No,29

「それで何も無かったの?」

「……はい」

「本当に?」

「はい」


 本日もタクシー移動だ。

 助手席でタブレットPCの操作を選択した柊人は、耳にイヤフォンを付けてずっと画面を見つめている。

 後部座席に腰かけているクリスと亜子は、肩を寄せてずっとヒソヒソ話を繰り広げていた。


「実はシュウトは不能なの?」

「違うと思いますけど」

「だったら何故あれほど御膳立てしたというのに……」


 相手に見えないからと、クリスは拳を握り助手席の弟を殴ろうとする。咄嗟に亜子が制して大事には至らなかった。

 邪魔をされ拳を握った状態でやり場のない怒りにプルプルと震えているクリスに対し、亜子はため息を吐いた。


「でもわたしは柊人さんを愛してるし、信じてますから」

「……そう。なら良いけどね」


 諦めた様子でクリスは握っていた拳を解いて、可愛い妹の頭を撫でた。




「清水寺の良さを私に教えて」

「……」


 真っすぐ見つめて来るクリスの言葉に亜子はその目を逸らす。


 何処も人が居て混雑している。

 確かにこれなら別の場所に行って観光した方が良い気がする。

 こうも混んでいると、建物よりも人を見ている気がして来るからだ。


「クリスさんってお寺とか神社とか巡って良いんですか?」

「どうして?」

「アメリカの人ってキリスト教な人が多いのかなって」

「それね。私は無宗教よ。私が神になるのだから他の神を信じるなんておかしい話でしょう?」

「……前提がおかしい気がしますけど?」

「気のせいよ」


 混雑している坂道を降りて行き、待ち合わせ場所へと向かう。


 坂道を嫌った彼は喫茶店で待って居る。

 膝に爆弾を抱えているから流石のクリスも文句を言わなかった。


「次は何処に行くんですか?」

「特に決めていないのだけど、他に見る場所はあるの?」

「伏見稲荷の鳥居も見ましたし……」


 この手のことに詳しい柊人が居ないから悩む。

 とりあえず合流してからと決めて、2人は待ち合わせ場所へと急いだ。




「ご注文は?」

「わたしは特に」

「なら西陣織の生地を見たい」


 姉の注文に柊人は呆れつつもタクシーを走らせる。

 何か所か専門店を周り、クリスのブラックカードが唸りを上げて生地を買い漁って行く。付き合う亜子は軽く引くが、買った商品を全て柊人の住所へと配達手配をする。

 たまに来る彼宛の謎の荷物の正体が何であるか理解した。


「後でいつもの所に送っておいて」

「了解」


 姉弟の会話を聞きつつ、亜子は軽く首を捻る。


「どうして直接送らないんですか?」

「シュウト。宜しく」

「はいはい。理由は簡単。クリスの身元がバレない為の手配。一応これでも有名人だから念のためだよ」

「そうですか」


 面倒臭いんだなと理解し、何かあったら全て彼に委ねようと亜子は決めた。


「それでも事務所の方に送るから直接送っても大丈夫なんだけどね。本当に念の為だよ」

「そうなんですか」


 そんな他愛もない会話を続け、3人は遅い昼食を済まして店を出る。


「夕方に戻れば良い?」

「だな」

「ならもう少し買い物ね」

「その前にトイレに行かせてくれ」


 告げて公衆トイレに彼は向かう。

 2人で待つこととなったクリスと亜子は、不意にクリスが自分の胸を押さえた。


「マネージャーからね」

「あっはい」


 特に何も告げずスマホを押さえてクリスも離れる。

 1人で待つこととなった亜子はぼんやりと目の前の看板を見つめていた。


 と、横合いから軽い衝撃を受けてよろめく。

 何があったのかと視線を向けると、ガラの悪い青年グループが居た。




「何だよ。美人の外人が居るって聞いたんだけど?」

「知らないっす。でもこれでも良いでしょ? 胸は大きそうっす」


 囲まれ、有無を言わさず連れられた亜子は人気のない場所に連れて来られた。

 何となく自分は運が無いのかな……と思いつつも冷や汗が止まらない。

 自分が知る限り彼は、こんな場合に颯爽と現れるキャラでは無い。


「まあ良い。外人は後回しにしてこっちで楽しめば良いんじゃない?」


 とても短絡的に彼らがそんな結論を出した。




『亜子は?』

『……』


 混雑するトイレからようやく帰還した柊人は、1人で待つ姉に声をかける。

 だが彼女は全力で視線を逸らした。


『何かあったのか?』

『あ~。ごめん。電話が来てここを離れたの』

『そうか』


 自身のスマホを取り出し柊人は画面をタップする。


『路地の奥か。ここなら騒ぎにならんだろう』

『そうね』

『ただし……このことは父さんと母さんにメールするからな?』

『許してよ。あの2人のお説教は長いんだから』


 肩を落とし気落ちする姉を見て、柊人は軽く笑うと歩き出した。




 何が起きたりか良く分からない。

 呆然とした面持ちで亜子はそれを見つめていた。


 不良っぽい人たちの手が伸びて来たから悲鳴を上げようとしたら、ガタイの良い人たちが来て全員をあっさりと鎮圧してしまった。

 結束用のバンドで後ろ手に拘束し、口の中に布を押し込みテープでぐるぐる巻きにする。


「ダイジョウブ?」

「はい?」


 声をかけられて顔を動かすと、人懐っこい笑みを浮かべる黒人が居た。

 パッツンパッツンの筋肉が目立つ……彼の友人のマイクだ。


「マイクさん?」

「oh ソウヨ」


 陽気に笑い彼に軽く肩を叩かれる。それだけでも肩が抜けそうな衝撃を得た。


「マイク。後は俺がやる」

「OK」


 と、拘束した不良をマイクに預け、白人の中年男性が亜子の前に立つ。


「初めまして。私はホークだ」

「あっどうも。亜子です。椿亜子です」

「大丈夫。君のことはある程度把握している」

「はぁ」


 理解が追い付かず連行される人たちを眺める。

 ホークと名乗った彼はスマホを取り出すとその画面をタップした。


「シュウトか。大丈夫。君のお姫様は保護してある」

「そりゃどうも」

「ふあっ!」


 背後からの声に驚き飛びのくと、いつの間にかに柊人とクリスが居た。


「悪いなホーク。手間をかけて」

「大丈夫だ。これが俺たちの仕事だからな」


『ハハハ』と映画のような笑い声をあげ、夫である彼と腕をぶつけ合ってホークと名乗る彼は歩いて行く。気づけば亜子たち3人しか残って居ない。


「柊人さん?」

「説明……要る?」

「はい。出来れば詳しく全部」


 色々な感情を置き去りにして亜子はまず説明を求めた。




(C) 甲斐八雲

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