捜索任務

「任務だ」


 百人ほどが集まってもなお静まりきった大会議室に、凛とした男の声が響き渡る。海軍第十七艦隊の一隻を取り仕切る勅任艦長ポスト・キャプテンレイナルド・オルモス。黒髪に青い瞳が特徴の、精悍な顔立ちの正士官である。

 若い士官の入室に、士官候補生のエリアスは気を引き締めた。背筋を伸ばし、目と耳を研ぎ澄ませる。厳格な艦長の白い軍服は、隙は許さないとばかりに皺も乱れもひとつもない。その姿はまさに理想とする姿であり、彼を前にするとエリアスは緊張を強いられてしまう。

 レイナルドは前方のささやかな演説台に登壇すると、自らの部下たちを見渡して口を開いた。


「半年前、エラン伯のご令嬢ミレイユ様が誘拐された。犯人は捕まらず、令嬢も行方不明のまま……だったのだが、つい最近、目撃情報があった。どうやらバルラガンの海賊船に乗っていたらしい」


 エリアスは眉を潜めた。貴族の令嬢が誘拐されたこともそうだが、気になるのは半年もその事実が伏せられていることだ。誘拐されてすぐは、家と娘の評判を気にして伏せられることもあるが、時間が経過すれば親は子の心配をして、大々的に捜索しはじめる。しかし、ミレイユ嬢はその限りではなかった、ということらしい。あれだけ美しさが評判だった、あの令嬢があっさりと家に見捨てられた事実に、エリアスは驚きを隠せない

 ……しかし、それならば何故いまになって捜索などするのだろうか。


「そのバルラガンが、この近辺にいるという情報があった。

 我らはこのミレイユ嬢の身柄を確保する必要がある。現在、一味は港にいるらしい。港は我らの管轄だ。一班、二班はミレイユ嬢を捜索。他の班は通常業務を行う傍らで、手懸かりを見つけたら報告せよ」

「了解!」


 他の大勢と同じように敬礼してレイナルドを見送ったエリアスは、なんだかやるせない思いを抱えながら部屋を出る。エリアスは一班、つまり捜索班だ。すぐに町に行かなければならない。


 エリアスは、貴族の生まれだ。代々海軍の正士官を輩出していて、父は現在少将、祖父は大将を勤めた。だから、必然的にエリアスも海軍の士官を目指すことになったのだが、それはさておいて、エリアスは一度だけ、社交の場で件のミレイユ嬢を見たことがあったのだ。

 黒真珠のような、慎ましくも艶かしい令嬢だった。同年代と思えぬ艶やかさに、エリアスもつい見とれてしまったものだ。

 綺麗に飾られ、大事にされているように見えたというのに。


「誘拐して身代金、なんてあんまり海賊らしくないッスねー」


 いつの間にか水夫服の少女がエリアスに連れ立っていた。フィロメナという名前の、エリアスの同時期に入隊した水兵シーマンだ。数少ない同年代の新入りということもあって、立場は違うがよく仕事で組まされていた。今回もまた、彼女と行動だ。


 彼女の言葉に同意しつつ、エリアスは考察する。

 海賊は基本強奪が専門だ。襲って、奪う。その過程で誘拐になってしまうこともあるかもしれないが、身代金を要求するなんて時間がかかることをそうそうするとは思えなかった。

 だが、連れ回している以上、それ以外の理由は考えられない。


「貴族のお嬢様の捜索。……見つけたら、追加報酬もらえるんスよね?」


 ひょこひょこと二つに縛った金髪を弾ませながら、うきうきと歩を進めるフィロメナに、エリアスは白い目を向けた。


「フィロメナ……君、こんなときでもお金?」


 彼女は貧しい生まれであるらしく、何かにつけて金、金、と言っていた。こうして従軍しているのも、給料が良いからだ。エリアスみたいな家の事情があるわけでもなし、入隊の動機はなんだって良いのだが、


