第68話 勇者と封印解除の魔法

 


 数日が過ぎていた。


 一行はアーロンの乗る馬を先頭に、羅針盤がさすダンジョンの方向を目指して、風のように馬を走らせた。

 世界を救うという望みを抱く勇者を背に乗せた馬は、勇者と同様に挑むような勇敢な目をして疲れを知らなかった。

 朝の冷たい風が勇者のマントと馬のたてがみを靡かせ、強い太陽の光がこの先の道を照らした。


 颯爽と馬を走らせていたが、アーロンは徐々にスピードを緩めると馬から降り、馬を引いて歩き出した。

 しばらく歩くと、太陽の光は生い茂る木々の葉に隠れた。

 辺りは急に陰気な場所となり、聳え立つ木々の太い幹は闇のように黒くなり、地面に伸びる影もおどろおどろしくなった。


 黒い木々が道を塞ぎ、勇者を試すかのように大きく立ちはだかった。


 フィオンは、聳え立つ木々に真っ黒な城壁のような威圧感を覚えた。

「これ以上は進ませぬ」と叫ぶ声が聞こえ、一部の隙間もないように堅固に防護しているかのように感じた。歩みを困難にさせるかのように木々の根も地中から飛び出し、地面を這い回る大蛇のように、のたくり回っていた。

 その先の奥深くから吹く風によって木々の枝が揺れ動き、恐ろしい音を出した。風によって舞い上がる枯葉は、彼が刺し殺し、そのまま戦場で皺がれ朽ち果てていった騎士の手を思い出させた。風の音が、彼の耳に「お前も、直にこうなるぞ」と囁いた。

 彼は顔をしかめたが、すぐに不敵に笑い、槍を強く握り締めた。



「先に…進むのが…恐ろしくなります。

 引き返したく…なりますね。もう…2度と…騎士様に会えないのでしょうか…。私は、またあそこに…闇のように閉ざされた室の中に…」

 マーニャがガタガタと震えながら呟いた。

 彼女はソニオの暗い室の扉を思い出していた。旅の終わりは、彼女にとって地獄に連れ戻されるようだった。  



 アーロンは風でユラユラと黒い木々の枝が揺れる度に、ある幻を見るようになった。それは巨大でドス黒い怪物の姿、愚かで醜い父であり、恐ろしい王の権力だった。 

 数年前に彼は父の本性を知り、一瞬にして心が粉々に砕かれた。何度父の首を、後先考えずに斬り落としてやろうかと思ったのか分からなかった。憎悪のこもった目で、目の前の黒い木々を睨みつけた。

 彼は木々が見せる幻に徐々に冷静さを失い、柄に手を伸ばした。

 もうすぐ望みが果たせるかもしれないと思うと、はやる気持ちを抑えきれなくなっていた。もし木々を斬りつければ、恐ろしい力によって彼の体は空中高く舞い上がり地面に叩きつけられるだろうが、柄を握ると自分を止められず、剣を鞘から抜こうとした。


 だが暗い中でも輝く槍が空を斬り裂いたことでようやく我に返り、自らの隣に立つ槍の勇者を見た。


「妙な顔をしてるぞ、変な気を起こすなよ。

 剣を振る相手を間違えんな。全てを無駄にするつもりか?お前は何の為にここに来た?」

 フィオンはアーロンにしか聞こえないような声で言うと、彼の代わりに大きな声を出した。


「行こう。

 俺達は騎士だ、こんなところで立ち止まれない。

 前に進み、暗く閉ざされた扉を開かねばならない。この先に、その鍵がある。

 約束しよう。なんとしても英雄となって帰還する。」

 フィオンが闇を切り裂くような声で言い、怯えた顔をしているマーニャに微笑みかけた。

 何故そう言ったのか、彼自身も分からなかった。

 あの時は、いつになるか分からない約束は、彼にはできなかった。けれどアーロンの望みが彼の心を激しく揺さぶった。

 さらに室の秘密を知った以上、なんとしても果たさなければならないと思った。約束という言葉を口にした事で、その呪いを自分自身に課した。

 彼は、ただ生きたいのではなく、英雄として生きる事を望んでいた。その先に待ち受けるものが死だとしても、それこそが己の望む生き様だった。その強い望みが、彼を動かしたのだ。


 マーニャはその言葉に騎士の含みを感じ取ると、目に涙を浮かべて微笑んだ。彼女の笑顔は、いつになく美しかった。彼女が焦がれた夢の騎士は存在していた。槍の騎士が応えてくれたのだ。


 

 今度はフィオンが先頭に立ち、城壁のような木々を突破しようと歩き出した。途中何度も隆起する根に足を取られそうになった。枯葉を踏むとカシャカシャと嫌な音がして、死体を踏みつけながら歩いてきた日々を思い出した。

