第55話 腕の中で

「勇者達が陸橋に近づきました。」


 その言葉通り、勇者達は三日月の夜に陸橋を渡り、最果ての森を駆け抜け、容易にダンジョンの中に侵入してきた。

 俺がした小細工は全て見抜かれてしまい魔法使いによって避難所は開けられ、簡単に大切な仲間が殺されていった。仲間の死体を勇者は軽々とかつぎながら20階層の中に侵入し嬉々としながら俺の前に投げ捨てた。

 何度も刺し貫かれ体中が血まみれとなって苦しみ抜いた仲間の死に顔を俺は呆然としながら見ていた。

 何の言葉も出て来なかった。

 

 ただ俺は憎悪した。勇者の残虐さ、何もできなかった無力さと自分の浅はかさに。出来もしない事を声高らかに叫んでいた俺は、なんて滑稽だったんだろう。

 勇者と話をする前に仲間は惨殺された。話が出来ると夢を抱き、なんて呑気な事を考えていたのだろう。

 さらに勇者は武勲をたてる為に我先に飛びかかってきた。

 俺を守ろうとしたミノスさんとマーティスは剣で斬られ槍で突かれ弓で射られて死んでしまった。


 一瞬の出来事だった


 俺は勇者に背を向けた。

 無様に逃げ出した背中に矢が刺さったが構わずに歩き続けた。どこかで生きている仲間をただ見つけたかった。


 魔王とは思えない俺の無様さに勇者は声を上げて笑った。

 武器の金属音を出しながら、ゆっくりと楽しむかのように俺の後を追ってきた。


 背中には不思議と痛みは感じない。

 その代わりに心が痛んだ。

 魔王としての役割を果たせなかった。

 俺が歩くと聞こえてくるのは血だまりの上をピチャピチャと歩く足音だけだった。かつては笑い声や子供達のはしゃぎ回る足音がしていたとは誰も想像ができないぐらいに恐ろしいダンジョンと化していた。

 そこには死臭が漂い、壁は赤い血で染まり、切断されて散らばっている仲間の頭部と胴体があるだけだった。

 

 こんな事になるのならばダンジョンの入口で勇者達を待ち続け即座に俺の首を差し出していれば良かったのではないか?

 なんで夢を見たのだろう…

 無様に膝をつき頭を地に擦りつけて惨めさと引き換えに情けを乞い、この首を斬り落としていたのならば…もしかしたら仲間の命を守れたかもしれない。

 偽のクリスタルを用意してそれを握り、俺がここから這い出したといえば良かったのではないのだろうか。

 魔王ですらこんなに弱い魔物だと分かれば、仲間は救ってもらえたかもしれない。

 俺だけの命ですめば、こんな簡単な話はなかったじゃないか。それでも仲間の命を魔王が守ったということにはかわりはない。いや、そもそも俺は魔王ですらない。俺は俺自身が何者なのかすら分からない。


「っ…!」


 俺は何かに躓き転んだ。

 両手には赤い血にぬれた羽根のようなものがべったりとへばりついた。


「なん…」


 散らばった羽根の先には血まみれの小さな死体が転がっていた。その背中は残酷なまでに真っ赤に染まっていた。羽根を毟り取られた後に両翼を斬り落とされたリリィが転がっていたのだった。

