第54話 絶望 下


 俺は、あの夜のことを忘れやしない。


 月が雲に覆われた闇夜、星も輝かず、血を凍らせるような夜の風が吹いていた。

 強欲なシャンデリアの照明が消された部屋には、何者かの目を恐れているかのように蝋燭の火だけが灯されていた。

 険悪な空気が漂う中、3人の男が難しい顔をしながら丸テーブルをはさんだ椅子に座って黙り込んでいた。

 自らの所業が世界の終焉をもたらそうとしていることすら気付かない3人の男は、その男の待つ黒闇の中に、また一歩、足を踏み入れようとしていた。



 その日は、3つの国の国王が、ソニオ王国の城で会議を開く為に集まり、フィオンはその護衛にあたっていた。

 いつも以上に邪悪なソニオの国王の顔を見ると、フィオンの心臓がドクンと震えた。

 側近さえいれない会議の時間が近づくと、フィオンは隊員にその場を任せて、誰にも気付かれぬように注意しながら会議が開かれる隣の部屋に忍び込んで身を隠していた。

 風がビュービューと音を立て、大きな窓ガラスをしきりに揺らすのだった。

 国王たちは会議の部屋に続く隣の部屋の扉が少し開いていることにも気付かなかった。それすらも気付かないほどに、何かに怯えていたのかもしれない。


 3つの国の国王の顔には苦々しさと怒り、恐怖に苛立ちといった様々な感情があらわれては消えていったが、沈黙を破ったのはソニオの国王だった。


「かつての勇者と同じルートを辿らせた場合にかかる日数は2ヶ月だ。ゲベートとの国境から出発し、ほとんど田舎道を通ることになる。

 その間に、何とかなるんだろうな?

 疫病の治療薬を早く開発しろ。余の国に疫病などもってくるでないぞ。

 紅く染まったままの聖なる泉も元に戻さねばならない。

 勇者をダンジョンに潜らせて、破壊したクリスタルの破片を持ってソニオ王国に戻って来るまでに、この2つを解決せねばならぬのだぞ」

 と、ソニオの国王は忌々しそうに言った。


「そなたに言われなくても、全力を注いでおるわ。一番疫病が蔓延しているのは、我が国オラリオンなのだからな。

 疫病の治療薬を開発するには、まだまだ時間がかかる。何が原因なのか、さっぱり分からんからな。先日開発した治療薬も全く役に立たなかった。

 聖なる泉の色を戻すには、多くの人手がいる。そなたも少し力を貸したらどうなのだ?紅く染まった理由は分からんが、あの泉には昔のような特別な力はない。神の加護はもうないのだから、色さえ戻れば何も問題ない。今開発している強力な薬を注ぎ込むことになるが、泉に生息する魚が死ねば除去もせねばならない。死骸が浮いていては困るからな」

 と、オラリオンの国王は苛立ちながら言った。


「私の国でもオラリオンとまではいかぬが、疫病が徐々に広がっている。

 貴様の国は疫病も聖なる泉も位置していないから、偉そうなことだけが言えるのだ!」

 ゲベートの国王も苛々しながら言うと、ソニオの国王は薄ら笑いを浮かべた。


「そうだな。余なら迅速に解決しただろう。疫病にかかった者は隔離し、ここまで大きくはさせなかった。ここまで国民を五月蝿くはさせなかった。

 そう…あの騒いでいる国民には何と言うつもりだ?

 かつての勇者と同じルートを辿らせるなど馬鹿馬鹿しい。

 一刻も早く最果ての森に行き魔物を退治しろと普通は思うだろう。どうやって納得させるつもりだ?」

 ソニオの国王は冷たい視線をオラリオンとゲベートの国王に向けた。


 オラリオンの国王は真っ赤な顔をしながら仕切りにテーブルを指でコツコツと叩いたが、ゲベートの国王は壁にかけられた絵画に目を向けた。


「神からの啓示が…あったことにしよう。

 かつてと同様…白の教会で儀式を行うことにしよう。今も…白の教会には神聖な力が宿っている。白の教会の権威を利用するのだ。

 それに…流行っている馬鹿げた歌も利用しよう。

 あの歌通りに魔物が動き出し、かつてと同様に世界が闇に覆われようとしているのだから、かつてと同様に勇者が立ち向かうことが唯一の方法であると。

 国民は、今も、かつての中に生きているのだから。

 かつてと同様に魔物が蔓延る道を辿らせながら魔物を退治して進むことで、魔王が封印されたクリスタルを、今度こそ完全に破壊出来る特別な力を得れるという啓示があったことにするのだ。勇気ある光の道を進むことで、光の力を手に入れられるのだ。

 何もかも魔物が引き起こしたのだから。

 国民は今も英雄譚を信じている。騒ぎ立てるだけの能無し共は、暗闇の中に「勇者」という光を見せれば、虫ケラのように群がり興奮するだろう」

 と、ゲベートの国王は言った。


「かつて…かつて…かつて…か、馬鹿馬鹿しい。

 過去に生きる者だからこそ、未来を見ることなど出来ぬ。

 まぁ…いいだろう。虫ケラには考える力などない。苛立ちをぶつけるようにお互いに争い、噂に振り回されるだけなのだからな。知識がないのであれば、なんと利用しやすいことよ。虫ケラは何も学ぼうとはせずに、考える力を放棄したのだから。

