第20話 稽古と魔術


 アンセルは日が経つにつれてトレーニングが苦にならなくなり、体が逞しくなっていくことにも喜びを感じるようになっていた。茶色の袋を背負って歩くことにも慣れてきて、もう少ししたら走れそうなほどだった。

 しかし剣の稽古は数日経とうが、地獄のようだった。稽古中は心身ともに限界まで追い込まれ、気を抜いたら斬られてしまうという命懸けの時間だった。

 この手で仲間を守りたいという思いだけが、アンセルに剣を握らせていた。


 今も少しでも上手になろうと素振りに励んでいたが、アンセルはふと広場の高い天井を見上げた。


(いつかは…乗り越えられるのだろうか?

 いや、乗り越えないといけないんだ。

 まだ、弓もある。弓の稽古は…始まってもいないのだから)

 アンセルはそう思うと、右手を見つめた。

 指の先端が弓に触れた瞬間、体に凄まじい電流のようなものが走ったのを思い出した。体が拒否反応を示し、弓を掴めもしなかった。


(あの弓で、片目を射抜かれたからだろうか?

 でも…なぜ俺の体が、あれほど激しく拒絶したのだろうか?

 その血が流れているとしても…何かが…変だった。

 俺の中に『かのお方』の…あの時の恐怖…或いは憎しみが流れているとでもいうのだろうか?

 俺は一体…どうなっていくのだろう?)

 アンセルが難しい顔をしながら考え込んでいると、広場の扉が開く音がして、ミノスとマーティスが現れた。


「アンセル様、稽古を始めましょう」

 と、ミノスは言った。


 アンセルはその事について考えるのは止めて、今から始まる剣の稽古に意識を集中することにした。


 マーティスがアンセルに魔術を施し、向き合って構えると剣の稽古が始まった。アンセルはミノスの剣をひたすら防いだが、今日のミノスはアンセルの構えたところに振り下ろすだけではなかった。数回に一度は構えているところと違うところに剣を振り下ろしてくるようになり、その度にアンセルは急いで剣を動かした。

 アンセルが間に合わないと、ミノスは容赦なく斬りつけてきた。鎖帷子を着てマーティスの魔術が施されていても、体は痛くなり服は破れて鎖帷子にもどんどん傷がついていった。

 

 マーティスは白き杖を右手に持って、アンセルの様子を壁にもたれながら見ていた。  


 アンセルの瞳には恐怖の色が浮かび大粒の汗を流して呼吸も激しくなっていったが、ミノスは疲れをみせることもなく剣を振り下ろし続けた。

 剣と剣がぶつかり合う金属音と自らを奮い立たせるアンセルの雄叫びが響き渡っていたが、不意に広場の扉が少しだけ開く音がした。

 アンセルは全く気付かなかったが、覗いている者の気配に気付いたマーティスが歩いて行き、広場の扉を大きく開けた。


 そこにいたのは、リリィだった。

 リリィは苦笑いをしながら慌てて去って行こうとしたが、マーティスはニコリと微笑んでから彼女を引き留めた。

 リリィの姿を見たミノスは剣を振り下ろすのを止めると、アンセルを右足で蹴り上げた。吹っ飛ばされたアンセルは鈍い音を立てながら壁にぶち当たった。

 その姿を見たリリィは驚いて、その場にペタリと座り込んだ。


「そこで何をしているのですか?」

 ミノスは剣を鞘に納めると、リリィに近づいて行った。


 リリィは何も答えることなく、ビクリと体を震せた。

 ミノスはリリィの怯えた様子を見ると、少し表情を緩めてからまた話しかけた。


「怒ってなどいません。

 昨日も、そうやって覗いていましたね」

 ミノスは座り込んだままのリリィに手を差し出すと、リリィは不安な表情をしながらもその手を握って立ち上がった。


「どうして覗いていたのですか?」

 と、ミノスは言った。


「あの…アンセルさまの…稽古の様子が気になりまして。

 鎖帷子が…ちゃんとアンセルさまを守れているのかも知りたくて…見てました。すみません…」

 と、リリィは泣き出しそうな声で言った。


「鎖帷子は、ちゃんとアンセル様の体を守っていますよ。

 今日、やらねばならない事は終わったのですか?」

 と、ミノスは言った。


「終わり…ました。

 20階層の廊下の掃除も…夕食の下準備も出来ています。

 昨日言われた…アンセルさまの新しい鎖帷子も寝室においておきました」


「なら、いいでしょう。

 そんな所で見るのは止めて、マーティスの側で見ていなさい。何をしているのか気になって、私も集中できません。

 マーティスも、それでいいですね?」

 ミノスはそう言うと、マーティスの顔を見た。


「はい、僕も構いませんよ。

 さぁ、リリィ、僕と一緒にいましょう。

 僕の側にいれば、危ないことはありませんから」

 と、マーティスは言った。リリィを連れてまた先程の壁のところまで戻って行くと、マーティスはリリィを守るように一歩前に進み出た。


「アンセル様、休憩は終わりです!