 俺が走り寄ってリリィを抱き上げると、リリィの頬は悲しみの涙で濡れていた。


「リリィ!リリィ!!」

 俺は大声を上げてその名を呼んだ。

 痛かっただろう…苦しかっただろう…こんなに残酷な殺され方をするなんて…。

 俺は必死になって抱き締めた。

 冷たくなった体を温めれば、息を吹き返してくれるかもしれないと思った。

 時を戻せるかもしれないと思った。

 失った生命を取り戻せるかもしれないと思った。


 俺を見てくれる事のない愛らしい瞳を

 話しかけてくれる事もない可愛い声を

 触れてくれる事もない温かい手の温もりを

 優しい言葉の数々を…


 その全てを取り戻そうとして何度も何度も名を呼び続けた

 どうか目を開けて、俺に微笑みかけて欲しい

 頼む…お願いだ……

 今…ようやく分かったよ…

 失ってしまってから気付くなんて

 けれど、その願いは届くことはなかった

 何をしても戻らないと分かると、もう何も考えられなくなり、頭を垂れて両腕の中の冷たい亡骸にキスをした。

 心を奮い立たせてくれる全てを失ったのだ


 その瞬間背中から心臓を射抜かれた

 ただ静かだった

 俺の中の時が止まったかのように静かになった


 これで全てが終わったんだ


 あぁ…なんて滑稽なんだろう…

 俺は何がしたかったんだろう

 人間を信じるなんて馬鹿だよな

 俺達は人間に害を与えるだけの魔物

 どれだけ時が流れようが変わらない

 俺が間違っていた

 俺の目の前は真っ白になった








「大丈夫ですか?アンセルさま!

 リリィはここにいます。ずっとずっとアンセルさまのお側にいます。」 

 その声でアンセルがうっすらと目を開けると、小さくて温かい手がアンセルの頬を包み込んでいた。その手には白い明かりを持っていた。


「とてもうなされておいででした。大丈夫でしたか?」

 全てが恐れの感情が生みだした夢だったのだ。

 アンセルの服は嫌な汗で濡れていた。

 生々しい夢の感触からまだ抜け出せずに悲しい目でしばらくリリィを見つめていると、リリィが首を傾げてその大きな愛らしい目でアンセルを見つめ返した。

 アンセルは汗ばんだ体をゆっくりと起こし、そっとリリィの赤みがかかった頬に触れた。


「アンセル…さま…?」

 リリィはアンセルの様子に驚いて頬を赤く染めた。


「ダメかな…?」


「そんなこと…ないです…」

 リリィは頬を赤らめながら途切れ途切れに答えた。


「抱きしめてもいい?」

 アンセルが聞くとリリィはコクンと頷いた。


「おいで」

 アンセルがそう言うと、リリィはアンセルのベッドにおずおずと入ってきた。シーツがリリィの白い太腿でこすれる音がした。リリィは少し恥ずかしがって俯いていた。

 アンセルは手を伸ばせば届くリリィの体にゆっくりと触れた。

 あたたかい…アンセルはその温もりを確かめた。

 左手を腰に回して抱き寄せ、右手で両翼を優しく撫で回し始めた。ちゃんと翼が背中についていて、何処も怪我をしていないかを確かめてから強く抱き締めた。

 リリィがビクンッと体を震わせたが、かまわずに愛しみ続けた。


「顔を見せて」

 と、アンセルは耳元で囁いた。


 腕の中のリリィが紅潮した顔を上げたが恥じらう気持ちの方が勝って、すぐに視線を逸らした。リリィは捲れ上がったスカートから見え隠れする白い太腿の内側を無意識にモゾモゾと擦り合わせていた。


「なんでここに?」


「アンセルさまに…呼ばれたような気がしました。

 言われたばかりなのに、また夜中にすみません…」

 リリィは腕の中で小さな声で言った。


「ありがとう。俺は大丈夫だよ。

 ごめんな…無性に抱き締めたくなって。

 こんなことするつもりじゃなかったのに。

 我慢できなくなってさ。

 驚いたよな?急にこんな事をして。」


「あやまらないでください!

 そんな風に謝られたら悲しくなります。

 リリィも望んだことです。

 がまん…しないでください…。リリィは…アンセルさまが望まれるのなら…もっと…」

 リリィはアンセルを潤んだような上目遣いで見てきた。

 

「疲れただろう?

 何も心配することないから、もう戻っていいよ。

 もう少ししたら、ゆっくり休めなくなる。

 俺も寝るから、俺がなんとかするから。」

 アンセルは昂ってきた感情に負けそうになったのでリリィをそっと離した。すると急に先程の光景が強く脳裏に蘇った。

 あの夢を現実にならないようにしなければならない

 もう以前の俺とはちがう

 震えているだけではいけない

 全力で俺が頑張るんだ

 と、アンセルは強く思いギュッと拳を握りしめて唇を噛み締めた。


 リリィはアンセルのその様子を悲しい顔で見ていた。


「今宵はどうか…お側において下さい。」

 リリィはすがるような声を出した。


「えっ?」

 アンセルはその言葉に驚き、リリィを見つめた。


 2人の間に沈黙が流れたが、リリィは躊躇いがちにアンセルにもう一度話しかけた。


「今宵はどうか…ご無理をなさらないで下さい。」



 アンセルはその言葉に固まった。



「俺は…無理なんて…」

 アンセルの言葉を遮る為にリリィはアンセルの服の裾を引っ張りギュッと握りしめた。


「大丈夫じゃないです…。

 アンセルさまが…大丈夫じゃないっていう気がしてならないんです。

 皆んなの為に毎日毎日本当に頑張られて。

 強く逞しくなられたアンセルさまにこんな事を言うのはダメだって分かっています。

 ごめんなさい…。

 でも、たまらなく不安なんです!