 踏みつけるたびに舞い上がる枯葉の臭いが腐臭のように感じると、苦しくなって息が上がり、目が燃えるようにあつくなった。


「これを過ぎれば、もう大丈夫です。」

 心地よい男の声が、フィオンの隣から聞こえた。

 その男を見ると一瞬目がチカチカしたが、そこにいたのはリアムだった。リアムの黒い瞳は優しく彼を見つめ、勇気を与えるかのように美しく微笑んだ。


「僕がフィオンさんを守りますから。」

 リアムはフィオンにも聞こえないような小さな声で呟いた。



 城壁のような木々を抜けると、そこからは一本道だった。

 緊張した面持ちで粛々と歩いて行くと、開けた場所に辿り着いた。


 開けた場所には、美しい大樹が空にむかって真っ直ぐに伸びていた。

 黄色の葉が輝き、まるでイチョウの木のようだった。大樹の下には色とりどりの花が咲き、草の芳しい香りが漂い、開けた場所を取り囲むようにブナのような大木が聳え立っていた。大樹にだけは鳥は一羽もとまらずに、光り輝くような大樹をブナのような木の枝にとまって見ているだけだった。



「この開けた場所に、ダンジョンがある。

 大樹が、ずっとダンジョンを見守ってきたのだろう。」

 アーロンが羅針盤を見ながら言うと、フィオンとエマは美しい大樹を見上げた。

 一行は、ようやく息を深く吸い込んだ。



 ブナのような木々の下で馬を繋ぎ、早々に休む事にした。

 近くで滝が流れるような音がして地面もふかふかしていたので、眠る場所としては最適だった。

 リアムは大樹を見上げながらヨロヨロと近付いて行った。

 大樹は夕陽を浴び、幹は金色に輝いた。

 リアムの頬を優しく撫でるような爽やかな風が吹き、黄色の葉がヒラヒラと舞い散った。風に吹かれて舞っている葉を掴むと、その葉だけは漆黒だった。リアムが驚いて、他の葉を注意深く一枚一枚見たが、他の葉は間違いなく黄色だった。

 リアムは体がガタガタと震えた。

 ユリウスが生きている事を確信したのだった。

 時折ユリウスの思いを体の中で感じた事、自分がした事が他の魔法使い達を救うのだと思うと涙を流し、漆黒の葉に口付けをし、もう決してなくさないようにポケットの中に大切にしまいこんだ。




 *



 朝の光と、芳しい草の香り、新鮮でいて冷え冷えとした空気で彼等は目覚めた。

 朝露に濡れた大樹は、とても美しかった。


 軽めの朝食をとったが、マーニャとルークは食べ物が喉を通らなかった。マーニャの顔はすっかり青ざめ、杖を両手で握りしめて目を瞑り、ブツブツと独り言を言い始めた。

 エマは魔法使い達を心配そうな目で見つめた。

 勇者達は魔法使い達の心の準備が整うまで待つことにした。 

 フィオンは立ち上がって歩き出し、大樹の下で立ち止まって眩しい目をしながら見上げた。


 風によって舞い散る黄色の葉が、ただただ美しく彼の目に映った。


「フィオン、飲まないか?」

 アーロンが彼の隣に立ち、川から汲んできた水をいれた水筒を見せた。フィオンは疑わしそうな目で水筒を見つめ、受け取ろうとしなかった。

 アーロンは少し笑い、水筒の蓋を開けて喉を鳴らしながら水を飲んだ。口角から滴り落ちる水を拭き取ってから、フィオンの手を強引に取ると、微笑みながら握らせた。


「飲んでも害はない、何も心配する事はないよ。」

 と、アーロンは言った。


「お前は、本当に強引だよな。

 水ばっかり飲ませんな。」

 フィオンは悪態をつくように言いながら、水筒の中の水を見つめた。太陽の光で、きらりと輝いた。


「ちがう、酒だ。

 君が望む酒だよ。」

 と、アーロンは言った。


「川で汲んでた水だろうが。

 どう見ても色も格別な味もない、ただの水だ。」


「いや、ちがう。心の持ちようで、いくらでも変わる。

 これは勝利の美酒だ。もう既に僕達が勝利を手にすることは決まっている。先に酔いしれそう、格別な味だよ。」

 と、アーロンは言った。


 フィオンは呆れたような顔をしてから、ようやく一口飲んだ。その水は冷たくてまろやかで、彼の喉をこれ以上はないほどに潤した。


「昨日は、ありがとう。自分を見失っていた。

 やはり支えてくれる友とはいいものだな。

 僕の酒もまた飲んでくれたし、これで君と同じ道が歩める。」


「何を言ってるんだか…。

 俺は同じ道を歩むとは言ってないぞ。」


「ならば、僕が君を引き戻す。僕には君が必要だ。

 約束だ。」

 と、アーロンは力強く言った。


 フィオンはアーロンの約束という言葉を聞くと、笑った。


「そんなに俺のことが、すきとはな。強引な奴に捕まりやすいんだよな。

 まったく困ったもんだぜ…あぁ…そうだった。お前に一つ言いたい事があったんだわ。忘れないうちに言っとくわ。」

 フィオンは何度か目を瞬かせてから、アーロンを見た。


「あれからしばらく考えてたんだ。

 お前の恋人のことなんだけどさ、やっぱり迎えに行ってやれ。

 お前、自分では彼女に相応しくないって言ってたよな?

