お嬢の現在

 日の差さない路地裏に入って、そっと通りの様子を窺う。海兵の少年がついてこないことを確認してラロは胸を撫で下ろし、それから隣にいる娘に詰め寄った。


「なんであんなのと一緒にいたんだよ、お嬢」


 ラロはこの娘――ミレイユのお守り役だった。半年前に仲間入りしたこの一つ年上のお嬢様は、何分世間に疎い。加えて男の目を引く容姿であるから、治安の悪い場所に足を踏み入れればトラブルに巻き込まれる。それを憂いた船長がラロに、陸にいるときは彼女と行動するように、と言いつけたのだ。

 正直、気に食わない。何故ラロが女の面倒を見なければいけないのか。いや、そもそもどうして護衛が必要になるような女を仲間に引き入れたのか。しかし、船長相手に不服を申し立てる度胸などあるはずもなく、ラロは半年間彼女と共に過ごしていた。


 さすがに半年も経てば、彼女も自分の身の振り方くらいは覚えたので、最近では楽になった方ではある。だが、まだまだ面倒事に巻き込まれることもあるのだ。今日なんて、その最たるものだ。……まさか、はぐれている間に海兵と一緒にいたなんて。


「ただの偶然だよ。本当に絡まれたのを助けてくださったのさ」

「自分であしらえよ」

「そうしようとしたのだけれど……」


 眉を寄せて困り果てるミレイユに、ラロは肩を竦めた。


「できないんなら、俺から離れるな。お嬢に何かあったら、俺がどやされる」

「はーい、わかったよ」


 素直に返事をして背後を着いてくる娘が本当に理解したのか、胡乱な目を向けたラロは、結局何も言うことはなく歩きはじめた。

 日陰の道を構わず奥へ奥へと進んでいく。綺麗に舗装された道路が、しだいに砂に汚れて欠けていく。石造りの家が、しだいに木でできたあばら屋に。こんなところをミレイユをつれて歩くのは今でも気が重いが、この先にラロたちの乗る船がある。


「……ところでよ、その喋り方、止めねぇ? 正直、違和感しかねぇよ」


 仲間に来たばかりの頃のミレイユは、それはそれは丁寧な喋り方をしたものだ。どこの貴族を拐ってきたのかと、船長を疑った。そしたら本当に貴族の娘だというから、驚きだ。正気を疑った。船長も、そのお嬢様も。

 船の仕事に慣れないという部分はあったが、意外にもミレイユはすぐに乗組員たちに馴染んでいった。しかし、そのうち何を思ったのか言葉遣いを変えはじめたのだ。身なりも男らしいものに変え(と言っても、船の上で過ごす格好なので女物も大差ないが)、ついには髪を一房染めた。

 どうしてそんな酔狂なことをするのかと問えば、いつもお決まりの答えが返ってくる。


「でも、私だって海賊なんだもの。少しはそれらしくしたいじゃない」


 お嬢様口調に戻ったミレイユの視線の先が開ける。波に荒く削られた土地のその向こうに、大きな帆船が現れた。帆柱四本のガレオン船。船首には前方を杖で示した女神像が飾られ、てっぺんには黒地の旗に髑髏のマーク。

