自由を勝ち取れ

「七時の方向に船確認! 海軍だ!」


 見張り台からの叫び声に、船員たちは左後方を振り返った。水平線の向こうに、一隻の船の影が見える。白い帆と旗をもつ、多くの大砲を備えたフリゲート艦。


「お前ら、やっぱ目ぇつけられてたんじゃないのか!?」

「ええ!?」

「そんなこと言われたってぇ」


 狼狽するミレイユとラロを尻目に、甲板よりも一階分高い船尾甲板に立っていたアウレリオは一人冷静に敵船を見つめていた。


「……撃ってこないな」


 その言葉で船員たちは互いの顔を見合わせた。確かに、耳を済ませても、大砲の音が聴こえてこない。しかし、接近してくる以上、こちらに気づいていることは間違いないはずだ。

 海賊を見つけたら問答無用で攻撃してくるはずの海軍が、なにもしてこないのは妙だった。


「相手はレイナルドか。ふむ……」

「船長?」


 訝しむ仲間に反応を示さないままアウレリオは顎に手を当てて考え込んだ。三角帽の下の鋭い眼光は、大きくなったフリゲート艦に向けられている。

 操舵手が、航海士が、黙して船長に注目していた。

 やがてアウレリオは顔をあげ、柵に手をかけると、甲板の上ではらはらと船長を見上げていた部下共に向かって声を張り上げた。


「野郎共! 海戦だ、迎え撃て!」

「やるんですか!?」


 悲鳴に近い叫び声が、あちこちから上がる。


「ああ。大将がいるだろう。引きずり出せ」

「よっしゃあ!」


 わっ、と甲板上が沸き立った。アウレリオの支配のもと紳士的な行いが求められている船員たちであったが、さすが海賊とあって、みな血の気が多い。


「操舵手、取り舵!」


 船長の号令にやや遅れて、船体が左に旋回を始めた。


「適当に撃て。沈めるなよ」


 続いて、床下の砲列甲板から次々に砲弾が発射された。砲弾は船長の命令通り、敵船を避けて海に落ちて行き、周囲に水柱がいくつも立てられた。


「戦いか……」


 腹に響く大砲の重い音が鳴る中で、甲板の上に直に座り込んだミレイユは自分のピストルに装填しながら押し殺した声で呟いた。弾丸の包み紙を破り、銃口から火薬を込め、弾丸と包み紙を込め、押し矢で奥まで押し込む。てきぱきと淀みのない動きだが、緊張で微かに指先が震えていた。

 抜き身のカットラスを肩に担いだラロは、空いた手でそんなミレイユの肩を叩いた。


「お嬢、あんまりはしゃぐなよ」


 振り返ったミレイユは、子供みたいにうずうずして落ち着きのないラロを見上げて苦笑した。


「その言葉、君に返すよ」


 にか、と少年は笑い返す。力にこだわるこのお守り役の少年は、この船の中でもとりわけ戦うことが大好きなのだ。

 とはいえ、ミレイユもあまり人のことは言えない。命をやり取りする事の意味が分かっていないと言われそうだが、自らの力で活路を切り開く戦いという行為に胸が多少なりとも踊ってしまうのだ。


 やがて砲撃が止んだ。白い帆の軍船が左手側に迫っている。敵船に乗り込めるとあって、船内は興奮に高まりつつあった。

 そして、いよいよ接触する。

 船と船の間に橋桁が置かれ、仲間たちが渡っていく。帆の上から垂れたロープにぶら下がって飛んでいく者もいる。


 戦いが始まった。


「そぉら、行くぜぇ!!」


 たたたた、と軽快に甲板を蹴って、船の向こうに消えていくお守り役の少年。


「あーあ、行っちゃったよ」


 はしゃぐな、と言った張本人のあまりのはしゃぎように、ミレイユは呆れた声を上げると、撃鉄を上げ、銃を構えた。狙いは鉤縄をマストに引っ掻けて、縄先にぶら下がって飛んでくる白い軍服。