 いつかその糸が切れてしまって、恐ろしい何かになってしまうのではないかと不安でたまらないんです。

 アンセルさまが変わってしまう気がして怖いんです。」


 リリィはそう言うと、自分からアンセルの逞しくなった胸に顔をうずめていった。


「時々ですが、アンセルさまから違う香りがしていました。

 それが何なのかリリィには分かりません。

 ただ…その香りは冷たくて恐ろしくて近寄り難いのです。

 ここ数日はしなくなりましたが、またいつの日か、その恐ろしい香りがアンセルさまを包み込んでしまう日が来るのではないかと思って不安で不安でたまらないのです。そうなったらアンセルさまが二度と戻ってこなくなるような気がします。

 リリィは水晶玉で外の世界を見るのが好きでした。いろんな美しい景色を見るのが好きで、いつか外に出てみたいと思った事もありました。

 でもある時、偶然見てしまった人間の恐ろしさに怖くなりました。このダンジョンにはない恐ろしい感情で溢れていたんです。こことはちがいました…。ここは皆んなが仲間を思いやり、お互いを大事にして、幸せを分かち合っている。

 でも外の世界は違うんです。

 まるで幸せになれる人の数が決まっているかのように、沢山の人間が誰かの幸せを妬んで陥れて奪い合っている。

 こわかったです…。

 そんな人間に立ち向かうことによってアンセルさまが変わってしまわないか、不安で不安でたまらないのです。

 凍りつきそうなほど冷たくて恐ろしい香りが強くしていた時もありましたから…」


「リリィ…」


「ごめんなさい。

 ただ…リリィはリリィの好きなアンセルさまでいて欲しくて。

 優しくて、ちょっとだらしなくて、寝てばかりで、皆んなに愛されて…ゴロゴロばかりしている…そんなアンセルさまでいて欲しいんです。」



「リリィ…悪口も入ってるよ…」

 苦しい…苦しくなる…。

 とっくにリリィは俺がかつての魔王になりかわられようとしていた事を分かっていた。分かっていて何も言わずに俺を支えていてくれていた。今思えばいろんな事がそうだったんだ。

 そんな風に感じさせていたなんて思いもよらなかった。



「褒めてばかりだとリリィの方が恥ずかしくなります。

 今は全く変わってしまいました。

 体もこんなに逞しくなられて…なんだかアンセルさまじゃないみたいで…」

 リリィはさらに体を寄せた。


「俺は、俺だよ。」

 アンセルもリリィを強く抱き締めたが、その手が少し震えた。


「アンセル…さま?」


「リリィ…もしも俺が魔王でなくても、魔王じゃなかったとしても、変わらずに俺の側にいてくれるか?」

 と、アンセルは呟くように言った。


「リリィはずっとお側にいました。

 これからも変わりません。

 アンセルさまが望まれる限りずっと…ずっと側にいます。」


「リリィ…」


「リリィはアンセルさまが魔王だから側にいるんじゃありません。

 魔王だとかはどうだっていいんです。

 たとえアンセルさまが魔王でなくなっても、ただの魔物になっても、アンセルさま自身が好きで側にいたいだけなんです。

 それに…リリィはアンセルさまがこんなに魔王らしくなられる前から側にいました。ダメダメだった頃からずっと側にいました。アンセルさまの側にもっといたいと言った事もあったじゃないですか。」


「ダメダメって…ひどいな…。

 ん?そんなことあったかな?」

 と、アンセルは言った。


「勇者達を水晶玉で見た時に、まだお嫁にもいってないって言ったじゃないですか。

 アンセルさまならリリィの気持ちを汲んで、お嫁さんにしてやるって言ってくれないかなぁと思って期待してたんです。」


「あぁ…そんなこともあったような…」

 アンセルは思い出そうとしたが、全く思い出せなかった。


「もう、ひどいです!鈍感すぎます!

