第61話 歪曲  東の塔

 


 王と魔法使いは東の塔の扉の前で立ち止まった。

 古の強い魔法が施されていて、鍵がなければ開けることはできなかった。今のユリウスであれば力尽くで開ける事もできたが、その場合は強力な魔力が反発しあい恐ろしい被害がこの辺り一帯に及ぶかもしれないと思うとできなかった。

 それにユリウスは神の領域に踏み込んだ今でも、はじめに神により作られたオラリオンの魔法使いの偉大な王に対して敬意を払っていた。


 王は鍵を開けると、暗い階段を降りて行った。

 東の塔の中は、オラリオンの魔法使いの王の魔力の香りが今も強く残っていた。階段を降りて行くにつれて、今にも消えてしまいそうな生命の鼓動を感じると、ユリウスの体が激しい怒りで震え始めた。


 地下は囚人がいれられるような地下牢に作り替えられていた。冷たい鉄格子の向こう側には、数人の子供達がゴザのようなものを敷いた上で横になっていた。


「これは…どういう事ですか…」

 ユリウスは体を震わせながら言った。

 青白い顔をしたやせ細った子供達は手足を縛られ、薄汚れて破れた服に身を包んでいた。体には殴られたような痣がいくつもあり、腕には赤黒く変色した痕があった。

 彼等の黒い瞳は希望を失い、黒い髪は毛先から別の色に変化していた。


 ユリウスは溢れ出る感情を抑えられずに、王を残酷な目で睨みつけた。


 けれど王は、彼の視線には気付かなかった。

 深い溜息をつきながら、まるで目の前の彼等にひどく悩まされているかのような口調で、背後にいる魔法使いに話し始めた。


「このモノ達は魔法使いです。」


「どうして…こんな事に…。

 それに…生まれてから長い年月が経っているように感じられます。

 どうして彼等は成長しないのですか?

 本来であれば、もう大人の姿になっているはずです。けれど彼等は…どう見ても…子供の姿をしています…」

 あまりに酷い光景を目の当たりにして、ユリウスは上手く言葉が出てこなかった。


「このモノ達は成長しないのですよ。」

 王はユリウスの言葉の意味を理解せずにそう答えた。


「理由を話して下さい。」

 と、ユリウスは言った。

 王はその声色からようやく男の凄まじい怒りを感じ取ると、ユリウスの顔を見た。彼の恐ろしい形相を見ると王の全身には鳥肌が立った。咄嗟に嘘で塗り固めた話をしなければという考えが浮かんだのだが、その考えを粉々に砕くように体があつくなった。

 王は、自身の考えと感情を包み隠さず話し始めた。



「心も体も大人にならないようにしているのです。

 闇の魔法書に記されていた成長を止める秘薬を作り、注射として打っています。

 大人になれば、我等の考えに意見をするようになりますからね。魔法使いが人間に逆らうなどあってはならない。

 子供のままであれば支配をしやすいですから。

 実の所、我等の言う事だけを聞く魔法使いが欲しいのですよ。

 もし言う事を聞かないようであれば、力によってちゃんと言うことを聞かせます。すると力を恐れて驚くほど従順になります。本当に面白いぐらいにですよ。」

 王は言葉を切って、満足そうに微笑んだ。


 ユリウスは目を見開いた。

 悔い改めることなく、あらたな王も闇の魔法に手を出していたのだった。

 それが再び神の怒りを買った。

 最果ての森が驚くほどのスピードで出来上がり、神が彼の心に語りかけ、森から出る事を許したのだった。


 情けなどかけるべきではなかった…と彼は深く後悔した。


「上手く魔法が使えない場合にも、何度も厳しい言葉を浴びせながら力を使って心と体に教え込むのです。

 役に立たないと殴られると分かれば、涙を流しながら精一杯頑張ろうとする。本当に見ていて面白い。

 モノのように精一杯人間に尽くさねば、魔法使いは生きている価値がないとちゃんと分かるようになりました。 

 存在理由をちゃんと分からせてやったんです。

 このモノ達がどうあるべきなのか、思い違いをしないよう厳しく正しく躾けているのですよ。」



「王よ…彼等の心も体も深く傷ついています。

 王によって永遠に子供にされた魔法使い…夢も希望も奪ったのですね…本来は大人が子供を守らねばならないのに…全く逆の事をしています。

 彼等は王の言う事を聞く所有物ではありませんよ。

 ええ!子供は所有物ではない!

