2章『王子様は…』

No,9

「ふぅ……」


 帰宅早々深い息を吐いて、柊人はソファーに倒れ込む。

 もう少しでGWだが、それまでに体の方が限界を迎えそうだった。


 ゆっくりとソファーの上で体を動かし仰向けになる。

 スマホを取り出して……体のことに関しては頼りになる"兄"にメールをする。

 内容はいつも通りだ。


『かなり辛い』


 普段ならそれで終わりで送信するだけだが、今回は報告もある。

 個人のプライベートに興味を持たない兄ならば、最初に告げても騒ぎにはならないはずだ。

 故に柊人は言葉を付け足した。


『結婚しました』と。




 ドイツ・ベルリン



「Dr カルシュベーゲ」

「どうした?」


 手術中に発せられた助手の声に彼が反応した。

 多重臓器移植手術の真っただ中であって、執刀医である彼は30歳にも関わらず『天才』の名を欲しいがままにしている名医だ。


 世界中から彼に手術依頼が舞い込み、エージェントが仕分けをする。だがその中で唯一彼個人に直接依頼できる人物がこの世界に4人だけ居るのだ。

 その4人は彼個人のスマホに連絡を寄こす為、手術中であってもスマホが震えたら画面を確認し彼に告げることが決まりになっている。


「日本からです」

「シュウトか。何と?」


 肝臓移植を終え、僅かな休憩を得ている時だ。

 カルシュベーゲはその氷のような冷たい目を助手に向けた。


「はい。かなり辛い、と」

「膝か内臓か……行けば分かるな」


"弟"からの呼び出しだ。本当に手の掛かる弟であるが、彼が居なければマイアミ沖で全員サメの餌になっていたのだ。兄として優しさを見せてやるべきだろう。

 らしくなく軽く笑い……彼はまた移植手術に取り掛かろうと、


「それと結婚したと」

「そうか」


 再開しようとした外科医の手が止まった。


「今何と言った?」


 その日ベルリンにあるとある病院で執刀した天才的外科医が、存在すれば多臓器移植手術のワールドレコードとなる速度で手術を終えた。


 理由は……家族にメールをする為だった。




 イギリス・ロンドン



「奥様」

「何かしら?」


 仕事の合間で立ち寄ったホテルの一室で、忙しなく書類を見つめる女性に対し恭しく執事がスマホを差し出して来る。

 彼女に直接連絡をしてくるのは本当の家族では無く、"家族"だけだ。


「またクリスかしら? あの子はアフリカで密猟者をハンティングするとか物騒なことを言ってたけれど……もしかしたら本当にやってしまったのかしら?」


 そうなるとちょっとした問題になりかねない。また裏から手を回して"彼"に頼んで……そう言うことか。彼の説得をおねだりしたいのか。

 本当にあの"娘"は、普段強気な割に何かあると甘えん坊になるから可愛いらしい。


「いいえ。そちらでは無くご長男様から」

「あら? ミハエルから?」


 珍しく連絡を寄こした相手に初老の女性の表情が緩む。

 鉄の女と財界では呼ばれている彼女が受け取ったスマホを嬉しそうに操作する。

 と……その表情を凍らせた。


「どうかなさいましたか?」


 ゆっくりと顔を上げた主に執事は内心冷や汗をかく。

 何があっても動じない彼女がはっきりと分かるほどに動じているのだ。


「いつなら行けるかしら?」

「はっ?」


 動揺しているのか彼女らしくない問いに執事は普段あり得ない反応をした。

 そのことに気づかず彼女……エリヘザートはもう一度口を開いた。


「日本へ行きたいの。いつなら行けるかしら?」

「……至急スケジュールを確認いたします」


 慌てて飛び出して行く執事の存在を忘れ、エリヘザートはスマホを見た。


「シュウトが結婚だなんて……何も聞いてないわよ?」


 沸々とその表情に恐ろしい笑みを浮かべ笑い出した。




 アフリカ・サバンナ


「チッ」


 放った銃弾から必死に頭を抱えて男たちが逃げて行く。

 それを睨み……ジープに乗った女性は舌打ちをした。


「アルー? またわざと揺らしたわね?」

「違う。道が悪い」


 元レンジャーの彼はそう言うと、全てをジープのせいにした。

 確かに悪路であるのは認めるが、そう毎回ここぞという時に揺れるのはおかしい。


「良い? あの糞共には動物たちと同じ鉛の弾でもお見舞いしてやらないと、自分たちが何をしているのか理解しないのよ!」

「クリス。怒るのはダメよ」

「怒ってない」


 怒りに頬を膨らませ、彼女は助手席に腰を落とす。

 とびきりの美女だ。スタイルも整ったスラリとした長身の美女である。


 他の家族たちとは違い仕事のオンとオフの期間が長い彼女は、自分探しの旅の途中でアフリカに立ち寄った。すると動物たちが密猟されていると知り、とりあえずでハンターのハンティングを開始したのだ。


 未だ仕留めた獲物は0であるが、彼女のお陰でこの地区の密猟件数は急激に減っていた。


「クリス」

「何よ?」

「連絡」


 衛星式のスマホを突き付けられ、クリスは素直に受け取り画面を見て凍り付いた。


 あの弟が結婚したというのだ。

 あり得ない。自分に一報も無く勝手にだなんて絶対に許せない。


「アルー」

「なに?」

「大至急空港に向かって! それか米軍基地!」

「どっちも遠いよ~」

「良いから急いで! あの弟の結婚相手にお姉さんの何かを見せないといけないんだから!」


 サバンナのど真ん中で……彼女は姉の何かを叫んだ。




 アメリカ・ワシントン


「president」

「どうした? 記者会見の資料なら先ほど」

「では無くこちらの方にご連絡が」


 届けられたのはスマホだ。ただし念のために補佐官名義にしてある物だ。

 受け取った彼はそこに映るメールの文面に目を通し、そして深く椅子に腰かけた。


「アーノルド」

「はい」

「大至急日本国政府に働きかけて首脳会談の手配を」

「それは?」


 背もたれに預けていた背中を起こし、合衆国大統領たる彼……レウカントは渋い表情を見せた。


「可及的速やかに対処しなければいけない案件がかの国で生じた。それだけだ」

「……」


 ゴクリと唾を飲み、アーノルド首席補佐官は急いで準備に取り掛かる。

 今一度スマホを見た彼は、その顔に苦い笑みを浮かべた。


「あの馬鹿息子が結婚とは……本当に順序を守らん奴だ」


 苦い笑みを柔らかな物に変え、彼は笑った。




 日本・関東某所


「あ~しんど」

「大丈夫ですか?」


 買い物を終えて帰宅した亜子は、ソファーで伸びている夫を見た。


「お爺ちゃんは体力の限界です」

「言ってもわたしと2歳しか違わないんですよね?」

「2歳も離れてれば20歳くらいの差が生じます」

「生じません。早く制服を脱いでください。皺になりますから」

「……お嫁さんが鬼嫁に」


 泣く振りをして立ち上がった彼は、自室に向かい着替えを済ませる。


 ただ彼は気付いていない。自身が送ったメールで世界の各所が大騒ぎになっていることに。




(C) 甲斐八雲

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