 本当に…間抜けな者どもよな。戦いもせずに、怯え震えているだけとは。そして戦う力を、国に委ねた。委ねたのだから、虫ケラは虫ケラのごとく死んでいく。

 素晴らしい国王が声高に叫び、甘い砂糖菓子である勇者を放り投げてやれば、クルクル回って喜ぶだろう。

 かつての勇者と同じルートを辿らせるとして、移動手段はどうする気だ?お前たちの国で、用意するんだろうな?」

 と、ソニオの国王は言った。


「私の国の馬を、六頭用意しよう。

 栗毛で素晴らしい、勇者が乗るのにふさわしい馬をな」

 と、ゲベートの国王は言った。


「六頭?マガイモノは馬には乗れんだろうが」

 と、オラリオンの国王は言った。


「だからこそだ。

 ゲベートの駿馬は、貴様の国の馬とは比べ物にもならない。

 もしも…1ヶ月で陸橋を渡るようなことがあれば、時間が足りぬ。勇者は最も優れた騎士の隊長だ。馬に乗らせても右に出る者はいない。

 遅れる分にはかまわない。途中で恐ろしい魔物が現れて、国民を守る為に勇者が交戦しているといくらでも嘘がつける。田舎道なのだから、目撃者はおらぬ。

 国民は涙を流して、感謝するだろう。

 疫病の治療薬開発と泉の浄化の為に、国民を黙らせ注意をそらす時間が必要なのだから。時間を稼ぎたいだけなのだから」

 と、ゲベートの国王は言った。


「何故だ…何故こんな事になった…。どうして我の治世に…。

 いや…これは好機かもしれぬ…」

 オラリオンの国王はブツブツと呟いてから、薄気味悪く笑い出した。


「いずれダンジョンは破壊せねばならないと思っていた。

 そうだ…これは絶好の好機だ!

 堂々とダンジョンに勇者を送り込める。ただのクリスタルを破壊するだけなのだから。

 我等の秘密を知るのは、魔王のみ。その魔王であるドラゴンはクリスタルに封印されている。ユリウス様が施したクリスタルの封印が解かれるわけがないが、本当に魔物が動き出す前兆ならば、今のうちになんとかせねばならぬ。

 魔物とは知能を持たぬ愚かな獣。何も理解せず話すことも出来ない。突然ダンジョンに入ってきた勇者に驚いて襲いかかるだろう。そうなれば勇者が魔物を殺し尽くして、全てを闇に葬り去ることになる。

 我等の秘密も…永遠にな。ようやく三日月とクリスタルに怯えることも無くなる」

 オラリオンの国王はそう言うと、安堵の表情になった。


「魔物か…。本当に、魔物はまだダンジョンの中で生きているのだろうか?いや、生きているはずがない。

 日の光もなく、空気も水も食い物もない地中深くのダンジョンに閉じ込められているのだから。

 共食いしながら、死に絶えただろう。骨となった死体だけがゴロゴロしているダンジョンにちがいない」

 と、ゲベートの国王は言った。


「いや…そうとも言い切れぬ。

 魔物は我等とは生命力がちがう。

 海の怪物に、ソニオの騎士団は喰われたのだろう?

 それが何より何かがまだあそこに存在しているという証拠だ。そして、その何かを守っているのだ。

 そうは思わんか?

 ソニオの国王よ、そなたが何の相談もせずに陸橋を渡ろうとするから、そなたの国の黄金の羅針盤が海に沈んだのだ。

 どうしてくれるのだ?

 そのせいで黄金の羅針盤は一つだけになったんだぞ!

 あれがなければ、あの広大な大陸でダンジョンを見つけるなど不可能だ」

 オラリオンの国王は真っ赤な顔で大きな声を上げた。



「まさか陸橋を渡ろうとした騎士全員が、怪物に喰われるとは思わなかった。

 余の国が、一番あのダンジョンに近いのだ。ダンジョンのことを考えると夜も眠れない時がある。

 強固な壁と選りすぐりの騎士に守らせてはいるが、実際に魔王が攻めてきたら何の役にも立たぬだろうな。

 お前たちは余の国が、いつの日か本当に攻め込まれても、準備をするだけの時間がある。

 余は、いつも気に病んでいる。今度こそ、ちゃんとクリスタルを破壊してもらわねばならない。

 今回の勇者にも魔法が使えるようにすれば良かったな。

 かつての勇者のように武器に血水晶をはめ込めば…いろいろ面白いことになるかもしれぬ。人間でありながら魔法が使える勇者は、余の思いのままだ。

 英雄なのだから、魔法の力も授かって当然だ」

 ソニオの国王は残忍な笑みを浮かべて2人の国王の顔を見渡した。ゲベートの国王は視線を逸らし、オラリオンの国王は苦々しい顔をしながら口を開いた。


「それは無理だ。血水晶を作り出すには、マガイモノには少なくとも10人は死んでもらわねばならぬ。死んだマガイモノの血を固めた血水晶を武器につけ、人間にも魔法が使えるようにしたのだから。

 我はもう闇の上級魔法に手を出す気はないし、そんなに殺せるだけの人数はもうおらん。

 アノシゴト…忘却の呪文を唱えさせなければならんしな。今回作り出せたのは、マガイモノの魔力を限界にまで引き出せる石コロだけだ。それをマガイモノの杖の先につけさせている。あれでも3人殺した。

 なんとしてもダンジョンに入らねばならぬ…なんとしても陸橋を渡らせなければならない」

 オラリオンの国王は体を震わせながら言った。


「大丈夫だ…儀式を…白の教会で儀式をちゃんとやりさえすれば…陸橋を渡れる。

 かつての勇者も、そうして陸橋を渡ったのだから」

 ゲベートの国王は小さな声で言うと、祈るように両手を合わせた。


「白き杖がないのだから、儀式には意味はない。

 儀式をやったとしても《最後の聖職者》のような特別な力も、余にはないのだからな」

 ソニオの国王は腹立たしそうに言った。


「いや、大丈夫だ。状況は、かつての勇者と一緒だ。

 あの時も白き杖はなく、聖職者もいなかった。

 白き杖は《最後の聖職者》と共に、聖なる泉の底に落ちていったのだから。

 だが、どんなに泉の中を探しても見つからない。新しい聖職者もあらわれない。一体どうなってしまったのか…」

 オラリオンの国王が頭を抱えながら言うと、ソニオの国王は大きくため息をついてみせた。


「もう、この話はいい。

 お前たちの暗い顔を見ているだけで、ため息が出てくる。勇者が失敗すれば、その時に考えることにしよう。

 勇者といえば、お前たちの国の勇者は決まったのか?

