第21話 見ていてくれる者



 あれから数日が経ったが、アンセルの剣の稽古に目立った変化はなく同じ事だけを繰り返していた。

 アンセルは稽古が終わると、椅子に座りながら傷口に薬を塗って何がいけなかったのかを考えるのだった。


(毎日…同じ事だけを繰り返している。何の変化も見られないし、全く上達していない。

 そもそも…まだ怖い。

 何かを変えなければいけないのに…何も進まないな。

 どうしたら…いいんだろう)

 と、アンセルはもどかしく思った。今までの稽古を振り返ったが、どんなに頭を捻っても良い方法は浮かばず、途方に暮れながら椅子にもたれかかった。


「いてっ!」

 アンセルは大きな声を上げ、背中も斬られていたことをようやく思い出した。

 今日は斬られすぎて麻痺状態となり、どこを斬られているのかすらよく分からない状態だった。


 アンセルは鏡の前に立ち背中の傷を確認しようとしたが、見ることすらも難しく、どうやっても自分では薬を塗れそうになかった。


(もっと…強くなりたい。

 こうならない為にも…力が欲しい。もっともっと…そう…絶大な…力が欲しい)

 アンセルは壁に立てかけている剣を見ながら激しく力を欲したが、寝室のドアをノックする音で我に返った。


「入ってもいいですか?」

 と、リリィの声がした。


「あっ…待って、俺が開けるから」

 アンセルは脱いでいたシャツを着てボタンを何箇所か急いでとめてから、ドアを開けた。


「どうした?何か用か?」

 と、アンセルは言った。


 胸元がはだけた服を見たリリィは頬を赤らめ、もじもじしながら口を開いた。


「薬を塗ってたんですか?

 よければ…その…背中に薬を塗りましょうか?手が届かないんじゃないかなと思って、心配になって来たんです」

 今日もリリィは自分の仕事を終わらせた後に、剣の稽古を見に来ていたのだった。


「そうか、ありがとう。 

 届かないから、どうしようかと考えていたんだよ」

 と、アンセルは嬉しそうに言った。

 リリィに薬の丸い箱を手渡すと、ボタンを外して勢いよくシャツを脱いで裸になった。


「アンセルさま!脱ぐ前に、何か一言ぐらい言って下さい!」

 と、リリィは顔を真っ赤にしながら言った。着ている白のワンピースとは対照的な色だった。


「なんだよ?前は、体を拭いてくれたのに」


「あの時はリリィが脱がせて、アンセルさまは寝てたからです!心の準備が…その…出来ていたからです!」

 リリィにそんな風に言われると、アンセルもこの状況を急に意識してしまうようになった。


「立ってたら…アンセルさまは大きいので塗りにくいです。

 ベッドに横になるか座ってもらった方が、リリィは塗りやすいです」

 リリィが突っ立ったままのアンセルにそう言った。


「あっ、そうだな。じゃあ…」

 アンセルはベッドの上で胡座をかくように座ると、リリィも静かにベッドに入ってきて、アンセルと向かい合って座った。


「後ろ…向いて下さい」

 リリィは少し上目遣いでアンセルを見ながら言った。

 ベッドの上でそんな風に見つめられると、アンセルは妙な色気を感じて変な気分になっていった。


「あっ、あぁ…背中だもんな」

 アンセルはそう言いながら、後ろを向いた。

 なんだかこの状況って…と思わないわけでもないが、慌てて頭からかき消した。


 リリィは背中の傷を見ると、思わず目を逸らした。

 震える手で丸い箱の蓋を開けると、人差し指にたっぷりと薬をつけてから、斬り裂かれた傷口に恐る恐る指を近づけていった。逞しくなった背中に濡れた指をおしつけると、上から下へとツッーっとなぞっていった。


「あっ…やめっ…」

 アンセルは自分でするのとはちがう感触にゾクゾクして、思わず声を出した。


「アンセルさま、どうしたんですか?

