第79話 品質管理の苦い思い出

「違う工場、ここでは工房か。それで同じものが出来るというのは凄い事なんですよ。なにせ人の手による加工ですから、当然ばらつきが出てきます。剣と鞘みたいに一対で作っているなら、その一対の出来で評価すればいいけど、大量生産の製品だと、どうしても他との比較が容易に出来るから、出来不出来がわかっちゃうんですよね」


 その言葉にうなずいたのは神殿騎士団長だった。


「一品ものの剣であれば比較は難しいが、数打ちのものであれば、同じ数打ちどうしでの比較も出来るか」


「そういうことです。そして、同じ工房であっても数打ちの剣の出来栄えはばらつくのに、離れた都市にある別の工房で同じように作ったとしても、同じような出来栄えになるのはまずないでしょう。今のやり方ではと注釈がつきますけど」


「じゃあやり方によっては出来るっていうのかい?」


 シーマが質問してきたので、俺は大きく頷いた。


「製造条件や管理方法を決めて、その条件・方法に従って作業を行えば可能です。ただし、作業者の力量も同等程度にする必要があるので、教育方法と力量の評価方法も決めないといけませんが」


 今のこの世界の文明レベルであれば、そんな大量生産のノウハウなんて必要がない。

 皿や包丁などの日用品であっても、一個一個手作りで生産しており、購入者も使えれば問題ないという感覚だ。

 しかし、そんな世界に突如持ち込まれた洗濯ばさみが高精度で出来ているとなれば、後発の模造品が品質の悪い劣化コピーだと市場を奪う事は出来ない。

 洗濯ばさみの商品価値とは、洗濯ものが落下せずに干せることだが、ばねの強さやかみ合わせで挟み込んだ時の力が弱ければ、その商品価値はなくなってしまう。

 そうならないための管理方法が必要なのだ。


 なお、工業規格の成り立ちは軍隊が世界各地で行動した時に、どこであっても同じ部品が調達できるためい必要だったからというものらしい。

 昔の日本に伝わったばかりの火縄銃では、ねじの製法は金属の棒に糸を巻き透けて螺旋の目印としてをやすりで削って雄ねじつくってから、それを使って穴の開いた金属に差し込み雌ねじを鍛造するというやり方だった。

 つまり、雄ねじが変わると雌ねじに嵌らなくなるので互換性が全くなかったのだ。

 戦場で部品の交換がきかないとなると、それは軍事行動にとっては痛手となる。

 なので、世界中が戦場となる可能性が出てきた近代になって、部品の規格統一という命題が出てきたのだ。


 しかしながら、そんな規格の誕生から100年以上経った現在でも、世界中で同一の品質とはなっていない。

 流石にまったく使えないレベルであるという訳ではないが、同じものができるかといえばそうでもない。

 バラツキが大きい部品では、あらかじめ公差を大きく設定する事もあるが、後工程でそのバラツキを吸収できないために、傾向に合わせて設備を調整するなんてことも実際にはある。

 で、いままで生産していた工場が自然災害や紛争で生産出来なくなった時に、同じ部品を生産している他の工場から部品を調達してみたところ、傾向が真逆となっていて大幅な調整が必要になったなんてことは枚挙にいとまがない。


 また、図面に明確な記載がないようなもの、例えば有害なバリやキズなんてものは、それぞれの工場で良否の判断基準が違っていることもある。

 有害の定義があいまいなためだ。

 流通網と情報通信網が整備された21世紀ですらそれなのである。

 それらが全く無いこの状況で、品質管理をするのがいかに難しいか。


 そして、更に困った事にエンドユーザーには規格の範囲内という言葉は通用しない。

 彼らは使い勝手が悪ければ全て不良品と判断するし、ちょっとした傷でも不良品と判断する。

 作り手側の理屈など通用しないのだ。

 エンドユーザーが満足するものこそが良品であり、満足できないものは不良品なのである。


 これだけ世間で高評価の洗濯ばさみを模倣して、さらに取って代わろうとすることがいかに難しいかわかるだろう。

 が、作り手側に立ったことが無ければそんな苦労はわからない。

 それをどうやって説明してみようか。


「シーマは職業柄毒にも詳しいと思いますが、いかがですか?」


「まあそうだね。どっちかっていうと、使うよりも使われる方が多かったけどね」


 何を突然という表情のシーマ。

 俺は彼女にさらに語り掛ける。


「その毒ですけど、例えば犯罪ギルドで毒のレシピを作って他の組織に販売したとして、毒の効果は全て均一にできると思いますか?」


「そんなに簡単にはいかないだろうねえ。なにせ、分量が少し違っただけでも効果が変わってくる毒だってあるからね。特に時間を掛けて病気に見せて弱らせる目的の奴は、毒の成分が多いと直ぐにくたばっちまうから病死ではないとばれちまうのさ。じじいに死んでもらいたいクライアントからしたら、たまったもんじゃないよ。誰かに作らせるくらいなら、オリジナルのレシピを作った奴がつくった毒を購入するね」


 この説明だと、多分そういうのを使った経験があるのだろうな。

 クライアントは大店の店主の若い妻とかあたりか?