 そもそも躾の一環としての暴力は認められません。

 一国の王とも思えぬ発言の数々…私は全く理解できませんし、このようなやり方を見過ごすことはできません。」

 と、ユリウスは言った。 



「では、ある種の仕事とでも言いましょうか。

 魔法使いの役割は人間を導くことですから。しっかりと我等が管理した上で、我等が望む光の方向に導くという仕事をしてもらわないとならない。

 仕事ですからねぇ…仕方ないですよ。

 騎士団でも、騎士は兵士に厳しくしています。

 人間の世界と同じですよ。」

 と、王は言った。

 王は、他人が痛めつけられていると知っても自分の身に影響が出ないうちは人間が何もしないように、魔法使いもそうだと思っていた。だから、ユリウスがどうしてここまで反論するのか王には分からなかった。



「ここで繰り広げられているのは厳しさではありません。

 厳しさとは相手を思いやる心があってするものだと私は思います。信頼関係があって、初めて優しさと言えるのではないでしょうか。騎士が兵士に厳しい訓練をさせるのは、己を律し規律に従わせ無謀とよべる行動に出ぬようにさせ戦場で彼等を死なせないようにする為と、仲間を尊重して任務を確実に遂行し他の隊員の生命も危険に晒さないようにする為ではないのでしょうか。

 ここには、そのようなものは微塵もありません。

 子供達の瞳を見てください。怯えて震えています。

 ここにあるのは一方的に相手を支配しようとする暴力だけです。」

 ユリウスの顔は怒りのあまりに歪み、目には黒い炎が燃えたぎっていた。


「いえ…そんな…一方的ではなく彼等の為を思ってですよ。

 仕事はちゃんとやらなければならない。

 言葉では分からないようですから。

 彼等がちゃんと言うことを聞かないから、体に叩き込むようになったのです。

 それに昔から行われてきた事ですし…」


「昔から行われてきた事が正しいとは言えないでしょう。

 過ちが正されずに繰り返されているだけの事です。この世界では数えきれないほどありますが。」

 と、ユリウスは言った。


 けれど、王は難しい顔をしながら首を傾げるばかりであった。


「全て正さねばなりません。

 他には、何をしているのですか?」

 と、ユリウスは言った。


 すると王はまたもや魔法にかかったように目を見開きながら、正直に話し始めた。


「このモノ達を3つのグループに分けています。」


「3つのグループ?」

 と、ユリウスは聞いた。


 王は頷くと、壁によって3つに隔てた地下牢の1つを指差した。


「1つ目のグループには、忘却の呪文を唱えさせています。

 その時だけ、塔の最上階の見張り台に連れて行きます。

 天上の怒りが降り注いだ後に、国民が民衆運動を起こし、王政を廃止して共和制にしようという旗を掲げたんですよ。

 各地で蜂起が起こり、騎士団と国民が衝突しました。中には国民の側に寝返る騎士や兵士もいましたよ。

 国王の絶対的権威を揺るがそうとするなど、絶対にあってはならない。王の権力は、これから先も永遠に守られなければなりません。

 そもそも天上の怒りの責任は、その時の王がちゃんと取りましたので、もう全て終わったことですよ。

 国民に余計な事は忘れさせ本来の姿に戻そうと思い、忘却の呪文を唱えさせることにしたのです。

 数日後には効果が現れました。

 もともと空気に流されて、旗を掲げただけの連中です。

 それ以降は何の疑問も感じずに、全て元通りになりました。

 支配される方が楽ですからね。本心は誰も変化は望んでいなかったんですよ。揺るがぬ信念を持つ英雄となるような指導者がいなければ、その程度です。」


「忘却の魔法?

