No,40

「お久しぶりです。お母さん」


 ペコリと頭を下げて挨拶をし、顔を上げたら目の前に彼女が居た。

 ムギュッと抱きしめられ、亜子は呼吸が出来なくなった。


『ああ。やはり娘は可愛いわ』

『おい母さん? 確か実子に孫が出来たとか聞いたが?』

『シュウトは分からないのよ。母親は子供は可愛くても孫はそうでも無いのよ』

『確かに孫馬鹿になるのは祖父の方が多い印象はあるな』


 納得しながらも変な角度に腕を動かしている妻を救出する。

 年甲斐もなく『ああん』とか言っている母さんを無視し、救い出した亜子は空気を貪っていた。


「死ぬかと思いました」

「顔面から行ったからな」

「……意外と大きかったです」

「クリスに教えてやれ」


 まだ亜子を抱きしめたさそうにしている母さんを連れて、柊人は屋敷の中へと入る。


 場所はロンドン郊外にある屋敷だ。

 中に入ればメイドが列を作り出迎えてくれる。その様子に亜子は圧倒されていた。


「大変です。物語の世界です」

「心配するな。ただの金持ちだ」

「……」


 お金持ちならここまで出来るのか?


 亜子が首を傾げていると、ライトブルーのドレスを纏ったお嬢様が長い階段を静かに降りて来る。ひと目で分かる。クリスだ。


「馬子にも衣裳だな」

「クリスさんは美人ですから」


 同性の亜子が見ても本当に良く似合う。

 ここまで見事に着こなしていると、文句のつけようがない。


『クリスも可愛いわ』

『止めてよお母様。着崩れるわ』

『そうね』


 抱き付きに行こうとしたエリヘザートをクリスが軽く制する。

 仕方なく彼女は亜子を背中から抱きしめて我慢することにした。


「柊人さん」

「頑張れ。母さんと仲良くするのも嫁の務めだぞ」

「……」


 そう言われると何も言い返せない。


「貴方の夫がいい加減な分、頑張りなさいと」

「はい?」


 横合いからの声に視線を向けると、前回日本に居たメイドさんが居た。

 日本語がペラペラの有能なメイドだ。


「エミリーは日本語が堪能だから、滞在中は常に傍に置くって」

「……ありがとうございます」


 反射的にお礼を口にし、これぐらい英語で言えたかと後悔する。

 だが相手は海千山千の女性だ。


「良いのですよ。メイドの仕事を奪わないのも大切なことですと」

「……はい」


 言いようの無い感情を抱きながら、亜子たちは奥の部屋へと案内された。




 結論からしてこのままイギリス滞在となりそうだ。

 クリスも一緒に休暇を楽しむと言うことなので、弟に命じて観光地のリサーチを始めている。屋敷に着くなり姿を消したミハエルは、軽く仮眠を取っているらしい。


「それで母さん。何で俺たちを全員ロンドンに?」

「ええ。ちょっとした家族パーティーをしたくて」

「でも父さんは仕事だろう?」

「陛下にお願いして少し時間を作って貰ったわ」


 欧州を巡っているらしい合衆国大統領もイギリスに来るらしい。

 亜子の為にと会話を日本語とし、エリヘザートの後ろにはこれまた前回日本に来た執事が立って通訳をしている。

 エミリーと言うメイドは亜子の後ろに居て、本当に専属らしい。


「無理やり時間を作って何を企んでいる?」

「だから家族パーティーよ。折角亜子も加わったのだから」


 顔色一つ変えずにそう言うエリヘザートに流石の柊人もお手上げらしい。

 何分相手は歴戦の雄である。鉄の女と揶揄されながらも亡き夫の会社を立て直して大発展させた女傑だ。

 勝てないと分かれば柊人の諦めは早い。あっさりと話のネタを次へと移す。


「それでクリスのその姿は?」

「可愛い娘にドレスを着せたかったのよ。もちろんアコにも」

「そうですか」


『諦めろ』と視線を向けてる柊人と亜子は引き攣った笑みを返した。

 と、パンとエリヘザートが手を打つ。


「さあ。時間が無いわ。早く準備しましょう」

「パーティーは今夜かよ」


 呆れた柊人も彼女には勝てないらしい。




 お風呂からのヘアセットに化粧と……良く分からない内に時間が過ぎる。


「とりあえずそれを着て」

「……赤いんですけど?」

「仮よ仮」


 クリスが準備したらしいドレスはジャストサイズだった。


「苦しくない?」

「大丈夫です」

「ん~。この辺を少し手直せようかしら?」

「大丈夫です」

「ならお願い」


 自分が着ているドレスの直しでは無いらしく……訳も分からぬままにリムジンに乗せられたロンドン郊外へと運ばれた。




「……」


 絶対に高級そうなホテルだとひと目で分かる場所に連れて来られ、亜子は控室として準備された部屋にクリスとメイドたちと一緒に入った。


 その場所には、部屋の中央には真っ白なドレスが待ち構えていたのだ。


「はい着替えましょうね」

「でも」

「デモもテロもここでは起きないから」


 合衆国大統領の宿泊ホテルだ。規制線はバッチリらしい。


 メイドたちの手により赤いドレスを剥かれ、真っ白のドレスへと着替える。

 どこをどう見ても花嫁だ。ブーケもある。ヴェールは無いけどティアラはある。


 改めて化粧の直しを受けたら……準備は完璧だ。


「クリスさん?」

「届を出してるんだから問題無いでしょ?」

「でもでも」

「心配要らないわよ。今日のは家族と……知り合いだけだから」

「いつも言ってますがその知り合いの方が大問題なんですけど!」


 亜子の苦情など右から左で、クリスは彼女を連れてパーティー会場へと向かう。

 入り口にはこれまた白いタキシード姿の柊人が疲れた様子で待っていた。


「柊人さんの手引きですか?」

「全部母さんだよ。亜子を心底気に入ったみたいだな」


 やって来た妻の手を姉から譲り受ける。

『お先に』と言葉を残して彼女は分厚い扉の向こうへ消えた。


「あの~柊人さん?」


 当初は式などしないはずだった。これはあくまで偽装結婚と言える物だから。

 でも表情を崩した柊人はそっと亜子の耳元に唇を寄せた。


「綺麗だよ亜子。まるでお姫様みたいだ」

「……」


 全身を震わせ、顔を真っ赤にし……亜子は閉じられた扉が左右に開くのを見た。


「さて行くか」

「……はい」


 お節介な家族の期待に応えよう……亜子はそう決めて一歩前へと踏み出した。




(C) 甲斐八雲

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