第52話 勇者と望み 下
「最大の望みだ。
国王を断罪する。この手で、首を斬り落とす。なんとしても、この望みを叶えてみせる。
さもなければ、この世界は崩壊する」
アーロンはグレーの瞳を燃え上がらせながら言った。
フィオンも今や心臓が激しく震えていたが、顔には出さずに鋭い目でアーロンを見据えた。
自らの槍を大樹に立てかけると、騎士の剣を新たな夜明けの光で輝かせながらアーロンに向かって振り下ろした。
空を切り裂く音と共に、光の筋のような金色の髪がいく筋か舞い散り、最果ての森の大地の上にハラハラと降り注いだ。
「ゲベート王国、第1軍団騎士団隊長であるアーロンよ。国への忠誠を尽くさぬばかりか、主君を討つとは何事か!
騎士の誇りを失い、騎士の名誉も汚すのか!」
フィオンは剣先を突きつけながら凄みのある声で言った。
「ならば、問おう。真の騎士とは何を誇りとし、いかなる名誉を守らねばならぬのか。
国への忠誠、名誉と礼節、弱者の保護が、真に誇りある騎士が守らねばならない騎士道だ。
国王が愚か者であるのならば、第1軍団騎士団隊長が国の為に、国王という名にすがるだけの男を討伐せねばならない。
それこそが、真に国に忠誠を尽くすということだ。
第1軍団騎士団隊長が忠誠を誓うのは国であり、国とは国民そのものだ。
なればこそ真の忠誠を尽くし、騎士としての名誉を守り抜く為に、国民の生命を踏みにじる男を討伐し、国民を愚か者の手から救ってみせる!
あの男は、玉座に座っているだけの、ただの愚か者だ。
欲望のままに贅沢三昧をし、国民が悲鳴を上げるほどの税をとりたてて肥え太り、血肉を喰らいながら生きている。
罪深き国王の首を斬り落とさなければ、真に世界を救うことなど出来ない!」
アーロンは怒りに満ちた声で言った。
グレーの瞳は、突きつけられた剣のように鋭く光っていた。怒りと憎しみの感情を一切隠すことなく、新たな戦いへの情熱で燃える男は冷酷でありながらとても美しかった。
しかし、フィオンは剣を下ろさなかった。
その言葉に嘘偽りがないことを確かめるように、騎士の剣を突きつけ続けた。
木々の隙間からは、日の光が放射状に降り注ぎ、2人の勇者を明るく照らした。
今、この瞬間、鳥の囀りも木々の揺れる音も水の流れる音も聞こえなくなった。
静寂が支配していたが、身も凍るような風が森の奥深くから吹くと、新たな勇者の真偽を確かめようとするかのように荒れ狂った。大樹が動くほどの風であったが、勇者は体を震わせることも後退ることもなかった。
「騎士の剣とは、国民の為に振りかざすべきものだ。
3人の愚か者の為ではない」
アーロンがそう言うと、フィオンはようやく剣を下ろしたが鞘には納めなかった。
フィオンは恐ろしい光をたたえた瞳で見つめ、アーロンもまた厳しい瞳で見つめ続けた。先に逸らした方が負けであるかのように、お互いの心を激しく探り合った。
この世界の行く末が、大きく変わろうとしていた。
「この世界に、国王はいらない。3人の愚か者だけが権力を握り続けたことで、世界はこうも腐り果ててしまった。
このままいけば、人間は破滅の道に進むしかない。
国王は魔法使いの生命を踏みにじり、国民の目を欺き続けながら血肉を貪り尽くしている。
彼等の目には光がない。
だからこそ大いなる力が変革を望み、勇者がこの森に足を踏み入れることを許されたのだろう。
そして望みと共に、破滅も姿を現した。
破滅は既に僕たちを覆い尽くし、どんどん色濃くなっている。音もなく忍び寄り、風のように大地を駆け抜けて、オラリオン王国とゲベート王国を包み込んだ。飲み込む時を、待っている。
勇者が真に勇者にならねば、破滅は真に動き出す。
勇者は、求めに応じなければならない。破滅に打ち勝ち、真の悪を討伐し、世界を変えねばならない」
アーロンは強い眼差しを向け続けたが、フィオンは何も答えなかった。茶色の瞳だけが、アーロンの心を見るようにぎらぎらと燃えていた。
「僕は馬で駆けながら自らに問い続け、答えを導き出した。