「そうですよね。レシピがあったとしても、それだけでは同じものにはならないんです。毒の成分の分量が寸分たがわず同じかどうか。重さを測る道具も必要ですし、その道具を正確に使用できる技量も必要になってくるんです。なので、そういった同じようにできるための方法を決める事ができて、その方法を間違いなく守れる状況が出来るのであれば、世界中のどこで作っても同じものになるんですよ。でも、それって現実味はないですよね」


「そういう事なら納得がいくよ。つまりは絵空事ってことだわね」


「まあ、それを絵空事ではなくするのが俺のジョブなんですけどね」


 ここは苦笑いしか出てこない。

 品質管理のジョブがあったところで、誰でも同じことをさせられるわけではないからだ。

 自動化や省力化などといっても、完全に人による作業が無くなることは無い。

 その人による作業によるバラツキは絶対に存在する。

 細かいことを言えば、無人の自動化されたラインであっても、機械の動作は一定ではないのでバラツキは存在する。

 完全に同じものを大量生産できるラインなどは無いのだ。


 そんな中で、使用上問題ない範囲を決めて、その範囲の出来栄えを維持するのが品質管理である。

 毒の例でいえば、病死に見せられる程度の遅効性の毒である事をいかにして守れるのかということになる。

 自分がその毒の品質管理を担当するなら、出荷検査として実際に誰かに使用してみることになるだろう。

 人以外の動物や検査方法で代用できる保証が無ければ、実際に人に使用する以外には検査方法はない。

 非人道的すぎるので前世では無理だけど、シーマの犯罪ギルドであれば当然のようにやるだろうな。

 そんな担当者にはなりたくない。


「というわけで、物流費を減らすために各都市の工房で生産するという考え方はありですけど、品質管理をどうしていくかで、失敗すれば相手の評価を上げてしまうリスクがあります」


 顧客の信頼は品質に左右されるというわけだ。

 良い品質であれば信頼を得ることができ、悪い品質であれば信頼を失う。

 ライバルメーカーの製品が有るとするなら、顧客は簡単に乗り換えてしまうため、手を抜くことは出来ないのだ。


「今すぐに相手の商売を奪っちまうってのは難しそうだねえ」


「はい。ただ、洗濯ばさみ以外にも商品を投入してくると思いますので、こちらとしても何かしら手を打たないと、生活の中にどんどん魔族の製品が入り込んできてしまいますね」


「手はあるだろう。後はやる気の問題さね」


 シーマはグレイスを見て不敵な笑みを浮かべた。


「何でしょうか?」


 グレイスがその意図を理解できずに、シーマに聞き返した。


「こちらが聖女様っていう御輿を担いで、王都の神殿勢力を駆逐しちゃえばいいのよ。そうすれば今の販路を失うことになる。ま、魔族が直接売り歩く訳にもいかないだろうから、次の商売相手を見つけるような努力はするだろうけど、魔族と直接取引しようなんていう度胸のある商人がどれほどいるかねえ」


「つまり、神殿が魔族から仕入れをしなければ、彼等は商品を作っても売る手段が無くなるということですね」


「そう。ただし、まともな交渉をしないで脅迫したり、洗脳したりっていうのは警戒しないといけないけどね。なにせ、人間の法律にしばられない連中だから」


 それをシーマが言うかとツッコミたいが黙っておいた。

 しかし、シーマ本人もここにいる誰もがそう思っている事はわかっており、全員の顔を順番に見回しながらニヤリと笑う。


「そういう事なんで、あんたらは早いところ王都の神殿の奥でふんぞり返っている連中を一掃する手だてを考える事だね。あたしらの組織も手伝えることがあったら言っておくれよ。ただし、相応のお金はいただくけどね」


 さりげなく商売の話をするシーマ。

 ただ、グレイスたちも犯罪ギルドとの付き合いが深くなると、後々それをネタに強請られたりしそうだよな。

 企業でも総会屋や暴力団との付き合いがあって、後にそのことで強請られるなんてことが度々報道されている。

 必要悪なんだろうけど、コンプライアンス的には認められるものではない。


「いいけ、結構です。自分達の力で勝利を勝ち取らないと意味がありませんので。それに、後々までお付き合いを強要されることになるのも心配ですし」


 グレイスはきっぱりと断る。


「まあいいさ。そのうちどうしても必要になったら声をかけてくれていいからね」


 シーマは笑顔で受け答えするが、どうにも獲物を見つめる蛇に思える。

 笑顔に公差範囲があるとするなら、間違いなく公差外となっているはずだ。


「それと、アルト」


「はい」


 シーマに急に声をかけられた。


「うちの毒の精製部門を管理してみるつもりはないかい?」


「いや、そういうのには興味がないので」


 いきなりのスカウトだったので驚いた。

 当然断るしか選択肢はない。


「アルトはそんなことしないんだから」


 スターレットに腕を引っ張られる。

 シーマには渡さないぞっていう気持ちのあらわれかな。


「まあ、今はいいさ。気が向いたらいつでもいいよ。さてと、じゃあ帰ろうかね。暗殺者を送ってきたのも、洗濯ばさみを販売しているのも神殿なんだから、やる事は決まっただろう」


 シーマはそう言うと席を立つ。

 グレイスたちとギルド長はまだ話があるようだったが、俺たちも聞くことは聞いたので退室することになった。



 

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