 今も全然覚えてないって顔してます。

 アンセルさまは嘘をつくのが下手なんですから、すぐに分かります!

 あの時から…あの時よりも以前からずっと…リリィはアンセルさまのことを…」

 リリィはアンセルの胸にすがりついた。


「アンセルさまは、今、とても立派な魔王です。

 けれど魔王でなくても、ただの1人の男の人でも…アンセルさまはリリィにとって特別な方です。

 皆んなにとって、リリィにとって、かけがえのないお方です。 

 アンセルさまは、アンセルさまです。

 アンセルさまだから、リリィは好きなんです。」



 そうだ

 俺は俺だ

 魔王であろうとなかろうと、ドラゴンであろうとなかろうと

 俺は愛する者達を守りたい

 そうすると誓った

 その責任を果たす

 かつての魔王が一体誰であったとしても

 俺が誰であったとしても

 そんな事はもう気にしない

 このダンジョンを守らねばならないという現実は変わらない

 相手に打ち勝たねばならないという現実は変わらない

 俺はそれができる唯一の男だ

 魔王という名にすがるのではない

 そうする事によって俺はようやく魔王となりえる

 リリィが俺に強くそう思わせてくれた

 この手で守り抜く

 この手で幸せにする

 アンセルはそう思うと体中から力が湧き立つのを感じた。



「アンセルさま…リリィも20階層にいたいです。

 アンセルさまのお側に…片時も離れたくないのです。」


「それはダメだ。」

 アンセルは強い口調で言った。


「邪魔はしません。ですから…」


「リリィがいたら戦えない。

 誰かを守りながら戦うほどの余裕は俺にはない。全力でぶつからなければ何も守れない。」

 アンセルの脳裏に勇者とその男が浮かんだ。

 死力を尽くして戦わねば何も守れないだろう。


「でも…」


「これは命令だ。」

 アンセルがそう言うと、リリィは黙り込んだ。



「分かりました。

 では避難所の中でアンセルさまが迎えに来てくれるのをずっと待っています。」



「負けた場合は、俺は、死んでしまう。

 たとえダンジョンを守れても迎えになんかいけない。できない約束はしない。」



「アンセルさまは必ず迎えに来てくれます。

 ずっとリリィの側にいてくれます。リリィには分かるんです。

 リリィは誰よりもアンセルさまの事を感じています。

 だから迎えに来てくれると分かるんです。」

 リリィはそう言うとアンセルの口元に顔を近づけ始めた。


「ですから…今宵は…抱…」


「リリィ!」

 迫ってくるリリィの香りとその言葉を聞くと、アンセルは我慢できずにリリィをベッドに押し倒した。そのまま吸い寄せられるように柔らかい身体に覆いかぶさった。

 今夜はもう離したくない。

 そう思いながらリリィの手を握ると、ゆっくりと指と指を絡め合わせて柔らかな頬にキスをした。


「あっ…ん…」

 吐息を漏らしながら、リリィはゆっくりと目を瞑った。

 頬にキスをしながら徐々に首筋へとつたっていくと、リリィが体をくねらせた。綺麗な鎖骨の下にある柔らかい膨らみに手を伸ばし優しく服の上からさわると、それに合わせてリリィがシーツをギュッと掴み濡れた舌が開いた口から見え隠れした。


「あっ…んせ…まぁ…」

 少し高めの淫靡な声で名前を必死で呼ぼうとするのがたまらなかった。リリィの目は潤んで両腕をアンセルの首に絡めてきた。


「もっ…と……」

 懇願するかのような眼差しでアンセルを引き寄せると耳元で吐息をもらした。その言葉に応えるようにお互いの身体を絡ませながら雪のように白い身体を抱きしめて愛撫を続けると、リリィは眉間にシワを寄せながら湧き上がってくる快感に身体をよじらせた。漏れ出す声を我慢しようと口を塞ごうとするが、その手を握りしめてやめさせ、服の上から膨らみを優しく撫で回した。