 忘却の魔法は神の許しが必要です。

 神はお許しにはならなかったはずです。

 それに大人の魔法使いであっても魔力が強い者しか唱える事ができません。このような成長段階の子供達が唱えられる呪文ではありません。」


「そうですね…はじめは拒否をしたらしいです…困ったものですよ。

 苦しいと言いながら、何人かは死んでしまいました。もっと頑張れたと思いますが、本人が無能だからでしょう。

 まぁ…人間でもたまにそういう連中がいるんですよ。

 自分の能力の低さを棚に上げて文句ばかりを言う。自らを恥じてもらいたいものです。本当に期待外れで、どうしようもない者達でした。」

 うんざりしたように王は言った。


「どのような期待を抱いていたのかは知りませんが、期待外れなどと言う言葉、軽々しく口に出していいものではありません。先程も言いましたが、子供達に扱えるような呪文ではありません。

 王よ、お聞きください。

 負の言葉は心を強く縛る事があります。

 可能性を摘み、過剰に恐れを抱かせ、できないという呪いの言葉で縛り、心と手を震えさせてしまう。

 何故、それほどまで簡単に他者を傷つける事ができるのですか?胸を抉られるような悲しみに突き落としている事が分からないのですか?」

 ユリウスは、おぞましい事を言いながら笑っている王を睨みつけた。


「はぁ…でも事実を言っているだけです。

 何をやらせても上手くできないですし、オドオドしてばかりいる。見ていて不愉快になるほどです。

 ユリウス様は少し優しすぎると思います。

 優しくすればつけあがるだけですよ。厳しい荒波にもまれないと成長できないと思いますが。」

 王は言葉を切り、別の地下牢を指差した。


「2つ目のグループでは、新たに開発したクスリや注射を試しています。このグループが耐えることができれば、他の2つのグループにも使います。

 実験体みたいなものです。

 全員に試して、全員が死んだら困りますからね。

 けれど、このモノ達を侮ってはいけませんからね。

 我等がここまでしてあげたのに、感謝を忘れて、いつ不満を爆発させるか分かりません。

 誰がどの魔法に長けているのか調べて調整し、攻撃したり抵抗したりする魔法を使えないようにするクスリも飲ませています。意識操作とでもいいましょうか。

 回復魔法なんていうのは最たる例で、魔法使い同士で使う必要なんてありませんからね。

 そうしているうちに髪の色が変化してしまいました。のたうち回りながら髪の先から色が変わっていく様は、なかなかの見ものですよ。」

 と、王は言った。


 あまりにも理不尽で身勝手で理解できない王の言葉の数々だった。ユリウスが怒りで言葉を失っていると、王はさらに話を続けた。


「3つ目のグループには、性行為をさせています。

 媚薬を打ち、男の魔法使いと性行為をさせる。

 けれど、なかなか行為に及びません。

 ですから男の魔法使いには興奮剤も打ち、我を忘れさせているんです。それでも…なかなか人間のようにはいきません。 

 困ったものですよ。

 禁忌がありますからね。女の魔法使いと人間の男が行為に及べれば本当に楽なんですけど。女の魔法使いは皆んな美しいですから、側近も騎士も喜んで群がりましょう。

 本当に、数を増やすのには苦労させられます。

 せっかく産まれてきても、さらに魔力の弱い赤子ですしね。」

 と、王はため息混じりに言った。

 

