No,44

「亜子さんや」

「はい?」


 呼ばれて少し顔を動かし彼を見る。

 両膝を伸ばし、両腕で体を後ろに倒れないように支えている柊人も夜空を見ていた。


「夏休みの宿題は終わったのかね?」

「全然やっていない人に心配されるのは心外ですけど、あと少しで終わります」

「真面目だね~」

「柊人さんが不真面目すぎるんです。成績優秀なのは知ってますけど」


 夏休み前に学校長に会って聞いてみたら、何でも隣に居る夫は学年で10位以内に入るほどの成績らしい。ただその10位内に居る人たちは数点差を競い合っている状態なのだとか。


「どうしたらそんなに勉強が出来るようになるんですか?」

「ん~。1年以上ベッドの上で生活しながらリハビリ生活をもう1年すれば良いんじゃないか?」

「それで頭が良くなるとは思えませんが?」

「……暇潰しが勉強しか無かったんだよ」


 やれやれと嘆息し彼は言葉を続ける。


「半分死に掛けていた俺にとどめを刺そうとしたステファニーがお詫びと称して毎日のように来て勉強を教えてくれるわけだ」

「……胸ですか?」

「おい待てお嫁さん? 今の会話からそこに行きついたメカニズムを述べよ?」


 何故か亜子は『ハッ』と笑い飛ばした。


「視線って男性が思っている以上に分かる物なんですよ? 柊人さん基本ステファニーさんと話す時は、視線を首に固定してチラチラと胸の谷間を見てましたし」

「……」

「クリスさんもそれを分かっているから増々ステファニーさんと揉めてたんじゃないんですか? 柊人さん……クリスさんが相手だと、顎から上しか視線向けないですし」


 図星を刺されて柊人は沈黙した。

 完璧だと思っていた自分の視線がこうも完ぺきにネタバレしているとは。


「ちなみに亜子さんを見てる時はどんな感じで?」

「半々ですね。格好次第で視線を固定する場所を変えてるみたいですけど……制服の時は基本顔の半分。私服だと首元ですね」

「正解」


 見事なまでに見破られていた。


「首の方は良いとしても顔半分はちょっと悲しくなります」


 ポツリと呟いて亜子は真っすぐ星空を見る。


「クリスさんやステファニーさんに比べたら、わたしなんて比べようの無いほど残念生物ですけど……それでも半分しか見られないのはショックなんですからね」


 別に亜子はこんなことを言いたい訳じゃ無かったのに、口が自然と動いて不満を告げていた。


「恥ずかしいだろう? 亜子を真っすぐ見るの」

「……どうしてですか?」


 返事は無い。

 少し待ってみるがやはり返事は無い。


 体を起こそうとして亜子は動きを止めた。

 彼が自分の顔を覆うようにして顔を覗き込んで来たのだ。

 上下さかさまだが真っすぐ見られ……瞬時に頭の中が沸騰して頬が、頭が熱くなった。


「ほら恥ずかしいだろ?」

「ふっ不意打ちだからですっ!」

「ならこのまま見続けます」

「ふえっ?」


 彼が体勢を入れ替えて亜子の体を跨ぐ。柊人が膝立ちしているお陰で重さは感じないが、それでも自分のお腹周りに相手の下半身の温もりを覚える。


「はい。見ます」

「……」


 軽く倒れ込んで来て両腕を伸ばし上半身を支える。

 少し頑張って動かせばキスできそうな距離で、柊人が真っすぐ見つめて来るのだ。

 増々顔を真っ赤にさせて……耐え切れなくなった亜子は自分の顔を両手で隠した。


「ごめんなさい。もう無理ですっ!」


 必死に声を上げて自分の非を認める。

 確かにこんなに真っすぐ見つめられたら我慢出来ない。


「だろう? 鈍感だとかクリスに言われる俺だって恥ずかしいんだ。亜子なんて我慢出来ないだろう?」

「……」


 はて? 今相手は何と言っただろうか?


 亜子は言葉の内容を軽く吟味し、覚悟を決めて顔を覆う両手を退ける。

 やはり悪戯好きな彼はまだ見つめたままだった。


「……柊人さんも恥ずかしいんですか?」

「そりゃな。俺にも感情ぐらいあるって」

「……わたしは凄く恥ずかしいです」


 だけど亜子は両手を自分の顔から完全に退ける。

 ドクドクと頭に血が上るのを感じながら、それでも軽く唇を噛んで相手の目を見つめ返した。

 と、今度は柊人が顔を逸らした。


「どうしてですか?」

「そりゃ……」


 軽く頭を掻いて柊人は苦笑した。


「亜子が可愛いからだな」

「……それだけですか?」


 バクバクと張り裂けそうなほど心臓が煩いほどに動く。

 亜子は必死に唾を飲み込み相手の返事を待った。


「亜子が愛しいからだよ。それ以外の言葉が見つからない」

「ふえっ?」


 思考が停止した。亜子は真っ白な頭で今の言葉を何度も咀嚼する。

 ゆっくりゆっくり自分の何かしらの感情で噛み締めた言葉に反応し……ポロポロと涙が溢れて止まらなくなった。


「ズルいですよ。柊人さん」

「そうか? 修学旅行の時にそれっぽいことは言ったはずだけどな?」

「そうですけど……そうなんですけど!」


 腕で顔を覆い亜子はヒクヒクと息を詰まらせながら泣き続ける。


 好きな人の告白なら何度聞いても嬉しいけれど、それでも不意打ちはズルい。

 何も身構えていない自分の心に直撃を受けて胸が張り裂けそうなほどに苦しくなるからだ。


「でもエッチなことはしないからな?」

「……台無しです」


 グスッと鼻を啜って腕を退けようとした亜子だったが、その手を相手に掴まれ背後に存在する砂浜に押し付けられる。


「んぐっ……んんっ」


 彼の唇で自分の唇を塞がれ、行き場を失った空気が漏れて変な声になってしまった。

 しばらくその時を味わい……離れた相手の顔をポーっと茹だった様子の亜子が見つめる。


「ああ。ごめん亜子」

「ふぇ?」


 別に大丈夫だ。

 いきなりのキスだったから心配するのは自身の口臭ぐらいで、


「エミリーがあっちでカメラを構えているから今の様子をたぶん撮られた」

「ふんにゃ~っ!」


 何かを察して動き出した柊人の動きに合わせて立ち上がった亜子は、視線を巡らせその人物を見つけた。本当にカメラを持ったメイドが居たのだ。


「そのカメラを渡しなさ~い!」

「済みませんアコ様。エリヘザート奥様の命令は絶対なので」


 スススと逃げて行くメイドを追って駆けて行った亜子を見つめ、その場に座った柊人は笑いだすと……そのまま背中から砂浜に倒れ込んだ。


「まったく……こんな状況をあと1年以上とか拷問だな。本当に」


 その呟きは星空に向かい放たれた。




(C) 2020 甲斐八雲

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