 もっともっと鳴かせたい。

 もっともっと聞かせて欲しい。

 白くて柔らかい太腿を掴んで足を開かせてその間に腰をいれこむと、体が無意識に反応して熱くなった。リリィは腰をひいて逃げようとしたが、くびれを掴んで引き戻した。

 こんなにも…こんなにも欲しくてたまらない。リリィの全てを愛したくてたまらない。


 そう思いながらキスを重ねて、片手でボタンを外していき身体を隠していた服をやや乱れさせながら脱がせた。可愛らしい胸があらわになり、たまらずに顔を近づけていくと甘くていい香りがして優しい気持ちになった。

 半開きになったリリィの口からは喘ぎ声が切ないぐらいに漏れ、胸の膨らみの先端が弄られたことで大きくなり、まるで口に含んでと煽るように桜色になって主張をしていた。


 こんなに無垢で可愛いのに身体は男の誘い方を分かっていて、指の動きに合わせて体をくねらせることで、アンセルの体を燃え上がりそうなほどに刺激してきた。

 胸元につけた紅い跡が白い身体に映えていた。

 なぞり上げられて感じている箇所は熱を持ってヒクつき、アンセルの理性を溶かし、今にも押しいりたくなるような色香を漂わせていた。


 このままリリィと一つになれたら、どんなに満たされるだろうか


 工事も無事に終わった。もう夜だし皆んな寝ている。

 ならば別に悪い事ではないのでは?

 そもそも気持ちを確かめ合った2人が愛し合うという事は素晴らしい事なのではないのだろうか?

 と、今になってアンセルには思えてきた。



「アンセル…さま…お願いが……」

 目を瞑りながらリリィが恥ずかしそうに小さな声を出した。


「もう少ししたらアンセルさまと少し離れることになります。

 だから…その…温もりをしっかりと覚えておけるように…このまま…リリィを…抱き枕にしてください…」


 口付けをしようとしたが、その言葉で固まりアンセルはリリィの顔をただ見つめた。

 だき…まくら……?

 勢いに任せて最後までするつもりだったけれど、その言葉を聞くと急に冷静になって恥ずかしくなってきた。

 そうだった…俺自身も自分で決めてたのに…俺は一体何を…

 と、アンセルはようやく決意を思い出して少し苦々しい顔になった。


「お嫌ですか?」

 いつまでたっても答えないアンセルを不思議に思い、リリィはついに目を開けて寂しそうな顔をしながら言った。


「いや!全然!」


「ずっとアンセルさまをお慕いしていました。

 優しいアンセルさまが好きです。

 だから…もっと…さわって下さい。

 こうして一緒のベッドで寝る事はすごくいいと聞きました。」

 

 その言葉がアンセルの胸に突き刺さった。

 白くて清楚なものを汚そうとする自分が邪悪なものに思えて、乱れさせた服をなおしてから覆いかぶさるのをやめてゴロンと横になった。

 昂った感情を沈める為に目を閉じて切ない顔をしていると、リリィはその様子をジッと見てきた。


「やめちゃうん…ですか?」


「うん…。

 これ以上したら抱き枕ではなくなるから…な」

 と、アンセルは言葉を濁した。


「そうですか…。

 では…アンセルさまがよく眠れるように、おまじないをかけてあげます。」


「おまじない?」

 アンセルはその言葉にキョトンとした。


「いい子、いい子」

 リリィはそう言いながらアンセルの頭を撫で回し始めた。


「なんだよ、それ?

 俺は子供じゃないんだけどな。」

 と、アンセルは笑った。


 リリィが満足そうに自分の頭を撫で回しているのを見ると、これはこれで悪くないかもしれないなとアンセルは思った。


 そしてお互いに強く抱き締め合った。



「愛してるよ」

 アンセルはリリィを見つめながら言うと、リリィは嬉しそうに微笑んだ。


「リリィもアンセルさまを愛しています。」


 そのあたたかい体を腕の中で包み込み、やがて2人は心地良い眠りに落ちていった。


 愛する人を抱きしめて眠ることが、こんなに心が満たされるとは思っていなかった。

 これ以上の幸せと愛しさはなかった。

 リリィを愛している。

 この手でずっとリリィを守り抜きたいと、アンセルは己に誓った。





「アンセル様、失礼します。」

 そう言って寝室のドアをノックしてから入ってきたのはマーティスだった。マーティスは神妙な表情をしながらアンセルのベッドに近寄り、もう朝だというのに、まだ寝たままのアンセルを起こす為に布団を勢いよくどけたが、すぐに左側だけに布団をかけた。


「これは失礼。」


 失礼?何がだ…??

