第69話 勇者とダンジョン

 


「ありがとう、フィオン」

 アーロンが落ち着いた声で言うと、フィオンは友の顔を横目で確かめてから抱き寄せる腕の力を緩めた。


「もう、いいのか?」

 フィオンが低い声で聞くと、アーロンは頷いた。


 アーロンはゆっくりと瞳を閉じて、共に戦い続けてきた騎士の剣に触れた。己を確認するかのように深く息を吸い込んでから吐き出し、双眼を開いた。

 彼の瞳は一切の澱みが消えさって輝きを放ち、何もかもを背負う覚悟ができたようだった。

 偽りを述べない友の真実の言葉が、彼を苦しめていた「一つの恐れ」に打ち勝つ勇気を与え、真っ暗だったその場所にも一条の光が射した。その光は、あたたかく大きな光となって、もう消えることはなかった。

 アーロンは不敵に微笑んでから、しっかりと顔を上げて鋭い目で友を見た。


「いい面構えになったじゃねぇか。」

 フィオンは満足そうに言い、同じように不敵に笑った。

 彼等は必ず真の敵である国王を打ち倒そうぞと言わんばかりに、互いの武器を空に向かって掲げた。

 剣は鋭い光を放って輝き、槍はきらりと煌めいた。

 騎士が掲げる武器の触れ合う音が、大樹の下で響いた。

 囀り合う鳥の鳴き声も清々しく耳に響き、舞い散る黄色の葉がこの先で掴み取る勝利の栄光のように見えた。


 騎士のマントを翻す冷たい風すらも心地よく感じながら、2人は戻って行った。向かってくる男達の足音を聞いて顔を上げたエマからは笑みがこぼれた。


「エマ、どうした?」

 と、フィオンが言った。


「2人の顔を見てたら、なんだか嬉しくなったの。旅のはじめの頃と比べると、全然違うから。

 最初は話もしなかったし、目も合わせなかったわ。

 そんな表情で肩を並べて歩く姿を見るようになるなんて思いもしなかった。

 敵国の隊長同士って思えないわ。」

 エマはそう言ってから、表情を少し曇らせて下を向いた。


「ほんと…戦争をしてるのが馬鹿みたいに思えてくる…こんな風に時間をかければ分かり合えるのなら…戦争をする必要なんてないのに…」

 エマは小さな声で言ったが、また顔を上げて笑顔を見せた。


「すっかり仲良しね。

 ダンジョンに潜る前に、仲良くなって良かったわ。

 ダンジョンの中で殺し合いでも始めたらどうしようかなって心配してた時もあったんだから。」

 と、エマは言った。


「フィオンは、かけがえのない大切な友達だ。

 エマも、そうだよ。

 そんな心配をさせていたなんて、すまなかった。」

 アーロンは謝ったが、エマを心配させていたと思うと申し訳ない気持ちになった。


「友達ね…いい響きだわ。

 これから先も…ずっと友達でいれたらいいのに…それなら馬鹿げた事は終わるかもしれない…」

 エマは空を見上げながら嘆息した。




 昼を過ぎた頃になってリアムが目を覚ますと、4人は食事をとった。

 食事が終わる頃になって、ルークの体がピクリと動き、ゆっくりと目を開けたが、太陽の光で眩しそうに目を細めた。もう見る事はないと思っていた光を見た彼は驚いていた。そして自分が生きている事を確認するかのように、手の指を少し動かした。


