超高速・三河一向一揆(3)

 使者として馬で岡崎城に戻ってきた忠弘を、兄の元忠が城門の外に出て迎えてくれた。


「来てくれたんだね! 兄さん!」

「この不忠者めがっーー!!」


 再会するなり、兄は弟の顔に右ストレートを打ち込んだ。

 車田正美先生が作画をしたような、見事な右ストレートだ。


「殿を裏切っておきながら、よくもノコノコと顔を。だからお前は童貞なのだ! 死ねや、このクソ童貞!」


 弟に馬乗りになってマジに連打。

 偽装目的の三文芝居でも、本気で殴る兄だった。


「使者を殴るのは、いけません」


 服部半蔵が止めて、元忠はようやく連打を止めた。

 舌打ちをして退くと、親の仇でも見るような形相で弟を睨む。


「命拾いしたな、裏切り者め。用を済ませたら、この兄に殴り殺されに戻って来い。来なければ、貴様のパソコンに保存されているエロ画像を全て公開してやる」

「嫌だよ馬鹿野郎!」


 兄の顔を蹴り返し、半蔵の後ろに隠れる。

 元忠は、気絶したふりをして、倒れる。


「あんたなんか、大っっ嫌いだ!!!!」


 鼻血と号泣の混じる、演技の必要の全くない叫びだった。

 どう見ても、敵味方に本当に別れた兄弟に見える。


「…やり過ぎだ」


 半蔵ですら、思わずつぶやく。


「やっぱり? やっぱり、あの馬鹿兄貴は、やり過ぎなのですね? そうだと思っていたんだ!! ずっと! いつも! 毎日!」

「うん、いいから、早く用を済まそうな」


 計画が狂わないように、半蔵は事を進める。


 

 岡崎城から使者の鳥居忠弘の乗る馬が、真っ直ぐ一向一揆の本陣へと帰って来る。

 同時に城から降りてきた『如何にも高貴な女性を護送する一団』が、一向一揆の陣に沿って西へ向かう。


「あれが瀬名姫? どうして本陣にお連れしないの?! 拙僧に顔を見せずに、本證寺に行く気か?」


 空誓に責められて忠弘は、家康に言われた通りの台詞を述べる。


「家康は、瀬名姫が充分に城から離れた頃合で、攻めに出るつもりです。本陣は狙われますので、瀬名姫様は、先に本證寺に向かわせました」

「…ああ、そう」


 岡崎城から本證寺まで、どうせ日帰り出来る距離である。


「まあ、今夜には、全部拝めるか」


 空誓は、下心を落ち着かせる。

 家康からの返書を受け取り、封を開けて中身を確認する。


「・・・」


 家康からの書状には、『厭離穢土おんりえど 欣求浄土ごんぐじょうど』とだけ書かれていた。浄土宗の用語であり、家康の馬印に揚げられている文言である。


「今の世は戦乱で穢れきっている。平和な浄土を今の世に作ろう」という意味で、家康の戦争でのポリシーを内外に伝えている。

 最終的に戦国時代そのものを終焉させようという大望を、家康は武装した宗教団体の首魁に、そのままぶつけた。


「…どういう魂胆だ」


 何か重大な問いを掛けられた事を悟り、空誓は返書を見詰める。

 空誓が、何を相手に戦を始めたのか徐々に理解し始めた頃。 

 本陣の外縁から、戦いの喧騒が聞こえ始める。

 隣席の本多正信が、腰を浮かす。

 空誓は、本陣が攻撃される事を思い出す。


「ああ、すまん、号令を出すのは、拙僧だった」


 正信の方には、空誓を気にかける余裕が無かった。

 より正確には、余裕が全く無くなった事を自覚したのは、本多正信だけだった。


「ふうん、そうかあ。彼奴め、手加減無しか」


 空誓その他の本陣スタッフの視線が、正信の視線の先に集まる。



 岡崎城から本陣まで、真っ直ぐに、単騎が突き進む。



 鳥居忠弘が通ったばかりなので、岡崎城から本陣までの道筋は、瞭然。

 その道筋を一騎の武者が、血の道に作り変えている。

 馬から降りずに、駆け足で本陣を突き破っている。

 鹿の角を付けた黒漆の兜を被り、肩から大数珠を提げた三河武士は、誰も近寄らせない。

 単騎で軍勢の本陣へと平気で入って来る三河武士は、進撃速度を鈍らせない。

 多勢に無勢という言葉を無意味にする三河武士は、一人しかいない。


「平八郎…」


 敵として本多平八郎忠勝を正面から遠望し、正信は冷や汗しか出ない。

 空誓は、自分の観ている光景に、度肝を抜かれて惚ける。

 本多忠勝が馬上から振るう長槍が、近付く者を一合に及ばず薙ぎ払っている。

 通常の長槍(約四・五メートル)よりも五尺は長い二丈余(約六メートル)の攻撃範囲を誇る上に、曇りなく輝く笹穂型の槍身が、壮絶な斬れ味を発揮している。

 鎧も武器も、その槍身の前では豆腐も同然に断たれていく。

 稲妻が天地を切り裂くように、本多忠勝の騎馬が本陣を貫いていく。


「これが『蜻蛉切』の威力か」


 正信は、忠勝に蜻蛉切を任せた家康の判断に呻く。

 半蔵や守綱の個人技では、こういう威力は出ない。

 武将として、敵陣の何処を突けばいいか瞬時に見抜ける忠勝だからこそ、この芸当が可能なのだ。


「忠勝の才能を、自分は少しも見抜けなかった」


 人を見る目でも叶わない事に、正信は痛快な敗北感を感じる。

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