 国民から信頼されているマトモな騎士の隊長にせねばならんぞ。実力があり名誉を重んじ、国民に絶大な人気を誇る隊長にせねばな。

 国民が勇者と納得するような騎士でなければならぬのだから。余の国で、好き勝手に振る舞われては困るしな」

 と、ソニオの国王は鋭い目をしながら言った。


「ソニオの国王よ。貴様にその言葉をいう資格はないぞ。

 私の国は問題ない」

 ゲベートの国王が自信満々に答えると、ソニオの国王はジロリと睨んだ。


「えらく自信満々だな」

 と、ソニオの国王が言った。


「私の国の勇者は、私の息子であるアーロンだ。

 アーロンは絵に描いたような素晴らしい騎士だ。私の命令には絶対に従い、何もかもを完璧にやり遂げ、国民からの信頼も絶大だ。

 そのアーロンが勇者となれば、国民も納得するだろう。

 アーロンならばダンジョンに潜り、そこに魔物がいなくても全てを察し、クリスタルを破壊して破片を持ち帰ってくるだろう。

 それに勇者の中に、私たちの側の者をいれておかねばならない。その点も、アーロンなら問題がない。

 マトモな勇者ばかりでは、余計な事を知って、妙な気でも起こすかもしれないからな」

 ゲベートの国王は薄汚い笑みを浮かべながら言うと、窓に打ちつける雨の音が響くようになった。


「あの美しい騎士か。

 だが、お前の息子だ。本当に信用出来るのか?

 余の国を他国の騎士に自由に歩かれるのは気に食わん。勇者が泊まる町と村には見張りをつけておこう。勇者と魔法使いの言動を、常に監視させる。

 お前のように信用出来ぬ男で、余計な事を企てるかもしれん。余の国の勇者を唆して、余に弓でも引かせるようなことをするかもしれない。

 それに…マガイモノが勇者に助けを求めるかもしれない。室でしている事を、いずれ英雄になる者に知られたら厄介だ。

 クスリ漬けにはしているが、何が起こるか分からないからな」

 と、ソニオの国王は言った。


「勝手にしろ。

 だがな、アーロンが私に背いた事など一度もないわ!」

 ゲベートの国王は顔を真っ赤にしながら怒鳴り声を上げた。


「息子だからといって盲目に信じすぎだろう?」

 ソニオの国王が冷たい目を向けながら言うと、オラリオンの国王も笑い出した。


「何がおかしい?!貴様の国の弓の勇者は決まったのか?」

 ゲベートの国王は憤慨しながら言った。


「我の国からは、女の勇者にする」

 と、オラリオンの国王は言った。


「女?貴様が女を勇者にするとはな…その勇者も貴様の女だったのか?もう用無しか?

 貴様、村娘と町娘を食い荒らしているらしいではないか。宮殿にいる女だけでは満足出来ぬのか?」

 ゲベートの国王は下卑た笑みを浮かべながら言った。


「あぁ、そうだ。この先、何があるか分からん。子供は沢山いた方がいい。

 それに我はな、すでに完成された女よりも、素朴で無垢な村娘の方が好きだ。貴族の女は気位が高いし、政治に口を出そうとする。

 それに飽きたら、村娘の場合は簡単に下げ渡すことが出来る。側近も妾ができたと喜んでいる。いろんな技術もしこんでいるしな」

 オラリオンの国王が醜悪な顔で言うと、ゲベートの国王も薄汚い顔で笑った。


「しかし、勇者は我の女ではない。騎士など怖くて寝所には呼べんわ。

 でも…どこかで見たことがあるような?

 下を向いてばかりいるから顔がよく見えんが、化粧をさせ髪を伸ばし綺麗に着飾れば…なかなかになりそうだ。

 体も締まっているし具合も良さそうだ。そろそろ新しい趣向もいいかもしれん。その場合は、クスリを飲ませて動かぬようにさせんといかんな。

 それよりもソニオの国王よ!問題は、そなたの国だ!

 そなたの国の騎士は、一体どうなっている?

 そなたの国の騎士は、野蛮な男ばかりではないか!」

 と、オラリオンの国王は言った。


「余の国からは、先程見せた赤髪の男を勇者とする。

 なかなかいい面構えだろう?