 ユリウスは絶句した。

 しなやかな手で、目の前の男の体を刺し貫いて心臓を抜き取ってやろうかと思ったが、寸前のところで押し止めた。


 魔法使いとしてのユリウスには、神の願いがあった。

 光の力を与えたことによる絶対に抗いがたい魂への植え付けがあり、人間を助けても殺すことは許されていなかった。

 しかし、神は慈悲深くもあり、恐ろしい御方でもあった。

 彼には2つの力を与えていた。

 光へと導くか、闇へと導くか

 一部の美しき者だけでも救う事は許してはいなかった。光に導き力を与えるか、闇へと導き全てを滅ぼすかのどちらかしか許してはいなかった。

 もし彼がその手で人間を1人でも殺すのであれば、その時点で闇へと導かねばならなかった。

 一度審判を下せば、神がその手で彼を止められ、或いは彼が自らの意思で剣を鞘に収めぬ限り、審判は覆らない。

 けれど、それはどちらも、ただ一度きり。

 自らの生命を犠牲にした聖職者はもういない。

 下した審判を覆すほどの美しさを人間が見せることなどできようか。

 だからこそ、慎重にはかりにかけて選ばなければなかった。


 ユリウスは激しく動き出そうとする右手を左手で抑え付けながら言った。


「嫌がる少女に…そんなことを…させているのですか。

 いえ…少女だけでは…ない…少年にも…愛し合ってもいない2人に…」


「嫌がる?何を言っておられるのですか?

 嫌がってなどいませんよ。

 もし嫌がっているのならば、死ぬ気で抵抗するでしょう。

 それをせぬのですから、彼女達も内心は快楽を得ているのです。性行為なんて慣れれば誰もが気持ちいいものですから。

 全て同意の上ですよ。

 それに相手も同じ魔法使いです。人間の男相手ではないですし。

 我も多くの妃がおります。いうなれば、子孫を残すための仕事とでもいいましょうか。

 そうでもしないと、このモノ達に子供はできない。まったく問題ありませんよ。

 魔法使いの子孫を残す手助けをしてやっているのです。」

 王は下卑た目をしながら言った。


「王よ、私は魔法使いでございます。」

 ユリウスは低い声で言った。

 彼の怒りは今にも爆発しそうになり右手に力を入れながらも、血管の浮いた左腕が右手を抑え込んだ。


「ええ、もちろん。

 ユリウス様は立派な魔法使いでいらっしゃいます。」

 ユリウスの言葉の意味は王には届かなかった。

 王は、同じ人間に対しても、人間とは思わずに、恐ろしい事ができる肉塊であった。

 誰もが絶対的な権力を握る暴君を恐れて諌めようとはせず、側近はイエスとだけ言い続け、何をしても許されると思いながら玉座に君臨していた。

 さらに目の前で傷つけられている者を見て、歪んだ支配欲を満たし満足感も得るようにもなっていた。

 


「声にならない悲鳴がございます。

 彼等が望んで行為に及ばなければ、同意はありません。強要するなど絶対に許されません。

 同意のない行為で快感を得るなど、愚かな幻想です。

 それに生きたいと思えばこそ、より酷い事にならないように抵抗はできない。男に死ぬ気で抵抗などできるはずがない。

 それが分からぬのですか?」

 と、ユリウスは言った。


「声にならない悲鳴…ですか?

 涙を流すこともしませんよ。

 本当に嫌なら、泣いたり逃げたりするのではないのですか?

 性行為に慣れて快感を得ているとしか思えませんが。」


「恐怖を叩き込まれた者が、何故逆らう事ができましょう?

 それに、抵抗をしようものなら殺すつもりではないのですか?」

 ユリウスがそう言うと、王は何も答えなかった。


「否定されないのなら、肯定と受け止めます。

 彼等は生きています。

 生きていれば、感情があります。

 誰もがそうであるように辛い時には辛いと思い、悲しい時には悲しみの涙を流します。

 苦しみに慣れなどありません。

 けれど、あまりに耐え難い苦しみに対しては、心を閉ざし何もできなくなる者もいます。何も言えなくなる者もいます。

 全ての者達が、同じ嘆き方をするとは限りません。

 叫ぶ者もいれば、自らの中で処理をしてなんとか生きていこうとする者もいる。諦める者もいる。ひたすら耐えぬく者もいる。

 心の傷は癒えぬものです。

 私の魔法であっても取り去ることはできません。

 悲しく苦しい事ほど鉛がついた足枷のように、生涯つきまといます。鍵など見つけることはできません。

 彼等にこれ以上恐ろしい足枷をはめ続けるのですか?」

 ユリウスは厳しい顔で王を見た。

 