 それな、間違ってる。

 相応しくないかどうかを決めるのは、お前じゃない、彼女だ。

 その答えは、出てる。

 彼女はお前以外は自分に相応しくないと思ったから、修道女になったんだ。貴族の身分を捨てても、他の男の妻になるのが嫌だったんだ。

 お前が選んだ女性は、そういう女性だ。

 余計な事を考える必要なんてない。

 それでも迎えに行かないのなら、俺が両腕で抱きかかえて、お前の元に連れて行ってやるよ。」

 と、フィオンは言った。


「そんな事を考えていたのか。

 君がどう言おうと、僕では彼女を幸せにできない。」

 アーロンは険しい顔で答えた。


「幸せにできないんじゃなくて、幸せにしてやれ。

 それに女の1人も幸せにできないような男が、国民を幸せになんかできんのか?」

 フィオンも厳しい顔で言った。


 アーロンはしばらくフィオンの顔を見据えてから、口を開いた。

「愛してると認めようとしない男に言われたくない。」



 するとフィオンは少し黙り込み、小さく溜息をついた。


「もしも…もしも俺に愛する女がいるとしたら…愛してやまない女がいるとしたら、その女の前でしか愛してるという言葉は口にしない。

 その女に跪き愛していると言える日がくるのならば、いつか言うさ。」

 と、フィオンは言った。


「女性の足元に跪くのは嫌なんだと思っていたよ。」


「惚れた女なら、話は別だ。」

 と、フィオンは言った。


 アーロンは少し黙り込み、遠くを眺めた。

 ふと視界に入った手の届かない場所に咲く美しい花を見ると、小さく笑った。


「君にそこまで言わせたのだから、僕も前向きに考えておこう。フィオンであっても、他の男が彼女の体に触れると思うと不愉快だ。」

 アーロンは少し表情を緩めながら言った。


「自分から離れておきながら、よくそんな事が言えるな。

 俺も友達の女を抱きかかえるなんて出来ないしな。」

 フィオンも表情を緩めて、少しニヤつきながら言った。


「なんだ。フィオンも僕の事を友達だと思ってくれていたのか。」

 アーロンが嬉しそうに言うと、フィオンはハッとした顔になった。


「お前も、ちゃんと男だったんだな。」

 フィオンはそう言って、すぐに話を逸らした。


「君が、僕の考えを変えさせた。

 忘れようとしていた彼女の温もりを思い出させたんだ。」

 アーロンがそう言ってからフィオンを睨みつけると、フィオンはさらに愉快そうな顔をした。


「なんだ?」

 と、アーロンは言った。


「お前、けっこう凄そうだなと思ってな。」

 アーロンはその言葉には何も答えなかった。フィオンはケラケラと笑いながら、目を擦った。


「フィオン、どうしたんだ?目の調子でも悪いのか?」

 と、アーロンは言った。


「いや…大丈夫だ。一時的なもんだろう。

 妙に目があつくてな、ゴミでも入ったのかもな。」

 フィオンはそう言うと、また目を擦った。


「擦ると良くない。僕に見せてみろ。」

 アーロンが顔を近づけると、フィオンも彼の瞳を見つめた。

 あつくなった目であらためて見るアーロンの瞳の色は悲しみと深い憎しみに満ちていた。


「お前の瞳の色は、グレーなんだな。」

 と、フィオンは呟いた。


「今更、そんな事を…」

 アーロンは言葉を詰まらせ、フィオンから慌てて離れた。


「そうだ。」

 アーロンは、それだけを答えた。

 そして、目を逸らした。


 辺りは急に静かになった。

 黄色の葉を舞い散らす微かな風の音だけが、2人の耳に響いた。下を向いているアーロンの瞳が仄暗く燃え上がり、押し寄せる憎しみの波にのまれようとした。だが、彼はそれを鎮めるように息を吐いた。