 “ウラーニアーの指針”号。海賊アウレリオ・バルラガンの所有する海賊船だ。


「やっと帰ってきたな、ガキども! いったい何処ほっつき歩いてたんだぁ~?」


 甲板から降ってくるダミ声に、ラロとミレイユは二人して身を竦めた。


「ごめんなさい、副船長」


 色黒い筋骨隆々とした副船長に頭を下げるミレイユの横で、ラロが声を張り上げる。


「お嬢が迷子になったんですよ! だから遅くなったんです!」


 そうして浸食が進んでいる桟橋に乗せられたタラップを駆け上がり船の乗り込むと、船尾甲板上に立っていた船長を呼んだ。


「それより船長! 街の中を海軍が歩き回ってます」


 後尾甲板で航海士と話し込んでいた船長は、ラロの声に顔を上げると、三角帽の下から視線を寄越してきた。


「目的は?」

「さあ分かりませんが。なんか捜してる風でしたね」

「面倒事になる前にずらかるか。野郎共、すぐ出るぞ! 準備しろ!」


 船長の一声で、ラロも、ミレイユも、乗組員はみんなばたばたと動き始める。タラップを回収し、錨を上げて、青灰色の帆を張る。

 船長の号令から幾ばくも経たないうちに、南風をいっぱいに帆に受けて、船首の女神ウラーニアーが示す水平線の彼方へ、海賊たちは大海原に乗り出した。




 半年前。

 海賊の船長アウレリオ・バルラガンに買い取られたミレイユは、競売所が襲われ解体されるのを見届けたあと、彼の海賊船まで連れてこられた。そして、船長室へと招かれる。

 海図や書物が山積みになった密室に突然放り込まれたことで身体が固まってしまったミレイユに、椅子にふんぞり返ったアウレリオはこう問いかけた。


「俺の拠点で働くか、それとも俺の船で働くか」


 きょとん、としてすぐに答えられなかったミレイユに、アウレリオはさらに言葉を重ねた。


「お前は俺が買い取った。だから、俺の利になるよう働いて貰わなければならない。ただ愛でるためだけに女を買う趣味は、俺にはないからな」


 笑いながら付け加えられた言葉に、ミレイユは安堵するのと同時に恥じ入った。部屋の隅の寝台を警戒していたことに気づいていたらしい。怯えていることがばれてしまっている。

 動揺をぐっと押し隠して、ミレイユは冷静に尋ねた。


「拠点では、どんな仕事が?」

「飯炊きか、家政婦か、娼婦か……。農業や漁業なんてのもあるが、それはお嬢様には向かないだろう」


 どれも向いていないだろう、と思っていたが、ミレイユは黙っていた。悔しいが買われた身。表立って逆らう立場にない。選択肢があるだけありがたいというものだ。それに、一つを除いては、挙げられた職業に異論はない。……うまくできるかは、さておいて。


「だが、船に乗っても厳しいだろうな。航海術などの船の心得はあるか?」


 なかったので否定すると、


「なら、やはり他と同じ扱いだ。雑用と戦闘が主な仕事だな。因みに船員どもには、女は口説き落としてから抱くものだと言ってある。望まない限りは、滅多なことにはならんだろうさ」


 さてどうする、と聞かれてミレイユはしばし瞑目して考える――つもりでいたが、そこまでするまでもなく、答えは決まっていた。

 目を開き、じっと鷹のような猛禽類を思わせる海賊の目を見つめた。


「船で働かせてください」

「理由は?」


 下らないと思われるかもしれませんが、と前置いて、


「せっかく外に出られたので、あちこち行ってみたいのです」


 拐われるまで、ミレイユは貴族の令嬢として過ごしてきた。肌を磨かれ、髪を櫛梳られ、綺麗なドレスを着せられて、輝く宝飾品に彩られた。夜会へ行ってはきらびやかな音楽の中で男たちと踊り、美食の限りを尽くした。

 周りが羨む贅沢をしてきたことだろう。――でも。


 夜会へ赴く以外はずっと、屋敷に閉じ籠りきりだった。出掛けるのが許されなかった。まさに篭の中の鳥。

 家と言う箱庭に閉じ込められ、ときに誰かに見せびかし、最後には誰かに売り渡すための商品。父にとってミレイユは、そんな存在だったのだ。

 ミレイユはただそれを受け入れて生きてきた。人形のように相手の望むように生きていく道しかなかった。


 けれど、ずっと自由になりたかった。


 誘拐されてからこの日に至るまでは、父とは扱いの違った商品として過ごしてきたので悲惨な日々を送ってきたが……こうして買われた今、新しい人生を手に入れる好機が巡ってきたように思われた。

