第6話  証明

 

「ミノス…さん…」

 アンセルは自分に向けられている瞳を見ると、厳しい言葉もかけられるのではないかと恐れを抱いた。

 また下を向くと手には嫌な汗をかいていて、太腿の上でゴシゴシと擦っていた。


 その言葉を否定することは、アンセルには出来なかった。

 ミノスは「かつて」を知る唯一の魔物である。

 まだ小さな子供ではあったが、魔物が文字通り人間にとっての『魔物』だった頃を知り、『かのお方』と勇者、ユリウスとの戦いの全てを知っていた。

 この広場が真っ赤な血で染まった時を見たことがあるのだから、アンセルが何かを言うことは出来ない気がした。

 アンセルが卵から孵ったのは、それから先の話である。

 そう…アンセルは「かつて」のことなど何も知らないのだ。知らなければならないと思ったこともあったが、何もすることなく、ついにその時がやって来たのだった。


 『かのお方』が卵の状態であったアンセルをミノスの両親に託し、ミノスの両親とミノスがアンセルを育てることになった。アンセルが言葉を発するようになった頃には、ミノスの両親は亡くなっていたので、アンセルは大切に育ててくれるミノスを父親のように思うようになったのだった。


 そうして数百年の時が流れ、ミノスよりも後に生まれたミノタウロスが老衰しても、ミノスは魔法がかかったかのように生き続けた。

 アンセルは不思議で堪らなくなり、同じく老いることのないマーティスに尋ねたことがあった。


「そうですね。僕の魔術を施しているからでしょう。

 それが、上手くいっているのです」

 と、マーティスは短く答えた。


 その魔術について色々教えてもらおうとすると、マーティスはアンセルを18階層の書庫へと連れて行き、分厚い書物を何冊も渡すと、アンセルは苦笑いを浮かべた。


「まずは魔術書を読んで、しっかりと勉強して下さい。

 アンセル様が分からない部分について答えることにしますよ」

 マーティスがニッコリと微笑むと、アンセルもニッコリと微笑んだ。

 魔術書で使われている文字は、アンセルにはそもそも理解することが出来なかった。そこから始めないといけないと思うと途方もない道のりだ。アンセルは書物を返すと、足早に書庫から出て行ったのだった。



 ミノスはしばらくアンセルを見つめていたが、下を向いたままだったので重々しく口を開いた。


「人間の間で語り継がれている魔物は恐ろしい生き物であり、変わることはありません。多くの人間が魔物に殺されたのですから。

 過去を変えることは出来ない。

 大きな声を上げながら、人間を追いかけて、そして殺しました。私も、人間を殺しました。全身に浴びた人間の血の臭いを、今でもはっきりと覚えています。地面に散らばっている喰い荒らされた死体も忘れたことはありません。

 沢山の村や町を焼き、そこに住む人間の生命を奪い尽くしたのです」

 ミノスが遠い目をすると、オルガとトールが真っ青な顔になった。


「本当に…人間を沢山殺したのです。激しい憎しみの感情を抱いていました。

 そう…憎しみは狂気を駆り立てました。心は渇き、殺しても殺しても、決して満たされることはありませんでした。

 目は血走り狂ったように走り続け、泣き叫ぶ人間を喰い続け、ただ人間の死を求めました。

 それが、人間が見た魔物の姿なのです。

 あの時と同じ事が起こっているのであれば、私達が原因とされても仕方がないのかもしれません。

 そう…私達は恐ろしい魔物なのだから、仕方ありません」

 ミノスが全てを諦めたかのような声でそう言うと、アンセルはようやく顔を上げた。


「でも…それは…もう何百年前の話だ…。今を生きる魔物には…罪はない。人間だって…あの頃生きていた者達は…誰もいない。

 何百年も前の話だ…もう…終わったんだ」

 アンセルは途切れ途切れにそう言った。

 罪は消えることなく永遠に「魔物」にまとわりつき、新たに生を受けた魔物ですらも罰を受けねばならないなど、アンセルには到底受け入れられなかった。


「そうでしょうか?本当にそうなのでしょうか?