 さぁ、ここまで走って来なさい!」

 ミノスは再び剣を抜くと、広場の中央まで来るように大声を上げた。


(無茶…言いやがる)

 アンセルは壁に手をつきながらヨロヨロと立ち上がると、口から流れている血を拭ってから転がっている剣を拾いあげた。

 倒れ込んでいる時間が長いと立ち上がれなくなるし、リリィにはこれ以上無様な姿は見られたくないとも思った。

 体はズキズキと痛んだが、アンセルは体を屈めながら一歩を踏み出しヨロヨロと走って行った。


 再び剣の稽古が始まると、リリィは両手で顔を覆って指の隙間からアンセルの様子を恐る恐る見ているのだった。

 ミノスはリリィが見ているからといって、手加減することはなかった。


 アンセルの剣を握る腕はどんどん重たくなっていき、肩で激しく息をするようになった。

 どんどん振り下ろされる剣を防げなくなっていき、耳を塞ぎたくなるような嫌な音を上げながら鎖帷子が斬り裂かれると、ついにアンセルの腹からも真っ赤な血が流れ出した。

 この剣は、やはり恐るべき威力があるのだろう。

 体力を使い果たしたことで気力も弱まり魔術の効果も薄れてしまい、鎖帷子は数日で使い物にならなくなった。


「今日は、ここまでにしましょう。

 剣の手入れも怠らないように。

 防げなかったことに拘るのではなく、そこに何か理由がなかったかを考えて下さい。

 戦いになった時に備えて、相手の戦意を喪失させれるように剣を奪えるぐらいになりましょう」

 と、ミノスは言った。


「はい、ありがとうございました」

 アンセルは腹の痛みに耐えながら言った。

 いつも以上にボロボロの姿だったが、なんとか立っていられたのはリリィに見られているのもあったからかもしれない。


 マーティスが丸い箱を持ってアンセルに近づいて来ると、リリィも真っ青な顔をしながらその後ろを付いて来た。


「この箱の中に、塗り薬が入っています。

 斬られた部分に塗ると傷口がふさがり、明日には傷跡も消えているでしょう。塗らねば化膿しますので、その日のうちに塗って下さい。薬を塗れば、痛みは消えはしませんが、少しはマシになるでしょう。

 今日は大丈夫そうですが、もし背中など自分では塗れないところを斬られたら、誰かに塗ってもらうといいでしょう。僕は忙しいので出来ませんから」

 マーティスはそう言うと、アンセルに丸い箱を手渡した。


「あぁ…ありがとう」

 と、アンセルは言った。どんどん痛みはひどくなり、腹から流れる血を見ているとクラクラし始めた。


「リリィ、明日も広場で見てもらって構いませんからね。もちろん自分の仕事を終わらせた後で、ですが。

 アンセル様もその方がよろしいでしょう?」

 マーティスはそう言うと、アンセルの顔を見た。


「あぁ…そうだな」

 と、アンセルは小さな声で言った。

 その言葉の意味はよく分からなかったが、立っているのも苦しくなってきたので、一刻も早く部屋に戻りたかった。


「では、部屋で休んで下さい。体力を回復させる為に、少し寝た方がいいでしょう。

 夕食をとってから、僕の魔術を始めましょう。

 そうですね…20時頃に行きます。

 リリィ、魔術は大変危険ですので、何があっても覗くようなことはしてはいけませんよ。

 部屋の鍵もかけておきますから」

 マーティスがそう言うと、リリィはアルセルを不安そうな目で見ながら首を縦に振ったのだった。


 アンセルは腹を抑えながら、ヨロヨロと広場を出て行った。壁に手をつきながら廊下を歩き、やっとの思いで部屋に戻ると崩れ落ちるように椅子に座った。

 何度か大きく息を吐いてから、意識がなくなってしまう前に薬の蓋を開けた。ジェル状の薬を傷口に塗ってみるとヒンヤリとした感触がして、すぐにふさがっていった。

 痛みは少しマシになったが、マーティスが言った通り完全には消えなかった。

 しかし、この痛みは、自分が勇者に殺された時に仲間も味わうことになるかもしれない。


(この痛みは…俺だけが感じるものでないといけない。

 もっと力をつけて…絶対に…勝たねばならない)