国が危機的状況にあるというのに、何故見たこともない魔物を討伐する為に、他国の騎士と走らねばならないのかを。
僕たちが勇者としての儀式を受け、港に戻った時の国民の熱狂ぶりには正直驚いたよ。
聖なる泉が紅く染まり疫病が流行っているというのに、その原因については考えようとはしない。騒ぎ立て、お互いに猜疑心を抱いて憎しみ合っているだけだ。
誰かが、何とかしてくれると思っている。その誰かが、勇者なのだろう。
その感情を、国王は利用した。国王は英雄譚を利用して、新たな勇者を作り上げ、事態を収束させる為の時間稼ぎの旅に出させた。誰が流行らせたのかも分からない歌をいいことに、いるかどうかも分からない魔物に原因をなすりつけた。
ここぞとばかりにダンジョンに潜らせ、立ちはだかる壁であったクリスタルを破壊してこいとの王命を下した。
これが、今の国の姿だ。
国王の命令一つで、どんな愚かな所業も許される。
国民は疲れ果て、考える力を奪われ或いは放棄し、誰も異論を唱えない。
世界に起こっていることを、真剣に考えようとはしない。
今頃、国王は疫病を治す薬と聖なる泉を浄化するのに、躍起になっていることだろう。
勇者を討伐の旅に出したことを大々的にアピールして国民を安心させ、この2つの問題を解決する為に必要な時間を稼ぐことに成功したのだから。
勇者は、国王の手の平で踊っているだけだ。
このままでは勇者ではない、ただの愚か者だ」
と、アーロンは忌々しそうに言った。
「君は僕が国王から何らかの密旨を受けていると思っているらしいが、あの男が僕に言ったのは「クリスタルを破壊して、今度こそ破片を持ち帰るように」とのことだ。
あの男は、なんとしてもクリスタルを破壊したがっている。それほどまでにクリスタルを恐れている。
恐れるのは、奴等の身が危なくなるからだろう。あの男は保身のことしか考えないからな。
魔王の存在というだけではない。決して知られてはいけない恐ろしい秘密を握っているのだろう。
だから国王は口を閉ざしている。三日月の夜には警護を増やし、国王は陸橋の方角を見ながら震えるだけで何も語ろうとはしない。多くを語れば、いつか辻褄が合わなくなり、嘘が暴かれてしまう。そこに不都合な真実があるからだ。
陸橋を渡ったことで、最果ての森の方が清らかで美しいと分かった。薄汚い者たちが、恐れるほどの光に溢れている。
陸橋は僕たちを受け入れたのだから、不都合な真実を知れということなのたろう。
このダンジョンに導きし者、或いは多いなる力によって、クリスタルの真実を知った勇者が何を為そうとするのかを試されているのではないかと思っている。
だからこそ、こうして僕たちは出会った。国を変えるほどの力がある騎士の隊長が集った。いずれ英雄になる3人が。
これこそ、まさに運命だ。
僕は君と剣を交えたことで、君が特別な男だと確信した。
僕は、その導きに従う。
クリスタルの真実を知ることで大義名分を得て、国王を断罪する。国王を1人でも残しておいたら、世界は変わらない。
王政を終わらせ、国民の手に国をかえす」
アーロンがそう言うと、ビューヒューと恐ろしい音を立てながら吹く冷たい風が足元の落葉を舞い上げた。
「お前も、王族だ。
何を馬鹿なことを…気でも触れたか」
と、フィオンは言った。
「この望みの為に、僕は生きてきた。
僕は何も恐れない。
愚かな国王をこの手で断罪し、騎士としての責任を果たさねばならない。それは他の誰にも出来ない。
僕はゲベート王国第1軍団騎士団隊長であり、騎士としての誇りを背負い続け、名誉を守り続けたい。
愚かな国王には死をもって罪を償わせるが、僕は生きることで王族としての罪を償う。王政を終わらせ、その後の道をつくり、全てから手を引く。
僕が傷つけ苦しめた魔法使いたちをもう二度と悲しませることのないように最期まで守り抜き、己が罪を償う。
これが、僕の責任の取り方だ」
と、アーロンは強い光を湛えた瞳で言った。
フィオンはアーロンの言葉に嘘偽りがないとは感じたが、まだ心からは信用出来なかった。
「どうして、俺がその言葉を信用出来る?