「黒にも白にもなれない薄汚いグレーだ。」

 と、アーロンは小さく呟いた。


「いや、綺麗な色だ。

 黒にも白にも通ずる両方の大切さが分かる色だ。

 お前は何らかの可能性でも背負ってるのかもな。俺に、それを見せてくれるんだろう?」

 フィオンが笑うと、アーロンも小さく笑った。


「その為に、ここに来た。

 そんな風に思ったことはなかったよ。嫌いなグレーを好きになれそうだ。」


「だろ?俺みたいな、いい男に言われたんだ。

 すきにならないわけがない。

 いい色だ。お前の恋人も、そう思う。

 考え方を変えたら、いくらでも変わるんだ。自分の色に誇りを持てよ。」


「ありがとう、フィオン」

 アーロンが切なそうな表情をすると、フィオンは顔を背けた。


「男にありがとうなんか言われても嬉しくねぇよ。

 ちゃんとした酒でも奢ってもらった方が、まだましだ。」


「そうだな。では君の屋敷に樽でも持って行こうとしようか、腰に剣を下げる事なく。」


「あぁ、武器をつけてる奴は屋敷にはいれないことにしている。それに、先に酔ったら外に放り出してやるからな。」

 フィオンはアーロンの肩を叩いた。


「僕の事を信用してくれる気になったんだな?」  


「いや、まだだ。お前は俺に証明してないからな。

 それよりも、なんか分かったのか?」


「いや、さっぱり分からない」

 と、アーロンは言った。


「なんだそれ、見せ損じゃないか。」

 フィオンがそう言うと、アーロンもようやく楽しそうに笑った。




 2人がそのまま大樹を見ていると、エマと魔法使い達が緊張した面持ちで歩いてきた。

 まだ昼だというのに空は暗くなり、鳥達は囀るのをやめて遠くに飛び去り、木の枝が風で揺れる音もしなくなった。

 不気味なほどの静寂に包まれ、その場で聞こえるのは魔法使い達の息遣いだけだった。


 マーニャは気持ちを落ち着かせようと深呼吸をしてから、魔法陣を地面に描き出したが、細い腕は小刻みに震え、途中で何度も手を止めた。

 夕闇が迫り出しても魔法陣は完成せず、大樹の枝の隙間から月の光が見える頃になって、ようやく完成した。

 彼女は額の汗を拭って息を吐き、小さな声で詠唱を始めたが、突然身震いをして勇者達の方を向いた。


「ダンジョンはしっかりと閉ざされています。

 あの…上手くは言えませんが、とても恐ろしい事が起きるような気がしてなりません。勇者様達は無事に終わるまで、後ろで待っていてもらえないでしょうか?」

 と、マーニャは言った。


 勇者達が後ろに下がると、マーニャが杖を高く掲げて、今度は大きな声で詠唱を始めた。呪文は古の魔法使いの言葉で、フィオンは何を言っているのか分からず、エマも初めて聞く彼等の言葉に驚いていた。


 月からおぼろげな光が射した。

 月の光に照らされると、魔法陣は銀色に輝いた。

 銀色の光が強くなると、魔法陣の中央部分から別の黄金の光が煌めいた。

 マーニャが驚いて一歩後退りをすると、黄金の光は至る方向に向かって飛び散り、銀色の光をかき消し始めた。

 

 マーニャの杖を持つ手がガタガタと震えたが、真っ青な顔をしながら詠唱を続けた。ルークも彼女を支える為に力を注ぎ続けた。リアムは黄金の光を見ると手から杖を落とした。


 マーニャは銀色の光をかき消されないように、もう一度杖を高く掲げた。彼女の手は激しく震え、栗色の髪の毛は逆立った。彼女は掲げた杖の先の赤い宝石を食い入るように見つめ出した。

 すると杖の宝石は、彼女の魔力と生命を搾り取ろうとするかのように残忍に光り輝いた。

 彼女は残忍な色を見て、ソニオの王の恐怖を思い出した。

 王の命令は絶対であり、自らの生命が粉々に砕け散ったとしても構わない。自分の生命は本来は何の価値もなく、王の役に立てれば虫ケラ同然の自分でも生まれてきた価値があり、マガイモノの誉れだと刷り込まされた言葉が強烈に脳裏をよぎった。

 マーニャは一心不乱に詠唱を続け、ルークも杖の先の宝石を同じように見つめた。


「もういい!今日はもうやめろ!」

 フィオンは遠くからでも分かるほどの異様な2人を見ると、大声で叫んだ。


「まだ、やれます!まだ、やれますから!

 まだ精一杯頑張れます!」

 ルークが青白い顔をしながら叫んだ。

 そうせねばならないと意識を操作されているようだった。

 フィオンが止めに入るよりも早くに、隣で見ていた騎士が動いた。


「止めろ!」

 激しい怒号が響いた。

 その場の空気が震えるように凄まじく、今まで聞いたこともないようなアーロンの声に、マーニャの詠唱が止まった。

 アーロンは魔法使い達が握る杖を順番に奪い取った。すると銀色の光も黄金の光も消え失せた。



「今日は、もう止めよう。

 夜になってしまったし、封印が解除できたとしても、今からダンジョンに潜るのは危険だ。

 陽の光が必要だ、今宵の月は不気味だからね。

 燦然と輝く太陽が、僕達の味方をしてくれるだろう。」

 アーロンはそう言って、優しく微笑んだ。


「すみません。

 明日は、もっと早く…もっと上手にできると思います。明日は…もっともっと精一杯…精一杯頑張ります。」

 マーニャは泣き出しそうな顔で言った。


 アーロンはその言葉を聞くと、目を大きく見開いた。


 マーニャは疲れ切った顔でその場にしゃがみ込み体を震わせると、エマが慌てて駆け寄った。


 フィオンは、まだ怒りの色が消えていない目をしたアーロンを見つめていた。




 *



 次の日は朝から不思議なモヤがかかり、遠くから朝を告げる鳥の鳴き声が響いていた。

 マーニャとルークには死の訪れを告げる声のように聞こえ、すっかり怖気付き、今にも泣き出してしまいそうな表情をしていた。エマとフィオンは心配そうな顔で彼等を見ていたが、どうする事もできなかった。

 

 勇者達は昨日と同様、後方で魔法使い達を見守っていたが、アーロンは見慣れない剣を握っていた。


「その剣はどうしたの?」

 と、エマが言った。


 フィオンもアーロンの剣を見た。

 その長く美しい剣は、フィオンがアーロンに渡した剣だった。


「もしかしたら魔物が出てくるかもしれないからね。

 獰猛な魔物が向かってきたら、いつもの剣だと心許ない。この剣の方が長くて向いているんだよ。」

 と、アーロンは答えた。

 フィオンはアーロンの顔をチラリと見たが、アーロンは目を合わせなかった。


 マーニャが詠唱を始めた。

 するとモヤを消し去るかのように風が吹いた。その風は彼女の体を優しく包み込み、栗色の巻き髪を靡かせると、彼女の大きな黒い瞳が色濃くなり妖しく輝いた。


 太陽の下の方が、魔法使い達の様子がよく見えた。


 もうもうたる蒸気が魔法陣から立ち上がると、魔法陣は銀色に輝いた。太陽の光を浴びると、さらに神々しく輝き、魔法陣の中央から軋むような音が聞こえ出した。

 すると、黄金の光も輝き出した。

 黄金の光は、昨日よりも強い力を感じとり、燃え盛るような音を出して火花となり、黄金の火花の噴出は真っ直ぐに空へと向かって伸びていった。大樹よりも遙かに高く、空に達するかと思われるほど高く高く昇っていった。