 アンセルは自分を見つめるマーティスを見ると目が悪戯に笑っていた。その目は俺を揶揄う時の目だという事がアンセルにはすぐに分かった。

 寝起きでぼんやりとしていたが、アンセルは腕が軽く痺れているのに気が付いた。その痺れている左腕に目を向けると、そこには自分の腕を腕枕にしながらスゥスゥとを寝ているリリィがいた。

 

「ちがうんだ!これは…これは…」

 アンセルは真っ赤になりながら、なぜか必死になって弁解しようとした。


「いえ、大事な事です。

 アンセル様もようやく分かりましたか。ずっと分からない方なのではないかと心配をしていました。

 奥手過ぎて、どうしたものかと思っていたのですが…。

 僕が心配するような事はなかったですね。今まで苦労しました。

 ようやく気持ちに気付かれて良かったです。見ている方が進展がなさ過ぎてモヤモヤしていました。悪魔とドラゴンのハーフですか。よいですね。」

 マーティスは笑いながらウンウンと頷いた。


「だから、ちがうんだって!本当に!」


「なにが、ちがうんですか?

 同じベッドで朝を迎えておいて。

 では悪戯にリリィを弄んだのですか?そんな酷い事ができる男だったとは…心底軽蔑しますよ。

 酷いですね。酷すぎて僕は悲しい気持ちになりました。

 ちがうとは、一体どういう事なんでしょうか?

 あんなに大切にしたいと言っておきながら。あんなに可愛いと言っておきながら。あんなにリリィの話を嬉しそうな顔をしながらしておきながら。あんなにデレデレしておきながら。」

 と、マーティスは急に大きな声で連呼した。


「いや…それは…その…」

 アンセルが恥ずかしくなってそれ以上の言葉を言えないでいると、マーティスの声でリリィが起き、モゾモゾと動く音がした。


「ひどいです、アンセルさま。

 昨日はあんなに優しく抱いてくれたのに。」

 リリィが布団から顔を出し悲しそうな表情で言った。


「ほっほぅ」

 マーティスはアンセルを見下ろしながらクスクスと笑っていた。


 なにが、ほっほぅだ。くそう!

 リリィもどこでそんな言葉を覚えやがった

 その言葉を吹き込んだと思われる男は目の前にいるけど

 と思いながらアンセルの顔は赤くなった。


「遊びだったん…ですね…?」

 と、リリィは呟いた。


「いや、それもちがう。遊びなんかじゃない。俺は真剣だ!

 けど抱いたんじゃなくて抱きしめたんだ。 

 まだ…その…」


「ひどい…。

 一緒に寝たのに…あんなに強く抱いてくれたのに…」


「なんと大胆な!」

 マーティスがまたアンセルを揶揄った。


「いや、だから…。

 押し倒したのは俺だけど…抱き締めたのも俺だけど…」


「アンセル様。女性にはもっと優しくせねばなりません。

 こんなに可愛い女の子を前にして、ついに気持ちを抑えられなくなったんですか?

 ずっと我慢されていたのに限界でしたか。

 仕方のない方ですね。」

 マーティスは大袈裟に溜息をついた。


「いや、誤解だって!」

 完全に俺がリリィをどう思っているのかをバラされ、さらに抱いたと思っている。抱き締めて、少しだけど…あの後もリリィの体の柔らかい部分を触っていたから、全くちがうとも言えないけど…