 あの男は、鬼神のように強い。隊長になってから、戦に負けたことがない。あの赤髪のように体中を血で染め上げながら人を殺していく。血に飢えた…野獣のような男だ。

 余は、殺戮を好むアレの目がすきだ。

 かつてアレを飼っていた隊長も、残虐な男だった。「人を殺すことに興奮するから部隊に入れて欲しいと言って、自分よりも屈強な男の顔を潰して首を持ってきた」と聞いた時から気に入り、隊長にアレを育てるように命じたのだ。

 言葉通りに人を殺せるのか何度も試させてからな。出来ないような口だけの兵士は殺せと命じておいた。

 アレは本当に狂っている。

 自らが上り詰めることしか考えていない。五体をバラバラにし、両の目をくりぬき、どんな殺し方でも命令した通りにやり遂げる。どんな臓器でも取ってくる。

 敗戦が続いていた第5軍団の隊長と決闘をさせたらアレが勝ち、ついには隊長にまで上り詰めおった。

 いやはや面白かった。番犬は強い方がいいからな」

 ソニオの国王は残酷な目を輝かせながら、クククッと笑い出した。


「余は残虐に人を殺す話が、何よりも好きだ。何よりも興奮させられる。人が嬲り殺しにされる話はたまらない。

 アレは人殺しと、女を抱くことにしか興味がない。「最近は女遊びに飽きてきたのか男の子も買い出した」と他の隊長が言っていたな。女も男も見境のない獣のような男だ」

 ソニオの国王が口元を歪ませながら言うと、オラリオンの国王が呆れたような目を向けた。


「やはりソニオの槍の勇者はそういう男か。貴様の国の槍の騎士は野蛮で有名だからな。

 けれど、貴様こそ大丈夫か?

 強すぎる番犬を押さえつけれていられるのか?

 ひとたびリードを喰いちぎり離れれば、飼い主の手を噛むどころか喉を食いちぎるかもしれぬぞ。

 躾はしっかりしておかんとな。

 底辺から成り上がった騎士の隊長が、英雄になる。夢を見れない国民が熱狂し、崇拝することにもなるやしれぬぞ。

 牙を向くことになれば、どうなることか…」

 と、ゲベートの国王は笑い出した。


「下賤の出のものだ。学も何もない。

 そんな事は、考えもせんよ。

 お前の息子が、妙な事を言わぬ限りな。

 アレは槍を握り、人を殺すことに興奮する男だ。余が敵とする者だけを、殺していけばいい。それだけに満足していればいい。

 それ以上のことなど分からぬくせに、何かを為そうなどとは思うまい。

 それに躾ならちゃんとしている。十分過ぎるぐらいにな。

 アレには、多くの人間を殺させたのだ。

 余に逆らおうした逆賊が、一体どんな末路を辿ったか…アレが1番よく知っておるわ。

 余を裏切ることのないように、アレに随分させたからの。いずれ隊長にさせようと思っておったから、兵士から騎士になるまでに何度もその目に焼き付かせてた。何度もその手を汚させた。

 余に歯向かった逆賊は、残虐に殺さねばならない。首謀者だけでなく、親族全てを皆殺しにする。

 余の権力を守るのが、奴等のルールなのだから。

 それを守れば、殺戮暴行略奪陵辱の全てを許す。それを守れない騎士は、生きている価値すらもない。

 それに第1軍から第3軍は、余に絶対の忠誠を誓っている。アレが余を裏切るようなことがあれば、この世の地獄を見せながら奴等に殺させる。それを叩き込んでやった」

 と、ソニオの国王は笑いながら言った。


「そうなれば、その隊長の家族は見ものだな。

 妻と娘は、美人か?」

 ゲベートの国王は鼻息も荒く、興奮した表情で言った。


「アレにはまだ家族はおらん。独り身だ。

 多数の女と関係を持っていたが、誰とも長くは続かなかった。しかし最近は綺麗な孔雀の屋敷にだけ通っている。

 あのような孔雀が本気であんな下賤な男など相手にするとは思えんがな。よほど体の相性が良かったのか…まぁ多くの女を抱いてきた男だからな。女の体の扱いには慣れているのだろう」


「よっぽど男の羽が立派なのだろうな。そなたを裏切った場合は、その女を騎士共にくれてやるのか?」

 オラリオンの国王は薄笑いを浮かべながら言った。


「いや、あの孔雀は少しややこしいからの。孔雀が恋仲だと認めぬ限り、騎士の食い物にさせるのは難しい。

 それにまだ孔雀を欲しがる隊長は、いくらでもいる。隊長クラスが、孔雀を欲しがる。アレが死ねば、他の隊長が群がるだけだ。

 アレが裏切るようなことをすれば、孔雀の代わりに、隊員とその家族を、生きたまま火あぶりにでもしてやろう」

 ソニオの国王はゾッとするような笑みを浮かべながら言った。


「勇者の件は決まりだな。何も知らぬままで戻ればよいが…」

 と、オラリオンの国王は声を潜めながら言った。


「私は知りすぎた勇者など、3人も必要無いと思っている。

 貴様らも、そうは思わんか?」

 ゲベートの国王の言葉に、2人の国王は黙った。


「勇者は1人だけかえればいい。

 かつての英雄譚と同様にな」

 ゲベートの国王は恐ろしい顔をしながらそう言ったが、しばらくの沈黙の後に、ソニオの国王は首を横に振った。



「早計だ。

 知ったからといってヨクナイコトヲ企てぬうちに、勇者を殺すわけにはいかぬ。

 アレには、まだまだ使い道がある。お前たちから戦を仕掛けられた時に、お前たちの騎士を殺してもらわねばならない。

 貴重な戦力は無駄には出来ん。

 まだまだ余を楽しませる為に、殺し尽くさねばならぬ。

 それに…勇者が死ねば、お前たちが困ることになるぞ」

 と、ソニオの国王は言った。


「どういうことだ?」

 と、ゲベートの国王は言った。


「もし勇者が帰っても、疫病の治療薬と泉が戻らぬ場合はどうする?それに、また同じ現象が、すぐに起こるかもしれぬぞ」

 ソニオの国王はそう言うと、2人の国王の顔をじっと見つめた。


「お前たちは知っているか?

