No,3
「わたしは自分だけが不幸せな存在だとばかり……」
「まあ両親が売春を企むようだとそう思うよな」
泣き止んだ彼女をダイニングへ連れて行き椅子に座らせた。
改めてシャツを着た彼は、キッチンに立ちマグカップにインスタントの粉を注いで湯を入れた。
差し出されたマグカップを受け取り、亜子はそれ両手で持つ。ココアの香りが湯気と一緒に顔に触れる。
「柊人さんのご家族は?」
「あ~。うん」
ポリポリと頭を掻いた彼は、大きく息を吐いた。
「母親のことは良く知らないんだ」
「えっ?」
「俺が生まれた時に離婚したとも死んだとも言われてる。詳しく知る叔父さんは、このことになると口を閉じるしね」
「……」
椅子に座り、空になったマグカップをテーブルに置く。
「そのお蔭で物心ついた頃から叔父さんの世話になってね。ちなみに父親はとある有名企業の管理職で……上と下から板挟みにあって、耐え切れずにビルの屋上から」
手の動きで下に落ちる動作を見せ、彼はパンと手を叩いた。
「でも企業は労災とは認めず、それで叔父さんがマスコミ相手に大演説を開始して大問題に発展。
企業側が労災と認めたけど叔父さんと世間がエキサイトして、徹底的に喧嘩して……億単位の賠償金をせしめてね。そのお金を元に叔父さんが外貨のあれとかそれとかに手を出したら、うん十億と増やして今に至ります」
「……」
悲しい話を聞かされたと思っていたが、最後にとんでもない秘密を聞かされ……亜子は暴れる感情に対して大きく呼吸をして落ち着けた。
「別に吹っ切れてるから大丈夫だよ?」
「……」
お悔やみを言うはずが遮られ、亜子は少しだけムッとした表情を相手に向けた。
「両親は居ないけど、まあ色々とあって家族みたいな人は居るからさ。それに仲間にも多分恵まれているし、寂しいとか思うことは無いんだ」
「……強いんですね」
「鈍感なだけかもな。サメに齧られて痛覚とか色々と吹き飛んでるし」
笑う彼はテーブルに両腕を置いて正面から亜子を見た。
叔父の白いシャツを着ている彼女は、どこかの漫画のような何とも言えない雰囲気を漂わせている。
ぶっちゃけエロく感じるから不思議だ。
「さてと。こんな時間になんだけど……少し真面目な話をして良いかな?」
「はい」
ギュッと膝の上で手を握り、亜子も真面目な顔で彼を見た。
「君は本気で家族との縁を切りたい?」
「……はい」
「理由は?」
「……このままだと自分の人生を食い物にされてしまいそうだから」
一度鼻を啜り、亜子は真っ直ぐな目を彼に向けた。
「売春で終われば良いです。それ以上を求められたら? わたしはたぶん自分を殺すか相手を殺すかのどちらかを選んでしまう」
「そうだろうな」
この部屋に来た時彼女から思いの丈を聞いている。だからこそ放り出せないのだ。
『あ~』とため息を声にし、柊人は椅子の背もたれに背中を預けた。
「さっき言ったけどさ……俺はマイアミ沖で一度死に掛けたんだ。その時に誓ったことがある」
「……何ですか?」
興味と言うか自然と何かに突き動かされて口を開いていた。
「俺の出来る範囲で助けられるのなら、困っている人に救いの手を差し伸べる」
「……」
「困ったことに、今回のこれは出来る範囲なんだよね」
優し気な口調でそう告げると、泣きそうで寂しげな亜子の瞳に向かい彼は笑う。
不思議と安心感を覚える優しい笑みだ。
「ただし俺が本気を出したら、君の家族は本当に二度と君に干渉することが出来なくなる。文字通り縁が切れるけどそれで良いのか?」
「……はい」
覚悟を決めた彼女の目に、柊人はまた笑った。
「なら難しいだろうけどちゃんと寝て、朝から学校に行くこと」
「はい」
「それでお昼に駅前の喫茶店に来てくれ」
「……柊人さんは?」
自分は学校に行かないとでも言いたげな彼の言葉に亜子は訝しげな目を向ける。
彼は軽く自分の膝を叩いた。
「元々これの関係で、明日は午前中に病院に行く予定だったんだ」
「そうなんですか」
納得し、亜子は飲み終えたマグカップを彼の分も回収してキッチンへと向かった。
「そのまま置いておいても良いけど?」
「いいえ。これぐらいはさせてください」
軽く洗って片付ける。
何となく時間を待て余す状況になり、亜子は頭を下げて借りた部屋に飛び込んだ。
「不幸には見えないほど初々しいね。本当に」
頭を掻いて彼も寝ることにした。
寝付けずにベッドの中をコロコロしていたら目覚ましが鳴った。
仕掛けていなかったのに鳴った目覚めしを止めると、時計にはメモ紙が貼られていた。
『鍵は後で返してくれ』と簡単な言葉と時計の近くには鍵が置かれていた。
寝顔を見られた……とそっちの方が気にはなったけれど、どうにか気持ちを持ち直して身支度を整えて彼の家を出る。
一応確認したが、柊人の部屋は無人だった。
寝不足で学校に来た亜子は、普段と変わらない世界に何とも言えない気持ちになる。
無断で外泊したのに、両親は学校にすら連絡していない。
自分なんてそんな存在なのだと理解し、ますます嫌な気持ちになった。
授業を受けながらチラチラと空席の場所に目を向け、集中できないままお昼に学校を出た。
「来たか」
「はい」
口を真一文字に閉じた亜子が、緊張から怖い顔をしていた。
やれやれと肩を竦め、柊人は彼女を使っているテーブルに案内し向かい合うように座った。
預けていた鍵を受け取り、彼女に飲み物を頼んでから本題に入る。
「これから君には少し頑張って貰うことになる」
「はい。何でもします」
やる気に満ちている亜子を見ると、何も言えない感情が湧いて来る。
だけどそれほど彼女は両親との縁を切りたいのだろう。
本当の両親が居ない柊人としては複雑な心境ではあるが。
「なら質問からだ。この時間、君の両親は?」
「はい。多分パチンコ屋さんに」
「……両親揃って?」
「はい」
重ねて問われた質問に、亜子は恥ずかしさから俯き加減になった。
平日の昼間に2人揃ってパチンコ屋に通っていることなど、普通なら知られたくはない。
両親が仕事をしていない証拠だし、何より本当に何もしていない。
去年亡くなった祖母の年金を食い物にしてきて、彼女が死んでからは残してくれた貯蓄を食い物にして生きている存在だ。
自分もそのおこぼれで生きているのだから両親を悪く言えないが。
「なら丁度良い。これから君の家に行って、まず必要な荷物を回収して来る」
「はい」
立ち上がり行こうとする亜子を柊人は慌てて引き留めた。
「1人で行くなって。俺も行くから」
「はい?」
ゆっくりと彼も立ち上がった。
(C) 甲斐八雲
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