六話 濃姫は踵を三度鳴らす 稲葉山城狂詩曲 前編

発端は何時も、天才

 昔々、美濃に、竹中半兵衛という青年がいました。

 かなり美形の、天才軍師です。

 よく女性に間違えられる程に柳腰で、マッチョな武将達からは舐められっ放しです。

 半兵衛はバカを相手にしたくないので、放っておきました。

 実力は、美濃にドヤ顔で侵攻してきた織田軍を二連続で撃退した事で示しました。

 示しました、ハッキリと。

 天才軍師だって。

 もう舐められないと思っていたのに、バカには通じませんでした。


 稲葉山城に登城すると、主君・斎藤龍興の寵臣が、櫓の上から小便をかけてきました。

 顔に小便を、かけられました。

 かけた犯人は、謝りもせず、罵声と嘲笑をも浴びせてきました。


「悪い、悪い、おれ、女の顔にぶっかけるのが大好きでさあ、我慢できなかったわ〜」


 竹中半兵衛も、我慢できませんでした。

 主君に理性的に抗議しましたが、酔って笑って話になりません。

 同じく抗議に来た舅に、弓矢まで放ってきました。

 実に非論理的デス。


 数日後。


 竹中半兵衛は、弟や舅と合わせて十六名で、主君の居城・稲葉山城を占拠しました。

 顔に小便をかけた下品な男は、真っ先に殺しました。

 彼のようなクソ馬鹿野郎を可愛がっていた主君は、城から追放しました。

 舅の兵二千を稲葉山城城下に配置し、奪還は不可能な状況にしました。


「私に土下座して詫びを入れたら、稲葉山城はお返ししますよ」


 竹中半兵衛は、主君には絶対に出来そうにない条件を付けました。

 予想通り、主君は土下座をしに来ません。

 予想外の出来事が起きるまで、竹中半兵衛は読書で時間を潰しました。





 一五六四年(永禄七年)、二月。

 服部半蔵と妻たちが信長の元を訪れてから、数日後。乱れた戦国時代に、終焉をもたらすイベントが起きる。

 それがイベントの発端だったと気付ける程に長生きした忍者は、一人しか存在しなかったけれど。




 山の乱立する地形に囲まれた、躑躅ヶ崎つつじがさき館(現・山梨県甲府市)に住んでいる、戦国最強武将、武田信玄さん、四十三歳。

 今、六畳の広さのある水洗トイレで、踏ん張っています。


「う〜〜ん」


 踏ん張りながらも、全国の三ツ者から送られた書状の中でも月間MVPクラスの特報を見ながら思案に暮れる。

 水洗トイレの外から、小姓が一応確認を取る。


「お屋形様。大事はありませぬか?」

「ため息混じりの、独り言じゃ。そんなに大きかったかの?」

「放屁と同じくらいの、音でした」

「なんつう下品な喩えを」


 出ないので出た分だけ紙で拭き、呼び鈴を引く。

 上流へと合図が伝達され、便が水で綺麗に流されていく。

 水洗トイレ内に持ち込んだ机の上から、必要な書状を持って執務室へ戻り、待たせていた若者に侘びを入れる。


「待たせたな」

「いえ」


 若者は、剽悍な顔を伏せたまま。


「迷いがそのまま、便に出よった。人の体とは、不思議よのう」


 若者を笑わせてから、信玄は顔を上げさせる。

 狼のように鋭い眼光が、信玄の半端な坊主頭を一瞥する。

 言わんとしている事は、信玄も分かる。


「形だけの出家だからかのう。頭を丸めようとしても、剃り残しが一々残る。自分で見ても見苦しいのだが、髪型が決まらんからといって、出家を取り止めるのも恥ずかしい。髪型は諦めとる」 


 話の本筋に入らずに、髪型の雑談。

 出浦盛清は、雑談であろうと一欠片も逃さずに、信玄の話に喰い入る。

 その巨名と貫禄に反して病弱そうな雰囲気の主君は、部下に対しては限りなく優しく朗らかに接する。


「此度、その方に申し付ける仕事は、かなり重要だ。ただし、どう転ぶか分からない。こんな話をするのも、何だが、仕事を頼まない方が、いいのかもしれない。迷いに迷う仕事じゃ」


 失敗しても構わないと言われているような前振りに、出浦盛清いでうら・もりきよは少々カチンときた。

 まだ十八歳とはいえ、出浦盛清には、最高レベルの忍者である自信がある。

 そんな表情も大きく澄んだ眼球で見守りながら、信玄は仕事を言い渡す。


「五日前、美濃の稲葉山城が、僅か十六名によって占拠された。首謀者は、竹中半兵衛重治しげはる。稀代の天才軍師だ。その天才軍師の舅が城下に二千の兵を配置した故、もはや誰にも稲葉山城の奪還は不可能。

 大した手際じゃ」


 信玄は、情報の元になった書状を、出浦盛清にも読ませる。

 読ませながら、信玄は懸念を語る。


「織田信長は、知らせを聞いて早速、稲葉山城を買い取る交渉を始めたそうじゃ。条件は未だ分からぬが、織田が美濃攻略に王手をかけたのは確かだ。

 お主に頼みたいのは、竹中半兵衛重治しげはるとの交渉じゃ。

 この信玄が稲葉山城を買い取りたいと、伝えよ」


 出浦盛清は、顔を顰めて曖昧な部分を聞き返す。


「交渉に応じない場合は?」


 信玄の目が、出浦盛清の剣呑な部分を制する。


「礼儀正しく引き下がり、顛末を見届けよ。この件は、天才軍師殿本人に裁定を扇ぐ。美濃を織田に売るのか武田に売るのか。もしくは他の妙案を実行するのか。

 竹中半兵衛に、丸投げして、見物じゃ」


「その交渉は、自分が成功させても、よろしいのですね?」


 出浦盛清の血気に、信玄は返答を迷う。


(情報収集だけでは、満足できない年頃かな)


 若者への薫陶は嫌いではないので、正直に胸の内を明かす。


「美濃が手に入れば、京への上洛は楽になる。東海道を通らずに済むからのう。だがなあ、そこまで美味い話にはなるまい。気楽に行って、帰って参れ。仕事と言いつつ、わしが久々に天才軍師の意見を聞きたいだけなんじゃ。こういう我が儘に、命を賭けるには及ばぬ」


 出浦盛清は頷くと、立ち上がって速攻で出立する。



 躑躅ヶ崎館から稲葉山城まで、Googleで徒歩の距離を調べた結果は、山脈を大きく迂回しながら二百五十三キロ(約六十三里)。歩き通しで五十四時間かかると出た。

 出浦盛清は、雪で塞がった道が多いにも関わらず、三日で稲葉山城に到着した。

 武田の忍者の中でも最速の脚は、出浦盛清が使者に選ばれた理由の一つに過ぎない。

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