 けれど下卑た笑みを浮かべている王には、いっこうに届かなかった。王は破れた服から見える少女の白い肌を舐め回すように眺めながら、笑みを浮かべているだけだった。


(この男は…もはや人間ではない。

 こんな男が人間であるはずがない。

 この肉塊には何を言っても全く伝わらぬ。

 既に腐り果てている!)

 

「城の中で平然とした顔で過ごしている者達は、何処まで知っているのですか?」

 と、ユリウスは言った。


「忘却の呪文を唱えさせている事は、一部の側近は知っています。何を忘れさせているのかまでは知らせてはいません。知る必要がないですから。もし余計な詮索をしようものなら、どうなるか十分に分かっています。

 注射を打ちクスリを飲ませるのも、側近の仕事です。嫌がるようであれば手荒な事も容認しています。

 性行為についても、側近に見張らせています。」

 王はスラスラと答えた。


「騎士は何をしているのですか?」


「騎士には関係のない事ですからね。

 何かをしていると勘付いている者もいますが、騎士の身分をとりあげられたくはないですから。

 騒ぎ立てたら自分の立場が悪くなるだけです。

 それこそ全てを失う覚悟がないとできません。

 特に何も言いませんよ。」

 と、王は言った。


 ユリウスは黙ったまま、王の顔を見つめた。

 

「あちらは、どうされたのですか?」

 と、ユリウスは低い声で言った。


 王はユリウスが指差す方向を見た。

 壁には、血水晶と羅針盤が飾られていた。

 天上の怒りが降り注いだ事で武器に血水晶をはめこんで威力を試すのが恐ろしくなり、東の塔に隠しておいたのだった。


「血水晶を目の前に掲げることで、さらなる恐怖を抱かせているのです。

 見る度に、人間の言葉に従わなければ目の前のような血水晶にされてしまうと思うでしょうから。

 あれは魔力が宿り、その身に帯びていれば人間でも魔法が使えるらしいです。

 試した事はありません。

 そうですね…何か恐ろしい怪物でもいれば威力を試すことができます。人間相手なら、普通の剣で十分です。

 まぁ…怪物などお伽話の世界です。」

 と、王は言った。



 ユリウスは全ての話を王から聞くと、王を恐れて声には出来ない助けを求めている子供達を見つめた。

 ユリウスの心がさらに激しく締め付けられていった。



《特別な力を賜ったとしても…あまりに酷すぎます。

 彼等はまだ子供です、彼等を守る者がおりません。

 立ち向かう魔法も奪われました。

 全てを封じ込められていて、救いがありません。

 私のかけがえのない子供達なのです。

 ここから連れ出します。》

 ユリウスは瞳を閉じ、祈りを捧げた。



 美しさは朽ち果てた

 左側にいる男に恐怖を与えなければならない

 見ているだけの者も、同罪だ

 いや、見ているだけの者が、醜く愚かな者をつくりだす   



 ユリウスは、王にかけていた魔法の全てを解いた。

 王は今まで何を喋っていたのかも思い出せずに、グラグラと揺れる頭を抑えた。


「あっ…我は一体…今まで何を…」


「急にどうされましたか?