 と、アンセルが困った顔をしているとマーティスは笑い出した。


「これくらいにしておきましょうか。

 ずっと長い間モヤモヤしていましたからね。僕からの仕返しでした。一つ願いが叶って良かったです。」

 マーティスはそう言いながら、とても悪く尚且つ嬉しそうな目でアンセルを見て笑っていた。

 リリィも顔を赤らめながら、恥じらいながら笑っていた。





「アンセル様、ミノス様がお呼びです。」

 ひとしきり笑った後に、マーティスは急に真面目な顔をして言った。


「あっ、アンセルさまにまだ朝食を…」

 リリィはそう言ったが、マーティスは首を横に振った。


「今日は何も召し上がらなくて結構です。

 さぁ、行きましょう。」

 と、マーティスは言った。



 アンセルは起き上がり服を整えてからマーティスと共に部屋を出た。部屋の扉を閉めながらリリィを見ると、リリィは起き上がって赤い顔をしながら服の乱れをなおしていた。

 もう一度その姿をこの目に焼き付けておきたかった。

 守るべき愛しい女性の姿を。




「アンセル様」

 マーティスはアンセルの前を歩きながら真面目な声で言った。


「愛がダンジョンを救うなどという戯言を僕は言うつもりはありません。

 ましてや誰かを愛したこともなく愛することもできないこの身では、その尊い感情を感じることもできません。

 けれど一つだけ言えることがあります。

 その感情は大切です。絶対に失う事のないように。

 それは神が人間と生きる全ての者に与えた最も美しい感情だったのです。

 アンセル様にようやく分かっていただけて良かったです。何も深く考えすぎる事ではありません。誰かを愛おしく思い、その方を近くで感じて守り抜きたいと思うのは、自然でとても美しい感情ですから。アンセル様は愛することができる方です。愛しい女性を幸せにできる方です。

 あの御方に立ち向かう時に、アンセル様の心を揺るがぬように支えてくれるのはそういう感情だと僕は思っていました。

 多くの欲望にとらわれることもなく、大切な者が誰なのかを分かっておられれば、闇に飲み込まれようという時にも一条の光のようにアンセル様を照らしてくれるでしょう。

 僕が生涯味わうことのない素晴らしい感情なのでしょうね。

 友情は…あの日に絶望によって打ち砕かれてしまいましたから。」

 マーティスはそこまで言うと立ち止まり、アンセルを振り返った。


「けれど…その愛という感情があの御方を苦しめました。

 理解できぬ感情となりました。

 悲しい事に人間と関わるたびに信じられなくなったのです。

 その類稀なる美貌と絶大な力に魅せられた多くの女…いえ男ですらもあの御方を求めた為です。

 美しい感情であるはずのものが一部の人間の醜悪さを曝け出させて暴走させました。

 その事が、あの御方の怒りと憎しみをさらに増幅させました。

 どうして人間は1人の相手を愛し抜くことができぬのでしょうか…どうして裏切る事ができるのでしょうか…」


「マーティス?」


 マーティスはさらに強い眼差しをアンセルに向けた。



「僕が言わなくても分かっていると思いますが、もう一度だけ言わせて下さい。

 生命を奪うという事は恐ろしい。

 奪った者、奪われた者、その周囲の者達の人生を狂わせます。本来歩むべき道から大いに外れて、取り返しのつかない道を歩むこともあります。

 死んだ者は決して生き返りません。

 魔術では到底できませんし、それはかつての魔王…あの御方の力であってもなしえません。

 誰であってもできないのです。

 時を戻す事はできませんし、どんなに後悔してその名を呼んだとしても死んだ者は決してその目を開けることはありません。

 殺した者は一生その罪を背負って生きなければなりません。

 当然です。

 かけがえのない生命を奪ったのですから。

 2つの国の人々を死に至らしめた僕が言うのです。」

 マーティスの顔は青ざめ、その目が後悔と自らへの怒りで満ちていた。


「僕自身に関することなので、僕の口からアンセル様にお伝えいたします。

 これから施す魔術の中で、アンセル様は1人の無様な男を見るでしょう。

 特別な力を与えられていながら、その役割を放棄して何もせずに、ただ傍観し、多くの人間を死に至らしめました。

 白き杖を持った無様な男です。

 かつては聖職者とよばれていました。

 それが、かつての僕です。

 特別な力を持ち魔術を使える力を与えられていながら、傍観だけをした愚かな生き物。

 それが僕なんです。

 かつての魔王を狂わせ、この苦しい道に突き進ませた原因は僕でもあります。」



「マーティス…」

 アンセルは自らを責め続けるマーティスを見つめた。


「俺は…」

 その続きを言おうとしたアンセルをマーティスは遮った。


「アンセル様、どうか絶望することのないように。

 どれほど残酷で耐えがたい真実が待ち受けていようともそれに立ち向かい、美しい感情を忘れることのなきように。

 貴方は僕の希望の光です。」


 マーティスはそう言うと再び歩き出した。

 そしてミノスが待つ部屋の前で立ち止まると、アンセルに微笑みかけてから、その扉を勢いよく開けた。




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