 火花は空中で渦を巻き、ある形を作りだした。

 そして空から凄まじい叫び声を上げて、翼を持った恐ろしい生き物が急降下してきた。


「ドラゴンだ!」

 と、リアムが叫んだ。


 ドラゴンが大きな音を立てながら魔法陣の上に降り立つと、ブナような木々はぐらつき、立っていられないほどに大地が揺れ動いた。

 黄金のドラゴンは大きな口を開けながら、魔法使い達を威嚇した。ダンジョンに施された封印の魔法を守る、守主だった。

 ドラゴンは立派な両翼を広げた。

 鋭利な爪で魔法陣をかき消し、封印を破ろうとする者に死を与えるかのような恐ろしい鳴き声を何度も発した。その身の毛がよだつような低くて恐ろしい鳴き声は耳に慣れることはなく、マーニャとルークを暗澹たる思いにさせた。 

 勇者達が武器を持って駆けつけようとしたが、リアムが大声で叫んだ。


「下がってください!

 このドラゴンは特別な魔法で生み出されています!僕達だけで何とかできますので、下がってください!」

 ドラゴンはその言葉を嘲笑うかのような大きな鳴き声を上げた。太くて恐ろしい尾も動かして魔法陣を叩きつぶし始めた。魔法陣が損傷を受ける度に、灰のような嫌な臭いが充満していった。


 壊れていこうとする魔法陣に力を注ぎ込もうと、マーニャが杖を強く握りしめた。詠唱をする度に杖の先の赤い宝石が輝き、彼女の顔はどんどん青ざめていった。ルークも身体を震わせながら詠唱を続け、2人は力を合わせた。

 リアムはその様子を見ると、杖を高く掲げた。

 黒い瞳が輝き、漆黒の魔法使いの髪の毛が風で巻き上がった。銀色に輝いていた魔法陣が、生命を生み出すかのように蠢き出した。


 するとドラゴンが大急ぎで翼をはためかせて飛び上がった。魔法陣は神々しい銀の光に包まれ、新たな生き物を作り出した。

 銀色に輝く、凛々しくも美しい一角獣が姿を現したのだ。

 一角獣を見たマーニャは驚いた表情になった。

 ドラゴンは自らを奮い立たせるかのような凄まじい鳴き声を上げ、旋回しながら大きな口を開けて濁流のような水を一角獣目掛けて吐き出した。


 戦いの火蓋が切られた。


 一角獣は踊るように颯爽とかわした。

 そして後ろ足で立ち上がると、耳をつんざくような鳴き声を上げた。その鳴き声は鋭く、体に染み渡るような恐ろしさがあった。


 降り立ったドラゴンは思わず一歩後退りをしたが、すぐに体を低く構えた。ドラゴンの使命は何としても封印を守ることであり、その身が串刺しにされようが立ち向かわねばならない。

 吹き荒ぶ風が強くなると、一角獣がドラゴンに向かって走り出した。すさまじい音を立てて両者がぶつかると、お互いに狂気に駆られながら体をぶつけ合い、激しい押し合いが始まった。


 一角獣がドラゴンの体を角で刺すと、ドラゴンも鋭い牙を剥き出しにしながら一角獣の首に噛みついた。両者は苦しみの声を上げたが、どちらも攻撃の手を緩めなかった。

 リアムが詠唱をすると一角獣の黒い目が漆黒に輝き、さらに深くドラゴンの体に角を差し込んでから、頭を大きく振りかぶって地面に叩きつけた。ドラゴンが轟音を上げながらのたうち回ると、一角獣は身を躍らせてから蹄で踏みつけようとした。

 しかしドラゴンも尾で一角獣を叩きつけ、口から濁流のような水を吐き出した。全身に濁った水を浴びると一角獣の体躯が一回り小さくなったが、それが返って目の前の敵に対する戦いへの情熱を昂らせた。


 一角獣は蹄の音を高らかに響かせながら、ドラゴンに向かって突進して行った。ドラゴンの瞳も異常なほどに燃え上がった。両者はぶつかり、倒し合い、憤怒の念に駆られながら、どちらかの息の根が止まるまで戦い続けた。






 その瞬間は、突然やって来た。

 一角獣の角がドラゴンの心臓を刺し貫いたのだった。

 ドラゴンは激しい苦痛の叫び声を上げながら、瞳を閉じて、その場に崩れ落ちた。

 すると、上空の空の色が変化した。

 空が蠢いて真っ赤な色に染まり暗黒の雲が発生すると、強大な闇の目覚めを告げるような激しい稲妻が魔法陣に向けて落とされ、轟音を出しながら地面に小さな穴が開いた。

 一角獣は歓喜の鳴き声を上げて小さな穴に向かって走っていくと、銀色の角を輝かせ、完全に封印を解こうと力を注ぎ込み始めた。


 しかし、ドラゴンはまだ生きていた。

 閉じていた目をカッと開くと、最後の力を振り絞り、背中を向けている一角獣の体に食らいついた。

 一角獣は苦痛の叫び声を上げて痛みでよろめいたが、ドラゴンにその身が喰らわれようとも力を注ぎ込み続けた。一角獣の体からは銀色の光が噴き上がり、どんどん体が薄くなっていった。