長年、戦をしてきたんだ。
前にも言ったが、俺を騙そうとしていると思うのが普通だろう。
ゲベートがソニオを潰そうと企み、俺に弓を引かせて国を混乱させ、その機に乗じて攻め込もうとしているとしか考えられない。
それに、お前は俺に何も証明していない。
お前は俺にとっては勇者というよりも、いまだ…敵国の王の息子だよ」
と、フィオンは冷たい声で言った。
「確かに…僕はまだ証明していない。
しかし、必ず、ダンジョンに潜る時に、君に証明出来る。
僕が王の息子ではなく、騎士の隊長として、ずっと心に抱いてきた望みが真実であるということを。
どうしても君の力が必要なんだ」
アーロンがそう言うと、フィオンは肩をすくめた。
「お前が思っているような力は俺にはないし、何の望みもない。
俺は今の地位を守れたら、それでいい。
俺を、巻き込むな。本気で望みを叶えたいのであれば、ゲベートだけでやれ。お前なら、一人で出来るだろう。英雄であり、国民からの信頼もあり、資金も潤沢だ。
ゲベート王国の騎士団は、お前に従う。
国相手でも、十分に戦える」
と、フィオンは冷たく言い放った。
「クーデターを起こすだけなら簡単だ。僕だけでも可能だろう。
しかし僕が守りたいのは、国民の生命だ。それはゲベートだけではない。ゲベートだけでクーデターを起こせば、人間の半数が死ぬだろう。いや、それ以上の死者が出るかもしれない。
3つの国の大陸は焦土と帰すのだから。
僕がクーデターを起こせば、世界の均衡が破れる。
国王を断罪出来たとしても、これを好機とばかりにオラリオンとソニオが手を組んでゲベートを挟み撃ちにしてくるか、そうでなくても必ず戦争を仕掛けてくる。
そうなれば全面戦争となる。僕も国を守る為に容赦しない。
今までの小競り合いとはちがう、世界大戦になる。どこかの国が滅ぶほどの殺し合いになるだろう。暴力と破壊、殺戮と略奪が蔓延り、女子供はみるも無残な姿になる。
それが分かっていて、どうしてゲベートだけでクーデターを起こせようか?
特に、破壊と殺戮を好むソニオの騎士団は恐ろしい。
実力は君が1番だが、君の前にはまだ4人の残忍な隊長が率いる恐ろしい部隊がある。この4人はなんとかせねばならない。事前に武力を削ぐか、不慮の事故に見せかけて殺してしまいたいぐらいだ。
それが出来なくても僕がクーデターを起こしたことで、ゲベートに攻めてくる道と時刻が分かってさえいれば、僕が出陣して総大将の首を取ろう。攻めてくる部隊の情報さえあれば、全滅させることが出来る。残忍な騎士団によって虐げられ苦しめられた者たちの仇を取ってやる。
あの4人の隊長が邪魔で仕方ないんだ。
君も、そう思うだろう?」
と、アーロンは言った。
「おいおい、恐ろしい事を言う奴だな。
俺がそんな事を思ってるわけないだろう」
「いや、思ってるさ。
黒い門を通り、陸橋が現れるのを待ちながら、君が他の部隊に向けていた視線は憎しみに満ちていた。
僕と同じ目をしていた。あの目は、憎しみの対象に向ける恐ろしい目だ」
アーロンの目がどんどん険しくなっていくと、フィオンはアーロンが抱える心の中に自分と同じ憎しみを見たのだった。
「そんな事は思っていない。
そんな事をやる力もないしな、俺は」
と、フィオンは言った。
「いや、君には志も力もある。
そうだな…馬を買い取ってくれた奴等もそうだ。君との間に、しっかりとした信頼関係があるのだろう。
君は朝早くに馬で出かけて、夕方ぐらいには帰ってきた。どこまで行ったのかは知らないが、どう考えても時間が早すぎる。君には優秀な連絡手段があるのだから、どこかで会う連絡をしていたのだろう。
あの時間なら商談すらしていない。君の言葉で、彼等はまだ見てもいない二頭の馬も買い取る決断をし、金貨30枚をあの短時間で簡単に用意した。よほど力と金のある者たちだ。
あの三頭は優れた馬だが、軍馬ではない。金貨30枚は無理だと思っていた。その場合は僕が持ってきていた不必要な宝石でも売ろうと思っていたが、君は本当に約束通りに用意した。
優れた調教師がいて、軍馬として調教でもするのだろうか。そうでもしないと、あの値はつかない。やがて優れた乗り手が手に入れ、戦場を駆け抜けるのだろう。
それに、あの武器屋だ。僕をジロジロ見ていたのは気に入らないが、素晴らしい武器を沢山保有しているのだろう。
彼の目には強い怒りの感情があった。ゲベートの騎士を恨んでいると君は言っていたが、もっと別の誰かに対して強い怒りを抱いているようでもあった。
大切な故郷に「何か」があったのかもしれない。ならば仇を取ってくれた恩人には義を尽くし、その頂点に立ちながら何もしない男は殺したいほど憎いだろう。
君は隊長になってから、連戦連勝だ。
それでも、まだ馬を揃え、いい武器を揃えている。それらを買うだけの財力もある。ソニオ王国の、あらゆる場所に詳しかった。
馬と武器と人と金…さらに憎しみという感情が揃っている。
戦争の条件が、揃い過ぎている。騎士の隊長というだけではないだろう。
一体、どこと戦争をするつもりだ?」
と、アーロンは言った。
「おいおい、勝手に結びつけんな。
お前は相変わらず思い込みが激しいぞ。
これからも戦いに勝ち続け、隊長であり続ける為だ。
ただ、それだけだ。
俺が俺であり続ける為に、俺は完全に武装する。だから常に最高の馬と武器を揃えている。
人を殺すことで、興奮したいだけかもしれんがな。それは、他の隊長連中と同じだよな」
「ちがう!