 白の教会に白き杖を持った聖職者が現れぬ為に、あらたな宗教が広まっているぞ。少しずつ…少しずつ…国民の間に、広まっているらしい。

 その宗教は、絶対的な権力を否定するものらしいぞ」

 ソニオの国王が低い声で言うと、オラリオンとゲベートの国王は真っ青な顔で顔を見合わせた。


「絶対的な権力…つまり国王だ。そんなもの、認めるわけにはいかぬ。

 ならば奴等が国を混乱させようとヨカラヌモノを撒き、疫病を流行らせ、それが神の怒りをかって泉が紅く染まったとすればいいのだ。妖しい術を使って、ダンジョンの封印を解いてドラゴンの眠りを覚まさせようとしたとな。

 さらにその者たちが、白の教会に新たな聖職者が現れぬように祈祷しているとすればいい。

 何かが起こった時に、魔物の次に奴等に罪を着せるのだ。ドラゴンが白状したとすればいい。

 勇者にそう宣言させるのだ」

 ソニオの国王は残忍な笑みを浮かべながら言った。


「お前の息子のアーロンに宣言させるのが、一番いいだろう。

 盲目に可愛がっているのだから、いつかは国王の座を譲る気でいるのだろう?

 ならば、これぐらいの事はしてもらわんとな。

 それでよい。そして英雄に奴等を討伐させるのだ」


「言うことを聞くだろうか?」

 と、オラリオンの国王は言った。


「その時には、こうしよう。

 マガイモノのクスリを人間でも使えるかを英雄に試す。さすれば英雄を好きに使うことが出来るぞ。

 英雄となったその名を使い、どんな事でも出来る。

 もしクスリの作用に耐えきれずに英雄が死んだ場合には、ダンジョンに潜った後遺症で死んだことにすればよい。

 長い間閉ざされていたダンジョンだからな…空気もさぞ悪かろう。

 国民の為に英雄の生命が犠牲になる。新たな美しい英雄譚となるぞ!」

 ソニオの国王が声高らかに言うと、ゲベートの国王が強い力で机を叩いた。


「私の息子には、そんな事はさせはせぬ!

 あの子は本当に美しい。母親にそっくりだ。あの子は特別な子なのだから。あの子は可愛い…目に入れても痛くはない。あの子は何をしても許される。

 勝手なことばかり…言いよって。

 あの子だけが英雄になればいい…。そうだ…アーロンさえ無事に帰れば問題ない。

 勇者は1人だけ帰れば、問題ないのだ。

 知りすぎた勇者は、必要ない…」

 ゲベートの国王はソニオの国王の言葉に納得がいかぬ様子で、一人ブツブツと言い続けた。


「ゲベートの国王よ、我も勇者を殺すのは早計に思う。

 そなたは決して、余計な事を息子に話すな。余計な命令もするな。マガイモノはどうでもいいが、他の勇者を殺せなどと決して命令するではないぞ。

 これは国王同士の約束だ。我等の秘密にも関わることだ」

 オラリオンの国王は恐ろしい形相をしながら、ゲベートの国王に言った。


「あぁ、分かった。だかな、それが命取りになるかもしれんぞ。

 マガイモノの方はどうなっている?ソニオの国王よ、封印解除は本当に出来るのだろうな?」

 ゲベートの国王がそう言うと、雨風の音がさらに激しくなり、恐ろしい雷の音が響き渡った。


「問題ない。

 余の国から封印解除の魔法をさせたら、国一番のモノを選んだ。その為に過度に調整し、それ以外の魔法を一切使えぬように封じ込めている。

 さっき見せただろう?」

 ソニオの国王がそう言うと、吹き荒れる風の音はさらに激しくなった。窓ガラスを破らんばかりに荒れ狂い、蝋燭の火が何本か消えると、ゲベートの国王はその火を見つめたのだった。


「あの色の白い女の子か?

 今にも死にそうだが…少し勿体無いの」

 ゲベートの国王はマーニャの可愛い顔を思い出しながら言った。


「多量のクスリを飲ませて注射も倍以上打った。何度も意識を失って倒れるぐらいにな。

 金貨3枚もする薬を与えたら治るが、マガイモノにはもったいない。どうせ治療をしたとしても、長くは生きられない。

 最果ての森に着き、封印さえ解ければいい。成功さえすれば、そこで死のうとかまわん。

 お前たちもそのつもりで、マガイモノを選んだのだろう?」

 ソニオの国王がそう言うと、恐ろしい雷の音が響き渡り、何処かに落ちたようだった。


「あぁ、私の国も限界まで調整している。

 少年だが、可愛い男の子だ。少し惜しいが、仕方がないの」

 ゲベートの国王は雷の音に体を震わせながら言った。


「なんだ?お前は、そういう趣味もあったのか?

 だがマガイモノに手を出すことだけは、絶対に許されんぞ!

 これ以上禁忌を犯すことは、国王であってもならぬのだから。神の怒りに触れるぞ」

 と、ソニオの国王は険しい表情で言った。


「少年には、興味はないわ。私が問題にしているのは、忘却の呪文だ。アレには、忘却の呪文も唱えさせているからな。

 マガイモノはなかなか性行為を行わない。クスリを使っても人間のようには欲情せんからな。数が増えんのだ。

 だからこそ、忘却の呪文を唱えさせるのに苦労しとる。唱えることが出来るモノが、ひとつ減ることになる」

 ゲベートの国王は深い溜息をつくと、オラリオンの国王も頷きながら口を開いた。


「そうだな。

 忘却の呪文を唱えさせ続けねばならないというのに…鎖が…」


「鎖の話はするな!」

 ソニオの国王は凄まじい形相をしながら怒鳴った。


「そうだ!鎖の話だけはしてはならぬ!」

 ゲベートの国王は青ざめ震え、誰もいない部屋の中をキョロキョロと見渡した。


「そうだったな。どうかしていた…」

 オラリオンの国王がそう言うと、ソニオの国王は恐ろしい目で睨みつけた。



「魔法使いが余計な事を言い出したから、ああなったのだ。

 だからこそ、マガイモノは「精一杯」余に尽くさせる。マガイモノの魔力は昔と比べると微々たるものだが、大人になればまた国王に逆らおうとしてくるだろう。

 ならば微々たる魔力をとるしかない。子供のままでも、ちゃんとした魔力が備わっていればいいというのに…ええぃ!忌々しい!