 痛いですか?」

 と、リリィはアンセルを気遣った。


「いや、その、ごめん…。こそばくて」

 アンセルは思わず声をあげてしまったことに赤面しながら、よく分からない返事をした。

 傷の手当をしてもらっているにもかかわらず、この状況にやや興奮して、リリィに背中を触られて感じてしまったなんて口が裂けても言えなかった。

 ましてや、ベッドの上である。濡れた指が自分の体に触れていると思うと、たまらない気持ちになっていた。


「もう…しょうがない方ですね」

 リリィは小さく溜息をつくと、ニヤリと笑った。


「では、もう一回してみます」

 リリィはアンセルが何か言う前に指に薬をたっぷりつけると、今度は時間をかけて濡れた指でゆっくりと背中をなぞった。

 アンセルは背中がゾクゾクとして、またもや変な声を出しながらのけぞると、リリィはクスクスと笑い出した。


「こんなに立派な背中になったのに、アンセルさまは面白いです!男の方の背中って感じなのに!」

 リリィは楽しそうに声を上げた。


 リリィは背後からアンセルの赤い顔を覗き込むと、イタズラっぽくニコニコした。

 アンセルはその表情を見ていると、自分も何かしてやろうと思い立ち、急に後ろを振り返った。びっくりしているリリィのユラユラ揺れている尻尾の先を、初めてギュッと掴んだ。


「あっ、やっ…んん…」

 リリィは甘い声を出して体をのけぞらすと、そのままアンセルにもたれかかってきた。


「アンセルさま…尻尾はダメです。本当にダメなんです…尻尾は握られてはいけないって言われて…」

 リリィはくすぐるような吐息をもらしながらアンセルにしがみつき、小さくて柔らかな身体を無防備に押しつけてきた。


「ダメなんだ?本当に?

 じゃあ、握らないようにはするよ。

 では、俺もお返しだ」

 アンセルはそう言うと、時間をかけて尻尾を優しく撫で回した。撫で回すほどに尻尾の先は柔らかくなっていき、それに合わせるように彼女の声は淫らになっていった。

 ベッドの上で甘い吐息を耳元で聞かされて、男は止められるはずもなかった。


「あ…あっ…らめっ…」

 リリィの切ない声と甘い香りが、どんどんアンセルの理性を溶かし始めた。その声色は、ダメとは程遠いものだった。

 リリィは膝に乗るような格好のまま耳元で喘ぎ声を出すと、首にギュッと手を回した。感じやすい場所なのか、撫でたりさすったりの愛撫を繰り返すうちに、細い腰を微かにくねらせ始めた。


「これ以上は…変な…気持ちに……やっ…んん…」

 リリィは切ない声を出したが、尻尾はもっと触ってくれと言わんばかりにくねくねと揺れていた。可愛い顔を歪ませながら、首を左右に振っては半開きの口で吐息を漏らした。

 尻尾の動きに合わせるように先端をせりあげると、リリィの身体が熱をもったように熱くなり、火照った身体を弓なりにのけぞらせた。


「やっ…やっ…んん…」

 リリィは初めての感覚に悶えながら、アンセルの体にしがみついて溶けそうなほどの嬌声を上げた。ハァハァと喘ぎながら脱力してアンセルにもたれかかり、細い腰は痙攣してガクガクと揺れていた。


(今のって…まさか…)

 アンセルも真っ赤になりながら、もたれかかってきたリリィの身体の熱を感じていた。彼女の身体は、しっとりと快楽に濡れていた。身体は汗ばみ、生地の薄い白のワンピースのせいで肌が透けて見え、柔らかな胸の感触が嫌でも伝わってくる。


 アンセルはたまらなくなって、リリィの火照った柔らかい身体を抱き締めた。あまりの気持ちよさに、我を忘れてしまいそうになった。

 ドキドキしながら視線を落とした先には、捲れ上がったスカートからほどよく肉のついた太腿が見えた。その美しい太腿も痙攣していて、その先はすでに蕩けてしまったのにまだ物足りないといわんばかりに、無意識に男を求めて足を絡め、中へ中へと誘いこもうとしてきた。


 アンセルはどうしたらいいのか分からずに部屋を見渡すと、目に映った鏡にはベッドの上で抱き合っている男と女の姿が映っていた。


 鏡に映るリリィは、これ以上はないほどに可愛いかった。

 透き通るような肌を紅潮させ、男に抱き締められながら絶頂の余韻に浸っているのだから。


 リリィは種族的な問題で小さいままだけど、そういうコトは大丈夫な年齢である。この状況で我慢するのもどうなのだろうかという良からぬ考えが浮かんだ。

 アンセルは体が熱くなってくるのを感じると、慌ててリリィから離れた。


「アンセル…さま…?リリィは…どう…したんでしょうか…?