君は生命の大切さを理解している。
そして、生命を踏みにじる者たちを憎んでいる。
君は同じじゃない!」
アーロンは大きな声で言ったが、フィオンは呆れたような顔で笑った。
「いや、同じだよ。命令されるままに殺したんだからな。他の奴等も命令されて殺している。ほら、同じだろ?
悔いていようが、笑っていようが、殺したという事実は一緒だ。
俺はお前が思うような騎士ではない。
お前の理想を俺に押し付けんな。俺は悪党と変わらない、ただの殺し屋だ」
と、フィオンは言った。
「僕は君が殺し屋だとは思っていない。ましてや、悪党のはずがない。
君は僕の望んでいた理想の騎士だ。
僕は何度でも言おう。
騎士として戦場に赴く時には、敵国の騎士を殺さねばならない。それは隊長の務めだ。国民と隊員を守らねばならない。殺戮ではなく、戦争をしているのだから。
しかし、君だって本当は人を殺すことは望んでいないはずだ。君は本当に戦場以外では人を殺したくない。いや、もう戦場ですらも望んでいないのかもしれない。
君が狂気をまとっていない時に、僕に向けた言葉の多くは生命を尊ぶ言葉で溢れていた」
アーロンがそう言うと、フィオンは険しい顔をしながら笑った。
「俺はただ優しい男を演じてただけだ。そのせいだ。
長旅なんだから優しい男の方がいいだろう?魔法使いとエマがいたから、そうしたんだ。
盗賊を殺しまくってた時が、俺の本来の姿だ。お前が望む騎士なんてものは、ソニオにはいない」
と、フィオンは言った。
「僕は騎士だ。聖人ではない。
僕も悪人を捕らえる必要はないと思っている。多くの人たちを欲望のまままに傷つけ殺してきたんだ。偽りの懺悔を口にする輩ばかりだ。そんな奴等は何度も罪を犯し、解き放てば同じことを繰り返すだけなのだから。
僕も君となんら変わらない。
だからこそ、僕は君という人間がよく分かる。
もう終わりにしよう。
このままいけば、君は本当に壊れてしまうぞ。鬼神にでもなってしまいそうだ。恐怖と絶望をもたらす、鬼神にだ」
と、アーロンは言った。
「もうなってるさ」
フィオンが呟くと、冷たい風が彼のマントを翻した。
「君は、そうはならない。
君には守りたい者たちがいる。
君の隊員…それになにより…」
アーロンはその先の言葉を言おうとしたが、フィオンが鋭い眼差しを向けるとその言葉を飲み込んだ。
「僕は君と共に過ごした日々の中で、君がどれほど生命の重みを知っているのかを感じた。
だから君と共に世界を変えたい。
君が国民を守ろうとするのならば、僕は喜んで手を貸す。
優れた部隊を君に預けよう。必ず君の力になれるし、君の言葉には絶対に従わせよう。
君も準備はしているだろうが、長期戦になれば財力が上回る方が勝つ。国相手では、長期戦では勝てない。
それにあんな騎士団でもいなくなれば国の悪党共が喜ぶ。勝利したとしても国は荒れるだろうから、そのまま好きに使ってくれて構わない。
悪くない条件だと思うが、どうだろうか?」
アーロンはそう言ったが、フィオンは何も答えなかった。ただ彼の手にしている騎士の剣が、日の光を浴びて輝くだけだった。
「剣の輝きは、美しい。
しかし、その輝きは、多くの人々の生命を奪う。
戦争孤児になった少年を君がひきとっているという話を知り、いろいろ考えた。君が言った通り、本当に君好みの兵士を育てているのかと思ったこともあった。
しかし、本当はちがう。
僕はあの時の君の言葉を忘れない。親を失った子供は「絶望だけだ」と。君も親を亡くし、君自身がその道を歩んできた。
だからこそ少年たちに同じ道を歩ませたくないのだろう。自分のような少年をつくらせたくない。
ナニモノかを殺させることで、人生を狂わせてしまう。
自分自身と相手、その家族の人生を狂わせてしまうことが、君はとてもよく分かっている。
君自身が、その道を歩んできた。絶望という名の道を。
もう終わりにしよう。
今こそが分岐点だ。新たな道を歩もう。
これ以上、君に絶望の上を歩かせたくない。
フィオン…僕と共に、これからの者たちの為に、新たな道を作ろう」
アーロンがそう言うと、その場は日の光を受けて一層光り輝いた。騎士の剣が眩い光を放つと、フィオンは黙ったまま輝く剣身を見つめた。
その剣のもたらす光は、主人の言葉が真実であると証明しているかのように思えた。真実の光…その言葉のように。
「僕が騎士団を編成しなおしたのは、望みの為だ。
これも一つの証明とならないかな?