 マーニャは一角獣を助けようとして杖を高く掲げると、運悪くドラゴンの視界に彼女の姿が映った。その瞳は厳しく容赦がなかった。ドラゴンは一角獣に喰らいつくのを止めると、聞くも恐ろしい鳴き声を上げてから彼女を見下ろし、大きな口を開け、魔法使いの少女の生命を飲み込む濁流のような水を吐き出そうとした。

 恐怖に駆られたマーニャは体が強ばって動くこともできずに、死を覚悟した瞳から涙が流れた。




 しかし、激しい叫び声を上げたのはドラゴンの方だった。


 ドラゴンはよろめき、轟音を上げて地面に倒れた。

 アーロンの投げた剣が、ドラゴンの体に突き刺さっていた。

 強靭な黄金の鱗を貫き体に深く突き刺さった剣に痛めつけられているのか、森中に響くほどの甲高い鳴き声を上げ長い尾を魔法陣に叩きつけてから、ついに息絶えた。

 だが、長い尾の先端が立ち尽くしているマーニャを巻き込もうとした。振り下ろされる尾を見ると彼女は声にならない悲鳴を上げたが、アーロンが走り寄ってきて覆い被さり、間一髪のところで魔法使いの生命は救われた。


 時を同じくして、一角獣もドスンと鈍い音を上げて倒れ込み、姿を失くし、銀色の光となって消えていった。


 すると、ゴロゴロと轟くような音が最果ての森中に響き渡った。

 ドラゴンの体が黄金の光に変わり魔法陣に降り注ぐと、大きな音を立てながら地面が崩れていき、立ち上る煙と共にダンジョンの入り口が開かれ、『かのお方』が施した封印の魔法はついに解かれた。






「大丈夫か?」

 フィオンはアーロンに言った。


「マーニャに怪我はない、気絶してしまったけれど。

 僕は大丈夫だ。  

 これくらい、なんでもない。」

 アーロンはそう言うと、覆い被さっていたマーニャから離れた。彼女は青い顔をして気絶していたが、体は傷ひとつなかった。

 アーロンはゆっくりと立ち上がったが、体を動かした痛みで顔を歪めた。マントは大きく切り裂かれて鎧にも深い傷がついていたが、背中に血は流れていなかった。

 もし、マーニャに直撃していたら死んでいただろう。

 

 フィオンはマーニャの無事を確認すると、額から大粒の汗を流した騎士を真剣な表情で見つめた。


「俺は、お前を信じる。  

 ゲベート国第1軍団騎士団隊長が、ソニオ国第5軍団騎士団隊長である俺に告げた望みの全てを信じよう。

 俺もお前と同じ望みを持ち、勇者となった。

 英雄となって帰還し、槍と剣を掲げ、真の悪を討伐し、世界に夜明けをもたらす。

 ソニオ国第5軍団騎士団隊長である俺は、この神聖なる最果ての森の大地の上で、お前と共に戦い抜くと約束しよう。」

 フィオンはアーロンに力強い手を差し出した。

 隣国の騎士は固い握手を交わした。

 最果ての森の大地の上で、永遠に続く友情が結ばれた。





 勇者達は魔力を使い果たして倒れた魔法使い達をそれぞれ抱えて、馬を繋いでいた場所まで戻り、彼等を休ませることにした。

 最初に目を覚ましたのはリアムだった。彼はすっかり興奮していて、嬉しそうにダンジョンを指差した。

 ダンジョンに潜る際にはリアムの魔法が必要になるので彼の体力が回復し、ルークかマーニャのどちらかが目を覚ますまで待つことにした。


 フィオンはしばらくリアムと話をしていたが、リアムがもう一度目を瞑ると立ち上がって歩き出し、大樹の幹に隠れるようにしてダンジョンの入り口を見つめていた。槍を持ってはいたが、彼が予想していたとおり獰猛な魔物が這い出してくる気配はなかった。

 暗い入り口を照らすように太陽の光が燦々と降り注ぐと、封印が解かれた事を知った沢山の鳥が集まっていた。


 赤髪が陽の光に照らされて明るく輝き、ダンジョンの入り口を見ながら彼は微笑んだ。


「フィオン、何を考えている?」

 そう声をかけたのは、アーロンだった。


「俺という男について、考えていた。

 俺が歩んできた道のりを思い出していた。

 陸橋を渡った日の朝を覚えてるか?

