No,4

 初めて自宅に異性を連れ帰った。

 そんな感傷に浸る暇も無く、亜子は急いで荷物を掻き集める。


 まず必要なのは服や下着などだ。

 昨日の朝、学校に行く前に干した洗濯物などは洗濯竿に並んでいたから自分の物だけ集める。


 あと必要なのは通帳などだ。

 押入れの底に隠してある物を引き抜きそれを大事にしまう。亡き母方の祖母から『学校生活の足しになさい』と貰った自分にとっては全財産だ。


 バックに全てを放り込んで一度だけ部屋の中を見渡す。

 余り物がないことを初めて感謝したくなったが、亜子は何かを自分の中で線引きして普段両親だけが使っている和室を出た。


「準備は?」

「終わりました」

「なら一度外に出よう」


 彼も色々と何かしていたようだが終わっている様子だ。

 荷物を預かろうとする彼に断りを入れながら2人で家を出てから離れた公園へと来た。


「まずこれにサインして貰えるかな?」

「はい」


 内容など確認せず亜子は折りたたまれた紙にサインし、役所経由で立ち寄った100円ショップで買ったハンコと朱肉で捺印もする。

 それから何枚か紙にサインと捺印をし、最後に出て来た書類を見て……動きを止めた。


 白い紙に緑のインクで『婚姻届』と書かれた物だ。

 伴侶となる場所には『椿柊人』とある。完璧なまでに埋め尽くされ空欄の少ない書類だった。


「あの……柊人さん?」

「やっぱりそのままサインとはいかないか」


 苦笑し彼は息を吐く。


「これが一番手っ取り早い方法なんだよな。俺は現在18で君は16だ。あと何年かすると使えない手なんだけど、今なら16の君は結婚が出来る」

「使えない?」

「ああ。民法の改正で両方18にならないとダメになる。でも今は合法な手段だ。それでも問題があるからさっき君の家に仕込みをして来た」

「仕込み?」

「そっちは後で教える。とりあえず手っ取り早く両親の支配から逃れる手段はこれがお勧めだね」


『お勧め』と言われても……ジッと書類を見た亜子は悩む。

 今の時代バツイチぐらい恥でもない。芸能人なんて何度結婚して離婚しているか。ただ自分がそれをするとは思ってもいなかった。


「これだと柊人さんもバツイチに?」

「ああ気にしないで良いよ」

「気にしないでって……」


 唖然とする亜子に柊人は笑いかける。


「バツを消す方法があるんだ。俺にしか出来ないけどね」

「そうなんですか……」


 どんな方法か聞くのが怖くて、亜子はそれ以上質問はしない。

 ただ相手はバツイチになることくらい何とも思っていないらしい。

 だったら……覚悟を決めて婚姻届に必要事項を書いて署名捺印した。


「これで良いですか?」

「OK」


 滑らかな『OK』を耳にしながら、亜子は自分の心臓がドクドクと脈打つのを感じた。こんな書類にサインするくらいで結婚出来るんだと実感し緊張した。


「さてと。問題はここからだ」

「はい?」

「実は未成年が結婚するには保護者の同意書が必要なんだ」


 書類を片付けながら柊人は亜子を見る。


「方法は2つ。偽造するか、親に書いて貰うかだ」


 言いながら柊人は同意書の雛型を取り出す。

『同意書』と書かれた物の真ん中には文章があり、ぶっちゃけ内容よりも最後の保護者の署名捺印が必要だと告げてくる。


「こんな風に保護者の署名捺印が必要なんだよね」

「……」


 絶望的な目で亜子はその書類を見る。

 どう考えても親が自分を手放すとは思えない。

 だったら自分が独立するなど無理だ。それだったら、


「ならわたしが書いて」

「はいストップ。追い込まれると暴走するの直した方が良いぞ?」

「……」


 何も言えなくなって口を閉じる。

 シュンと落ち込む亜子に柊人は次の方法を提案する。


「それでさっきの仕込みに続く訳だ」

「……」

「1回だけ君に頑張って欲しいんだけど出来る?」


 柔らかく笑いかけ柊人は彼女の目を見た。


「この後帰宅した両親の元に戻って貰いたいんだ」

「えっ?」

「そこで……」




「何処で遊んでたんだっ!」


 怒鳴る父親に対して何も言わず亜子は指示された場所に立つ。

 恐怖で全身を震わせ、それでも我慢する。


「良いじゃないの? どうせ男の所で遊んでたんでしょ?」

「……」

「何よ?」

「貴女と一緒にしないでよ」


 震えながら紡いだ言葉に母親が近寄り頬を打つ。

 バチッという音と一緒に痛みを覚えその場にしゃがむ。


「なに言ってるのよ?」

「知ってるんだから! お金が欲しくてスマホのアプリでっ」


 蹴られて殴られる。

 母親の様子に慌てて父親が駆け寄り母親を制した。


「お前そんなことしてるのか?」

「してないわよっ! その子が嘘を言ってるの!」


 激怒する母親の言葉に圧倒され、父親は見る見る母親の口車に乗せられる。

 すると今度は嘘を言ったと言うことで怒りだし亜子を蹴る。


 両親からの暴力を受け、涙ながらに自分の身を護る彼女は待った。

 彼は『必ず助けるから』と言ってくれた。


 ドンドンドンドンドン!


「HEY! HEY!」


 激しく扉が叩かれ外から英語の声に全員が動きを止める。


「落ち着けマイク! 警察を呼ぶから!」


 知っている声が聞こえて来た。

 だが激しく叩かれるドアの音に、両親は顔を見合わせている。

 自分たちの怒声が外人に聞こえ、殴り込まれたと思い込んでいるのだ。


「止めろって! お前が本気で殴ったらそんなドアなんて破けるから!」


 ドンドンと響いていた音がもっと鈍くなる。

 と、痛みを我慢し立ち上がった亜子はドアの元へ歩き開いた。


「HEY! GIRL!」


 黒人男性がぬっと姿を現す。

 初めて見るが……分厚い胸板を見て本当に玄関のドアぐらい殴り破りそうだと感じた。その背後で口に指を立てた柊人が居た。


 勝手に室内に入ったマイクと呼ばれた彼が、両親を激しく英語で怒鳴りつける。その隙に亜子は部屋の外へと出た。


「はい完了。痛い思いさせてごめんな」

「えっあっ……はい」


 何故だか彼の顔を見て、亜子は自分の頬が燃えそうなくらい熱くなるのを感じた。




(C) 甲斐八雲

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