第8話 戦い方 上
次の日、アンセルが広場の扉を開けると、マーティス以外の階層主は既に集まっていた。椅子に座りながら待っているトールとオルガは少しソワソワしていて、ミノスは腕組みをしながら目を閉じていた。
重厚な広場の扉が開いた音で彼等は椅子から立ち上がると、アンセルに向かってそれぞれ挨拶をした。
マーティスは時間に遅れたことはなかったのに、約束の時間を過ぎても現れなかった。
トールとオルガがせわしなく時計を気にし出すと、リリィがハーブティーをテーブルの上に置いていった。甘くて爽やかな香りが広がると、リリィは口を開いた。
「このハーブティー、とっても美味しいんです。
リリィのオススメです」
リリィは嫌な雰囲気を少しでも和らげようと明るい声を出したが、誰も飲もうとはしなかった。
「あの…その…すみません…」
リリィは余計な事をしてしまったかなと思うと、少し悲しそうな顔をしながらトコトコと離れて行った。
時計の針の進む音が、アンセルの耳に異様な大きさで響いた。次第にアンセルの心臓の音と重なり、時計の針が進むたびに胸が苦しくなっていった。
(無理…だったのだろうか?
俺の考えた策は準備に時間がかかるから、どうしても知りたいのに。仲間を守れるように…)
アンセルが祈りながらマーティスが来るのを待っていると、一時間が過ぎた頃にようやく広場の扉が開いた。
アンセルが顔を上げると、マーティスが水晶玉と大きな紙を持って広場へと入って来た。
「遅れてしまい申し訳ございません」
マーティスが明るい声で言ったので、アンセルはほっと胸を撫で下ろした。
「大丈夫だ。
その様子なら、勇者達のいる場所が分かったようだな」
と、アンセルは言った。
「もちろんでございます。
こちらが外の世界を平面上にあらわした地図です。この地図を使って、ご説明致します」
マーティスはそう言うと、水晶玉と大きな紙をテーブルの上に広げた。
アンセル達が地図を見ると、マーティスはペンを手にしながら説明を始めた。
「この世界は、2つの大陸で出来ています。南北に分かれた2つの大陸です。かつては狭い陸地があり南北は接続していましたが、何かが起こって、その陸地は消えてしまったようです。
北にあるのが、人間の住む大陸です。
海を隔てて南にあるのが、最果ての森の大陸です。そう…僕達がいる大陸です。大陸の全てが森で、このダンジョンが何処かにあり、人間は誰も住んでいません。
人間が住む大陸は、3つの国で出来ています。
一番上に位置しているのがオラリオン王国、真ん中に位置しているのがゲベート王国、一番下に位置しているのがソニオ王国です。
アンセル様が仰っていた聖なる泉は、オラリオン王国とゲベート王国の国境に位置している美しい泉です」
マーティスはそう言うと、オラリオンとゲベートの国境に位置している泉をペンで囲った。
するとアンセルは水晶玉でリリィと一緒に見たことがある美しい泉を思い出した。素晴らしい景色をいくつも見てきたが、聖なる泉の美しさは格別だった。
アクアマリンの水面は清らかに澄み渡っていて、聖なる泉を守るように木々が空高く聳え立っていた。眩しい太陽の光が水面をキラキラと輝かせ、清らかな風で水面が揺れる音が、水晶玉からでも聞こえてくるようだった。
夜の月明かりに照らされたアクアマリンの水面はあまりに神々しく、忘れることが出来ないほどだった。
「陸地がないのなら…勇者はどうやって来るのだろう?
船かな?」
と、アンセルは言った。
「こちらの大陸に来る方法は、一つしかありません。
三日月の夜にだけ現れる「陸橋」を渡ることです。
ソニオ王国の最南端の海岸に数時間だけ自然に現れる陸橋が、2つの大陸を結びます。その橋を歩いて渡らねばならず、船では決してくることが出来ません。
なぜなら、この海域には凄まじい生き物が潜んでいます。
その生き物は、陸橋を渡る者を選びます。そう…人間を喰らう恐ろしい生き物です」
マーティスはそこまで説明すると、アンセルの顔をちらりと見た。
「恐ろしい…生き物か…」
アンセルはそう呟きながら、2つの大陸を見つめていた。
人間が住む大陸の方が大きかったが、最果ての森の大陸もその半分以上の面積があった。
人間の国があってもおかしくないくらいの面積があったが、そんな生き物がいるから人間はこちらに来ることもなく、緑豊かな森となったのだろうなとアンセルは思っているところだった。
「分かった…続けてくれ」
アンセルがそう言うと、マーティスはゲベートの東に位置している孤島をペンで囲った。
「勇者達は《最後の聖職者》といわれる者が住んでいたこの孤島に集められ、旅の成功を祈願する儀式を受けました。
『かつての勇者が通った道を辿るよう神の啓示があった』と国王達は口を揃えて言い、勇者一行に同じ道を辿るように命令したようです。
その後、ゲベートの港に降り立ち、馬に乗って出発したようです。
ソニオは国土も広く、かつての勇者が通った道を辿るのならば、どんなに馬を飛ばしても最南端の海岸に着くまでには2ヶ月はかかると思います。
三日月の夜にしか陸橋は現れませんし、最果ての森についてダンジョンを見つけるには羅針盤を使っても時間がかかるでしょう」
と、マーティスは言った。
予想した以上に勇者がノロノロと向かっていることに驚いたが、こちらとしても時間はあればあるほどいいので、アンセルはそのノロノロに感謝した。