 奴等は「精一杯」人間に尽くせばいいだけの土塊だ!

 だからこそ心と体の成長をとめて調整し、もう二度と逆らわぬように恐怖と絶対服従を植え付けたのだ。

 微々たる魔力でしか生まれてこれなかった何の価値もないマガイモノであると刷り込んできた。

 要らぬ口など聞かぬようにな!

 マガイモノは、余の所有物だ。国王に逆らえばどうなるか、その体に叩き込んでやる。

 それに散々、体を弄ったんだ。クスリと注射を打たねば生きていくことも出来ぬわ」

 ソニオの国王は恐ろしい形相でまくしたてた。

 その顔は怒りと憎しみで歪み、殺戮を好む騎士団を従える最も冷酷無惨な野獣そのものであった。


「そうだ…あの力は、国王のモノだ。

 反抗せぬように、マガイモノ同士では傷を癒す回復魔法が使えないと意識を操作している。これからもあらゆる魔力を調整し続けてやる。

 あの力は、国王だけが自由に使っていいモノだ。

 これからも永遠に、奴等の力は国王のモノだ」

 ゲベートの国王の目はめらめらと邪悪に燃え上がった。


「道具ではあるが、どんなに人間の力が進歩しようとも、奴等には敵わぬ。人間では越えられぬ。

 土塊のくせに…最初に生まれた我等が上位種なのにもかかわらず!忌々しいマガイモノが!」

 オラリオンの国王は嫉妬の感情を込めながら言った。


「奴等は忌々しいが、ユリウス様はちがう…あの御方は…」

 ゲベートの国王は恍惚の表情を浮かべながらそう言った。ゲベートの国王が見つめる壁に描かれた絵画には、目を奪われるほどに美しい男が描かれていた。


「そうだ!ユリウス様は!

 あの御方は我等を導き、世界を救われたのだ。

 神々しいほどに美しく絶大な力を持ち、真に我等を導いて下さる存在だった。

 空に虹をかけられ、天使の梯子を見せて下さる御方だ!

 神が我等に与えた美しい光だったのだ。

 ユリウス様さえ今も生きていてくだされば、こんな事には…魔王など恐れることはなかったのに!

 残ったのが役立たずのマガイモノとは…」

 オラリオンの国王がそう言い出すと、国王たちは声を揃えてユリウスを褒め称えた。



 国王たちの会話はさらに続いたが、外は大雨となり激しい風の音で、フィオンには何も聞こえなくなった。

 魔法使いの話は吹きすさぶ風の音で全く聞こえなかったが、途切れ途切れに聞こえた勇者に関する会話に彼は絶句していた。心臓が激しく震えるのを感じながら真っ黒な部屋を眺めると、少し開いているドアからは蝋燭の匂いが漂ってくるのだった。

 蝋燭の明かりに照らされて浮かぶ国王の顔は、人間とは到底言い難いほどの醜悪さに満ちていた。





 *



 夜風がビュービューと音を立てると、フィオンは夢から覚めた。見上げた空には半分に近い月が煌々と光っていた。まざまざと3つの国の国王の顔を思い浮かべると、フィオンの体が怒りでワナワナと震えていった。


「フィオンさん、どうしたんですか?」

 リアムが心配そうな目を向けると、フィオンは抱き寄せていた手を離した。


「いや…なんでもないんだ…なんでも……。

 ただこの森が美しくてさ…まるで神によってつくられた森のようだ。かつて世界を蹂躙した魔物が潜むダンジョンがあるはずなのに…本当…どうなってるんだか…。

 何が…魔物だ。どっちが恐ろしい生き物だっていうんだ」

 と、フィオンは苦々しそうに言った。


 隊長に命令されるままに殺してきた罪もない人々を思った。

 この国を良くしようとした罪のない人々と、その家族を嬲り殺しにして家を燃やした。

 恐ろしい過去が、体に吹き付ける夜風の冷たさで強烈に脳裏を蘇るのだった。その罪深さで、体が凍えてしまいそうだった。

 その冷たさは、隊員からの暗号化された手紙を思い出させた。オラリオンの国王は疫病にかかった者たちを治療の為に保護しては、身寄りのない者を選んで治療薬を作る為の実験台にしているという。

 もう何人も何人も犠牲にし、治療薬を開発するのに躍起になっている。身寄りがなければ死んだとして、誰も何も言わない。疫病で死んだとして、葬られていく。

 いつだって、そうだ。力のない者から、犠牲になっていく。

 さらに聖なる泉を浄化する為に強力な薬を流し込んだせいで、木々は枯れ果てたという。色が紅くなっても魚は死ななかったというのに、薬のせいで泉の水を飲んだ沢山の動物と魚と鳥が死んだのだ。

 

(原因は魔物じゃない…魔物じゃないんだ)

 フィオンはそう思いながら、リアムの顔をじっと見た。


「お前も…辛いよな?」


「いえ、そんなことは…僕は…幸せです。

 こうしてフィオンさんと出会えたことが、何よりも嬉しいんです。僕のようなモノにまで、心から優しくしてくれました。

 本当に…初めて人を好きになれました。

 フィオンさんの言葉は、いつだって真実でしたから。僕には…分かるんです。人間の心が…分かるんです。

 僕のようなモノでも…フィオンさんの役に立つことが出来るのですから…精一杯、頑張ります」

 リアムの声はどんどん小さくなっていき、表情もどんどん暗くなっていった。恐ろしい男たちを思い出したのか、身を守るかのように杖を握り締めた。


「そうしないと…生きている価値すらもないんです。勇者様の役に立たないと…僕たちは…勇者様が…フィオンさんで良かったです。

 フィオンさんの役に立つことが出来るのなら、僕は幸せです」

 リアムはそう言うと、笑ってみせた。


「やめてくれ!モノとかそういうの!お前は生きてるんだ!