「大丈夫か?」

 と、フィオンが言った。


 ルークは自分を見つめる4人の顔を、ぼんやりとした目つきで眺めた。少し口を開いたが何も言葉が出ず、代わりに涙が流れた。

 アーロンは苦しい気持ちになって、咄嗟にルークの手を握ってから感謝の気持ちを込めて、ゆっくりと抱き起こした。


「ルーク、ありがとう。

 ダンジョンに施されていた封印の魔法は解かれたよ。

 今からダンジョンに潜り、クリスタルの意味を知り、この場所に帰ってくる。

 共に、ゲベートに帰ろう。

 国に帰ったら、今度は僕が英雄として閉ざされた室の扉を開こう。必ず君達全員を救い出し、あるべき光のもとにかえそう。

 そして、僕が騎士として最期まで君達を守り抜こう。

 その為に、ここに来た。

 行ってくる。

 マーニャを頼んだよ。」

 アーロンはその言葉をルークの心にしっかりと刻み込むかのように囁いた。

 ルークは体を震わせた。

 待ち望んでいた光を見たかのように青白い顔には赤みがさし、今度は瞳から美しい涙が流れた。



 アーロンはルークを木の幹に寄りかかるようにして座らせた。リアムはフィオンから水筒を受け取り、コップを水で満たしてからルークに手渡した。

 ルークが両手でコップを受け取って少しずつ飲み始めると、リアムも隣にしゃがみ込んだ。その間、勇者達はそれぞれの準備に取り掛かった。

 喉を潤したルークが自分を見つめるリアムの表情を見ると、妙な気持ちになった。これが別れの盃のように思えて、空になったコップを持つ手が震えた。


「リアム…」

 ルークはただ彼の名を呟いただけで、いうべき言葉を見いだせなかった。


「ルークの杖を持っていくね。」

 と、リアムが静かに言った。

 ルークは驚き、まじまじとリアムを見つめた。どうして自分の杖を持っていくのか全く分からなかった。理由を聞こうとしたが、口が上手く動かなかった。怪訝な顔をしながら首を傾げたが、リアムは微笑するだけで何も答えなかった。

 その微笑は優しく悲しげで、瞳には何らかの決意の炎が揺れていた。瞳の奥で揺れている炎の力によってルークの思考は奪われ、震える手で杖を渡していた。


「ルーク、ありがとう。

 マーニャの杖も持っていくから、目を覚ましたら伝えておいて。

 僕は、行ってくるね。」

 リアムはそう言うと、2人の杖を手に持っていた紐で結んで背負った。


 ルークは目の前から消え去ろうとする友に向かって手を伸ばしたが、リアムはその手は握らなかった。


「リアム…一緒に…帰ろうね。」

 ルークはかすれた声で言ったが、リアムは答えることはなかった。




 勇者達もそれぞれの武器を握り締めて出発の準備が整うと、ダンジョンの入り口に向かって歩き出した。

 大樹の下に着くと、エマが後ろを振り返った。

 ルークは立ち上がっていた。こちらを見守りながら手を合わせていた。4人が揃って無事に戻るように祈りを捧げているのだろうとエマは思った。


 彼等はダンジョンの入り口を見下ろした。

 燦々と降り注ぐ陽の光を浴びた彼等の瞳は、それぞれの望みを抱いて闘志に燃えていた。

 立ち上っていた煙もすっかり消え、ぽっかりと大地に穴が空いたような入り口からは、下へと続いていく階段が数段だけ見えた。地の底へと続いていく階段がどれくらいあるのかは、ここからは分からなかった。足を踏み入れる勇気のある者のみが、その先の景色を見ることが許されているようだった。



「アーロン、あの剣はどうするの?」

 エマは地面に突き刺さったままの剣を指差した。

 アーロンがその剣を見ると、急に輝いていた太陽が流れ行く雲に隠れて辺りは暗くなった。その変わり方は何処か不可思議で、彼を誘惑する不気味な力が働いたかのようだった。


 アーロンはしばらくその剣を見つめていたが、頭を振ってから、澄み渡った声で言った。


「僕は、剣の勇者だ。

 共に戦い続けてきた、この剣と共にダンジョンに潜る。

 あの剣は、英雄となる時に掲げるとしよう。」

 と、アーロンは力強く言った。



「とっとと、入るとするか。

 封印が解かれてから、けっこう時間が経ったが、何にも出てこないし物音一つしない。

 さぁ、行くぞ!」

 フィオンが力強い声で言った。

 今や、凄まじい戦場に赴く騎士の隊長の表情にかわっていた。

 危険な魔物は今まで見なかったが、クリスタルに封印されているのは、かつて世界を恐怖に陥れたと英雄譚で語り継がれている魔王である。その恐ろしい力が、今も衰えることなく眠っていると思うと、得体の知れないクリスタルにとてつもない不気味さを感じていた。