 それが船に乗ることだというのなら、躊躇うはずもない。


「命懸けでも?」

「命懸けでも」


 誰かの都合に振り回されるだけの人生を延々と続けていくよりは、短くとも自由な人生を生きていきたい。たとえ一瞬にして踏み潰されるような結果であったとしても、だ。

 それに、だ。この男の息がかかった町で暮らすより、船が立ち寄った先のほうが、逃げ出したときの成功率は高そうだ。

 そんな思惑を察したのだろうか。


「見込んだ通りだな」


 アウレリオはにやりと不敵な笑みを浮かべると立ち上がり、机を回り込んでこちらへと来た。


「歓迎しよう。お嬢さん。今日からお前は俺の部下だ」


 そして、ミレイユの肩を抱き、耳にそっと吹き込んだ。


「ただし、簡単には逃げさせない。そこは覚悟しておけよ」


 上等だ。密かにそう思ったのも、もう過去の事。

 海賊生活が予想以上に楽しくて、自分から居着いてしまうようになるのには、大して時間はかからなかった。



~~~~~



「うーん……」


 意気込んで基地を出てしばし、エリアスを置いてきたことに気がついて戻ってきたフィロメナは、とりあえず立ち寄ってみた詰所でエリアスが水を片手に唸っているのを見つけた。置いていったことを怒っているのだろうか、と少し観察してみたのだが、どうも他のことに気を取られているようで、簡素な机と椅子だけの部屋にフィロメナが立っていることに気づいた様子がない。

 このままうんうん唸っているのをずっと聞いているわけにも、かといって放ってどこかに行くわけにもいかず、仕方なしにエリアスに話し掛けた。


「さっきから唸って、どうしたんスか、エリアス」


 ようやくフィロメナがいることに気がついたエリアスは、ああ、おかえり、と虚ろな声で返事して、


「いや、さっき破落戸に声を掛けられた女性を助けたんだけど、何処かで見たことがある気がして……」

「手配されてる令嬢だったりするんじゃないスか?」

「いや、でも髪を一房染めていたんだよ? ご令嬢がそんなことするとは思えないんだけど」


 洒落てるッスね~、とフィロメナは答えて、


「ご主人様の趣味かも知れないッスよ?」


 そう言うとエリアスは訝しんだ。


「……ご主人? 誰かに仕えているというの? 伯爵家の令嬢となれば、出仕することはそうそうないのに」


 呆れて口を開けるのは、フィロメナのほうだった。このお坊っちゃん、よっぽど良い暮らしをしてきたのだろう。たまに寝ぼけたことを言う。


「だって、誘拐されたんスよね? 殺されてないんだったら、売られて奴隷か娼婦か、良くて愛玩かが相場ッスよ。実際、うちの妹も金で買われたし」


 まあ、妹の場合は自分から売りに行ったのだが。

 以前は食いっぱぐれることもあったのだが、今では毎日三度美味しい食事を取れているから幸せだ、と言っていた。フィロメナが稼げるようになったら買い戻すつもりではいるが、それまでに死ぬようなことはなさそうなので、なによりだ。

 ただ、それは貧乏だったフィロメナたちだからこそ言える話であって、お嬢様はそういうわけにもいかないだろう。


 ようやく事態を把握したのか、エリアスは驚愕しながらフィロメナを見上げていた。


「じゃあ、あれはやっぱり……」


 くしゃり、と顔を歪めてその視線が窓の外の海へ向かったとき。

 ばん、と大きな音がして詰め所の扉が開かれた。

 筋骨隆々とした先輩水夫が、フィロメナたちに向かって叫ぶ。


「緊急出動だ! バルラガンの船が沖で見つかった!」


 がたん、と椅子を蹴って、血相を変えたエリアスは立ち上がる。


「ミレイユ嬢は!?」

「判らんが、相手はどのみち海賊だ。捕まえにいくぞ!」


 さっき呆けていたのが嘘のように、エリアスは素早い動きで部屋を飛び出した。

 フィロメナはそんなエリアスの背を呆然と見送り、少しして自分が儲けるチャンスが来たことに気がついて、慌ててエリアスと先輩の後を追った。

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