 ひどい雨だった。けれど、あの雨だっていつまでも続かなかった。どんなに降り続く雨だって、陸橋を渡った日のように綺麗に上がるんだ。地面の汚れを洗い流してな。

 あれは前兆だったんだ…豪雨は現在、晴れ渡った空は未来だ。もう間もなく、濁りきった空を変える光を掴める。

 俺は知ってる。

 降り続いた雨が上がった後に見える空が綺麗だということを…虹すらもかかる景色が広がるのを魔法使い達に見せたい。」

 フィオンはそう言うと槍を強く握り締めた。


「俺だってさ……本当は何回死にたいって思ったのか分からない。死ねば、俺は楽になる。死んでしまえば、自分の隠したい罪も消える。でも、その度に拳を握り締めた。

 俺が死ねば、これから先、何人も何人も同じような道に少年を辿らせる。

 それを、終わらせたい。

 終わらせる為に、槍を振るってきた。

 毎回戦場に出るたびに、この戦は俺が勝利で終わらせてやるって思いながら、人を殺した。俺が負ければ他の隊長が指揮を取る。それだけはあってはならない、これは俺の戦場だ。俺がなんとしても守らねばならない戦場だ。

 他の隊長に戦場を蹂躙させてはならない。お前は俺の国の騎士団が何をしてるか知ってるよな…だから常勝でなければならなかった。

 負けねぇ…絶対勝利で終わらせる。

 そう思って人を殺してきたんだ。まぁ、殺しすぎて感覚がおかしくなっちまったけどな。

 マジで辛かった。

 そんな日々に耐え抜いたから、運命が俺を選んで、この場所に来れたんだ。

 過去はどうやっても変えられない、だからこそ死ぬもの狂いで未来を俺が望む景色に変えてやる。血生臭い俺の手で変えてやる。

 そして、リアムとルークとマーニャが声を上げて笑う顔が見たい、笑わせてやりたい。

 あんないい子達が幸せになれないんなら、この世界は終わってるよ。

 ところが、俺が終わらせないんだな、これがさ。

 なんせ俺は、マーニャが描いた夢の騎士だからな。

 女の子の憧れを貫いてみせるさ。

 その答えが、ここに眠っている。

 とんでもない何かが眠っていようとも、俺は決して諦めない。」

 フィオンは騎士の槍を掲げて光にかざした。槍の穂先が輝くと、眩しそうに目を細めた。


「今まで散々苦しめられたんだ。

 そろそろ幸せになってもいい頃だ。

 苦しんだ分だけ、幸せが後になってやってくる。

 俺みたいにな…」

 フィオンは小さな声で言った。

 彼を見送った自らの部隊の隊員の顔を思い浮かべてから小さく笑い、目にかかりそうになっていた前髪をかき上げた。


 アーロンも空を見ると、木々の間から眩しい光が透けていた。


 見える光は金色に色を変え、ドラゴンは消えたが地面に突き刺さったままの剣を照らした。

 剣身は光り輝いていた。

 フィオンは槍を下ろして、アーロンの方に向き直った。


「お前の顔は、立派な騎士の顔だ。

 誰が何と言おうとも、立派な騎士だ。

 今まで、お前にふさわしくない言い方をしてすまなかったな。」

 と、フィオンは言った。


 アーロンはフィオンを凝視した。

 フィオンの瞳からその言葉に込められた意味を悟ると、彼の体は微かに震えた。


「先に君を挑発したのは僕だ。それに」

 アーロンは言葉を詰まらせながら言うと、フィオンがその言葉を遮った。


「それに気高い騎士の顔だ。

 そう言いたかったんだろ?俺に先に言われたな。」

 フィオンが力強く言うと、アーロンは下を向いた。



「ありがとう…でも、そうは思わない者もいるだろう。」


「あぁ、思わない連中もいるだろう。だが、そう思う連中もいる。

 それに思わない連中がいても、俺ならこう思う。

 俺は全員にすかれたいなんて思った事はないから、そんな奴がいても別に構わない。気に病んだところで、ソイツが俺の事をすきになるわけでもないしな。どうでもいい奴にもすきになってもらおうなんて思わんさ。

