激の強すぎるものだった。もしかすると高校よりも中学校の方が恐ろしいことになっているかもしれない。数年前の自分の周りの環境に今の状況を重ねて考えると、その無邪気でむき出しな攻撃性が恐ろしく思えた。子供の方がより残酷だ。


 教室につくと、自分の席につくなり机に突っぷし、瞑想する。

 以前は恋愛小説などを読んでいたのだが、今ではそう言う気分になれない。ミステリやサスペンスに含まれる愛憎劇や、ファンタジー世界の勇者と姫の恋慕も、一人の時間にわざわざ触れたいものではない。

 何を考えるでもなく、目を閉じてただ時間を潰す。今まで家族との繋がりなんて深く考えもしなかったのに、こんなことになってから今までの生活が幸せだったと実感することになるなんて。実は夢でした、なんてことになってくれればいいのに。

 いつもなら始業のチャイムまで放っておいてもらえるのだが、今日は無理だった。まだ私しかいない教室に、元気な足音が近づいてきた。

「瀬尾さん、早いね!」

 寝たふりをしようか悩んだが、突然の大声に体がビクンと反応してしまったので、顔をあげ振り返る。目の前に日焼けした健康的な肌に金髪、校則違反のアクセサリを身につけた軽そうな性格の女子がいた。

「おはよう。西野さんも今日は早いんだね。朝練がないから?運動部だっけ?」

 びっくりした挙動がバレていないか、なんだか恥ずかしくて顔が赤く上気しているのがわかる。少し早口になる。

「そう言うわけじゃないんだけどねー。なんだろう、ちょっと家にいづらくて…ね。瀬尾さんはいつもこの時間なの?ってかウチらちゃんと話すの初めてじゃない?ちょっとウケる。」

 西野さんはきまりの悪そうな顔を無理やり笑顔で上書きしながら答えてくれた。自分から話しかけてきたのに何がウケるんだろう、なんていちいち思っていたら女子高生と会話はできない。こういう話し方のノリにはちょっとついていけない部分もあるが、私もなるべく笑顔で答える。

「えーっと…。私も家に居づらいんだ。西野さんもなんだね。あ、あの、別に詳しいこと聞こうってわけじゃないから。ただ、私もそうなんだってだけで。」

「へー…。そっか…。うん、みんな色々あるよね!」

 よかった。変なことを言ってしまった気がしたが、西野さんは不快に思わなかったようだ。しかし会話の続くような返答ではなかったので、若干気まずい空気にしてしまった。こういうときの無難な話題の広げ方を私は知らない。

「…そうだ!今日一緒にお昼食べない?!ウチ登校久しぶりじゃん?仲間内にちょっと混ざりにくいっていうか…。それに、なんか今日は今まで話したことない人と話したい気分なんだ!っていう誘い方もちょっと変かな?嫌じゃなかったら!」

 急な提案に、少し身構えてしまう。先ほどから彼女自身が言っているように、私と西野さんは今までまともに会話をした記憶がない。なぜ私なんだろう?偶然教室にいたから?どういう話をしたらいいんだろう?困惑の表情が滲み出てしまう。

「あ、もちろん二人だよ!他の人を勝手に誘ったりしないから!」

 西野さんがその表情をどう受け取ったのか、彼女なりの気遣いのセリフなのか、若干の必死さを感じたので承諾することにする。

「うん、わかった。お昼ね。私は今日学食か購買にしようと思ってるんだけど、西野さんは?」

「ウチ弁当なんだけど、購買付き合うから一緒に屋上でどう?っていっても屋上の鍵は開いてないから、ドア前の踊り場だけど…。一人でご飯するとき時たまに行くんだ。静かでいいよ。」

 誘い方から、なんとなく二人きりで話したいのだろうとわかる。

 西野さんは明るくいつも誰かと一緒にいるイメージが強い人なので一人でお弁当を食べているイメージは浮かばないが、そういう気分の時もあるのだろうか。勝手にこういうタイプの人は悩みがなさそうと思っていたが、我ながら失礼な思い込みだなと自戒する。

 その後少し雑談をして、登校してくる生徒の数が増えてきたところで西野さんは「またね」と自席へと戻っていった。

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