 フィオンは階段を一段降りると、しばらく待った。

 これで勇者がダンジョンに足を踏み入れたことになるが、地の底から魔物が向かって来る音も聞こえなければ、数百年前につくられた階段が崩れ落ちることもなく、何の変化も起きなかった。

 フィオンは用意しておいた長めの杖で階段を押して感触を確かめながら、一段一段慎重に降りて行った。後ろの3人も彼に続き、彼等の姿はルークからは全く見えなくなった。



 やがて、太陽の光は届かなくなった。

 リアムは杖の先に光を灯し、暗いダンジョンを仄かに照らした。微かな光だったが、先頭を歩くフィオンが前方と足元を確認するのには十分な明るさだった。降りていく階段は手入れがされていて、ヒビ割れや妙な音もしない事を驚かずにはいられなかった。ちゃんと数えたわけではないが、数百段あるように思うほど長く感じた。

 階段を降りきると、先の見えない暗くて長い廊下が続いていた。灯りはなく、物音一つせずに、何者かが潜んでいるような気配もなかった。

 闇に広がる静寂そのものだった。


 どれぐらいかかるのだろうか?

 勇者達の心に疑問が浮かんだが、誰も口にはしなかった。不安を煽るような言葉を早々に口にしてはいけないと思ったのだった。


 4人は2列になって、ゆっくりと進んだ。

 前にはフィオンとリアム、後ろは弓を握り締めたエマとアーロンが守った。アーロンも剣の柄をいつでも握れるようにしていた。彼の目は厳しく光り、どんなに微かな変化ですらも見逃すまいとしていた。


 時折、フィオンは鼻を動かして獣の臭いがしないかを確認した。暗闇に光る目のようなものはなかったが気を抜けなかった。この暗闇は彼に陸橋で見た一つ目の巨体の姿を思い出させていた。

 すると巨体を従える魔王の正体についても強く考えるようになっていた。それは形を持たない黒い影だったが、彼が一歩進むたびに黒い影が色濃くなり、彼の目は燃え上がりそうなほどにあつくなっていった。



 全く道が分からずに手探りの状態で歩き続けるのは、ひどく神経をすり減らしたが、できるだけ早く20階層に辿り着きたいという一心で歩き続けた。

 果てしなく続く道は何度も何度も折れ曲がり、下り坂になったり上り坂になったりもしていて、終わりのない迷路のように感じた。

 進んだ道の先が行き止まりで、その度に道を引き返しては途方に暮れる気持ちになったが、前を歩くフィオンの逞しい背中を見ると、後ろの2人は勇気づけられた。



 また、道が2つに分かれた。

 微かな光だけでは道の先を見ることができず、どちらに進めばいいのか見当がつかなかった。道は全く同じで、違いは何一つなかった。空気の流れも同じに感じた。

 彼等はそのまま立ち止まって目を凝らし暗闇をうかがった。けれど、何も見ることができなかった。


「どっちの道かしら?」

 と、エマが呟いた。 

 彼女の言葉は微かなこだまになって虚しく響くだけだった。


「分からない。

 とりあえず右の道を進んでみよう。」

 と、フィオンは言った。


 右の道に進んだが、道は途中でなくなり行き止まりになっていた。


「ごめん、行き止まりだった。」

 フィオンはそう言いながら、額の汗をぬぐった。


「いいわよ、大した距離じゃないもの。

 戻って左の道を進みましょう。誰にも正しい道なんて分からないもの。」

 と、エマが言った。


 それからも同じような道に何度も出くわし、同じような会話が繰り返された。 

 道は何度も折れ曲がっては下り坂や上り坂になり、ひどい時には同じ場所をグルグルと回っているように感じることもあった。平坦な道が続くこともあったが、長くは続かず勇者達を悩ますかのように道は分かれた。途方もないほどの分かれ道に出くわして行き止まりとなっては戻るのを繰り返すうちに、彼等の歩みは少しずつ遅くなっていった。


 このダンジョンは、想像以上に広いのではないだろうか?

 明るい光が見えない暗闇を、いつまで我慢しなければならないのだろうか?

 勇者達は不安に感じ、肉体以上に精神的な疲労が強くなっていった。


 もう何時間歩いたのだろうか?