 彼等の魔力が足りないという話をされていたのですよ。

 全て私にお任せください。

 私が彼等を癒し、力を与えましょう。

 このような地下牢にいれば、陽の光を浴びる事ができずに、光の道に導く者としての本来の役割が果たせません。

 彼等の力が存分に発揮できるように環境を整え、魔法を使えるように教えることも上に立つ者の義務です。

 私が全てを引き受けます、きっと王のお役に立ちましょう。

 今すぐに、ここから彼等を連れ出しましょう。」

 ユリウスは力のこもった声で言った。


「えっ…ユリウス様…何を…そのような事まで…」


「私は導きし者でございます。

 魔法使いの子供達も、私が導かねばなりません。

 全てを私にお任せください。

 王よ…全ては王の為でございます。」

 ユリウスは厳しい顔をしたまま漆黒の瞳で王を凝視した。

 それは不思議な凝視で、その男の言う事が全て正しいと王に思わせるものがあった。


 しかし王は魔法使いの子供達が大人になって本来の力を得るのを恐れ、なんとか声を絞り出した。


「ユリウス様のような素晴らしい方に、そのような手間をかけさせるわけには…彼等の世話なら…我々が…」

 


「素晴らしい?

 それは、一体どういう意味なのでしょうか?

 私にとって素晴らしい者とは誰かを傷つけたりせず、相手を思いやることができる者だと思っています。

 彼等は本当に素晴らしい子供達です。

 もし……王が私の能力の話をされているのであれば、私が彼等をその力にまで引き上げます。

 私の力をもってすれば、彼等はすぐに本来の輝きを取り戻せます。

 一国の王に、そのような手間はかけさせません。」

 ユリウスは穏やかに微笑んだ。



「でも…彼等はユリウス様とは違って、ほとんど魔法を唱えることもできません。彼等はユリウス様とは違います。

 裏切られてガッカリするだけです…同じように考えられては…比較もできないほどに…」


「王よ、生きていれば皆ちがいます。

 どうして皆が皆同じでなければならないのでしょうか?

 得意とする魔法もあり、そうでない魔法もある。

 だからこそ彼等は1人ではない。こうして仲間がいるのです。

 互いに支え合いながら生きていく事で、何かを成し得ましょう。

 彼等は一人一人が、かけがえのない者達です。

 誰かと比べるなど間違っております。そもそも同じ者ではないのですから比べる事などできない。

 それに比べたからといって、その力が得られるわけではない。

 それでも比べたいのであれば、誰かではなく少し前の本人と比べなさい。成長しているところがあるはずです。

 表面的な比較をして王が満足するなど、指導者とは到底思えません。

 そのような暇があるのなら、その者の素晴らしさを引き出すのに時間をかけなければ。その為には今のような環境ではなりません。力を発揮することなどできない。

 同じ魔法使いである私にお任せください。

 よろしいですね?」

 ユリウスの声が冷たく響き渡った。


 王の顔は白くなり、躊躇いの表情を見せた。

 なんとしても子供達を自らの支配下においておきたかったが、これ以上ユリウスの言葉を拒否して彼を怒らせる事を恐れた。


「このままでは彼等は死にます。

 断言します。

 それは、王にとっても良くないのでは?」

 ユリウスは薄気味悪い目で王を見た。


 王はしばらく黙った。

 魔法使い達が大人になれば言うことを聞かなくなる可能性もあるが、死んでしまうという言葉は真実に聞こえた。

 死んでしまえば、最悪の事態になる。



「ユリウス様はお優しくて素晴らしい方です。

 分かりました…では、鍵を開けましょう。」

 王は鍵束の中から、鍵を見つけ出そうとした。


「その必要はございません。

 私の行く手を阻むことはできません。」

 ユリウスは一歩踏み出した。

 すると彼の前の鉄格子が折れ曲がり、地下牢の全ての鉄格子がガタガタと音を立てて壊れていった。


 王は手に持っていた鍵の束を落とした。鍵の束は音を立てて床に落ちると燃え上がり、ドロドロに溶けていった。


 この御方を絶対に怒らせてはならない…私はとんでもない男を東の塔に連れて来てしまった

 王は肝をつぶしそうになった。


 吹き荒ぶ恐ろしい風のような音がし始め、壁がひび割れて、天井が今にも崩れ落ちそうにガタガタと鳴り響いた。


「ここから立ち去りましょう。

 老朽化でもしていたのでしょうか?東の塔が壊れてしまいそうです。」

 と、ユリウスは言った。


 太い柱に恐ろしいヒビがはいり、床が割れ始めた。

 彼は子供達を一刻も早くこの闇の空間から連れ出したかった。

(この辛く苦しい景色を壊さなければならない。

 子供達とオラリオンの魔法使いの王との思い出を、これ以上汚されたくはない。

 愚かな人間によって本来とは違う使われ方をするぐらいならば、この手で破壊せねばならない!)