 なんだか…すごく…気持ちが良くて…頭が…ボッーとしています」

 リリィはベッドに両手をつきながら、トロンとした上目遣いでアンセルを見つめた。

 四つん這いのような体勢で、汗ばんだ服が体にまとわりつくと、くびれた細い腰と丸い尻が強調された。服に隠されていた美しい身体が見えてくると、アンセルはその邪魔な服を全部脱がせて、漂う色香を感じたくなった。


「アンセル…さま…?」

 リリィが濡れた唇で、男の名前を呼んだ。

 もっと続きをして欲しいとねだっているように、アンセルには見えるようになっていた。


(俺も…男だ。

 これ以上はもう本当に無理だ…我慢が出来なくなる。

 でも…今は、これ以上したらダメだから!)

 アンセルはリリィに背を向けると、前屈みになりながら自らを落ち着かせた。

 こんなに性欲があるとは思わなかった。以前は、こんな事は全くなかったというのに。

 力を欲したり…いろんな欲望にまみれ始めたことに、アンセルは戸惑っていた。


「本当に…どうしたんでしょう…体が痺れています。

 ダメなのに…ダメなのに…」

 リリィはそう言ったが、尻尾の方はフリフリと揺れ続けていた。


「ごめん、ごめん」

 アンセルはそう言うと、体が一旦落ち着いたのを確認してから振り返った。

 リリィは紅潮した顔を見られないように両手で顔を隠すと、指の隙間からアンセルを見た。まだトロンとした目をしているリリィは可愛くて、寝室が彼女の優しい香りで溢れているようだった。



 すると、アンセルは急に声を上げて笑い出した。勇者が向かっていると知ってから、こんな風には笑えなかった。

 少し気持ちが穏やかになっていき、思い詰め過ぎていた心が軽くなっていくようだった。

 

「笑わないで…ください。恥ずかしい…です。

 リリィをこんな風にしたのは…アンセルさまなんですから…」

 リリィはゴロンとベッドの上に横になると、頬を膨らませた。


「ごめん。ごめん。

 他の男には…絶対に触らせるなよ。

 危険だからさ」

 アンセルはそう言うと、彼女の乱れた黒い髪を指に絡ませながらリリィの恥ずかしがる顔を覗き込んだ。リリィの膨らんだ頬を押すと、彼女もまたクスクスと笑った。


 こんな姿を見て、他の男が我慢出来るとは到底思えなかった。散々触っておいて、今更俺は何を言ってるんだろうと思わなくもなかったが、その権利が自分にはあるように思えた。


「誰にも触らせません。

 それに…リリィは…アンセルさまのですけど…」

 リリィはベッドの上で、アンセルにも聞こえないぐらいの小さな小さな声で言ったのだった。


 それからアンセルは尻尾を触るのは止めて、リリィの隣で同じようにゴロンと横になりながら冗談を言って笑い合っていた。

 久しぶりにとても楽しい時間を過ごせていたのだが、リリィは不意に黙り込むと真剣な目でアンセルを見つめた。


「剣の稽古の時間が、日に日に長くなりますね。

 ミノスさまも以前よりも気迫が増して、より一層力が入っているような気がします。

 アンセルさまが日に日に…強くなっているからですね。凄いことだと思います。

 体も…こんなに逞しくなられて…」

 リリィはそう言うと、隣で寝ているアンセルの逞しくなった胸板を見つめた。


 アンセルは斬られているだけだと思っていたので、リリィののその言葉をとても嬉しく感じた。

 自分では、そんな事は思いもしなかった。

 アンセルが嬉しそうにしていると、リリィは少し表情を曇らせた。


「でも、急に…こんなに逞しくなられると…リリィは少し心配になったりもします……」

 と、リリィは言った。


「どうして?」


「アンセルさまが、急に、別の誰かになってしまうような気がするんです。

 時々…アンセルさまから…」

 リリィは小さな声で、その続きを言おうとしたが、アンセルのキョトンとした顔を見ると黙り込んだ。


「ん?」


「いいえ…なんでもありません」


「なんだよ?」

 アンセルが笑うと、リリィは体を起こしてアンセルの瞳を覗き込んだ。


 アンセルの瞳には、自分を心配そうに見つめているリリィが映った。


「アンセルさま、苦しくないですか?