 魔王アンセル様、何も終わってなどいません。終わっていないからこそ、同じ事が繰り返されようとしている。

 そう…何百年経とうが世代が交代しようが、何も変わらないと思っていらっしゃるのです。

 その結果が、これです。

 話し合うことなどなく、魔物を全滅させようとする勇者が送り込まれました。

 人間の考え方は、何も変わっていない。

 現実を、しっかり見て下さい。

 何の力も持たない私達は死を待つしかありません。

 それか…殺されるぐらいならば…かつてと同様に殺し合うしかありませんね」

 ミノスが低い声で言うと、アンセルの両腕がカタカタと震え出した。


(死を待つしかない…?それか殺し合う…?

 何故だ?何故そんな悲しい事や残酷な事が言えるんだ?

 魔物として生まれてきたのであれば、何もやっていなくても誰も傷つけていなくても、永遠に背負い続けなければならないというのか?)

 アンセルはその理不尽さに唇を噛み締めた。勇者を送り出した人間の嬉々とした顔が浮かんだ。

 人間にとって、魔物の生命は、何の価値もない。

 魔物とは生きているだけで、苦しみや悲しみなどといった感情は持ちやしない。それは、人間だけが持つ特別な感情なのだから。


 オルガとトールはさめざめと涙を流し、静まり返った広場には悲しみの声だけが響くのだった。


 アンセルは何もかもが恐ろしくなったが、仲間の涙を見ていると、怯え震えながら武器を持ち、勇者に立ち向かう姿など不可能だと思えた。誰かの生命を奪うことなど出来やしないだろう。階層主でさえ怯えているのだから、他の者達は立っていることすら出来ないだろう。それは、他者を思いやる心を持っているのだから。


 アンセルはマーティスを見たが、マーティスは見つめ返すだけで何も言おうとはしなかった。

 その瞳は、冷たく光っていた。「魔王としての決断をしてください」とでも言いたげな瞳だった。


「俺は…魔物として生まれてきたのなら、勇者に殺されても仕方がないとは…思わない。

 生まれながらに罪を背負っているなんて…永遠に過去が消えないなんて…俺には理解出来ない。

 今は、平和に暮らしている。

 誰も殺していないし、傷つけたりもしていない。これからも人間を襲ったりなどしない!

 見た目だって…人間とほとんど変わらない。肌の色や髪の色や体の一部は違うかもしれないが、ほとんど一緒だ。

 俺達は、恐ろしい魔物なんかじゃない!

 俺達は…そう…善良な魔物だ!」

 と、アンセルは大きな声を出した。


 しかしミノスは大きなため息をつき、愚かな言葉でも聞いたかのように冷めた目でアンセルを見た。


「見た目が少しでも違うのならば、人間にとっては異なる種族です。彼等は「何か」が違えば、自分達とは「違う」と思い、違いを受け入れることなく「恐れ」を抱きます。そして恐れは「憎しみ」へと変化する。

 それに魔物が善良などと、誰が信じるのでしょうか?

 善良な魔物など聞いたこともないでしょう。

 魔物は、魔物でしかない。

 人間を憎み続け、いつの日かダンジョンから出てきて、再び殺戮をするだろうと思っていたのでしょう。

 それで、こうなったのです。

 国民もソレに賛同したのですから、勇者がこちらに向かっているのです。

 もう一度言いますが、何も変わってなどいません。

 あの頃と同様に危険で野蛮な生き物なのです」 

 と、ミノスは言った。


(危険で野蛮…?)

 アンセルはその言葉に違和感を覚えたが、返す言葉もなく黙り込んでいた。

 静寂が広場を支配し、その重苦しさで押し潰されそうになっていたが、自分を見つめるミノスの赤い瞳はメラメラと燃え上がっていた。

 その赤い瞳を見ていると、アンセルは萎えかけていた勇気がもう一度動き出すのを感じた。


(俺達は…野蛮なんかじゃない。魔物が人間を襲っている姿など、誰も見たことなどないだろう。

 全てが不確かなのに、一方的に原因をおしつけてくる。

 話し合うこともなく「全滅させる」と宣言するなんて、どちらが野蛮なのだろうか?