 と、彼は思ったのだった。


「さぁ…王よ。」

 ユリウスは落ち着ついた声で言った。その瞳は恐ろしい闇の色をしていた。


 王は震えながらユリウスを見た。


 ユリウスは魔法使いの1人を抱き上げた。

「オラリオンの弓の騎士の歴史を描いた天井画の部屋に連れて行きます。あの室は最も陽の光が入り、体の傷を癒すのに最適な場所です…ですが心の傷までは癒せません。

 今私が使っている部屋は、もう必要ありません。これからは、私もその室で過ごします。」


 ユリウスは魔法使いの子供達を引き連れて室まで行くと、彼の手で扉を開け、子供達を中に入れた。

 最後に王が入ろうとするのを、ユリウスが立ち塞がった。


「今、この室に特別な魔法を施しました。

 人間には害のある魔法でございます。

 何人たりとも、この室に入ってはなりません。私の施した魔法は強力でございます。私以外の者が開けるのであれば、その者には死が訪れるでしょう。

 決して開けてはなりません。

 これは、私との約束でございます。」

 ユリウスは厳しい声で言った。


「えぇ…でも…とある出来事を忘れさせる為に、忘却の呪文を唱えさせて…」

 王は小さな声で言った。


「その心配はございません。

 忘却の呪文は唱えればよいだけのこと。

 私が唱えましょう。

 その方が「より強力な呪文」になりましょう。」

 ユリウスは氷のように冷たく厳しい目で王を見つめ、ゆっくりと中に入ると、静かに扉を閉めた。

 


 今になって彼を東の塔に案内した事を悔やんだが、もう遅かった。

 王はユリウスに逆らう事が出来なくなっていた。 

 もし彼を怒らせ、彼がオラリオンを出て行く事にでもなれば大きな損失である。もし彼が去れば、他の2つの国の王がこぞってユリウスを手に入れようとするだろう。

 他国で宮廷魔法使いとして使えるようにでもなれば、オラリオンの全てを知り尽くしている以上、オラリオンが滅ぶ事になるやもしれぬと王は恐れたのだった。


 なにより王はユリウスの力にすっかり心酔していたし、誰にも渡したくはなかった。


(これほどの力を持った魔法使いを渡してなるものか!

 聖なる泉の位置するオラリオンにこそ相応しい!

 その力を何とかして我の為に使っていただかなければ!)

 と、王はまだ思っていた。



 その夜、王は横になってはいたが寝る事ができなかった。

 気持ちを落ち着かせようとして酒を飲んだが、眠気を誘ってはくれなかった。目を開けて暗い部屋を見渡していると、魔法使いの子供達の瞳の色を思い出した。

 何度も寝返りをうったが、どうしても我慢ができなくなって起き上がった。

 外にいるような冷え冷えとした寒さに襲われ、ガウンを羽織った。王が廊下に出ると何者の気配もなかったので静かに歩き出した。風もないのに揺れるカーテンの隙間から白く不気味に輝く月の光と、音も立てずに歩く王の影が伸びていた。


 息を殺すように王は室の扉の前に立って手を伸ばし、扉に触れようとした。



「王よ、私は申し上げたはずです。

 何者もこの室に入ってはならぬと…私との約束です。王自ら約束を破るのですか?」

 ユリウスは低い声で言った。


 廊下には何者の気配もなかったはずなのに、王の背後にはユリウスが立っていたのだ。月明かりに照らされたユリウスの顔を見ると、王は膝が震えて止まらなくなった。


 ユリウスを取り巻く空気はぴんと張り詰め、瞳は全てを飲み込む夜の闇のように恐ろしく、瞳の奥には怒りを表す稲妻のような黄金が閃いた。

 彼が右手をゆっくりと持ち上げると、その手は燃え盛る炎のように王には見えた。彼が王の目前で手をかざすと、王の目前から全ての光が消え失せ、息も絶え絶えにもがき始めた。絞め殺されるような苦しみによって顔が真っ赤になると、ユリウスが手を下ろした。王は仰向きで倒れた。