 とっくに日付はかわっているだろう

 食料はもつのだろうか?

 無事に20階層に辿り着く事ができるのだろうか?

 不安が不安を呼び恐ろしい考えが浮かび上がると、足もとがふらつきそうになった。


 誰も何も喋らず、静かだった。

 足音と息づかいだけが聞こえ、目の前に重たく垂れ込む不安と恐れに心が沈み始めた。



「なんだかグルグル回っているみたいね。

 先の分からない道を歩むのが、こんなにも疲れるなんて…。

 響いているのは、私達の足音だけ。

 でも一歩一歩進んでいるんだから、きっと辿り着く。いえ、必ず辿り着くわ。」

 エマが気持ちを奮い立たせようとして明るく言った。するとアーロンも頷いた。気持ちで負けてしまうと、思わず歩みを止めてしまいそうだった。


「あの…上手くいくか分からないんですが、20階層へ続く道が魔法で示せるかもしれないので…試してみましょうか?

 床や壁を少し叩きますけど。

 ダンジョンの封印が解かれてから、十分な時間が過ぎましたから…」

 と、リアムが言った。


「え!?そんな事ができるの?

 獰猛な魔物がいるなら既に私達を攻撃しているはずだわ。それがないんですもの…壁や床を少し叩いたところで大丈夫だと思う。

 私はお願いしたいけど、2人はどうかしら?」

 エマが嬉しそうに言うと、フィオンは何も言わずに足を止め、アーロンも立ち止まった。


「そうだね。ダンジョンは静かだから、封印が解かれた時の爆音と僕達の足音はもう響いているはずだ。

 きっと大丈夫だろう。

 すまないが、お願いするよ。」

 と、アーロンも言った。しかし、フィオンは前方を見つめたまま何も言わなかった。


「ちゃんと出来るかどうかは分かりませんが…」

 リアムはしゃがみこんで床に杖先を軽く触れ、瞳を閉じて息を吐いてから呪文を唱えた。

 しかし、すぐさま眉を顰めた。

 何の反応も起きないと分かると変化をつけて呪文を唱えたり、低い声や高い声で唱えたりもした。そして壁を小さな音で叩いてから、彼は少し黙り込んだ。


「すみません…妙な空気の流れを感じます。

 何か別の力がダンジョンに施されています。僕達が使う魔法に似ているんですが、何かが違います。

 それが、邪魔をしています。」

 と、リアムが言った。


「どういうこと?」

 と、エマが言った。


「魔法のような力が、ダンジョンに施されています。

 姿は現しませんが、今もちゃんと生きている者がいます。

 その者は魔法使いではありませんが、とてつもない魔力を持っています。」

 と、リアムは静かに言った。


 生きている者がいる

 その言葉が勇者達の胸に強く突き刺さった。疲れが見え始めていた彼等はもう一度気を引き締めた。



 魔法ではもうにも出来ないと分かると、また手探りの状態で歩き出した。

 今度は道が3つに分かれている場所に辿り着き、真ん中の道を進んだが、しばらく歩くと行き止まりだった。大きな岩のようなものが道を塞いでいたのだった。彼等は岩のようなものを一生懸命押したが、ビクともしなかった。


「無理そうだね。戻ろう。」

 アーロンがそう言うと、突然フィオンがその場に崩れ落ちた。彼は荒い呼吸をして、苦しそうに目を閉じた。


「フィオン、大丈夫か?」

 アーロンは倒れたフィオンの体を起こした。彼の顔は蒼白になっていた。


「すまん…ちょっと休んでもいいか?

 なんだか苦しくて…止まって…ごめんな…」

 フィオンが息を切らして言い、苦痛で眉を歪めてひとしきり喘いだ。アーロンはフィオンを壁にもたれるようにして座らせた。フィオンは槍を掴んで強く握り締めた。まるで体を蝕む痛みを分散させようとしているかのようだった。


「私も疲れたわ。少し休みましょう。」

 エマはフィオンと同じようにその場に座り込んだ。



「僕は戻って、どちらの道に進めばいいのか調べてきます!」

 リアムはそう言うと、杖を床に置いた。


「待つんだ!1人で行くのは危険だ!」

 と、アーロンが言った。


「大丈夫です!