裏切る可能性があり、望みの為に必要のない者たちには去ってもらった。罪状があったのは確かだしね。
僕の準備は出来ている。
今の騎士団は、全て信頼のおける者たちで腕も確かだ。
彼等もこのままではいつの日か国は終わると思っている。無意味な戦も望んでいない。
国民を犠牲にして村や町を焼き、隊員も死んでいく。そこには勝利という栄光もなければ何もない。
剣と鎧を真っ赤な血で染めていくだけだ」
と、アーロンは言った。
日の光を浴びて、フィオンの銀色の鎧も煌めいた。彼の鎧は黒ではなかった。
染め上げる色を強烈に敵の目に焼き付ける為に、かつての隊長から決められた色を、今もまとい続けていたのだった。
「血の赤は、これから先も君がまとう色ではない。新たな夜明けの暁の赤こそが、君には相応しい。
今すぐにとは言わない。ダンジョンを無事に出てから、答えを聞こう」
と、アーロンは言った。
フィオンは新たな力に包まれるように、青い空を見上げた。見上げた空には光があり、その光は彼が望む最高の栄誉をもたらすかのように感じた。
その光を見たフィオンは口を開きかけたが、急に目眩がした。光を感じながら激しい腕の痛みを覚えた。
勇者の言葉を聞いたかのように、その力は強く動き出した。立派な言葉を薙ぎ倒すような恐ろしい風が、最果ての森の奥深くから吹いた。風が彼の心を揺らし「王の息子」という言葉を耳元で囁いたのだ。
すると日の光が、真っ赤な色にのまれていった。空は真っ赤な色に染まり、血の雨のようなものを降らし、フィオンの体に降り注いでいった。
『その男は、王の息子だ。
平気で嘘をつき、裏切る男の血が流れている。
絶望の上を歩きながら、何を見た? 歩んできた道で、何を見たのだ?
それこそが、真実だ。
手を握れば、また全てを失うだろう』
赤い血はねっとりとフィオンの体にまとわりついた。
銀色の鎧が一瞬で真っ赤に染まると、フィオンは目を閉じた。彼が見、そして築いた死体の山を一つ一つ残酷に蘇らせた。
アーロンはフィオンが双眼を閉じて眉間に深い皺を寄せたのを見ると、大樹に立てかけていた槍を掴み取った。
そして槍の勇者の手に強く握らせると、その目を開かせようとするかのように語りかけた。
「3つの国が協力しなければ、世界は変えられない。
それほどまでに、この世界は歪んでいる。
国民が望む英雄が協力しなければ、世界は変えられないんだ。
それが出来るのは君だ、フィオン。
共に手を取り合い、世界を救おう。新たな光の道を、共に馬で駆け抜けよう。
ゲベート王国第1軍団騎士団隊長である僕は、この神聖なる最果ての森の大地の上で誓おう」
と、アーロンは言った。
フィオンはゆっくりと目を開くと、左手に握る自らの槍を見つめた。そして右手に握る剣を見つめてから、アーロンを見据えた。憎しみも怒りも喜びも、いかなる感情も宿さない瞳だったが、急に彼は穏やかな微笑みを浮かべた。
「お前さ、ユリウスっていう魔法使いは本当に死んでると思うか?」
フィオンがそう言うと、アーロンは突然の言葉に驚いた顔をした。
「英雄譚ではそうなっている。
けれど、実際のところは分からない。
もし違うのなら、この世界の何もかもが嘘になる」
「嘘か。まぁ…人の世っていうのは勝者がつくるからな。多くが一部の者たちの都合のいいように塗り固められている。
それを嘘と言うのなら、そうなんだろう。
お前の話を聞いてたらさ、いろいろ疑問に思ってきた。
ユリウスはこの最果ての森にダンジョンを作った。この特別美しい森にだ。
俺はここを歩いていて分かった。ここにダンジョンを作れるのなら、ユリウスはとんでもない男だ。
あの陸橋の主が、黙ってそれを許すと思うか?