 ちゃんと原因を見つけようともせずに、国民の怒りの矛先を魔物に向けて国を守ろうとする人間の国王の方が野蛮じゃないのか?!

 罰は受けなければならない。

 だが、俺達は何の罪を犯していない。

 それなのに子にも引き継がれるなんて…どこまでもどこまでも追いかけてくるなんて…受け入れられない。

 それほどまでに…人間の世界は希望のないものなのだろうか?前を向いて生きている俺達を、どうして苦しめる?

 それは…あんまりだ…受け入れたくない!)

 アンセルはそう思うと、椅子から立ち上がった。


「どうされましたか?」

 と、ミノスが言った。


「俺は…何もせずに受け入れるのは嫌だ。

 確かに…俺達の先祖は…数百年前に人間を恐怖に陥れ、沢山の人間を殺した。その事実は消せないし、決して許されないことだ。

 でも俺は…過去をしっかりと受け止めたうえで…前を向いて、これからを仲間と共に歩みたいんだ。

 ここを守りたい。仲間を守りたい。

 それに…今の…俺達の事を分かってもらいたい。絶対に人間を傷つけたり殺したりなどしないと。

 そして…原因は俺達じゃないって、ここに来る勇者に分からせたい。

 変われるのだということ…新たな道を…歩んでいけるのだということを」

 アンセルはそう言ったが、途切れ途切れに発せられた言葉にはあまり威力がなかった。


「しかし、信用されないでしょう。失ってしまったものは、簡単には取り戻せないのです。

 もし本当にそう思っておられるのならば、証明せねばなりません。

 力強い言葉と行動で、示さねばなりません。

 今の言葉を…全ての者は変われるということをです。

 しかし、どうやって証明されるおつもりですか?

 もし本当に証明されるのでしたら、アンセル様は勇者と魔法使いの生命を奪うのはもちろん傷を負わせることすらもなりません。

 しかし勇者の方は、魔物が「魔物」であると判断すれば、剣を鞘から抜くでしょう。そうなれば、全ては終わります」

 そう言ってアンセルを見つめるミノスの瞳はとても厳しかった。堂々としていない魔王など信用出来ないとでもいうかのようだった。


 今のアンセルには威厳も力もなく、怯えながら助けを乞うている男とそう変わらないだろう。魔物を殺せる武器をもって現れる勇者に自分が立ち向かう姿を考えるだけで、恐怖を感じているのだから。

 また座り込んで下を向くだろうと思われたその時、アンセルは胸を張って拳を強く握っていた。


「あぁ、やってやるよ!」

 アンセルは興奮した表情で、大きな声で叫んでいた。忘れてしまっていた、その体に流れるドラゴンの血がそうさせたのかもしれない。


「やってやる?何をですか?」

 と、ミノスは落ち着いた声で聞いた。


「このダンジョンにいる魔物は善良だと証明してやる!

 そして俺が、仲間を守りぬく!

 誰も殺させはしない!」

 アンセルのその言葉が広場中に響き渡ると、泣き続けていたオルガとトールが顔を上げた。その顔には期待と喜びの色がさしたが、マーティスは黙ったままアンセルを見つめていた。


「証明し、守り抜くですか…。

 素晴らしい言葉ですが、今のアンセル様に本当に出来るのですか?

 証明する為には、アンセル様の言葉を聞いてもらわなければなりません。しかし国王から命令を受けている騎士が、魔物の言葉に耳を貸すでしょうか?

 私には不可能としか思えません。

 アンセル様はどのような魔物であれば、勇者が鞘から剣を抜くことなく対話をすると思いなのでしょうか?