 勇者様達は少し休んでください!僕は平気ですから!」

 リアムはルークの杖を使い光を灯した。そしてアーロンが何か言う前に、来た道を小走りに戻って行った。

 アーロンは手を伸ばしたが、走り出した彼には届かず、彼を止めることは出来なかった。


「フィオン、水でも飲むか?」

 と、アーロンが言った。


「わりぃな…こんな時に…どうも体があつくてな…」

 フィオンがそう言うと、アーロンは水筒の蓋を開けてフィオンの手に握らせた。フィオンの手は燃え上がりそうなぐらいにあつくなっていた。

 フィオンは一口飲んで返したが、滴り落ちる汗は止まらなかった。


「なんか…話をしてくれないか…。

 静かにしてたら意識をどっかにもっていかれそうだ。頼む…話をしようぜ…」

 フィオンが顔を歪めて苦しそうに言った。


 アーロンとエマは顔を見合わせた。

 どのような話をするべきなのかを一瞬考えたが、アーロンが口を開いた。


「このダンジョン…少しおかしいと思わないか?」


「おかしい…」

 エマがその言葉を繰り返した。


「そうだな…臭くねぇ。

 変な臭いもしないし、不衛生でもない…獣臭がしない。まぁ、魔物の臭いなんて嗅いだこともないから分からんが。

 これだとラスカの町の方が、よっぽど荒廃した溜まり場だ…。危険な場所ってのは…だいたいが汚れてる…。

 あの独特の鼻につく臭い…ゴミ屑…ここは荒廃してる場所なんかじゃない…ここは綺麗だ…」

 フィオンが荒い声で言いながら、目を擦った。


「僕もそう思う。

 魔物の汚物が転がっていない。ただの獣なら転がっているはずだ。汚物が溢れていたあの荒んだ町とは違い、適切に処理されている。 

 迷路のような構造ではあるが、道はちゃんと整備されている。ひび割れも起きていないし修繕がされている。

 ここには、ちゃんとした文明がある。」

 と、アーロンが呟いた。


「魔物の死骸らしいものもないわね。

 数百年経とうが骨の残骸ぐらいあるはずでしょう?それもないのよ…綺麗なの。

 グルグル同じような道ばかり歩いてきたことで、このダンジョンを知ることができたわ。毎日誰かが掃除をしているかのように、壁も天井も床も綺麗に保たれている。」

 と、エマが言った。

 彼女は床を触り、埃がないこと、手がベタつかないことを確認した。


 アンセルの計画はここにきて思わぬ方向に働いていた。



「羅針盤なんだけど…本当にあってるの?」

 と、エマは言った。


「ダンジョンは一つしかない。

 それに、あの封印の魔法を見ただろう?あの魔法はとても強力な魔法だった。ここに魔王を封印したクリスタルがあるということは間違いない。」

 と、アーロンは言った。  


「封印の魔法ね…。

 どうして封印を守ろうとしたのが、ドラゴンだったのかしら?

 封印されている魔王がドラゴンなら、封印から出たいはずなのに…。そのドラゴンが封印を守ろうとするなんて、おかしいと思わない?