「海軍もあんなことするんだなー……」


 そんなことを呟きながら、静かに引き金を絞った。撃鉄が倒れ、火打ち石が火皿を打つ。火皿の火薬が爆発し、続いて装填した火薬の爆発すると、弾丸は銃身から飛び出した。滑空していた敵の命綱を撃ち抜いたのを確認しないまま物陰に隠れて、次弾を素早く装填する。

 装填が終わり、物陰から身体を出したところで、白い小さな影がミレイユの前に立ちはだかった。


「やっぱり、ミレイユ嬢!」


 かつて何処かのパーティーで見かけたことのある少年の言葉を聞いて、ミレイユは撃鉄を戻し、突き付けた銃口を上げると、背筋を伸ばして士官候補生に相対した。


「フェレロ家のエリアス様。やはり気付かれていましたか」


 マルティナの町で彼に救われたときから、ミレイユは相手の正体に気付いていた。特に何も言ってこなかったので、素知らぬ振りをして急ぎその場を立ち去ったが、最後にしつこく声を掛けてきたのを見て、もしやとは思っていたのだ。


「どうして貴女がこのような真似を!」


 問いただすエリアスを、ミレイユは黙殺する。周囲では相変わらず戦闘が繰り広げられているというのに、ミレイユとエリアスの周囲は不思議と静かだった。


「……ミレイユ嬢、お父上が捜しています。帰りましょう」


 こちらに手を差し伸べるエリアスを、ふ、と鼻で笑った。


「ご冗談を。帰ったらわたくしがどうなるのか、存じ上げないわけではないでしょう? 幽閉されるか、秘密裏に処理されるか。良くて、好色な殿方に売り払われるか。そんなの、どれもごめんだ」


 驚愕するエリアスに銃口を突き付け、ミレイユは声高に宣言する。


「私は、もうこの海賊の一員だ。今更、帰る気なんかないんだよ!」


 撃鉄を上げてすぐさま撃つ。発砲音と共に発射された弾は、咄嗟に身を捩ったエリアスの髪を掠めて、空の彼方へ消えていった。

 貴重な一発を無駄にしたミレイユは、歯噛みしながら数歩後退する。


「どうやらここでの説得は難しそうです。強引にでも、連れていきます」


 サーベルを抜き、ゆっくりと歩み寄るエリアス。ミレイユも慌てて腰のサーベルを抜き取った。相手に剣を向けた格好で構える。


「やれるものなら……やってみな!」


 大きく一歩足を踏みこみ、鋭い突きを繰り出す。きん、と鳴って打ち払われたのを切り返し、二歩、三歩、四歩と前へ出る。相手は攻めの姿勢のミレイユにやや驚きつつも、剣を打ち払いながらこちらの動きに合わせて後退した。

 自らの優勢を悟ったミレイユは、なおも前に出て、次々に剣を振るった。

 エリアスは捌ききるので手一杯。あれよあれよと追い詰められ、後ろに下がっていくのを、ミレイユは楽しげに弄び――


「やりますね……けどっ!」


 しかし、気づいたときには、ミレイユの剣は相手によって跳ね上げられていた。


「あ――っ」


 呆然としたのも束の間、その隙にエリアスが懐へと間合いを詰めてくる。ミレイユは直ちに自分の腕を引き戻し、左脇腹めがけて伸びた相手の剣を打ち払った。


 そこからは、立場が逆転した。


 真っ直ぐな剣筋がミレイユに襲いかかる。さすが海軍士官の家に生まれ、海軍になるべく育て上げられたとあって、エリアスの剣技は鋭かった。先ほどまで相手を圧していたはずのミレイユは徐々に圧されて行き、最後には壁まで追いやられていた。


