No,42

「海は良いな」

「頑張りましたね」

「これでも気が向いた時にだけ糸を引いた程度だけどな」


 それでも柊人が持って行ったクーラーボックスには良い形の魚が並んでいた。


「柊人さんって魚とかさばけたんですね」

「ああ。乗ってる船が難破して遭難するパターンもあるかと思ってマイクたちに教えて貰った」

「そんな心配をする人は世界でも少数だと思いますよ?」


 少数かもしれないが何故か相手の言葉を聞くと、『万全な配慮だ』と思ったことは秘密にしておく。


 クーラーボックスはエミリーが回収して行き、何匹かはお昼のバーベキューに。残りは夕飯の海鮮パエリアになることが決まった。


「パエリアとか聞いたことはあるんですけど、食べたことはないです」

「あ~。多分食べてると思うけど料理名を聞いて食べないからな」

「……パーティーとかには出そうですね」


 立食パーティーやバイキングのメニューとかで確かにありそうだ。

 実際味わったことの無い亜子だがそれぐらいの知識はある。


 下ごしらえされた魚や串刺しにされたお肉などを金網に置いて炭火で調理を始める。

 色々と準備してくれたエミリーが途中から調理を代わってくれ、亜子は気後れしながらも柊人と並び椅子で待つ。


「全部やって貰うのって物凄い抵抗が」

「亜子は働き者だしな」

「と言うか貧乏性なんです。生まれた時から貧乏でしたし」

「お~い。遠い方を見ずにもう少し元気出せ」


 と言うか数か月前までこんな生活など夢のまた夢だった。


「一気に世界観が変わって、たまに夢なのかな~って思うことがあります」

「それな。俺も似たことを思うことがあるよ」


 椅子に背中を預け頭の後ろで手を組んだ柊人が軽く足を伸ばす。


「今もベッドの中で植物人間状態で……今見ている全てが夢なんじゃないかなってな」

「大丈夫です。ちゃんと現実です」

「そうんな? 実は夢かもよ?」


 クスクスと笑う彼がからかっているのはよく分かる。

 だけれども亜子は真っすぐ相手の顔を見つめる。


「わたしのこの気持ちが夢とは思えないぐらい大変なので現実です」

「そうか」

「そうです。それにこれが夢だったら柊人さんは今頃わたしを大好きになっていて……」


 ポッと亜子は頬を赤くする。


「えっと……お兄さんの薄い本のようなことを」

「あの内容を求めるとか。亜子さんや……今後の為に線引きをして付き合った方が良いかもしれないな」

「そんなに酷い内容だったんですか?」


 自分的には大人の関係を臭わせたはずが、何故か彼はドン引きしていた。

 予定外だ。あんな真面目なお兄さんがそんなドン引きするような本を読むなんて。


「ただエグイ内容は全部ビビアンのチョイスだと言い訳してたな」

「……お兄さんの所のメイドさんは大丈夫ですか?」

「人格や性癖は怪しいかもしれないが、能力は一級品だ。あの母さんが仕事を任せるんだから」

「ですね」


 だったら人格や性癖の方も考えて欲しくなる。もしかしたら最初は普通だったのにおかしな方向に染まってしまったのか……その可能性を考えるに、犯人がお兄さんとなるので亜子的にはどっちに転んでもの状態だが。


 良い感じに焼き上がった料理を受け取り亜子と柊人は昼食を摂り始める。

 味見の割にはひょいひょいと料理を口に運ぶエミリーはスルーしておく。この夏の生活で知った間違いない事実、それはエミリーは細い割にはよく食べることだ。


「海を見ながらも良いですね」

「そうだな」

「でも柊人さんは山間でログハウスの方が良さそうですけど」

「あはは」


 笑いながら魚を食べる彼は、その言葉を否定しない。


 亜子も軽く串刺しの肉を齧りながら相手を見つめる。

 マイアミ沖で死に掛けた彼が好んで海に入りたがるとは思えない。


「また海に入ってサメの餌になると大変ですから絶対に入らないで下さいね」

「それは前振りか?」

「本気の注意です」


 少し頬を膨らませて亜子は相手を睨む。

 苦笑しながら彼は頭を掻いた。


「まあ海を見るより木々の中で焚火でも見ている方が好きだな」

「あれも良かったですね」


 結婚式の後に得たようやくの休み。

 イギリスからカナダへと移り、山間のログハウスで自然を満喫する日々を3日ほど過ごした。


 3日で終えたのは一緒に行った姉の仕事の都合だ。

『これから仕事の私を見送って2人で遊ぶなんて言わないわよね?』と決して笑っていない目で言われたら逆らえない。


 姉とエミリーなどと山間のログハウスで穏やかな時間を過ごし、帰国した際に『もう少し遊んでから帰るか』と柊人が手配したのがこの宿だった。


「でもどっちに転んでも柊人さんって釣りしてますよね?」

「釣りをすると言うか釣り糸を垂らしているのか好きなんだよな。心が落ち着く」

「そんな物ですか」

「だな」


 モグモグと肉を頬張り柊人はチラッと日の前に立つメイドに目を向ける。


「それにエミリーは常にカメラを隠し持っているからな。全てをリアルタイムで覗かれるのは家族でも嫌だろう?」

「……」


 大変不幸を招きそうな言葉が亜子の耳に飛び込んで来る。


「きっと亜子のスマホには、クリスからの苦情メッセージが山盛りだろうな」

「……どんな裏切りですかっ!」


 楽しい旅行気分が台無しだ。

 だけど柊人はクスクスと笑う。


「一応新婚旅行となる訳だからクリスに自慢してやれよ」

「絶対後ですっごく怒られますからっ!」


 絶叫して亜子は恥ずかしさを誤魔化した。




(C) 2020 甲斐八雲

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