マーニャは以前ユリウスの話をした時に、特別だと言っていた。陸橋の主が生まれたのが先か、ユリウスがダンジョンを作ったのが先か…どちらが先なのかは分からないが…。
世界一の魔法使い…特別…漆黒のドラゴン…魔王…何がどうなっている。
ユリウスの時から魔法使いが酷い扱いを受けていたとしたら、黙って見ていたとは思えない。
お前なら、この意味分かるよな?
ユリウスは一体何がしたかったんだ…。何故、ここにダンジョンを作った…なんでここなんだ…。
分からないことが多すぎる。
魔王は本当に封印されているのか…。封印されても陸橋を思うがままに操り、3つの国を震え上がらせる。
封印されし存在は、とんでもない化け物だぞ。
絶対に、完全な状態で封印から出してはいけない。
だから今考えるべきは、クリスタルだ。
お前の話は、お前が騎士であり真に勇者であると証明し、無事にダンジョンを出てからだ」
フィオンはそう言うと、何度か瞬きをしてから淀んだ空気を切り裂くように槍を振るった。
「そんなことよりもだ。
お前が今も愛している人は、修道女になってるぞ。
いいのか?」
フィオンがそう言うと、アーロンの顔には動揺の色が走った。
「ゲベートで何が起きているか、お前は知る方法がないからな。
だから俺の口から教えてやろうと思った。何も知らずに帰還して、下衆な奴等から聞かされるよりかはマシだろう。
伯爵家の令嬢がいつまでも家にいるわけにはいかない。
お前が旅に出てから、他の男と結婚させられそうになったらしい。それが嫌で、修道院に逃げ込んだんだと」
と、フィオンは言った。
「それが彼女の選択なら…僕がどうこういう権利はもうない」
アーロンはそう言うと、今までの誇り高い表情は消えていった。
「ないことはないだろう?
お前がもう一度現れるのを夢見て、ずっと待ち続けていたんだろうが。
しかし、お前は来なかった。別の男が、現れた。
お前以外の男と一緒になるのが嫌で逃げ込んだんだ。お前にも責任があるだろうが。
それなのに冷たいな。そこまでさせんな。迎えに行ってやれよ。さっきのお前の望みの為か?」
「君にだけは言われたくない。
確かに、それもある。
もし失敗すれば、僕だけの問題ではすまなくなる。家族は勿論、関わった者たち全てが絞首刑になる。
しかし、僕は失敗するつもりはない。完璧にやり遂げる。その為に、何もかもを犠牲にしてきたんだ。
わざわざ彼女のことを調べたのか?」
と、アーロンは言った。
「あぁ、俺の隊員に調べさせた。
お前が本当のことを言ったのか調べたんだ。他にもいろいろ調べた。これで、おあいこだ。
お前、本当に1人だけだったんだな。
本当にいいのか?清楚で美しい人みたいだな。
修道服を着ていても美しさは目を見張るほどで、豪華に着飾った女ですら見劣りしてしまう。その美しい顔はどこか儚げで憂いに満ちていたが、その陰りがかえって華を添えていた…あんな女性を…とそれはやめとくか。まったく…何を書いて送ってきたんだか…。
今も待ってるぞ」
と、フィオンは言った。
「僕では…彼女に相応しくないから。
僕が彼女の側にいたら、彼女を不幸にするだけだ。
それに…これ以上彼女の側にいたら、僕だって彼女を離したくなくなる」
アーロンは彼女のことを思い出したのだろう。その声には、どんどん悲しみが広がっていった。
「だったら離すなよ。
連れ戻して、その腕でずっと抱いとけ」
フィオンがそう言うと、アーロンはフィオンを見つめた。
自信に満ち毅然としたいつもの表情からは想像が出来ない程に、悲しみに暮れていた。
「皆んな何かを抱えながら生きている。
どんなに表面上はきれいに飾っても、その裏では恐ろしい秘密を抱えて生きていたりする。
それを悟られないように必死の者もいる。
その者の事情は、誰にも分からないものだ」
と、アーロンは言った。
フィオンはアーロンの顔をしばらく見つめてから、空を見上げた。空は真っ赤に染まっておらず、美しい青い色をしていた。
「もし俺が女で、お前と俺のどちらかを選べと言われたら…」
「どちらにするんだ?」
と、アーロンは言った。
「確実に…」
「確実に?」
「俺だわ」
「なんだ…僕じゃないのか?」
アーロンが笑ったので、フィオンも笑った。
「そんな顔すんな。
お前は…いつだって自信に満ちた相当ヤバい男の顔でいろ。調子を狂わせんな」
フィオンは呟くように言った。
「そうだな。君がそう望むのなら、僕はそうしよう。
ところで、君はどうなんだ?」
と、アーロンは言った。
「何がだ?」
「君の恋人も、君を待っているぞ」
アーロンがそう言うと、フィオンは首を横に振った。
「君の方が、頑なだな。
何が、そこまでさせている?
