第7話 始まり
「僕もアンセル様と一緒に戦います。
共に仲間を守り、勇者に真実を思い知らせてやりましょう。歪んだ世界は、今度こそ正さなければなりません。
それを魔物が教えてやるのです。
えぇ、今度こそ、暗い世界に光をもたらすのです」
と、マーティスは琥珀色の瞳を光らせながら言った。
「そうだ!そうだ!
勇者に思い知らせてやろう!」
トールとオルガはマーティスの言葉に合わせるように言った。戦うという道をとった彼等には迷いはなかった。それは彼等もダンジョンを愛し、仲間を愛しているからだろう。
今となってはアンセルよりも、トールとオルガの気持ちの方が強いように感じられた。
(またビクビクし始めたら、マーティスに蛙に変えられてしまうかもしれないな…)
アンセルはそう思うと、テーブルの下でピクピクと動く腕を押さえつけた。
(策がないわけじゃない…何も考えずに全てを頼ろうとしたわけじゃない。
何もせずにゴロゴロするばかりだったけど、マーティスの書庫から本を借りて読むのも好きだったから、そこから得た知識の中から使えそうなものをしぼりだしたんだ。
仲間に戦わせる気など最初から俺にもなかったし、平和に生きてきた仲間が屈強な騎士である勇者と戦えるはずなんてないんだから)
アンセルは声が震えないように願いながら、マーティスを見た。
「策は考えている。
けれど、それを話す前にマーティスに頼みたいことがある。
水晶玉を使って、勇者達が今いる場所と最果ての森に着くまでの日数を、大体でもいいから分からないだろうか?
俺の考えた策は、時間がかかるから」
と、アンセルは言った。
「水晶玉で…ですか。
僕は外に出たことがないので、なかなか難しいですが、やってみましょう。
ただし時間がかかります。今すぐには無理です。
場所を特定するには水晶玉に映し出されるあらゆる景色から導き出さねばなりませんから。
説明する為の地図も必要になります。以前、アンセル様から水晶玉をお借りした時に大まかな地図を作ったことがありますので、それに少し修正を加えればなんとかなりましょう。
こんな形で役に立つ日が来るとは思いませんでした。
では、水晶玉をお借りしますね。僕は先に18階層に戻りますので、これにて失礼します。
明日の昼頃には出来ていると思います」
と、マーティスは言った。
「ありがとう。
では、明日の14時からまた会議を開くとしよう」
アンセルがそう言うと、マーティスはアンセルにお辞儀をしてから水晶玉を抱えて広場を出て行った。
「皆んなも、それぞれの階層に戻ってくれ。
今日は、ありがとう。
明日またマーティスの予想を聞いてから話をするから」
と、アンセルは言った。
「分かりました!」
オルガとトールは大きな声で言うと、椅子から元気よく立ち上がった。
「絶対に他言してはならぬぞ。
アンセル様の策を聞き、私達の対応を決定してからだ。よいな?」
ミノスがそう言うと、彼等は大きく頷いた。
アンセルを尊敬のこもった眼差しで見つめ、深々とお辞儀をしてから仲良く連れ立って広場を出て行った。
アンセルは優しいだけの男ではなく、いざとなったら頼り甲斐のある魔王だと信じているようだった。
足音が聞こえなくなると、アンセルは大きく息を吐いてから力が抜けたかのように椅子にダランと腰掛けた。
目を閉じると、迫ってくる勇者の姿が浮かんだ。剣が振り下ろされる瞬間を思い浮かべると身震いし、両腕の震えが止まらなくなった。
アンセルが悪魔にうなされている小さな子供のように怯えていると、大きくて力強い手が震えている両腕にそっと置かれた。
「アンセル様が仲間を大切に思っておられて嬉しかったです。それがなければ先程の言葉は出てこなかったでしょう。私も何か良い方法がないか考えてみます。
アンセル様の言動によって、希望となるか絶望となるかが決まるのです。
どうか、今後の振る舞いにはお気をつけ下さい。
長く苦しい日々が続きますが、アンセル様は必ず強くなられます。アンセル様、自信と誇りをお持ち下さい」
ミノスがそう言うと、アンセルは目を開けた。
アンセルを真っ直ぐに見つめる赤い瞳は19階層主としてだけではなく、父が息子を見るような励ましと温もりが込もった瞳だった。
「私達は、アンセル様と共に戦う覚悟は出来ております。マーティスと、ここにいる者達が、アンセル様を全力で支えます。
では、楽しみにしております。
また一つ成長した姿をお見せ下さい」
ミノスはそう言うと、アンセルに背を向けて歩き出した。その後ろ姿は堂々としていて、崩れかかりながら椅子に座っているアンセルには遠く感じられた。
アンセルはヨロヨロと立ち上がると、背中が丸くなったままミノスの後ろ姿を眺めていたのだった。
「アンセルさま?大丈夫ですか?」
リリィはそう言うと、アンセルの服の袖を引っ張った。
「あ…うん。大丈夫だよ」
アンセルはそう言ったが、その可愛い瞳に映るのは自信なさげで吹けば飛ぶような男だった。
(今から俺は変わらなければならない。リリィにも弱さを見せてはいけないということなんだろう?