 俺はお前がすきだ。お前も俺のことがすきなんだから、お前は俺がすきな騎士のままでいろ。

 つまりは、今のままのお前でいろ。

 誰かに何か言われても、お前はそのままがいい。

 相当ヤバい男のままでいろ。

 しっかりしろ、体が震えてんぞ。」


「そうか…やはり強いな、君は。

 そうやって、あの騎士団を生き抜いてきたのか…」


「あぁ、あの薄汚い騎士団を血反吐を吐いて生き抜いてきた。俺はすっかり汚れている。

 人間なんてのはな、皆、どこか汚れてる。

 汚れながら生きている。

 綺麗なままでなんて、生きられない。

 俺は、本当に、人には言えない事をいっぱいしてきた。

 でも俺が俺自身を否定しない為に、俺は胸を張って生きることにしたんだ。 

 それ以上の事を成し遂げてから、こんな汚れきった男でも正しいことができるってのを思い知らせてやる。

 それが勝利だ。

 それなのに相手の事を何も知らずにさ、綺麗で白くある事を求めてくる奴はバカだよな。そんな奴等ほど、相手の事をなんも分かっちゃいない。上っ面しか見ていない。

 勝手な事ばっかり軽く言いやがる。

 自分の言った言葉に何の責任もとれなくて、次の日になったらその言葉すらも覚えてない連中ばっかりだよ。

 そんな奴等の言葉なんか何の意味もない。

 だから、お前は、そんな顔するな。 

 お前がそんな顔すると、俺も……辛くなる。」


「あぁ、でもそんな風に言われると、かえって辛くなる。

 今まで騎士の隊長として押し殺してきたんだ。こんな時にその話をして溢れさせないでくれ。やっぱり気付いていたんだな…」


「こんな時だからだよ。

 お前には騎士の隊長としての顔があるし、ダンジョンから出たら忙しくなるからな。今、話しておかないと。

 心に恐れと疑問を抱いたままでは戦えない。腐った世界だからな、必ず引き摺り下ろそうとする奴等が出てくる。

 お前は英雄になるんだから、恐れに打ち勝たねば、いつか足をすくわれるぞ。誰に何を言われても揺るがぬ信念を固めておかないとな。奴等は、必ず狙ってくる。」


「あぁ…分かってる…立ち向かわねばならない時がくるだろう。

 けれど…辛い…どうしたらいいのか分からない…いつまで経っても分からないんだ…」


「辛かったら、俺も側で一緒に受け止めてやるよ。

 女の分は数年前から埋まってるけど、戦友の分ならまだ空いてる。

 戦友の辛い事すらも分からせてもらえず、お前がそんな風に爆発しそうになるまで抱え込んでるのを隣にいるのに知らないなんて、その方が俺も辛い。

 別に全部を話せなんて言わないからさ、お前が俺に話せる範囲でいい、話したくないなら何も言わなくてもいい。

 あー、なんか上手く言えないけど、少しでも辛さが消えていくなら辛いって言ってくれるだけでもいいから…さ、体から少しは出しとけ。それだけでも大分ちがうから。

 お前は誰かに弱さを見せるのが下手そうだから、どうも見てられなくてな。女に癒されてる俺とは違うだろうからな。

 だから、そんな下手くそなお前が俺を頼ってくれるのなら、俺は嬉しい。たまらなく嬉しい。

 まぁ、気が向いたら俺もお前にマジでしんどいって言うことにするからさ。

 それにお前に、こうやって話をしたことで、俺も乱れ始めた心の整理がついて救われたような気がする。

 俺も…なんだか安心できたわ、ありがとう。」

 フィオンがそう言うと、アーロンは体を震わせたまま下を向いた。


「優しい言葉をかけないでくれ…ずっと耐えてきたのに…」


「あれかもな…俺に惚れさせようとしてんのかもな。」

 フィオンがそう言って笑うと、アーロンも下を向くのをやめて、悲しい顔をしながらでも笑った。


「それでいいんだよ。

 そうやって顔上げてろ、いつもクソ共を斜め上から見下ろしとけ。クソはな、相手が下を向くたびに調子に乗りやがるからな。

 お前自身は間違った事をしていないんだから、下を向く必要なんかない。

 せっかくの騎士の隊長の顔が台無しだ。

 ヤバい男の顔でないと、俺の隣を馬で走ることは許さないからな。

 そうだ…前にも言ったが俺の側においてやるよ。

 俺の側で走らせてやる。

 そうして何回でも何回でも、お前はいい男だって隣で叫んでやる。これから先、お前の事をよく知りもしないのに貶す奴が出てきたら、何回でも何回でも俺がいい男だって叫んでやる。そういう連中の声が聞こえないぐらい。

 お前が望む以上にな。」

 フィオンはそう言ってから、もう一度笑った。


「俺が男をこんなに褒めたのは初めてだよ。まぁ、なんか気が向いたのかもな。

 あの剣は、これから先もお前が使え。その方がいいだろう。

 やるよ、戦友の証だ。」

 と、フィオンは言った。


「ありがとう、フィオン。

 行こう。この嘘で塗り固められた旅の果てに、僕達が探している答えがある。

 王が何としても隠したい真実を知り、世界を変える…ために…」

 アーロンは震えた声で言った。

 彼の瞳は暗く沈んでいて、今まで見たこともないぐらいに弱々しかった。


「こいよ」

 フィオンはそう言ったが、アーロンは動かず、悲しい瞳で友を見るだけだった。


「いいから、こいって。

 そんな顔のまま、先に進めないだろうが。

 俺を待たせんな。」

 フィオンは片手でアーロンの腕を掴んで引っ張り、片腕で力強く抱き寄せた。


「大丈夫だ。

 辛かったよな、お前も。

 俺はお前の全てを知っても、お前のことがすきだ。

 それは俺が特別だからじゃない。

 お前の隊員も、友人も、お前の愛する人もそう思う。

 みんな、お前の事を、ちゃんと見てるから。お前が何者であるかで側にいるんじゃない。

 だから、もう心配すんな。」



 しばらくの間、アーロンは黙って友の肩に顔を埋めた。


「また…わかった…気がするよ…」

 アーロンは言葉を詰まらせながら言った。


「あ?何がだ?」


「どうして、彼女が君に惚れたのか。

 あの想いの強さが、どうしてなのか。

 フィオンはいつも僕の欲しい言葉をくれるな。」


「また訳の分からん事を言う奴だな。

 俺は正直に思った事を口に出してるだけだ。今までだって、そうだっただろう?

 それに、この程度で女が男に惚れるかよ。

 しっかし、お前が男で良かったわ。女だったら…アイツを悲しませるからこんな風に抱き寄せるなんてできないしな…裏切れないから。

 あー、また余計な事を言わされたわ。

 お前は少し黙ってろ。

 俺も喋りすぎて、疲れたわ。」

 フィオンがそう言うと、アーロンの頬を涙が伝った。


 アーロンが隠し続けてきた涙をみせると、フィオンは友を抱き寄せたまま顔を背けた。

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