「当然ッス! そのために従軍してるんスから」


 こうも周囲を憚らず言ってみせるのを見ると、少し不安になるのだ。海軍は正義の軍。あまり俗物的な発言をしてばかりいると、トラブルに巻き込まれる可能性がある。


「お嬢様見っけて、手柄と追加報酬、いただきッスよー!」


 しかし、そんなエリアスの心配を他所に、えいえいおー、とフィロメナは声をあげて飛び出していった。


「はあ……まあ、海賊にならなかっただけいいかぁ……」


 同期の女の子の後ろ姿を見送って、エリアスは溜め息を溢した。独り取り残されたと気づいたのはその後だ。


「……あ、置いてかれた」


 町での業務は二人行動が原則だ。何かあったときにどちらかが連絡を取れるように、ということなのだが、フィロメナの頭からはすっかり抜け落ちてしまったらしい。

 エリアスは仕方なく、一人で捜索に向かった。


 第十七艦隊が拠点としているこの港町マルティナは、町の中央に広い運河が走っているのが特徴だ。幅は舟三艘が並べるくらいと、さほど大きくもないのだが、荷運搬はもちろん、人の交通にも使われる。

 海軍の基地は町の東側に位置していた。建物自体は、お屋敷くらいの大きさのものが一棟のみ。しかし、その前に建設された港は広く、三艘のフリゲート艦が停泊している。

 その港を右手側に見つつ、門を出る。すぐ目の前の橋を渡り、細い路地を抜けて左に折れれば、運河に沿って露店が並んだ市場に出る。輸入した青果や新鮮な魚介、珍しい土産物を尻目に、路地に入ってさらに西へと向かった。――海軍の基地が東にあれば、一般の船が泊まる港は町の西。ならず者の船は、さらにその向こうだ。まずは海賊船を確認しよう、とエリアスは決めていた。


 治安の悪い方へと向かう道の入り口で、ふと、妙な一団が目に入った。柄の悪そうな男二人と、小綺麗な格好をした一人。前者二人は破落戸だろう、特筆するべき点はないのでさておいて、後者の人物が目を引いた。

 白いシャツにフリルタイ。アーモンド色のパンツに同じ色のベスト。そして、コート。洒落た水夫を思わせる装いだが、それを纏っているのは、どうみても若い娘だ。綺麗な顔だし、服の上から身体のラインがはっきり見えるので、疑いようもない。男装趣味の金持ちの娘かとも思ったが、黒い髪を耳の下ですっぱり切って、前髪を一房赤く染めているので、やはり堅気とは思えない。

 なんだろう、とエリアスはそっと様子を窺った。


「ごめんなさい、連れを待たせているんだ。そこを通していただけると助かるんだが」


 困った顔で破落戸を見上げながら、男装の娘は言う。見るからに素行の悪い男たちに囲まれて全く動じないのには感嘆するが、それよりも気になるのがその言葉遣い。少年のような、男言葉を交えた喋り方をしているのだが、どうにも違和感がある。なんと言うか……ちぐはぐなのだ。板についている感じがしない。