 誰かのモノとか…役立つとか…なんなんだよ!

 なんなんだよ、それ!

 役に立たないと、生きてちゃいけないのかよ!なんで誰かの物差しで決められないといけない!自分の為に、リアム自身の為に生きてくれよ…お願いだからさ…。

 なんで…こんな当たり前の事すらも許されない。なんでお前に…こんな事を言わせているんだ。

 なんで誰かの言われた通りに、誰かの望んだ通りに生きないといけない…お前の人生なのに…こんなの間違ってる。

 辛かっただろう?

 お前は生きていて、感情があるんだから。

 傷つかないはずがない!苦しくないはずがない!

 だから…そんな顔して言わないでくれ。お願いだからさ…」

 フィオンはそう言うと、恐ろしい痕があるリアムの二の腕に触れた。


「本当に…すまなかった。守ってやれなくて…すまなかった。

 そんな事を言わせるほどに…追い詰めてしまって…すまない」

 フィオンがそう言うと、リアムは体を震わせた。


「でも…言うことを聞いてさえいれば…僕たちは…殴られないんですむんです。

 僕たちの魔力が弱いから、僕たちが悪いから、こうなったんです。望まれるようにすれば、安全でいられる。仲間が…傷つけられることもないんです。

 フィオンさんが…謝らないでください。フィオンさんは何もしていないんです。僕が悪いから、こうなったんです」

 リアムは黒い瞳から涙を流しながら言った。


「お前は何も悪くない。悪くないだろうが。

 なんで、あんな事をされているお前たちの方が悪いんだよ!悪いわけないだろうが!

 辛かっただろう…苦しかっただろう…。知らなかったで許されるはずなんてない…ごめんな…」

 フィオンは憎くて堪らない奴等の顔を思いながら言った。


 あれほど恐ろしいことをしていながらも、平気な顔をして歩いている奴等に、同じ恐怖を味わせてやりたいと思った。

 綺麗事では何も守れないと、誰よりも知っていた。狡猾な者ほど罪を逃れる為なら、どんな嘘でもつくと知っていた。


(逃げられない恐怖を…自分が味わわせた凄まじい恐怖を、その身で思い知ればいい。深い絶望を感じさせ、何度も体を突き刺してやる。泣こうが喚こうが、その身に罪の深さを刻み込んでやる)

 フィオンはより残虐に、真っ赤な血を流させてやりたいと思った。奴等が、小さな魔法使いたちにソウしてきたように。


「いいえ…大した事じゃ…ありませんから。

 僕たちが我慢すれば…全てが丸く収まるんです」

 リアムが小さな声で言うと、フィオンはもう堪らない気持ちになった。我慢すればいいのだと刷り込まされているのは明らかだった。


「ちがう!我慢すればするほどに、状況は悪化していくだけだ!報復はしなければならない!

 奴等が、お前にそう言ったんだろう?

 こんなに傷ついている…お前たちに…我慢しろって」


「でも…あの人たちは、大した事じゃないって言うんです。僕たちが…弱いから…苦しんでいるだけなんだって…。

 僕が…もっと強ければ…耐えられるんです」


「ちがう。大した事なのかどうかを決めるのは、お前自身だ。他の奴等に、そんな事を言える権利なんかない。

 お前が苦しいなら、それは途方もないほどに辛くて苦しいことなんだ。それに…」

 フィオンは怒りに満ちた瞳をしながら、急にその先の言葉を切った。


「フィオン…さん?」

 リアムはオロオロしながらフィオンの顔を覗き込んだ。


 フィオンは目の前の小さな少年を見つめていると、その顔に自分の名を呼ぶ弟の顔を重ねていった。

 フィオンは唇を噛み締めながら、驚いているリアムをその両腕の中に抱き締めた。


(全てが…この手から奪われた。二度と戻ってこなかった。

 俺に力がなかったから、そうなった。

 もっと力をつけなければ、また大切な者を奪われる)

 フィオンは目を瞑りながら可愛い弟を思った。その小さな体からは、奪われた大切な弟の温もりを感じるようになった。


 目を開けると、真っ黒な黒髪が風に吹かれているのが見えた。見上げた空には月も星の光もなくなっていて、暗黒の絶望のような空が広がっていた。


「ごめんな、守ってやれなくて…兄貴なのに、ごめんな。

 ごめんな…怖かったよな。苦しかったよな…。お前を苦しめた奴等を、同じ目に合わせてやる。

 いや、ちがう!もっとだ!もっと、もっと、もっと苦しめて殺してやるからな!

 お前の幸せを奪い取ったんだから!

 それなのに奴等は、お前が泣いている間も苦しんでいる間も、そんな事すらも考えずに毎日を過ごしている。

 お前がどんなに苦しんでいるのか、それすらも考えることなく笑い、喜び、愉しみながら過ごしているんだ!

