No,14

 亜子が引きずり込まれた先はベランダにある露天風呂だ。

 たまにしか来ないのに綺麗に掃除されているのは、訪れる前に清掃業者を頼み掃除して貰っているからだという。


 露天の大浴場が存在していても柊人がそちらに行くことは無い。

 自分が良くてもその体に刻まれた傷跡を嫌う者が居ると知っているからだ。


 個別の露天風呂であるからクリスも亜子もその身を晒し湯に浸る。

 二度風呂となる亜子としては少々辛い。何より相手の視線が辛い。

 全身を隈なく確認して来るその目が痛いほどに突き刺さるのだ。


 美の化身とさえ思わせる裸体を誇る女優兼モデルを前に自身の貧相な裸体を晒す辱め……これ以上の屈辱など何処を探しても無いだろう。


「胸だけね」

「どうして突然流暢な日本語で?」

「日本語が分からないと思わせてる方が色々と楽しい話が聞けるからよ」


 バサッと長い金色の髪を払い、クリスは女神のような笑みを浮かべる。話の内容は邪神の類を思わせるが。


「私は天才だから日本語なんて2年でマスターしたわ」

「意外と頑張り屋さんなんですね」


 バシャバシャと湯をかけられ亜子は頭の天辺からずぶ濡れになった。


「それで……貴女は何を企んでシュウトに近づいたの? お金? それだったら私が1,000万ドルを即入金してあげるからそれを持って消えなさい」

「……」


 どうもこの姉と弟はとんでもない金額を簡単に動かせるらしい。


「お金なんて要りません」

「なら何? シュウトからお金を取ったら、悪運を上回る幸運を同居させる不思議体質ぐらいよ」

「自分の弟と呼んでいる人にその辛口はどうかと」


 またバシャバシャとお湯をかけられ亜子は頭の天辺からずぶ濡れになった。


「良いのよ。あれは私の弟だから。弟は姉の傍若無人を笑顔で受け入れる存在であるべきなの」

「無茶苦茶な」


 またまたバシャバシャと……以下略。


「それでどうしてあれに近づいたのかしら?」

「どうしてって……」


 問われてみれば全て自分の我が儘だ。

 勝手に絶望して、生き残りたいからすがった彼が救いあげてくれただけのこと。

 本来なら見捨てられてても良いはずだ。遊ばれて捨てられてても良いはずだ。それなのに彼は全部受け入れ拾ってくれた。


「わたしは……」

「何よ?」

「彼に甘えているんだと思います」

「……」


 ボロボロと涙をこぼす相手にクリスは笑みを消した。

 笑っても良いとは思えなかったからだ。


「我が儘を受け入れてくれて、わたしに居場所を与えてくれた。両親に家族扱いされていなかったわたしを救ってくれた。だからわたしはそれに甘えて……甘えて……」


 両手で顔を隠すようにして、亜子はその肩を震わせる。

 そっと歩み寄ったクリスは彼女を抱きしめ、頭を撫でてやる。


「あの弟は本当に不思議な力を持っている。絶望において他人に希望を与える稀有な存在よ。だから私はあのマイアミ沖で救われた。私たち家族は絶望の中で彼に救われたのよ」

「……」


 鼻を啜り涙を溢し、亜子は自分の耳に意識を向ける。


「私は子役からの脱却に足掻き迷走していた。色々やって……やりたくない仕事もしていた。あの時も出たくないバラエティー番組の撮影の為にあの飛行機に乗って事故に遭ったわ」


 まだ4月とは言え深夜の外は冷える。

 クリスは亜子を誘い湯にその身を浸かる。


「お父様は選挙活動で対立候補の資金に物を言わせた戦い方に絶望し、お母様は亡き夫の会社が傾いたままで持ち直さず資金繰りで行き詰まり絶望し、お兄様は医学界の年功序列の仕組みに弾かれ続けて絶望し、私は全てに絶望していた」


 亜子を離し、ゆっくりと顔を上げたクリスは満天の星を見上げる。


「全員が絶望を抱いて下を向いていた。それに応じるように乗っていた飛行機はエンジン全て故障して海に向かって……バーン」


 水面を叩いてクリスは苦笑する。


「助かった私たちは必死に残骸に抱き付いて生きようとした。力尽きた人や怪我人が海面上から消える中で……シュウトは絶望せずに1人で戦ってくれた。

 私たちに必死に声をかけて、それで提案したのよ。『全員が絶望しているなら全員でその絶望を共有すれば良い。家族になって絶望を分けあおう』ってね。そして私たちは家族になった」

「……」


 初めて聞く言葉に亜子は素直に聞き入る。


「近くを航行していたアメリカ海軍の船舶からヘリが飛んで私たちの救助に来た。上院議の1人だったお父様が最初に助けられ、次いでアメリカ企業に関係のあるお母様が、医者であるお兄様が救われ……次は彼になるはずだった。

 あの馬鹿は、墜落の時にあっちこっちを骨折していたし、何よりサメにも齧られていたから。でも彼は私を優先したのよ」

「柊人さんらしいですね」


 本当にそう思えた。彼なら絶対に先を譲る。


「ええ。でもそれを上から見ていた私の気持ちは分かる? 彼がサメに襲われ食われる姿をこの目で見たのよ?」

「それは……」


 耐えがたい景色だっだろう。


「まあ上官の指示を無視したマイクが、ヘリから飛び降りてナイフ1本でサメをフカヒレの材料にしたんだけどね」

「……」


 マイクと多分あの時の彼だろう。何故か納得してしまった。


「運ばれた病院でお兄様が全力で治療し彼は助かった。それから私たちは全力で自分たちの絶望と向かい合って戦った。

 結果……周りの人たちが見れば『成功者』に見える程度に足掻いて見せたわ」

「凄いですね」

「凄くないわ。彼に比べれば、私たちは五体満足で自由に駆けることだって出来るのだから」


 辛そうな笑みを浮かべクリスは一筋涙を落した。




(C) 甲斐八雲

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