 英雄譚ではドラゴンが魔王となっているのに…なんだか変よ。もしかしたら…とんでもない…思い違いをしているのかしら…」

 エマが腕を組みながら小さな声で言った。


「思い違い」という言葉を彼女は何度か繰り返してから、リアムがおいていった光を灯している杖を見て、深く溜息をついた。


「本当の事を言うとね…私は世界を救いたいっていう強い気持ちを持っていたわけじゃないの。

 ただ救いたい人がいたから、勇者になった。帰還したからといって、その人を救い出せる保証はどこにもないけれど。勇者となることで、希望の光を見ることができたの。

 そう…自分の事しか考えてなかった。

 でも、旅をしていて気持ちが変わってきた。

 オラリオンで唯一、私は勇者となり英雄となる者。

 それなのに私だけが願いを叶えて、これで終わりにしていいのかしら…。

 勇者となりながら何も知らないフリをしていいのかしら…この旅だけの友としていいのかしら…って。

 魔法使い達が傷つけられているのを知りながら、何もなかったかのようにサヨナラをして、英雄として生きるなんて私にはできないわ。

 封印解除の魔法だって、生命と引き換えのようだった。人間の為なら魔法使いの生命が犠牲になってもいいかのように。

 それを命令した王…この世界は本当に狂ってる。

 それに2人を見ていて思ったの。

 いつまでも続く意味のない戦争も終わりにしたい…もう戦場に出るのも疲れたわ。時間をかけて話し合えば2人のように仲良くなれるのなら…もう弓は握りたくない。

 この長旅でいろいろ考えさせられたの。

 本当に私達勇者が立ち向かわなければならないのは誰なのか。そう…思い違いをしてはいけないのよ。」

 と、エマは言った。


 その言葉を聞いたアーロンが口を開きかけた時、リアムがちょうどパタパタと走って戻って来た。


「すみません!道が分かりました!

 フィオンさんは、大丈夫ですか?」

 リアムはそう言いながら、目をおさえていたフィオンの手に触れた。


「あぁ…大丈夫だ。少し休んだら良くなった。

 先に進もう…道はまだまだ長い。」

 フィオンはそう言いながらも目を擦り、なんとか立ち上がった。


「もし、苦しければ僕につかまってください。

 僕は大丈夫です。」

 と、リアムが言った。


「いや、まだいけるさ。

 ちょうど長い杖もあるしな。こんな形で役に立つとはな…」

 フィオンが苦々しそうに言った。



 4人はリアムが見つけた道に向かって歩き出した。

 フィオンは彼の望みを心の中で繰り返し、それを叶えたいという意志の力でなんとか歩き続けた。

 エマの言葉を聞いたアーロンの瞳は輝き、彼の歩みに力を与えた。彼は戦場で剣を交えた事もあるオラリオンの高潔な騎士に目星をつけていたが、数百年にも渡る王政を覆す為にはオラリオンの英雄の力も必要だった。

 エマの思いを聞いた事で、彼等の望みは一つになろうとしていた。



 だが、大いなる力は既に腐り切った世界に片目を閉じ、もう片方の目で冷たく見下ろしていた。そう易々と彼等の望みが真であるとは認めようとはしなかった。

 その力は20階層に近づくほど、リアムの力によって大きくなり、闇へと続く扉を開けさせようと動き出した。



「リアム、どうした?」

 と、フィオンが言った。

 隣で歩くリアムがひとしきりブツブツと声に出しているのが聞こえたのだった。 

 だが、リアムは何も答えず、そのまま独り言のようなものを言い続けた。


「リアム?」

 フィオンがもう一度話しかけると、リアムは体をビクつかせた。


「すみません、考え事をしていました。」

 と、リアムは言った。


「少し疲れたか?

 朝、あんなに魔力を使ったからな。しんどいよな?」

 フィオンが優しく微笑みかけた。

 リアムは自らが苦しくても彼を気遣い微笑みかけるフィオンの顔をしばらく見つめていたが、決意を固めたかのように杖を強く握りしめた。


「フィオンさん、すみません。

 あの…右手を…握ってもいいですか?手を繋ぎたいです…」


「手?俺の?疲れたのか?」


「いいえ、大丈夫です。

 ただフィオンさんの手が握りたくて…ダメでしょうか?」

 リアムがおずおずと言うと、フィオンはまた笑った。


「あぁ、いいぜ。」

 フィオンは槍を小脇に抱えて、リアムの手を握った。


「ありがとうございます。」  

 リアムは心を込めてそう言うと、漆黒の瞳をフィオンに向けた。


「これで安心です。これで完成しました。

 必ず、お守りします。」

 と、リアムは小さな声で言った。



 長い長い道のりを、彼等は歩き続けた。

 しばらくの間は順調だったが、またしてもフィオンが倒れた。繋いでいたリアムの手を離して、今度は四つん這いの姿勢で苦しそうに喘いだ。


「大丈夫か!」

 アーロンがフィオンの体に手を触れると、彼はその手を振り払った。


「すまん…なんか頭も痛くなってきてさ。

 目が燃えるようにあつくて、視界が揺れて足もよろけた。こんなやわな体じゃないんだけど…」

 フィオンはかすれた声で言い、ぞくぞくと身震いをした。


「目…あの時からか…」

 アーロンがそう言うと、フィオンは頷いた。


「私につかまって、少し座って休みましょう。」

 とエマが言ったが、フィオンは首を横に振った。


「まだ歩ける…俺は大丈夫だ…やっとここまで来たんだ。」

 フィオンは汗を拭った。気持ちを奮い立たせようとして槍を強く握り締めた。


 俺は、何の為に生きてきた

 俺は、何の為にここにいる

 もうすぐ、もうすぐ掴めるのに、こんな所で倒れてたまるか!