俺が守らないといけないんだから)
先程感じた手は力強く、震えている今の自分では何も守れないとアンセルは強く感じた。見送った背中も堂々としていたと思うと、アンセルは姿勢を正した。
「大丈夫だよ。俺が、なんとかするからさ。
俺も戻るから、リリィも戻ってくれていいよ。
今日は飯もいらないから。寝ずに、頑張るよ」
アンセルはそう言うと、リリィが答えるよりも先に背中を向けて歩き出した。
その背中は背負ってしまった責任の重さで今にも押しつぶされてしまいそうにリリィには見えた。広場に残されたリリィは黙ったまま曲がったような背中を見つめていた。
*
アンセルがベッドの上で胡座をかきながら、あれこれと思案していると、誰かがドアをノックする音が聞こえた。
「リリィです。
すみません…入ってもよろしいでしょうか?」
「ちょっと待って…。あっ…いいよ」
アンセルがそう言ってベッドから出ると、リリィがドアを少し開けてアンセルの様子を伺った。
「どうした?」
と、アンセルは聞いた。
「いらないって言われたんですけど、軽食をご用意しました。
ちゃんと食べないと脳に栄養がいかないです。
それに…リリィが大切に食べているクッキーも…特別にあげちゃいます」
と、リリィが赤い顔をしながら言った。
その照れたような表情が可愛いくて、アンセルは緊張が和らいで少し笑うことが出来た。
「ありがとう、リリィ。
そんな所にいないで入ってくれていいから。そこのテーブルに置いておいて」
アンセルがそう言うと、リリィは静かに入ってきた。リリィはお盆をテーブルの上にゆっくりと置くと、青ざめた顔をしているアンセルのことを心配そうに見た。
「アンセルさま、ちゃんと睡眠をとった方がいいですよ。
寝ないと…いい考えも思いつきません」
リリィがそう言うと、アンセルは鏡に目を向けた。
その鏡に映っている顔はひどく疲れ果てていて、焦りと恐怖を抱いている男のように見えた。
「そうだな…。
こんな顔をオルガとトールに見せたら、また不安にさせるだけだな。
これ以上考えてもロクな考えは浮かばないだろうから寝るよ。ありがとう」
アンセルがそう言うと、リリィは笑顔を見せた。
「おやすみなさい、アンセルさま」
リリィが部屋から出ると、アンセルはクッキーに手を伸ばした。クッキーの形は少し歪だったが、味はこの上なく美味しかった。
「甘いな」
と、アンセルは呟いた。
(この幸せな日々を…失いたくない)
なんとしても守らねばならないと、アンセルは強く思った。
永遠に続くと思っていた幸せな日常が、こんな形で揺らぐとは夢にも思っていなかった。
あまりにも唐突で理不尽ではあったが、これはこの世界の悲しい真実を知る全ての始まりに過ぎなかったのだった。
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