 アンセルはそう思うと、血の臭いのする体を綺麗に洗うことにした。血を、早く洗い流したかった。

 血の臭いを嗅いでいると、少し妙な気持ちになり、心の奥がざわめいて両腕が震えるのだった。

 アンセルは不思議に思ったが、夕食の時間になるまで眠りにつくことにしたのだった。






 魔術をする時間になると、アンセルは上半身裸になったまま部屋の床に座って待つことにした。


 マーティスは部屋に入ってくるなり、上半身既に裸のアンセルを見ると不思議そうな顔をしたが、その理由を理解したのかクスリと笑ったのだった。


「今日は準備がいいですね。僕に脱がされるのが嫌でしたか。まぁ、僕もアンセル様の服を脱がしても何も楽しくないですから。

 では、始めましょうか」

 と、マーティスは少し笑いながら言った。


 アンセルが床に仰向けに寝転がると、マーティスが腰よりやや下に座り込み、ミノスが両腕を押さえ込んだ。

 アンセルが目を閉じると、マーティスが白き杖を使って魔法陣を描いた。アンセルの体がガタガタと激しく震え出すと、また心臓を何者かに掴まれたかのような苦しさと凄まじい痛みに襲われ、真っ黒な穴の中に引きずり込まれていった。


 前回と同様に足音が聞こえその数が減っていくと、大きな声と悲鳴が上がったのだった。激しい憎しみが渦を巻き、失意と心を狂わせるような悲しみが、この空間を埋め尽くした。そこまでは、以前と一緒だった。

 しかし、今日は新たなものを見た。

 剣を掲げる男の姿を、うっすらと見たのだった。

 その男は二刀流で、勇猛果敢に剣を掲げているようにアンセルには見えた。男の剣には見覚えがあり、先程までアンセルが握っていた剣だった。

 男は、剣の勇者で間違いないだろう。

 剣の勇者は激しく「何か」と戦っていた。その「何か」は凄まじく、真っ黒な力で溢れているようだった。

 しかし、今のアンセルの力では、その「何か」を見るのは不可能だった。


 アンセルが目を凝らしていると、ある瞳がこちらを向いた。

 その瞳は、闇の中でも、アンセルをとらえたようだった。


 その瞳は、少し微笑んだ。


 途端にアンセルの心は高鳴り、もっとその瞳に見つめられたいと思った。底知れぬほどの魅力を持ったその瞳がアンセルの心に迫ろうとした瞬間、炎が目の前に広がっていった。


「アンセル様、目を開けて下さい!」

 マーティスの大きな声で、アンセルは目を開けた。口から泡をふくことはなかったが、喉がカラカラに渇いていた。


「何か見えましたか?」

 マーティスはアンセルの両手を握り締めながら言った。その手は少し冷たく、現実を思い出させ、炎を感じて熱くなっていた心が少し落ち着いていった。


「前よりも…少しだけ見えた。

 剣の勇者と…そう…瞳だ。

 剣の勇者の瞳なのかは分からないが…とっても綺麗だった。あの瞳に…もっと見つめられたくなった。

 すごく…美しかったんだ」

 アンセルはうっとりとした声を出し、その瞳を見つけようとするかのようにキョロキョロと辺りを見渡した。


 しかしアンセルの目に映るのは、マーティスの琥珀色の瞳だけだった。


「えぇ…そうですか。

 いつか…全てを見ることになるでしょう。

 アンセル様、少し混乱されていますね。

 ゆっくりお休みになられて下さい」

 マーティスはそう言うと、アンセルを抱き上げて寝室に連れて行き、そっとベッドに寝かせた。すぐに寝息を立て始めたが、指はピクピクと動いていた。


 マーティスはその手を握ると、祈るように跪き、低い声で詠唱を始めた。ミノスは不安げな表情で、アンセルの寝顔を見つめてから、その場を後にしたのだった。





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