 苦しければ…いつでも…」

 リリィはアンセルの傷だらけの体を見ながら言った。

 傷跡は明日には消えているだろうが、その数は相当なものだった。


「いや、大丈夫だよ。もう慣れたよ、俺」

 と、アンセルは明るい声で言った。


(いや…慣れることなんてない。苦しい。

 しかし、リリィを不安にさせてはいけない。そう…弱さを見せてはいけないし、口にしてはいけない。

 リリィの言葉は嬉しいけれど、俺は強くならないといけない。言葉にすれば、以前の自分に戻ってしまう)

 と、アンセルは思っていた。


「そうですか…。アンセルさまは、強いです」

 リリィはそう言うと、アンセルに笑顔を見せた。


「リリィは応援しています。

 だから、ずっと…ずっと変わらないでいて下さいね」


「大丈夫だよ、リリィ。応援してくれてありがとう。

 このダンジョンは必ず守るから」

 アンセルは腕を伸ばすと、リリィの頭を優しく撫でたのだった。




 次の日、アンセルが18階層を茶色の袋を背負いながら走っていると、書庫から出てきたマーティスと出くわしたので思わず足を止めた。

 マーティスはアンセルの明るい顔を見ると、少しホッとしたような表情を浮かべてからニコリと笑った。


「アンセル様、元気そうで良かったです。昨日は傷だらけでしたからね。本当に…薬を渡しておいて良かったです。そうそう薬といえば…背中の傷はどうされたのですか?

 ちゃんと薬を塗れましたか?」

 マーティスは首を傾げながら聞いたが、アンセルにはこの感じは既に分かっている時の聞き方だとすぐに分かったのだった。


「そうそう、ちゃんと塗ったよ」

 アンセルが適当に答えると、マーティスは正直に言えとばかりにアンセルの前に立ちはだかった。


「背中に、ですか?器用な腕ですね。

 ご自分で塗ったとは…大変だったでしょう?

 僕なら…誰かに塗ってもらわないと無理ですね。アンセル様は体が柔らかいのですね…」

 マーティスはそう言うと、アンセルの背中に触れた。


「…塗ってもらったよ」

 と、アンセルはしぶしぶ答えた。


「誰にですか?」


「誰でも…いいだろう」


「誰でも、いいんですか?」

 と、マーティスはゆっくりと繰り返した。


「あぁ、くっそ!リリィにだよ!」

 アンセルが真っ赤な顔で言うと、マーティスはニヤニヤした笑みを浮かべた。


「ほっほぅ」


(何がほっほぅだ、このヤロウ)

 と、アンセルは思った。


「リリィは純粋ですし、素直で可愛いですよね。僕とは違って黒いところはありませんし。

 アンセル様もそうなので、お似合いですね。

 リリィのことが好きなのですか?」


「俺を揶揄うなよ!

 塗ってもらって、その後は喋ってただけだ。

 それに好きとかよく分からん。可愛いし大切にしたいとは思うけど…」

 アンセルはそう言ったが、昨日のリリィを思い出して顔をさらに真っ赤にさせていた。


「そうですか。あまり深く考えることではないと思いますけど。大切にしたいと思うのは、そういうことだと思いますよ。

 その気持ちは、アンセル様の場合は大切にされた方がいいです。生涯…分からぬ者もいますから」

 マーティスはそう言うと、アンセルの背中から手を離した。

 その手をしばらく見つめてから、マーティスは少し嬉しそうに笑ったが、アンセルの方にまた目を向けると真面目な顔になった。


「気持ちを張り詰め過ぎるのはよくありません。

 心がそれだけに囚われて、自分を見失うことにもなります。

 今のアンセル様は魔王としての責任を果たすため、全てを抱え込もうされている。本来は真面目すぎる性格と、仲間を思う優しさのせいなのでしょう。

 それは強みでもあり、時として弱みともなります。

 しかし孤独ではないのです。僕たちがいます。

 今、20階層に出入りが出来る者たちを頼って下さい。頼られることは嬉しいことですから。それはアンセル様が、僕たちに悩みを打ち明けてもいいと…信頼してくれているからですし。話を聞いてくれない相手には、誰も心の内は明かさないものです。

 そう…皆んなで乗り越えていきましょう。あまり思い詰め過ぎないように。

 まぁ、この状況では難しいでしょうが…」

 マーティスはそう言うと、アンセルの瞳の奥を探るようにじっと見つめたのだった。

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