第80話 彫刻機をつくろう
神殿内の権力闘争については俺達は門外漢なので、グレイスたちに任せる事にした。
洗濯ばさみについては、生産したところでコスト競争で負けるのは目に見えているが、自分達でも作ってみたいという欲求から、デボネアに相談するというのは変えない事にした。
勿論、根っからの職人気質であるドワーフのデボネアも、洗濯ばさみを見せたら前のめりになってくれた。
「このギザギザの合わせ目、完璧じゃな」
指で洗濯ばさみの先端の凹凸を触って、その出来栄えを確認したデボネアが感嘆の声を漏らした。
「それに、ばねの強さが指でつまむのに最適なんですよ。風が吹いても洗濯ものが飛ばなくて、尚且つ指でつまめる程度の反発力。使い勝手を考えたらこのバランスは絶妙なんですよね」
俺はそう説明した。
ばねの強さは間違えると使い勝手がとても悪くなる。
銃のマガジンに使うばねだって、強すぎると弾を込める時に指を怪我した実例もある。
それに、弓などでも強すぎる弦は引くことが出来ない。
それは洗濯ばさみでも同じだ。
洗濯ものが落ちないように強いばねにしたら、指で動かすことは出来なくなる。
「それにしても、木を削ってこの形状にして、合わせまで調整となると相当な手間がかかるのう。いくらで売っているのか知らんが、庶民が手にするのは難しいじゃろ」
「それがそうでもないんだ。これなんてスターレットが護衛の報酬のおまけとして貰ったものだからね。本当に高価なものだったらそんな事にはならないでしょ」
「はあ?これがか?」
デボネアが驚くのも無理はない。
彼が自分の頭の中ではじいた加工時間からしたら、これはそうとう高額になるのだ。
だが、木を自動で切削する工作機械があったなら、その時間はうんと短くなる。
「おそらくは手加工じゃないんですよ。工作機械を使っているはずです。それに人件費もかかっていない」
これは推測なんだけど、下っ端の魔族を使役すれば人件費など発生しない。
あいつらは人間との戦争だって、兵士に給料を払っているとは思えないし。
そうなってくると、かかるのは材料費くらいなもんだ。
厳密には工具代や動力などにかかるお金が必要になる。
材質が木なので加工油は使っていないと思うけど。
「同じものを作るにしたって、わしらドワーフは品質では負けんじゃろうが、売り値は勝負にならんぞ」
「まあそうですよねー」
予想していた答えが返ってくる。
それでも俺は言葉を続ける。
「でも、品質では負けないものを作ってみたいじゃないですか」
「それはあるのう」
デボネアがニッコリと笑う。
これは新しいことにチャレンジしてみたくてうずうずしている顔だな。
「ばねに使う材料はこちらで用意します。強さは何段階かに分けて用意するので、試作してみてどれにするか決定しましょう」
俺はばねを作る事は出来ないが、ばね用の鋼線はスキルで作り出すことが出来る。
それを加工するのがデボネアだ。
「で、これを作った工作機械も教えてくれるんじゃろうな?」
「工作機械ですか……」
「なんじゃ、知らんのか?」
デボネアはがっかりした様子だ。
そんなに期待していたのか。
前世で木工用の工作機械は見たことはある。
が、旋盤と違って仕組みはよくわかっていない。
木工用の工作機械といっても、外観はフライス盤やマシニングセンターと同じだ。
主軸を回転させて、テーブルを稼働させることが出来るなら、多分再現は出来るとは思う。
加工油を使わない分だけ構造は簡単なのかもしれないが、どうしたもんだろうか。
少し考えてみたが、思いついたのは汎用の彫刻機だった。
仕組みはベルトで主軸を回転させて、主軸と連動する針で原版をなぞることで、原版どおりに加工をする工作機械だ。
中学校とかの美術の時間に、画用紙に直線を描くために溝のほってある定規を使ったことがある人はそれを思い浮かべて欲しい。
あの溝に棒をつっこみ、それと一緒に筆を握って線を引いたのと仕組みは一緒だ。
ただし、力が弱いので硬い種類の木は削れないだろうけど、種類を選べば加工出来なくはないか。
ただ、彫刻機で無垢からの削り出しとなると、時間は相当かかるだろうな。
そもそも彫刻目的であって、切削目的ではないからだ。
それに、強い力を出そうとすれば、針が原版からはずれて加工不良となってしまう。
所詮は彫刻用の機械でしかないということだ。
「似たような物でよければ、仕組みを紙に描くくらいは出来ますよ」
「それで構わんよ」
打って変わってニコニコとするデボネア。
ドワーフの能力なら彫刻機くらいは再現してしまいそうだ。
早速彫刻機のラフスケッチを描いていく。
「こういう風に、プーリーにベルトをかけてベルトを動かすと主軸が回転します」
「その辺は旋盤と一緒か」
「旋盤は材料が回転しますけど、こちらは材料は固定されていて刃具のついた主軸が動くんですよね」
尚、加工の難易度では旋盤の方が上である。
回転する材料に刃具を当てて加工する事が出来れば、フライス盤の加工を覚えるのは比較的に簡単である。
逆にフライス盤やマシニングセンターから加工を覚えると、旋盤での加工を覚えるのは難しい。
材料が回転するか、刃具が回転するかの違いしかないが、その難易度には大きな違いがあるのだ。
洗濯ばさみの話をしにきたのに、すっかり彫刻機の話で盛り上がってしまい、途中で飽きてしまったスターレットとシルビアは先に帰っていた。
俺もデボネアに仕組みを話した後、デボネアからの質問に一通り答えたので帰る事にする。
ばね用の鋼線はピンゲージ作成スキルで細いピンゲージを作成して、デボネアに手渡しておいた。
このままでばねとして使用する事は出来ず、洗濯ばさみに合った形状にする必要があるのだが、そこはデボネアにお任せだ。
でも、洗濯ばさみの試作よりも、彫刻機の試作が先になるだろうし、本当に洗濯ばさみを作るのかどうかは疑問だ。
帰ろうとする俺と一緒にデボネアが店から出てきた。
「どうかしましたか?」
「今からエッセのところに行ってたたき起こしてくるわい」
意気揚々と歩きだすデボネア。
「ああ、そういえば見かけませんでしたが、今日はお休みですか?」
「熱があるからっていうので休ませたが、アルトから聞いたこいつを作るのにはあいつの手助けもいるからのう。寝ている場合じゃないじゃろ」
「ええええっっ!!!」
寝ている場合だと思いますけど、職人魂に火がついたデボネアを止めるのは難しいか。
せめてエッセの体調が悪化しない事を祈ろう。
「なに、ドワーフは新しい加工方法を見つけると寿命が100年伸びるんじゃ。明日死ぬ運命だったとしても、死ぬのが100年先に伸びるわい。感謝してもらいたいくらいじゃ」
「ああ、そうですか……」
自分の顔は見れないが、鏡があれば多分げっそりしていると思う。
本当に寿命が100年伸びるのなら、それはそれでいいんだけど。
俺はデボネアの背中を見送り彼の姿が見えなくなると、冒険者ギルドへと向かって歩き出した。
日はすっかりと西に傾き、家路を急ぐ人達の中を一人歩くと、エッセに対して申し訳ない気持ちが込み上げてきた。
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