君だって、何かを為そうとしているからだろう?彼女を守りたいからだろう」
「そんなことはない。俺の場合は、ただ愛していないだけだ。
それに…」
「それに?」
アーロンはそう言うと、フィオンに向かって微笑んで見せた。
「なんだよ?その顔は」
フィオンはそう言うと、大きく溜め息をついてみせた。
「もし俺が何らかの事情があって国に損害を与えたとしても、彼女は巻き込まれない。
俺と彼女は、お前たちとは違って、本当の恋人同士ではないんだから。愛し合ってなかった。
だから彼女は俺のことなど何も知らない、体だけの関係だ。
しかも特定の日にだけ通って来るだけのな。俺と彼女が話をしているところは誰も見たことがない。どんな表情で、彼女が俺を見るのかも知らない。
だから俺に犯されて脅され、泣く泣く恋人同士のようなフリをさせられて、今まで俺にイイように動かされていたんだ。
本当は俺に抱かれて、イイように使われるなんて嫌でたまらなかったけれど、野蛮な騎士に脅されたら拒否出来ない。
俺との約束を誰かが知っていたとしても、俺がそういう風に吹聴したと彼女が言えば誰も疑わない。
それになにより…俺がいなくなれば、他の男が喜んで彼女を求める。彼女の美しさは男を惑わせる。初めて会った時から俺のような男に抱かれても、なんの陰りもなく美しいままだ。
彼女は殺されやしない。生命は、奪われない」
「生命は…か…。
その場合、君の名誉に傷がつくぞ」
「どうせ死んでるんだ。かまわない。
それに死んでも俺は俺の女を守ったってことになる。お前だって、そうするだろ?
この国では、そうでもしないと守り抜けない。女の場合は、殺されるだけではすまないんだから。
恋人でなくても俺の女である以上、俺はそうする。そうしなければならない」
フィオンは真っ直ぐな瞳で、左手に握る槍を見つめた。その瞳はとても美しく、ただ一人の男であるかのようだった。
「君は本当に彼女のことを愛していないのか?
そこまで考えているのに…僕には君も彼女を深く愛しているとしか思えないよ。
彼女から手紙がきたとき、君は手紙を口元に寄せたんだ。無意識だっただろう?
体が勝手に動いて、彼女の香りに深く浸り、離れていても彼女が君を変わらずに愛していることを感じようとしたのだと思ったよ。
目の前に僕がいたとしても、愛しい女性の想いを感じたくてたまらなかった。愛しい女性に口づけをしているかのようだった。
好きでもない相手の手紙を、そんな風に扱う男だとは思えないが」
と、アーロンは言った。
「愛していない」
フィオンは顔を背け、足元に咲く美しい白い花を見つめた。白い花を見つめるその瞳には、優しい色が広がっていた。
アーロンはフィオンが彼女のことを思い出すたびに、その表情に様々な変化があらわれるのを感じた。
「そうか…そういうことか…」
「何をブツブツ言ってやがる?」
と、フィオンは言った。
「任務と女性なら任務を優先するといった君の言葉を思い出した。君が自らに課した任務が…」
「おいおい、またか。勝手に、俺の話をねじ曲げんな。
俺には愛するという気持ちが分からない。いつまで経っても分かることはない。分かりたいとも思わない。
女とはセックスが出来るだけでいい。
それ以上は求めないし、求める気持ちもない。
それに前にも言っただろうが。彼女は夢の中で作り出した俺を見ているだけだ。
あの部屋の中で、夢を見てるだけだ。花束も贈り物もしていない。俺たちはあの部屋の中だけで、恋人同士ではない。あの女のことだけは、愛していない」
フィオンは白い花から目を逸らし、顔を上げた。
「愛してないか。
何故ゼロのつく日なんだ?」
「毎週会うはしんどいだろ?俺から口説きにいったんじゃないんだし。俺は攻めるのが好きなだけなんだよ。必要以上に求められるのも、追いかけられるのも好きじゃない。
そもそも同じ女と月に何度も会うタイプじゃなかった。適度な距離感が、最高だ。
適当に会いに行くはずだったんだけど、いろいろあって行く日を決めることになった。
彼女の屋敷にはじめて行ったのが10日だった。
だから俺が忘れないように、ゼロのつく日になった」
「そうか。ただ…どうなんだろうな…」
と、アーロンはブツブツ言った。
「どうなんだって…何がだ?」
「君と彼女がそういう出会い方をしていなかったら、君が一人の女性とちゃんと向き合うということはなかったかもしれない。彼女の方が優位な立場でなければ、君は承諾しなかった。
これもまた一つの運命なのか。
別の出会い方をしていたら、まだ沢山の女性と関係を続けていたかもしれない。
むしろよかったのかもしれないな。
