三河戦線、異常なし(7)

 歴戦の三河衆との激突に、一方的に鈴木重辰の軍勢が突き崩される。

 傭兵たちが散り散りに逃げ、鈴木軍本隊が城へと撤退を始める。三河衆は追わずに、計画的に素早く城下町を焼き払う。

 寺部城が丸裸に成った処で、元康は騎乗して全軍を移動させる。


「何処へ?」


 朝比奈も騎乗しつつ、元康に尋ねる。


「先に、四方に散った傭兵たちを刈ります。彼らが再集結しそうな場所は、既に忍びの者が目星を付けております。伏兵が全滅すれば、寺部城は降伏するでしょう」


 断定的な元康の物言いに、朝比奈は深く尋ねる。


「城攻めをせずに、済ませると?」

「雪斎和尚から最も口煩く言われたのは、戦を可能な限りしないで済ませる事です」


 軍略に関しては、それしか教わっていないとは、告げない。雪斎は多忙で、マンツーマンの徹底的教育指導は受けていないとか、わざわざ明かさない。

 この時点での元康の財産は、祖父の代から忠臣たちの寄せる希望と、太原雪斎の弟子であるというブランドのみ。


(軍略が独学だけだと勘付かれない内に、実績を積む)


 松平元康の初陣は、百人斬りや一番槍よりもリスクの高い目標設定が為されている。

 名将で在る事。

 松平元康は、戦国時代を生き抜く為に、そう決めた。

 十六歳の人質少年は、尋常を遥かに超える目的を己に課している。


 朝比奈は納得して、上機嫌で元康の真後ろに馬を付ける。



 その後の展開は、元康の読み通り、一方的に終わる。

 寺部城附近の広瀬・拳母・梅坪・伊保にゲリラ戦の拠点を築いていた織田の傭兵たちは、四ヶ所合わせても一刻(二時間)と保たずに狩られた。


「良い仕事するなあ」


 今回も参戦した米津常春は、拠点の位置を四ヶ所全て隈無く把握していた服部隊の働きを、賞賛して有り難がる。

 半蔵本人を褒めてやりたいので見回すが、見当たらない。見当たらないので、目の利く内藤正成に頼る。


「内藤ぉ〜。半蔵を褒めてやりたいんだけど、どこ?」

「寺部城に張り付いたままだ」

「…初めから?」

「初めから」

「何で? 何で? 俺たち、走りっ放しで連戦しまくったのに…ああ、あいつ一番槍したもんね。分かった、俺が短慮でした。休んでいていいよね、半蔵だけ」


 近くで会話を聞き及んだおっさんが、常春を蹴り飛ばして説教を始める。


「ばかやろ〜〜〜〜!!!!!」


 大久保忠世ただよが説教を始めたので、三河衆が急いで距離を取る。

 標的の常春だけは、踏まれて逃げられない。


「半蔵はなあ、一番槍で負った傷も塞がっちゃいねえのに、敵の城に張り付いてんだ! 敵が籠城を止めて、俺たちの背後を狙うようなら、報せる為にだよ!」 


 服部半蔵は一番槍を果たしても軽傷しか負っていませんとは、大久保忠世が煩いので誰も突っ込まなかった。


「分かれよ! 最初から最後まで、一番危険な役目を果たしてんだよ! 一刻走り回って雑魚を狩るぐれえで、疲れた自慢してんじゃねえぞ、ガキぃ〜〜?!?!」


 フルマラソンをやりながら拠点攻撃四連続したから疲れるに決まっているとは、カウンターが怖くて誰も反論しなかった。

 常春が反論して更に炎上するか平謝りして済ませるか迷っていると、元康が馬を寄せて助け舟を出す。


「これから寺部城に返すが、普通に歩いて構わん。日に五度も戦わせてしまって、すまない。初陣なので、やり過ぎてしまった」


 三河衆が、老いも若きも煩いのも、膝を付き、槍を置いて頭を垂れる。

 この初陣で、松平元康は本当に三河衆の忠誠を勝ち得た。縁故でも同情でも義理でもなく、松平元康の将器への忠誠を。


「いい部隊ですねえ。うちに欲しいくらいです」 


 朝比奈泰朝が、傍から三河衆を褒め称える。

 含みは全くないのだが、三河衆には照れや昂揚よりも、怖気が走る。

 朝比奈泰朝は観戦の立場に徹してはいるが、何度か暇を持て余して、ぶらりと織田の傭兵を斬り伏せていた。平装に太刀一本の装備で、鎧ごと槍ごと盾ごと刀ごと、敵兵を骨まで断ち伏せた。

 まるで、まな板の上の魚を切るように。

 スタイリッシュな元康の初陣を目の当たりにして、血が滾ったのとは違う。

 朝比奈泰朝は、この戦場に、退屈している。

 元康と三河衆を見下している訳ではない。

 戦国武将としてのレベルが、高過ぎる故の、鬱憤。


「…あいつと戦いたくなくて、武田と北条が今川と不戦条約を結んだって噂、信じるか?」

「それ以外の理由がない」


 無理に冗談を言う常春に、内藤は真顔で返す。



 三河衆の畏怖は、正しい。

 後年、松平元康が徳川家康と改名した頃。徳川四天王・十六神将と記録される強者たちが、朝比奈泰朝の籠城する掛川城を攻めあぐね、五ヶ月に及ぶ死闘を強いられる事になる。

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