「私は、約束を守れない者は許せない。」


「ユリウス様…ちがいます。

 これは…これは…」

 王は引きつった顔で口から泡を出しながら言った。


 ユリウスは王を見下ろした。


「私は全てを見る事ができます。

 私は見ているだけの者ではございません。」

 ユリウスは穏やかな微笑みを浮かべた。

 その身の毛のよだつような彼の恐ろしい微笑みに、王は心臓を抉り取られるような感覚に襲われた。


「下がりなさい。」

 ユリウスがそう言うと、王は暗い廊下の奥深くから吹く恐ろしい風によって寝室まで吹き飛ばされた。そのままベッドに放り投げられると、夢なのか現実なのか分からないまま王は気絶してしまった。寝室のシャンデリアが、今にも落ちそうにグラグラと揺れていた。


 


 ユリウスは子供達の寝顔と息遣いを一人一人確認してから、室の大きなバルコニーに出た。彼が見上げる夜空の星々は光を失っていた。

 月光に照らされながら風に吹かれる彼の後ろ姿は大きな影に覆われ、漆黒の髪はユラユラと揺れ動いた。



(何も変わってはいなかった。

 どれほど時間を与えようが、あの頃と何も変わってはいない。

 忘却の魔法によって全てを忘れているといっても…これほど狂った世界に何の疑問も抱かないのか?

 所詮、人間はどの世も同じ。

 人間とは愚かな生き物。

 どのように導こうが必ず道を誤り堕落する。

 何度も何度も同じ事を繰り返す。 

 その身が守られれば、立ち上がる者などいない。

 愚か者と、傍観者しかいない。

 なんと醜悪な…)


 ユリウスが風に吹かれながら目を閉じると、森の中の岩と岩の隙間で今にも息絶えそうな生命の悲鳴を感じとった。

 彼は一陣の風を巻き起こして城から離れ、次の瞬間にはその場所に降り立っていた。


 ユリウスは岩の隙間に潜り込んだ。

 無惨にも生きたまま皮を剥がれ、血の海の中で横たわっている動物の体に触れたが、もう遅かった。

 戻らぬ生命を悲しみながら抱き寄せていると、背後からユリウスに襲いかかろうとする気配を感じた。

 父の亡骸を抱いている男の後ろ姿を睨みながら牙を剥き唸り声を上げていたのだが、振り返ったユリウスの顔を見ると慌てて平伏した。

 死に絶えた動物の子供であった。

 その子の背中にも矢が刺さり赤い血を流していた。


 ゼッタイナルシハイシャ、ブレイヲ、オユルシクダサイ

 ワタシハ、モウダメデス

 ケレド、ドウカ

 ドウホウヲ、オスクイクダサイ


「死なせはしない。

 生きよ。

 君を救おう。」

 ユリウスは動物の背中に刺さった矢を抜いて、傷口に手を触れた。


「祝福を。

 心を強く持つのだ。傷口はふさがる。

 心を安んじるのです。」


 ミテヲ…アリガトウゴザイマス

 動物はつぶらな瞳から大粒の涙を流した。


 ユリウスは岩の隙間から出ると地面に穴を掘り亡骸を埋めた。


 夜空を見上げると、動物の背中を射た弓のような半月が白く光った。彼は矢のような黒い雲がよぎっていくのを見ると、怒りで震えている動物の頭を撫でながら、その身に何が起こったのかを見始めた。彼は動物の皮を求めて追い駆ける男達の姿を見た。


 その光景を見ているうちに、ユリウスはある女を思い出した。

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