彼女が君より優位の立場で約束をさせたことで、君は彼女だけになり真摯に向き合った」
アーロンがそう言うと、フィオンは首を傾げてみせた。
「俺に愛してると言わせたいのなら諦めろ。全部お前の思い込みだ。本当に、思い込みの激しい男だな。
思ってもいないようなことは、口にしないから。
約束があるから続けているだけだ」
「そうか。残念だ。
君に彼女を愛していると言わせてみたかった。大切な気持ちを口にさせてみたかった。君が鬼神にならぬように。
まぁ、僕がそうはさせないが。
彼女とはどんな約束をしたんだ?」
「彼女の方から離れるまで、俺が彼女を全力で守る。そうでなければ俺が死ぬまで、彼女を全力で守り続ける。
それを彼女に跪いて約束しただけだ。
それだけだ。
俺は、それを守るだけだから」
と、フィオンは言った。
「守るだけ…か。
君はエマを褒めた時に、面倒臭くなるようなら言わないと言っていた。あの時はどうかと思ったが、他の女性をその気にさせる気ももうないんだろう。他の女性と隠れて関係を持つような男ではないしな。
まぁ…たしかに、昔は相当な人数と関係していたんだろう。白の教会で側近が僕たちの様子を見ていた時には、全身から軽薄そうなオーラを出していた。
しかし時が経つにつれて、薄らいでいった。こっちが本来の君である気がしてならないよ。
僕がそもそもそんな男ではないからよく分からないが、不思議でならないよ。例え約束があったとしても、愛していない女性の為に、何人もの女性と関係をしていた男がそうも変われるものなのかな?
心から傷つけたくないと思っているとしか思えないけどな。
それに君がわざわざ僕に彼女の話をしたのは、僕を国王の側の人間だと疑っていたからだと思っていたよ。僕が彼女の話を出したとしても。
君は噂で聞いていたのとはちがった。恋人が側にいないことをいいことに、夜に町に出かけては他の女性と関係を結ぶこともなかった。本当に任務のことだけを考えていた。
彼女を真実に愛しているからなんだろう。
だからああまで体だけの関係だと主張して、王の息子の僕から彼女を守ろうとしたのかと思っていた」
アーロンは真っ直ぐな目でフィオンを見つめながら言った。
「愛していない。
ただ約束しただけだ。他の女のことでは、彼女を悲しませないと」
フィオンが真面目な顔で言うと、アーロンは大きな声で笑い出した。
「何が面白い?」
「君はダンジョンから無事に戻るし、その先も僕が君を死なせない。彼女を悲しませないように、僕が君を守り抜く。
そうなれば約束かもしれないが、君は彼女と永遠に一緒にいることになるな。君が僕に語った夢だって諦める必要なんてない。彼女となら叶えられる。
君が思っている以上に、彼女も君から離れられないのだから。たとえこの先何があっても、彼女は君を選び続けるだろう。意志の強い女性だろうから、何があろうと別の男の手は握らない。
君という男を感じてしまったのだから。
一度決めた心に嘘はつかない。気高い女性だ。あの香りの意味するところは、そういうことだよ。
生半可な気持ちで、あの想いはのせられない。
君という男に愛され、最期まで君の隣にいることを望んでいる。
それに君も、その約束が何を意味するか、約束を守り続ける理由が本当は何なのか、分かる日がくるだろう。
いや、分かっているのだから」
と、アーロンは明るい声で言った。
「お前、うるせぇよ」
フィオンは槍を地面においてアーロンの手をとると、その手に再び騎士の剣を握らせた。
「望みが潰えないように、お前は証明することだな。
剣はお前が持っておけ。槍と剣の両方は流石の俺でも重すぎる」
と、フィオンは言った。
アーロンは微笑みながら、その剣を握り締め、2人は並んでエマたちのもとへと戻って行った。
2人が戻ってくる姿を見たエマは笑顔で手を振ると、嬉しそうに彼等のもとへと駆け寄った。
「どうしたんだい?エマ」
と、アーロンは言った。
「馬を見て」
と、エマは明るい声で言った。
3頭の馬を見ると、馬の目にようやく光が戻っていた。
陸橋を渡る前の勇敢さを取り戻し、もう一度その背に勇者を乗せて、この森を駆け抜けることを望んでいた。
一行は、再び馬上の人となった。
馬に跨る勇者の姿は堂々としていて、兜の下から見える瞳には以前とは違う、遠い先を見つめる光があった。
アーロンは背筋を伸ばして馬に出発の合図をおくると、馬は大きく嘶いて、日の光が降り注ぐ道を颯爽と走り出したのだった。
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