No,45

 散々エミリーを追い回したが遂には捕らえることが出来ず、亜子は諦めて今回の宿泊先であるコテージに戻って来た。


 軽くシャワーを浴びて砂などを洗い落とし、ワシャワシャとタオルで水気を吸わせてからドライヤーを探す。本当はもっと丁寧にした方が良いのは分かっているが、旅行先でそこまで細かく縛られたくない。温風を髪に当てて軽く指を通す。


 のんびりと時間を過ごし、寝室となる部屋の前に移動してからふと足を止める。

 もういい加減に学んだ。クルッと方向転換して向かうのはリビングだ。


「やっぱり」

「ん?」


 ソファーに横になって柊人がホラー映画を見ていた。

 日本の物でなく洋物の……動き回る死体が大量に出てくる作品だ。


「寝ないの?」

「分かってますから」

「何が?」

「このまま寝室に行くと柊人さんがここで寝るってパターンです」


 3人掛けのソファーの右隅に座っている彼を見て、亜子は左隅に腰を下ろした。


「もう一部屋あるでしょ?」

「絶対エミリーさんが鍵をかけて籠城しています」

「……あり得るな」


 と言うかそんな指示を出す人物を柊人は知っている。メイドの雇い主だ。


「つまり寝室が1つしか空いてない訳だ」

「そうなります」


 何回も体験しているお約束だ。いい加減亜子も慣れた。


「なら亜子が使って」

「はい。それです」

「何が?」


 少し顔を怒らせて亜子は柊人を見た。


「わたしに介護させたくないとか言いながら、柊人さんはそうやって自分の体を疎かにし過ぎです。普通に考えてベッドで寝るべきは柊人さんですよね?」

「普通亜子だろう?」

「レディーファーストなんて忘れて下さい。わたしたちは日本人です!」

「日本人でも気にするぞ?」


 プリプリと怒る亜子は聞く耳を持ってくれない。


「わたしに介護をして欲しくないなら柊人さんは常に自分の体を一番に考えるべきなんです! それなのにいつもいつもわたしに譲って……こんな場所で寝たら膝に良くないですよね?」

「別に横になれば十分寝れるし」

「わたしの方が身長が低いから、ここならぴったりはまって寝れます」

「……言ってて悲しくならないか?」


 相手のツッコミを亜子は強引にスルーした。


「ですから柊人さんがベッドを使ってください」

「と言われてもな……」


 クシャクシャと頭を掻いて柊人とはリモコンに手を伸ばし見ている動画を止める。

 中々にグロイ瞬間に止まった物だから、ふと視線を向けた亜子は若干引いた。


「まあこんな性格なんだよな。こればかりは治しようがない」

「ならわたしもこんな性格です」

「亜子の主成分は優しさで残りは我慢だろう? 裏成分で暴走があるが」


 今の状況がどうやら裏の成分らしい。

 優しさが暴走して面倒臭いことになっている。


「なら柊人さんに何かあったら私が責任を取って面倒を見ます。それで良いですね?」

「と言うか……それもな~」

「どっちか選んでください!」


 プリプリと怒っている相手に……まあ流石に柊人もその気持ちは理解出来た。

 こうも皆の玩具にされていればいくら亜子でも怒りたくもなる。


「なら妥協案はどうでしょうか?」

「何ですか?」

「2人でベッドを使えば良い」

「……」

「確かキングかクィーンサイズはあったよな? 並んで寝ても兄さんの飛行機ほどの問題は起きないはずだ」


 こんな風に振れば亜子が折れると思っての言葉だった。

 だが柊人はらしくないミスを犯していた。現状の亜子は暴走モードなのだ。


「そうですね。ならそうしましょう」

「はい?」


 ソファーから立ち上がった亜子の目が完全に座っていた。


「寝ますよ」

「まだ動画の続きが……」

「そんなことを言ってここで寝る気ですね? 騙されません」


 亜子が動いてテレビを消す。

 こうなると従うしかなく……柊人はやれやれとソファーから立ち上がった。


「亜子さんや。旅の恥はって奴ですか?」

「恥じゃありません。それにわたしたちは一応夫婦ですから」

「まあね」


 手を掴まれてグイグイと亜子に引っ張られる。

 彼女の後ろを歩く柊人は改めて亜子の顔を見て気づいた。

 暴走が解けて現実に戻ったのだろう……顔を真っ赤にして恥ずかしがっていた。




「ここからこっちがわたしの領地です」

「亜子さんや。その線を越えたらどうなるの?」

「どうもしません」

「しないんかい」


 彼のツッコミに亜子は何も答えられない。


 自分から越える気は無いが、相手が越えて来たら……むしろ恥ずかしいけど嬉しい。問題は避妊の類が全くないけれど、ざっと計算した限りは大丈夫のはずだ。


「亜子さんや」

「はい」

「さっきの続きを見たいんだけど……テレビを点けても良いですか?」

「良いですよ。でもこの部屋から出ないで下さいね」

「分かったよ」


 言って柊人はテレビを付けるとリモコンを操作して見始める。


 亜子もつられて視線を向けるが……無理だった。かなり無理だった。

 どうして昔のホラー映画はこんなにも怖いのだろう? 技術は今の方が凄いはずなのに、昔の方が生々しく見えて正直怖い。


「大丈夫か?」

「平気です。見てませんから」

「そっか」


 不意に手を握られた。

 ギュッと指と指とを組むような、世間的には『恋人繋ぎ』と呼ばれる物だ。


「こうしてれば逃げださないと信じて貰えるでしょ?」

「……はい」


 ドクドクと激しく脈打つ心臓をなだめながら、亜子は顔を真っ赤にしてタオルケットを頭から被った。


「おやすみ」

「……おやすみなさい」


 緊張と興奮と聞こえてくる恐ろしげな音にさいなまれ……亜子が眠りについたのはしばらく経ってからだった。




(C) 2020 甲斐八雲

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