「覚悟っ」


 大きく振り上げられた剣を見上げて、目を見開き、観念したように顔を背けた――ように見せかけて。

 左手を腰に回して素早くもう一本の銃を取り出すと、撃鉄を上げて予め込めてあった弾を発砲した。

 発砲音にあとに、金属と金属がぶつかりあう音がする。弾丸が剣の刀身に当たった衝撃で、エリアスは自らの剣を取り落とした。


「な……っ」


 エリアスは剣を振りかぶった格好のまま、空っぽの手の中を見て固まった。ミレイユは不敵に笑いながら、そんな彼の首元に刃を置く。


「甘く見ないでもらおうか」

「く……っ」


 たらり、とエリアスの額を汗が伝う。そんな彼にミレイユはもう一度微笑んで、片足を上げると、彼の胸を踏みつけるように蹴り飛ばした。

 床に転がる少年を醒めた目で見下ろす。ミレイユとて伊達に半年海賊をやっているわけではない。戦闘経験はそれなりにこなして、強くなっているのだ。それを貴族の娘だったからと侮ってくるのがいけない。


 さて、どうしてやろうか、と考えあぐねていると。


「なぁにやってんスか、お坊っちゃま!」


 真上から降ってきた声に、ミレイユもエリアスも空を振り仰いだ。帆柱から人影が飛び込んでくるのが見え、ミレイユは咄嗟に飛び退いた。

 だん、と甲板を踏み鳴らして、色の濃い金髪を二つに纏めた水夫服の少女が落ちてくる。


「あんまりいい加減なことをやってると、足下掬われるッスよ」


 結構な高さから降りてきたはずの水兵の少女は、足を痛めた様子もなく、すくっと立ち上がって見せると、二本のグラディウスをそれぞれ逆手に構えた。


「さて、お嬢様。私の報償金と手柄のため、大人しくお縄に掛かってもらうッス」


 新たな敵にミレイユが剣を構え直したそのとき。


「させるかっての!」


 二人の娘の間に新たな影が割り込んできた。


「ラロ!」


 喜色の声を上げたミレイユに、乱入者――ラロは怒鳴り返す。


「おいこらお嬢! なに追い詰められてんだよ!」

「追い詰められてはいないよ? 詰め寄られてはいるけど」

「うるせぇな、そこは素直に助けに入った俺に感謝しとけよ!」


 わりと余裕なお嬢様を振り返らないまま悪態を吐き、くるりと少女のほうを振り返る。


「邪魔するなら、容赦しないッスよ」


 新しい敵の乱入にも動じなかった水兵の少女は、冷静に相手を見定めていた。後ろで、エリアスも剣を拾い上げている。

 ミレイユもまた、剣を握り直した。


「それはこっちの台詞だよ!」


 叫びながら、ラロは敵に突っ込んでいく。

 第二戦が始まった。




「アウレリオ、どういうつもりだ!」


 凄い形相で詰め寄ってくる勅任艦長に、アウレリオは皮肉げに笑った。


「別に? お前さんがたの狙いが何かって、訊いてみたかっただけだよ。でも、まさかうちのお嬢さんが狙いだったとはなぁ。今更すぎて笑いも出ないね」


 聞けば誘拐されたのは半年も前だという。その間死に物狂いで捜せば手懸かりくらいは掴めただろうに、みすみす彼女が売られていくのを見過ごしていたのだから、親の娘に対する愛情は自ずと知れるというものだ。