 だが、男たちには口調などどうでもいいことらしい。


「そんなつれないこと言わないでよぉ、ちょっとで良いから付き合ってくれよぉ」

「なんだったら、その連れってぇのと一緒でも良いからよ。女だったら、だけどな」


 下卑た顔で笑い、じろじろとその女性らしい身体の線を目で追っている。いろいろと“ちょっと”で済まないのは間違いない。

 けれど彼女は、全く動じずに困った様子で首を傾げた。


「連れは男性だが……困ったな」


 世間知らずか、天然か。それとも豪胆なのか。いずれにしても、こちらが冷や冷やしてしまう。

 もう静観なんてしていられない。エリアスは前に出た。


「どうかしましたか?」


 声を張り上げれば、三人の目がこちらを向く。


「お困りなら、僕がお話をお聞きしますが」


 邪魔されてしまった破落戸たちは不機嫌そうにこちらを睨み付けていたが、そのうち一人がエリアスの制服を見てぎょっとした。


「げ、海軍」

「マジかよ、このひょろいのが!?」

「ひょろ……っ」


 確かに自分は小柄で細身だが。あまりに率直に言われたものだから、エリアスの頬はひきつった。問いただしたくなる自分を押さえつけ、冷静さを心がける。


「……いえ、それで、どうなさったんでしょう」


 尋ねると、渡りに船、とばかりに娘は飛び付いた。


「その、道を訊きたいんだ。露店市場に出たいんだが、どう行けば良いだろう?」


 それが嘘だというのは、目を見て分かった。何でも良いからとにかく連れ出してくれ、と目線で訴えている。


「わかりました。僕が案内します」

「ありがとう!」


 ぱ、とこちらへ駆けてくる。逃がすまいと伸ばした破落戸たちの手をなんなくすり抜けて、エリアスの前までやってきた。

 思った以上に身のこなしが軽やかで、少し驚いてしまった。


「さあ、行こう!」


 エリアスの手を掴み、急かすように引っ張った。そのままエリアスは来た道を戻っていく。やはりあれはとっさに出てきた嘘だったようで、エリアスが案内するまでもなかった。

 運河の見える賑かな通りに戻ってくると、彼女はほっと胸を撫で下ろし、ようやくエリアスの手を離した。


「助かったよ。私一人では、上手にあしらえなくて」

「お構いなく。仕事ですから」

「それでもお礼だけは言っておくよ。ありがとう」


 と微笑む顔に、既視感を覚えた。

 まさかと思いつつ、それでは私はこれで、とそそくさと身を翻した彼女を、エリアスは慌てて引き止める。


「あの!」

「……何か?」


 振り返った彼女は、人当たりの良い笑みを浮かべた表情の奥に警戒の色を滲ませていた。警戒される心当たりのなかったエリアスは、呼び止めた姿勢のまましばし言葉を探す。

 直球で訊くか、それとも遠回しに尋ねるか悩んでいると。


「お嬢!」


 遠くから、切羽詰まった声が耳に飛び込んできた。目を向けると、運河の向こうに慌てたようすでこちらに向かってくる少年が見える。

 少年は近くの橋を渡ってくると、エリアスと娘の間に割り込んで、彼女の無事を確認した。


「ったく、どこほっつき歩いてたんだよ。一人で出歩くなって行っただろ?」

「ああ、すまない。ちょっと迷ってしまって」


 二人が会話している間に、エリアスは少年を観察した。アッシュブロンドの髪色に、榛色の瞳。やせぎすで、頬もこけ、人相も悪いので、貧しく殺伐とした生活を送ってきたのだろうと予想される。娘と知り合いなのが信じられない。しかし、着ている水夫服は、娘と同じく町歩き用にしてもどこか洒落たものだ。よほど裕福で気前の良い主の船に乗っているようだ。

 それは結構なのだが、気になるのが少年の腰に佩いた剣。短く湾曲した刀身はカットラス。船乗りが好む剣ではあるのだが。

 ――どうして、こんなものを。

 普通、水夫にこのようなものはいらない。

 一つの可能性が頭を過る。


 娘と会話していた少年は、呆れるようなことでもあったのだろう、肩を竦めて首を振った後、エリアスに鋭い視線を飛ばしてきた。


「……んで、そいつは」

「人に絡まれたのを助けてくださっただけだよ。それでは行こう」


 今度は少年の手を引っ張って、また離れようとする。


「待って!」


 もう一度呼び止めると、娘の困った表情と、少年の剣呑な瞳が向けられる。


「んだよ」


 不機嫌どころか威嚇すら感じさせる声。もはや敵意ともいえる彼の態度に、エリアスは言葉を飲み込んだ。迂闊なことを喋れば、間違いなく争いになる。果たしてそこまでしても良いものか、判断に困ってしまったのだ。

 その隣で、愛想笑いを浮かべた娘が頭を下げる。


「申し訳ないのだが、急いでいるので。失礼します」


 さっと二人して踵を返し、足早に去っていった。


「あ、ちょっと!」


 三度目はなかった。二人は振り返ることなく、人混みの向こうに消えていく。


「……逃げられた」


 はあ、と息を吐いて、肩を落とす。自分一人では、令嬢一人の身元を訊くのすらままならないのが、なんとも情けなかった。せめて誰かと一緒にいれば、とフィロメナのことを恨みかけ、八つ当たりだと気づいて、思考を振り払った。


 とりあえず、戻ろう。

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