 何の為に罪もない人々を殺してきたんだ…この血にまみれた手で王の首を必ず斬り落としてやる

 フィオンは何度も心の中で繰り返した。薄れゆく意識と闘い続けたが、彼を現実から引き離そうとする灰色のモヤは濃くなるばかりだった。


「俺は大丈夫だ。」

 フィオンは喘ぎながら強く言った。


 今度はアーロンが肩を貸そうとしたが、リアムがそれを遮った。


「遠慮せずに僕につかまってください!

 アーロン様は、どうか先頭を歩いてください。

 これは僕の役目です。

 僕も男ですし、こう見えて力がありますから!」

 と、リアムは言った。

 細い手でフィオンの腕を掴むと自らの肩をつかませてから、リアムは立ち上がった。


「大丈夫です。フィオンさんには僕がいます。

 僕が導いてみせます。

 もう少しです…もう少しで…世界を変えられる力が手に入るんです。

 20階層に辿り着けば、あの御方の力が及びます。」

 と、リアムは小さな声で呟いた。




 アーロンとエマが先を歩いたが、後ろを歩くフィオンの息はさらに荒くなっていった。彼は心臓を何者かの手によって掴まれているような恐怖を感じていた。数多の恐ろしい戦場を駆け抜けてきた彼ですら逃れられない恐ろしい力だった。


 彼の瞳は、ついに燃え盛る炎のようにあつくなった。

 そして呻き声を上げた。

 その声は真っ暗なダンジョンに響き渡り、彼が近くまで来ていることを知らせた。



 アーロンとエマが驚いて後ろを振り返った。

 フィオンの荒い息が止まり、つかまっていたリアムから離れ、すくっと立つ彼の姿は今まで以上に威風堂々としていた。

 彼の体がさらに大きくなったように見えた。

 赤髪は燃え上がるようにその色を鮮明にし、恐ろしい冷酷さを漂わせた。

 暗く重苦しい空気が漂う中で、全てを焼き尽くす赤い炎のようだった。

 

 彼は冷たい瞳で2人の勇者を見ると、その先の暗闇に槍を真っ直ぐ向けた。その男の持つ槍の穂先が残酷なほどに輝いた。


 先の道を知っているかのように、マントを翻して颯爽と歩き出した。その男の足音はダンジョン中に響き渡り、その恐怖の音を20階層で待ち構える者達にも轟かせた。


 リアムは胸を高鳴らせながら、彼の後に続いた。

 アーロンとエマは驚いた顔をしながら彼の後を追った。しばらく歩き続けると薄明かりが前方から見えてきた。

 彼は迷うことなく、その場所へと向かった。

 そして重厚な扉の前で立ち止まると、また背中が苦しそうに折れ曲がり、フィオンは苦悶の表情を浮かべて喘いだ。


「この扉を開けてくれ」

 フィオンはアーロンに言った。


 アーロンはフィオンの様子に、ただならぬ恐ろしさを感じたが彼の言う通りに扉に触れた。扉は冷たくて重く感じられ、扉を開けようとする逞しい腕が震えた。


 扉を開くと、眩しい光が漏れ出した。

 暗闇の中を歩き続けてきた彼等は一瞬目が眩んだが、彼等が待ち望んでいた光をついに見た。

 彼等が待ち望んでいた場所、ダンジョンの20階層の広場に、ようやく辿り着いたのだった。




 その広場には、男が立っていた。

 漆黒の髪に金色の瞳を光らせた剣を持った男と金髪の美しい男が、広場の中央に立って、彼等を待ち構えていた。

 そこに、ミノスの姿はなかった。


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