 そんなの許されるはずがないだろう!いや、許していいはずがない!

 誰かを苦しめながら、自分は愉快に生きるなんて…許せない。

 お前は苦しんだんだ。

 だったらお前が苦しんだ分だけ、俺がその苦しみを奴等に味わせてやる。痛みも苦しみも分からずに、お前の人生をボロボロにした奴等を1人残らずボロボロにしてから殺してやる」

 フィオンの心の中は激しい混乱状態にあった。目の前は真っ暗となり、巨大な闇に包まれた。


 冷たい夜風が、フィオンの見た恐ろしい現実を次々と蘇らせていく。優しさたけでは、平和を唱えるだけでは誰も救えない。目の前で無惨に人々が殺されていくのを止める力がないのだから。

 力がなければ言葉は強さを持たないという真実を、彼は幾度も味わってきた。

 憎しみと怒りの感情は激しく渦を巻き、憎しみのままに全てを滅ぼそうとする力が右腕に宿っていった。


 ソレは、あの時から…少しずつ最果ての森に近づき、その男の存在を強く感じさせた時から、始まっていたのだった。

 騎士団の呪縛から解き放たれたフィオンは穏やかな気持ちになり、リアムを弟のように思っていた。魔法使いが受けている恐ろしい真実を知ると、また大切な家族を…弟を奪われると思うようになっていった。父との約束を思い出し、家族を奪われる憎しみを強烈に思い出した。

 大切な者を奪われる恐怖と憎しみを強く感じさせることで、彼本来の優しい心に強く迫ったのだ。


 冷たい夜風が彼の望みの多くを吹き飛ばし、たった一つの憎しみの感情だけを残した。

 それは何者も抗い難い絶対的な力だった。

 さらにリアムを抱き締めていたことで、憎しみと力はより黒く強くなっていた。

 奴等は人間であり、人間の多くがソレを知りながら、見て見ぬふりをしているのだから。「人間」全てに憎しみの感情を向けるように、彼の心に刻み込んだのだった。

 ついに彼の心を激しくかき回し、右腕と一体化したソレは、不思議な力を使えるほどに大きくなっていった。

 彼の血肉を得て、しなやかなその男の片腕となり、彼の心と体を掴み取ったのだ。



「俺はもっともっと強くならなければならない。もっと力が欲しい…もっとだ…もっと…鬼神のように絶対的な力が!

 奴等がいなくなれば、幸せに生きられる国になる。

 そうだ…殺し尽くしてやる」

 フィオンの瞳には残忍な光が浮かび、リアムを抱き締めながら何度も繰り返した。


「権力の前では、正義ですら歪めることが出来る。略奪も暴行も陵辱も殺戮も、全てが許される。

 俺は、この目でそれを見てきた。

 そして、俺はそれを止められなかった。

 俺もそれをしてきた。何人も何人も殺したんだ。

 失敗出来ない…なんとしても果たさねば…自由という光を取り戻す為には、奴等を殺さねばならない。

 俺には必要だ…殺し尽くすほどの絶対的な力が!」

 フィオンが憎しみを込めて口にすると、槍を握り続けた右腕が燃えるように熱くなった。


(この国には、この国のルールがある。殺し合い、生命を奪うまで、終わらない。

 蔓延る悪は、既に醜く歪みきっている。罰なんてものでは、生ぬるい。奴等は、すでに腐り切っているのだから。

 苦しめた分だけ、より残酷に殺さねばならない。

 この手で終わらせてやる…必ず終わらせてやる)

 フィオンの憎しみの感情だけを、強烈に燃え上がらせていった。風は轟々と音を上げ、槍の騎士のマントを激しく翻した。


「フィオンさん…絶大な力が…必要なんですね。分かりました。もう…大丈夫ですよ。

 フィオンさん…フィオンさんは…大丈夫じゃなかったんです。僕以上に、自らを殺して生きてきた。

 そんな事が…出来る人じゃなかったのに…。

 貴方も、運命によって選ばれていたんです。

 しかし神は、本当に、残酷なことをされた。貴方を見極める為に大切な人を奪い…心と体を武装させ、人間以上の力を与えられた。

 僕はあの瞬間…その力を、見ました。

 だからこそ、貴方は誰もが恐れるほどに強い。

 1人の男の人生を狂わせてまで、人間にチャンスをお与えになるなんて…何故それほどまでに神は人間ごときを愛するのか…。

 神は人間の恐ろしさと醜さを、既にご存知のはずなのに…何故それほどまでに慈悲をかけられるのでしょうか?

 貴方が、これほど苦しんでいるというのに…全ては神が敷かれた道だったのです。貴方に重荷を背負わせることで、凄まじい力を与えられた。

 人間が辿る道は破滅だと決まっているというのに…いえ…しかし、僕はフィオンさんだけは守ってみせます」

 リアムは風の音を聞きながら言うと、夜の闇のような妖艶な黒い瞳をフィオンに向けた。


「フィオンさんのことは…心から好きなんです。それだけは真実ですから。

 貴方のことだけは、必ず、守ってみせます。この生命にかえても。全てが終わっても、貴方だけは絶対に死なせません。

 あの御方にも…聞いていただけるはずですから…」

 リアムは逞しい腕に包まれながら言うと、自らの杖を握り静かに弧を描きだした。


「もう一度、貴方の望みを聞かせてください」

 と、黒い瞳をした魔法使いは言った。


「俺は…」 

 と、フィオンは口を開いた。


 夜風が赤髪を靡かせ、闇が体を完全に包み込んだ。

 彼の望みを口にさせ、漆黒の魔法使いは全てを完成させる為に、その先の魔法陣を描いたのだった。



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