No,20
『少しは時間を考えてよね』
「済みません」
『お兄様がオペするなら平気よ。本物の天才だし、何よりあの人が依頼無しで勝手に手術するのなんて私たち家族だけだしね』
「はあ」
『コミュニケーションに関しては残念な人だから気にしないで。多分初めて会った弟の嫁にどう接したら良いか分からないから保留したんだと思う』
「それなら良いんですけど」
『それかどんな衣装が似合うか考えたか。うふふ……』
うすら寒い笑い声が響いて来て、亜子はスマホを耳から少し遠ざけた。
『彼が1時間と言ったのならそうなるはずよ。だから安心して手術室の前で待ってなさい。貴女は少なくとも彼の妻なのだから』
「……はい」
姉からの言葉に心をときめかせ、亜子は手術室の前で待った。
開始から52分で閉じられていた扉が開いて彼は病室へと運ばれ、亜子は身内ということで主治医に呼ばれた。
「端的に言うと古傷の一部が化膿していた。表層では無くだいぶ奥で膨らみ他の臓器や血管、神経などに触れていたのだろう」
「……」
「本来ならやらないが術後の回復を考え内視鏡で手術した。術式に関しては全て私任せであり、どんな実験的なことをされても文句を言わないという契約になっているのでな」
PCの画面に浮かぶ検査結果に目を通し、ミハエルはようやく亜子に目を向けた。
「手術は成功だ。ただ膝の方の調整もあるので退院は3日後となる」
「……ありがとうございます」
ようやく安堵し亜子は深く深く頭を下げる。
すると彼の手が肩に触れ下げている体を起こされた。
「頭を下げる必要はない。あれは私の弟だ」
「はい」
「何より君はあれの妻であろう? ならば私の義理の妹となる」
「……そうですね」
少しだけ笑って亜子は彼を見る。
冷たい空気を纏っているが彼が本物の名医であるのは姉のお墨付きだ。
だからこそ……柊人の幸運に若干呆れてしまう。
名医と兄弟になるのなら、最初から飛行機事故に巻き込まれない幸運を持って欲しいけれど。
「君にはこれを渡しておこう」
「……はい」
名刺だった。白地の飾りっ気のない物だ。
「私の連絡先が記載されている。登録したら破いて破棄して欲しい」
「はあ」
「家族以外の者からの連絡など煩わしいのでね」
言って彼は少し照れた様子の表情を隠すように立ち上がると、亜子に背を向けた。
「次の依頼があるので私は失礼する。明日の午後にまた病室に行くのであれが起きたら伝えておいてくれ」
「分かりました」
「では」
「あっ」
呼び止める亜子の声にミハエルは足を止めた。
「……ありがとうございます。お兄さん」
彼は何も言わずに軽く笑うとその場を去った。
ただしばらくするとアメリカの姉から苦情のメールが来た。
『大人しい妹は良いものだなって言われたんですけど!』と書かれた物を見つめ……亜子はクスクスと笑った。
「亜子さんや。何か果物が欲しいのですが?」
「ご安心ください。お母さんから高級フルーツが籠で来てますから」
「流石母さんだ。分かってる」
借りて来た果物ナイフでリンゴの皮をむいて、亜子はそれを彼の口に運ぶ。
何故か看病をしている今の状況が嬉しくなって来る。
「亜子さんや。何故に泣く?」
「……返事が無い人の看病って凄く怖いんですからね」
「悪かったよ。何か急に体が重くなって気づいたら兄さんに腹を押されてるしさ」
「ですね」
涙を拭って笑顔になって亜子は彼の口にリンゴを運ぶ。
口を動かし食べてくれる彼の動きに心の底から安堵する。
「それで兄さんは何だって?」
「はい。明日の午後に膝を見に来ると」
「そっちもあったな。下手したら今年の夏休みは病院生活かもしれんな」
「そうなんですか?」
「ああ。人工の膝を取り替えるかもしれないんでね。こればかりは兄さんの判断待ちだな」
「……」
スマホを取り出した亜子は、柊人が起きるまでに登録したアドレスにメールを送ってみた。次の依頼とか言っていたから返事は遅くになるかと思ったが、意外とすぐに返信が届いた。
「膝の取り換えは無いそうです。ただ調整はするって」
「迷わずメールして聞いちゃう君にビックリだな」
「そっちの方が効率的ですよね?」
「……」
効率で言えばそうだが、相手は世界を股にかける名医だ。
ただ質問だけでメールするのは柊人としたら少なからず抵抗があった。
「凄いわ」
「そうですか? ただお兄さんにメールしただけですよ?」
「……そうだな亜子の言う通りだ」
苦笑して手を伸ばした柊人は亜子の頭を優しく撫でた。
翌日膝の調整をする柊人の治療に立ち会った亜子は、膝の一部から覗いている金属部分に金物を突き刺し回す様子を見て……椅子に腰かけたままで静かに気絶するのだった。
こうして2人のGWは2日ほど延長して終えた。
2人揃って休んだことにクラスメートから何とも言えない視線を向けられたが、特に何かを言われることも無く済んだ。代わりに廊下で会った校長先生から『笹団子を送り過ぎだ。糖尿病にする気か?』と夫へのクレームを聞く羽目になったが。
ただ亜子は、この後にとんでもないラスボスが居ることを知ることとなる。
(C) 甲斐八雲
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