「分かった!ありがとう!」
アンセルは心から御礼を言うと、階層主達の顔をゆっくりと見渡した。
「俺が考えた策について、説明しよう。
それは、勇者を精神的にも肉体的にも疲弊させる作戦だ。
その為に、ダンジョンを作り変えたい。
今よりもさらに長く複雑に入り組んだ迷宮にして、20階層に着くまでに多くの気力と体力を使わせたい。
1分1秒でも歩みを遅らせたいから、勇者達がダンジョンの封印を解除しようとした時には、20階層以外の灯りは全て消すつもりだ。
そうして果てしなく続く、先の見えないダンジョンを歩かせる。暗闇の中では不安感が増し、肉体的にも精神的にも大きな負担となるだろう。食料だってもたないだろうし、腹が減って疲れ切った状態では十分な戦いが出来なくなる。
そうすれば勇者といえども100%の力は出せないだろうから、
そこに勝機が見える。20階層で俺は何としても話が出来る状況に持ち込んで、勇者を説得する。
魔物は変わり、人間の世界の異変の原因は俺達ではなく、今後も人間を襲わないということを証明してみせる。
俺は何としても勝ってみせる」
と、アンセルは言った。
どうやって対話に持ち込むのかは全く考えていなかったが、なんとしても勇者の力を弱めさせたかった。
「では仲間をどうするのかだが、新たに避難所を作り、勇者達が近くまで迫ってきたら、そこに入ってもらおうと思っている。
俺は仲間に武器を持たせて戦わせるつもりはない。
皆んな、このダンジョンで平和に暮らしてきた。戦い方なんて分からない者達に武器を持たせて、強制的に戦わせるなんてことはしたくない。
今からみっちり稽古したところで、騎士である勇者に敵うはずなどない。束になって勇者を取り押さようとしても出来ないだろうし、そんな事をしたら攻撃しようとしたものと見なされて殺されてしまうだろう。
勇者達は魔物がいないことを奇妙に思うかもしれないが、彼等の最も重要な任務は20階層のクリスタルを破壊することだ。
それを果たさないうちは暗闇のダンジョンをあちこち歩き回って魔物を探そうとしたり、自ら危険に突っ込んでいくようなことはしないと思う。
オルガとトールを呼んだのは、この為だ。
トールには避難所を最優先で作り、その後でダンジョンを広げる工事の指揮をとってもらいたい。
オルガは食料の備蓄の準備をして欲しい。
全ての業務を停止させ、ミノスとマーティス以外の全ての者達に手伝ってもらおうと思っている。
俺は魔王だ。俺が勇者と戦う。
今こそ魔王としての役割を果たす時だと思っている。
その役割とは、仲間の生命を守ることだ」
と、アンセルは力を込めながら言った。誰も死なせたくないという気持ちは強かった。
策とはいえないかもしれないが、勇者が来るのを何もせずに待つなんて出来ない。これ以外の方法は考えられなかった。
(今回の戦いは、勇者を殺すことが目的じゃない。
俺達が危険で野蛮な魔物じゃないと分かってもらう為の戦いだ。
絶対に殺してはいけないし、誰も殺されてはいけない。
だから肉体的にも精神的にも疲れさせて、なんとかして話が出来る状態に持っていきたい。
こんなに上手くはいかないだろうが、仲間を巻き込みたくないだ。
もしもの時を考えて…そう…時間を作っておきたい。
時間を…仲間の生命を守れる…時間を)
と、アンセルは心の中で何度もそう繰り返していた。
「私達は、いかがいたしましょうか?」
と、ミノスが口を開いた。
「ミノスさんには俺が勇者と対等に戦える力をつけられるように、特訓をして欲しいんだ。
マーティスには引き続き水晶玉を使い、勇者達のことを調べてもらいたい。どこまで進んでいるのかはもちろんだが…彼等が何を考えているのかも。
そして…俺と共に20階層で戦ってもらいたい。その生命を俺に預けて欲しい。
俺と共に仲間を守る為の力となってもらいたい」
アンセルはミノスとマーティスの顔を見ながら言った。
「仰せのままに」
と、ミノスは言った。
「もちろん、そのつもりでしたよ」
マーティスはそう言うと、アンセルに微笑みかけた。
「ありがとう」
アンセルはそう言うと、オルガとトールに目を向けた。
「オルガとトールは、避難所に入ってくれ。
もし…最悪の事態に陥りそうになったら、避難所にいる皆んなにはダンジョンから出て森へと逃げてもらおうと思っている。出口は…開いているから。
勇者達は20階層にいるから、時間は十分にあるだろう。
もし俺が殺されてクリスタルが破壊されれば、魔物を全滅させる為にダンジョンに火を放つかもしれない。
そこまでしなくても、なんらかの方法で内部は破壊されるだろう」
アンセルがそう言うと、オルガとトールは不安げな表情になった。
ダンジョンを広げるのは、この為でもあるように思えた。アンセルが自らの生命と引き換えに仲間を逃すつもりではないかと思うと、心配で堪らなかった。
「大丈夫、最悪の場合だよ。
そうならないように俺は勝ってみせる。
必ず、仲間とダンジョンを守ってみせるから」
アンセルは明るい声でそう言うと、オルガとトールを見つめながら「勝ってみせる」と繰り返したのだった。
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