 それに勇者がダンジョンに潜入してくれば、仲間は混乱状態に陥るでしょう。叫び声を上げる魔物を見た勇者は、自分達を襲おうとしていると思い、すぐさま攻撃してくるでしょう。

 そうなれば仲間は確実に勇者によって殺されます。

 アンセル様の言葉は美しいですが、非常に困難です」

 ミノスがそう言うと、また広場は静まり返った。


 オルガとトールの顔にはまた悲しみの色が広がっていった。

 魔王であるアンセルはあまりに弱々しく、そんな力があるとは思えなかった。それにアンセルはすぐに反論しないのだから、ミノスの言葉の方が真実なのだろう。またすぐに魔王は屈服してしまい、それを受け入れるのだろう。


 物語によくあるように、魔物は勇者によって退治されなければならない。

 そう…物語ですら、魔物は魔物であるという理由で狩られる。

 それは常に人間にとって都合がいい世界を作る為であり、魔物の話など人間は誰も知りたいとは思わない。人間にとって不都合なものは、嘘であり真実ではないのだから。

 常に人間こそが正義であり、よく分からない生物は殺してしまえばいい。もしソコで世界のバランスを崩すようなことがあれば、また別の何者かを悪者にしてしまえば一旦は全てが守られる。

 ソレを繰り返していくのだろう。世界が崩壊する、その時まで。


「困難です…諦めましょう。生半可な覚悟では、仲間をより苦しめるだけです。

 今度こそ、魔物は勇者によって殺されるのです。そうして、世界が変わっていくのです。

 それが、この世界のあるべき姿なのでしょう。

 誰も疑問には思いませんし、立ち向かう者もおりません」

 と、ミノスは言った。


 もうこれで会議を終わらせるかのようにミノスが立ちあがろうとした瞬間、アンセルは「世界は終わらない!」と叫んでいた。


「俺は諦めない。

 そんな古臭い物語を、魔物が勇者に打ち勝つものにしてみせる!それこそが新しい物語だ!永遠に語り継がれる物語にしてみせる!

 俺は世界最強の生物であるドラゴンなのだから、立ち向かいもしないうちに白旗などあげられるか!

 俺は、諦めない!俺が、やってやる!」

 と、アンセルは大きな声で叫んでいた。


 するとマーティスが椅子から立ち上がり大きな拍手を始めると、トールとオルガも嬉しそうな顔で拍手をした。2人の顔は暗闇の中で、消えることのない眩い光を見つけたかのように輝いていた。

 広場を支配していた絶望と諦めは、ようやく消えてなくなったのだった。


「アンセル様!それでこそ、僕達の魔王です!

 信じておりました!一緒に戦いましょう!」

 マーティスは声を上げると、トールとオルガも続いて「戦おう!諦めずに!」と声を上げた。


「あっ…」

 アンセルは小さく声を漏らしたが、その声はマーティスの拍手の音によってかき消されたのだった。


 アンセルはようやく気づいたのだった。

 自らは「魔王」であり、全てが彼の言動によって決定するということを。

 アンセルが口を開けていると、ミノスはアンセルに鋭い視線を送った。その瞳は、非常事態だからこそ、魔王が弱音を吐くことも臆病な態度もとってはならないと語っていた。頂点に立つ魔王が怯えているのであれば、仲間はさらに怯えてしまい混乱状態に陥ってしまうだろう。アンセルが覚悟を決めた今、オルガとトールの瞳には希望の光が蘇ったのだった。

 アンセルの言葉は彼等を安心させ、魔王が守ってくれるという希望を与えたのであった。絶望の渦にのまれようとしていた彼等は感動の涙を流しながら、お互いに抱き合って喜び出した。


「かしこまりました。

 魔王アンセル様がそれほどまでに覚悟を決めているのであれば、私達はその言葉に従いましょう。

 ご無礼をお許し下さい。

 アンセル様には、何か考えがあるのでしょう。それがあってこその決断なのでしょうから、その策を、お聞かせ下さい。

 私達はアンセル様を支える力となりましょう」

 ミノスはそう言うと、深々と頭を下げたのだった。


 今のままでは守り抜くなど不可能だが、アンセルは証明すると声高らかに宣言してしまったのだった。

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