 親なんかどうでもいい、と日頃から豪語し、得た自由を謳歌する娘の気持ちは推して図るべし。そして本人もそう言うのなら、アウレリオが言うことも何もない。


 だが、正義の海軍士官様は、そんな彼女の行いを良しとしないようだ。


「彼女を引き渡せ」


 青い瞳を鋭く光らせ、レイナルドはアウレリオに詰め寄った。


「お断りだね。あれは俺の所有物だ。大事な船員の一人でもある」


 冷笑し、銃を向ければレイナルドは激昂した。


「堕ちたか!」

「俺は海賊だ。妙な期待をされても困るね」


 声を張り上げるレイナルドに対して冷静に返すと、アウレリオは空いた左手を上げて肩を竦めてみせた。


「というわけで、目的は分かったから十分だ。帰らせてもらう」

「逃がすと思うか」


 剣を振り上げ、厳しい目付きでレイナルドはアウレリオに迫る。その表情が、甲板下の爆発音によって驚きに変わったのは、すぐのことだ。


「逃げられないとでも思ったか?」


 大きく船体が揺れるのをものともせず、アウレリオは船の端の方へ優雅に歩いていった。その余裕な様子に、レイナルドはこの事態がアウレリオの仕業だと気付いたようだ。


「貴様、何を!」

「うちの奴を何人か、砲列甲板にお邪魔させてもらったよ」


 は、と足音を見下ろすレイナルド。その隙にアウレリオは敵船の甲板を蹴って、並走していた自らの船に飛び乗った。


「引き上げるぞ、野郎共!」


 部下たちの了解の声と、一部の不平を聞きながら自らの船に戻ったアウレリオは、乗り込んでいた水兵を海に落とし、船を旋回させた。船内の爆発と落とされた仲間たちの回収で軍船が混沌に見舞われているのを尻目に、青灰の帆が風を受けて、海賊船はみるみる離れていく。


じゃあなアディオス、レイナルド!」


 自分の船の甲板の上から、大わらわになっている軍船に向かって帽子を振った。レイナルドの方はといえば、余裕がないのか挨拶を返してこなかった。

 その間に、アウレリオの船はどんどん海軍船を離れていく。

 半刻もした頃には、アウレリオたち海賊は、ただ一隻大海原の真ん中にいるのだった。




 海軍を相手取って戦い、見事勝利を納めて逃げてきた海賊たちは、歓声をあげて騒ぎ出す。港を出たばかりだと言うのに、早速酒樽を開ける者までいた。それを諌める者はない。むしろ進んで貰いに行く者のほうが多い。ただし、節度は守る。船を操れぬほどに羽目を外せば、船長の怒りを買う。


 酒になれていないミレイユは、普段は遠慮するのだが、今回は不愉快な過去が絡んだために、ブリキの杯に一杯だけ分けてもらっていた。少しいい気分になって、貴族令嬢だった頃の生活を忘れたかったのだ。

 船尾甲板の欄干に凭れたミレイユは、奇妙な縁で結ばれた仲間たちを見下ろし、一人微笑んだ。本来なら仲良くすることなどあり得なかった男たち。だが、これまた妙なことに、貴族をしていたときよりもずっとたくさんの信頼できる人たちと出逢うことができたように思う。


 その最たる相手であるラロが仲間たちと愉快に騒いでいるのを眼下に見て杯を傾ける彼女の隣に、同じく一杯の酒を携えた船長が現れた。ミレイユと同じように船員たちが騒ぐのを見下ろして、アウレリオは静かに問いかけた。


「一応訊くが、良かったのか? 行かなくて」

「なに、船長。試してるんですか?」


 あまりに心外な言葉に、ミレイユは片眉を持ち上げた。そんなに帰りたいように見えたのだろうか。

 短くなった黒髪と、突っ張ってみせたくて赤く染めた髪の一房を海風に靡かせ、ミレイユは答えた。


「恨まれようが、憎まれようが、犯されたり、殺されたり、晒し首になったりする羽目になろうが、私は自分でここにいることを決めました」


 貴族だった頃は、言いなりになるだけで平穏で贅沢な暮らしができた。誘拐されていなければ、きっとそんな暮らしが続いていたことだろう。あるいは、あのままエリアスの手を取れば、戻れていた可能性もある。

 でもそれは、鳥籠の中の人生だ。誰かの都合で生きて、誰かの望むように囀って、死んでいく。無味乾燥で圧迫されるだけの生涯。

 けれど、半年前に違う生き方を知った。ここに来るまでに辛い想いをしたが、新しく得た居場所は、とても刺激に満ちていた。


「ここなら私は、自分で自分の人生に責任を持てます。大きな箱のなかで暮らすより、ずっと自由だ」


 自らの力で道を切り開き、生を勝ち取る。やることなすこと全て自分次第。スリルに満ち、生きていることを実感させられる。

 ずっとこんな風に生きていけるなら、どんな悲惨な結末が待っていようと今の自由な人生が良い。半年前から、その想いは変わらない。


「だから、私はここで生きます。この、偉大なる海の上で」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る