No,41

 燦燦と照り付ける太陽。

 穏やかな波が打ち寄せる砂浜。

 プライベートビーチなので自分たち以外は誰も居ない。


 砂浜に大きな浮き輪と言うか板と言うか……エアーポンプで膨らませたマットに寝そべり横になる。

 サンオイルを塗って貰っている様子を覗き見た彼は、ただ一言『エロいな』とだけ告げて釣竿片手に離れて行った。


 エロいと言われた意味が分からない。

 白いビキニ姿のことを指しているのだろうか?

 それだったら少しは自分の容姿に興奮してくれたのだと思えば嬉しいくらいだ。


「アコ様。飲み物でございます」

「ありがとうございます。エミリーさん」


 ビーチサイドにメイド服……と言うかメイドが居るのもどうかと思うが、何故か椿家専属のメイドとなった彼女が甲斐甲斐しくお世話をしてくれる。

 さっきもメイド服を脱いで下着姿でサンオイルを塗ってくれた。メイドさんのご奉仕精神の神髄を見たような気がして亜子は感心するばかりだったが。


 大人しめの美人である彼女とメイド服は恐ろしいまでの破壊力を誇る。

 聞けば年齢は20だとか。若くて落ち着きのある美人とか詐欺である。


 そんな彼女……エミリーは、主であるエリヘザート母さんの指示で一緒に日本へと来た。


『何故?』と疑問に思い絶対に全てを知るであろう夫に詰め寄り白状させた。

 どこか楽しんでいる風の彼の口を割るのには大変苦労させられ……それ以上に恥ずかしい思いをさせられた。解せないが、その甲斐あって全てを理解した。


 エミリーは母さんの指示で夫の財産管理の為に日本に派遣された。実質メイドなのに秘書のような役割が強い。

 夫の資産総額が冗談の領域であることを亜子は知っている。もし万が一彼に何かあれば現状それを相続するのは自分なのだ。その手続きで困らないよう、それと日本にある母さんの資産管理などを含めて日本滞在となったらしい。


 ちなみに兄であるミハエルにも同等のメイドが派遣されているとか。

 ビビアンと言うその女性は、ドイツにあるミハエルの屋敷を管理しながら彼のコレクションの手入れをしている。毎日のようにコレクションに目を通し、その全ての位置を把握しているとかで、ミハエルからは大変重宝されているとか。


 ただ夫が言うには『あの全ての薄い本を読めるとか稀有な存在だと思うよ。亜子やエミリーなら数分で活動停止だろうさ』なのだとか。

 そんなことを知ってしまったら夫宛に届くショップの段ボールの中身は金輪際見ないことにしておこうと心に誓った。


 エミリーから受け取ったトロピカルジュースを味わいながら、亜子は今一度穏やかな海に目を向ける。

 日本にもこんな静かで綺麗な場所が存在しているのだ。


《……旅行ってこういうモノだと思う》


 しんみりと心の中で思い一瞬目がウルッとなった。


 夏休みが始まってからとても精神がすり減ることばかり起きた気がする。

 それを上回る嬉しいこともあったが、その喜びを上回る衝撃を忘れないのが新しい家族なのだ。


《あのティアラ……女王陛下の物って……》


 家族と親しい仲間だけで執り行われた結婚式。


 合衆国大統領と英国女王が参加している時点で絶対に何かが狂っている。

 にもかかわらず人の良い女王陛下は亜子の為にティアラまで準備し貸してくれたのだ。王室秘蔵の一品をだ。


 式が終わってようやく解放されたと思ったら、夫と2人きりの寝室を与えられ……『今夜は頑張りなさい』と告げた姉に全力で枕を投げつけた。

 結婚をしているし、2人で暮らしていても……彼とはそんな関係では無いのだ。悲しいことに。


 魅力がないと言うことは無いらしい。ただ彼は自身の体の状況を恐れている。

 いつ何が起きるか分からず、下手をすれば寝たきりになる可能性すらある体だ。

 まだ若い自分にそんな重荷を背負わせたくないからと、彼は常に『よく考えろ』と言って来る。


 毎日考えている。

 考えれば考えるほど胸の中が熱くなって苦しくなるばかりだ。


《好きなんだから仕方ないのに……》


 自分の気持ちはずっと変わらない。

 好きになったまま、彼を好きになってしまってからずっと変わらない。


 何よりエミリーを派遣したのだって本当に何か起きた時の為の交代要員だろう。

 1人で付きっきりで看病することになったら自分がパンクしてしまうと察した母さんが、何かの時の為にと手配してくれたのだと亜子も気づいていた。


《こんなに周りの人たちに良くして貰ってるのに……わたしは何も変わらないままだな……》


 周りの人たちが凄すぎるのもあるけれど、それでも自分がただの凡人であると亜子は理解している。

 辛いし悲しくなることも多いけれど、でも無理に背伸びをしても転ぶだけだ。


《家に帰ったらやっぱり介護士の資格を取る勉強をしよう。柊人さんに必要な資格を取れるだけ取って……》


 そう考えれば家事などを手伝ってくれるエミリーの存在は有り難い。

 彼女は通いでメイドとしての職務をしてくれると夫が言っていたし、少し頼って空いた時間で勉強をしようと心に誓う。


《良し。そうしよう。わたしは柊人さんに恩を返さないと》




(C) 2020 甲斐八雲

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